第86話 ジャックの趣味
「あらら、見失っちゃったわね」
ジャックの追うユフィとエリーナ。
しかし書店に足を踏み入れると、ジャックの姿が見当たらない。
「ざ、残念ですね……」
これで尾行を諦めてくれるとユフィはホッとしたが、エリーナの意志は固かった。
「広い書店ねえ……二手に別れましょ」
「ええっ?」
どうやらエリーナは諦めの悪い性のようだ。
こうしてユフィはエリーナと別れ、ジャックを探すことになった。
書店の中は広々としており、高い天井と大理石の床が荘厳な雰囲気を醸し出している。
壁一面に本棚が並び、色とりどりの背表紙が整然と並んでいた。
天井近くまで積み上げられた本棚は、まるで知識の塔のようだ。
(は、早く見つけないと……)
焦りと罪悪感を抱きながらもジャックを探すユフィ。
本棚の間を歩き回り、目を凝らして周囲を見渡す。
時折、書棚の向こうに影を見つけるたびにそっと近づくがジャックの姿はない。
「どこに行ったんだろう……」
ユフィはつぶやきながら、さらに奥へと進んでいった。
本の匂いが漂う店内、静寂の中で足音だけが響く。
すると、ふと視線の先に見覚えのある後ろ姿を見つけた。
(見つけたっ!!)
砂場で無くした綺麗な石を見つけたみたいなテンションで、ユフィはジャックに近づく。
ジャックはとある本のコーナーを物色していた。
彼の目は真剣そのもの。
まるで人混みから指名手配犯を探すかの如く慎重さで、一冊一冊丁寧に視線を走らせている。
やがて一冊の本を手に取り、その表紙を見た途端ジャックはガッツポーズをした。
「クレア・リヴィクス先生の新刊……ついに見つけたぜ……!!」
ジャックが瞳を爛々と輝やかせながら手にしている本のタイトルは『世界の果てで君を恋う』
表紙には美しい装飾と共に、切なげに見つめ合う二人の姿が描かれている。
ユフィが本棚についている札を見ると、そこには『ロマンス小説コーナー』と書かれていた。
「へえ、ロマンス小説……」
ユフィが思わず呟くと、ジャックの肩がビクッと跳ねる。
ギギギゴゴゴと、錆びついた機械人形のように振り向くジャックの表情は驚愕に満ちていた。
「ユユユフィ!?!? なぜここに!?!?」
「はっ、しまった!」
慌てて本を元の場所に隠すジャック。
それからジャックはユフィの両肩をガシッと掴み、圧をかけながら言った。
「こここのことは誰にも言うなよおっ!?」
「いい言いいません言いません!! ジャックさん落ち着いてください体から火が出てます!」
ジャックの体から立ち上る火のオーラが辺りの空気を熱くし始めていた。
もし本に燃え移ったりでもしたら書店ごと炎上して大惨事だ。
「あ、わりいっ」
ジャックがパッと手を離す。
そんなジャックにユフィが尋ねると、
「こういう本が……好きなのですか?」
正直に言うと意外だった。
男気に溢れ、闘争本能の塊のようなジャックがそんな内情を含んだユフィの言葉に、ジャックは「好きなんてもんじゃねーよ!」と吹っ切れたように声を張り上げた。
「ロマンス小説はな、この国の文化であり最高の娯楽なんだ。読むと心が洗われるし、キャラたちの恋愛模様に共感することで、感情のリフレッシュができる……いわば別の世界に連れて行ってもらえるんだよ。鍛錬で疲れた時、嫌なことがあった時はロマンス小説に限る。ロマンス小説こそが、俺の人生に彩りを与えてくれる唯一無二の存在なんだ!」
「な、なるほどっ……そうなのですねっ……」
情熱を込めて語るジャックの勢いに圧倒されつつも、ユフィはこくこく頷く。
ユフィの村ではロマンス小説の文化がなかったため、ジャックの話はある種新鮮で興味深かった。
「読むとほんわかした気持ちになる、みたいな感じですかね?」
「おおっ、その通りだ! 他にもロマンス小説はな……」
ユフィが共感の姿勢を示したことで、ジャックが熱の籠った言葉を続ける。
嬉しそうにロマンス小説を語るジャックを見ながら、ユフィは思う。
(多分ジャックさんは、普段抱えているプレッシャーから解放されるために、ロマンス小説を……)
ジャックの身の上話を聞いているからこそ、多分そうなんだろうなという確信は深かった。
──その時、カシャッと聞いたことのない音がした。
(なんだろう……?)
不思議に思ったユフィは周囲を見回したが、特に異変は見当たらない。
ジャックの熱弁は続いており、ユフィは(気のせいかな……?)と首を傾げた。
「あ、ジャック君みーつけた!」
ジャックの熱弁を聞きつけて、程なくしてエリーナもやって来た。
エリーナを見た途端我に帰ったジャックの顔からサーっと血の気が引く。
事情を秒で把握したエリーナがニヤニヤと言葉を口にする。
「ジャック君、こういうのが好きだったんだねえ」
「くっ……幼馴染のお前にも隠してたのに……」
一生の不覚とばかりに悔しさを滲ませて言うジャックに、
「軍務大臣の令息にして熱血火魔法の使い手ジャック君が、ロマンス小説大好きな乙女男子かあ……」
「言うなよぉ!? 絶対に言うなよぞ!?」
「言うわけないじゃない~。幼馴染のよしみで、内緒にしておいてあげる」
「……助かる」
短く呟くジャックにエリーナは言葉を続ける。
「ところでジャック君、今から暇? これからユフィちゃんと私の家に行くんだけど、ジャック君も来ない?」
「いや、俺は帰ってこの新作だな……」
「そういえば今、魔春砲の記者が私たち重鎮の令嬢令息のゴシップネタが何かないかと奔走してるって耳にしたわね」
「久しぶりにエリーナの家に行きたいと思ってたんだ!! 今すぐ行こう! なんなら好きな手土産を買っていくぞ!」
拳を天井に掲げて乾いた笑声をあげるジャックに、ユフィはたらりと汗を流す。
(エ、エリーナさん、怖い!)
普段は温厚で優しいエリーナ。
しかし時折見せる強かな側面にユフィはビクビクしてしまうのだった。