第74話 確かな成長
ジャックから休養を宣言された次の日の放課後。
自室のベッドでユフィはぼーっとしていた。
表現通り、天井をじーっと眺めているだけだった。
「平和だ……」
ぽつりと呟くユフィ。
枕元ではシンユーがすぴーすぴーと気持ちよさそうに寝ている。
窓から差し込む陽の光は暖かく、部屋の中を柔らかく照らしていた。
ここ最近はずっと、放課後はジャック指導のもと夜まで体力トレーニングに勤しんでいた。
ダッシュ系のトレーニングはもちろん、バーピーなどのジャンプ系、果てはベンチプレスなど、あらゆるトレーニングを施された。
文字通り息つく暇もない日々を送っていたのだが、急に休みとなると心にポッカリ穴が空いたような気持ちになる。
「休んだ方が良い、とは言われたけど……」
演舞会まで残り1週間に迫っている。
そう考えると、身体がうずうずし始めた。
ベッドの上で身体を起こし、少しだけストレッチをする。
筋肉の張りがかなり残っているのを感じ、確かに今激しい運動をするのは危険な気がした。
「よしっ」
立ち上がり、台所へ向かう。
シンユーがちらりと目を開けてユフィを見送ったが、再びすやぁ……と眠りに戻った。
ユフィはナイフを手に取り、自分に言い聞かせるように言葉を口にした。
「ちょっとくらい、回復魔法を使うくらいはいいよね」
今日も今日とて、職人のような手つきで慎重に指を切る。
それからリビングに戻り、タイマーをセットしてから傷口に掌を向けて、すうっと息を吸い込んだ。
「癒しの力よ……」
ユフィの手から柔らかな光が放たれ、傷口を包み込む。
心なしか一週間前よりも光が強くなっている気がした。
傷口がじわじわと癒えていく感覚が指先から伝わってくる。
10分が経ち、30分が経ち、ほんの少しずつ傷口が閉じていく過程を見守りながら、ユフィは集中力を高めていった。
傷口が完全に治った途端、ユフィはタイマーを押し、表示された数字を見て目を見開いた。
「58分00秒……」
58分ぴったり。
ジャックとトレーニングを始めてから、2分の短縮に成功している。
エリーナの使う回復魔法に比べたらまだまだ蟻と太陽くらいの差があるが、数年間全く変化のなかった回復魔法が着実に進歩している。
その事実はユフィの表情を徐々に緩ませ、口元をゆるゆるにした。
「むふ……」
表情筋がひとりでに動き、口元がにやける。
「むふふふ……むふふふふふふ……!!」
満面の笑顔のままゴロゴロと床を転がり始めるユフィ。
今まではやらかした時に転がっていたが、今は喜びのローリングだ。
「むふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ!!!!」
ゴッ!!
「ふぎゃっ!!」
勢い余って壁に激突してしまった。
「うぅ……痛い……」
ジンジンとした痛みに後頭部を抑える。
『ちょっと! なんの騒ぎでございますの!?』
壁を突き破るかの如く鋭い声が飛んできた。
「ひい! ごめんなさい!」
壁から飛び退いて、ユフィは地面に頭を擦り付ける。
最近はゴロゴロ転ばないように気をつけていたため、久しぶりの壁に向かって全力土下座である。
「ゴ、ゴボウを……ゴボウをまた差し上げないと……」
部屋でうるさくするたびに、お隣さんにはゴボウを献上することで事無きをえていた。
よたよたとユフィは立ち上がり、リュックの元へ向かう。
寮に来た頃に比べるとずいぶん小さくなったリュックをパカっと開き、中を覗き込む。
「あ!!!!!」
思わず大きな声が出てしまった。
あれだけたくさんあったはずのゴボウが、一本残らず無くなっていて……。
コンコンッ。
「ひっ!?」
部屋にノックの音が響いてユフィは飛び上がった。
「キャサリンですわ。開けてくださいまし」
お隣さん──キャサリンの声だった。
(終わっ、た……)
すんっと瞳の光を消して、ユフィは玄関へ向かう。
ドアを開けると、そこには腕を組み、むすっとした表情のキャサリンが立っていた。
トレードマークの大きな縦巻きロールの髪を誇らしげに揺れる。
気の強そうな瞳は深い青で、まるで宝石のように煌めいていた。
顔立ちは絵に描いたように美しく、ピッタリと制服を着こなす姿は彼女が公爵名家の出身である事を体現しているように見えた。
「こんにちはですわ。今日も盛大に壁に激突したようですね」
「うぅ……ごめんなさい……うるさくしないよう気をつけてはいたんですが、人生で一番嬉しいことがあって、つい転がってしまいました」
「人生で一番嬉しいことが寮の部屋で? どんな嬉しいことがあったんですの?」
「………………………………………………………………………………えっと」
サッとユフィは目を逸らした。
擦り傷を治すのに1時間かかっていた回復魔法を2分も短縮できました。
それが人生で一番嬉しかったなんて言おうものなら、きっと可哀想な子だと思われるに違いない。
「……さっき生卵を割ったら双子さんでして」
「あなたの人生の喜びのハードル低すぎません?」
誤魔化した結果、キャサリンに本気で心可哀想な子を見る目を向けられてしまうのだった。
「まあいいですわ。とりあえず、貴方の立てた音によって、私の穏やかな放課後ティータイムを邪魔されました。何かしらお詫びの品があっても良いと思いません?」
キャサリンはちらっ、ちらっとユフィに目をけた。
その視線には明らかな期待が込められており、ユフィはキャサリンが何を求めているのか察する。
「大変ごめんなさいでしたーーーー!!」
床に頭がめり込む勢いでユフィは土下座した。
「ちょ、ちょっと、いきなりなんですの!?」
困惑するキャサリンに構わず、ユフィは言葉を口にする。
「実は、ゴボウを切らしてしまいまして!!」
「な、なんですって!?!?!?!?!?」
廊下中に響き渡るほどの大きな声でキャサリンは驚愕した。
「最近、体力トレーニングをし始めてからというもの、食欲がえらいことになりまして……ゴボウもたくさん食べるようになってしまい、昨日の晩御飯で無くなってしまったんです……」
床に額を擦り付けたままユフィは説明する。
「そう、だったのですね……」
虚な目で言葉を溢すキャサリン。
「と、鶏胸肉とブロッコリーなら無限にあるのですが、いかがでしょう……?」
「いりませんわ! トレーニーじゃあるまいし!」
「ですよねごめんなさいごめんなさい!」
再びユフィは床に頭を打ちつけた。土下座ここに極めたりである。
一方のキャサリンは、未だに現実を受け入れられないとばかりに呆然と立ち尽くしている。
「……まあ、気にしないでいいですわよ……所詮は木の根っこ……食べればなくなるものですもの……」
キャサリンの声は虚ろで、目はどこか遠くを見ているようだった。
明らかにズーンと落ち込んでいる彼女の姿を見て、ユフィは心配そうに声をかけた。
「キャサリンさん、ひょっとして……ゴボウ、とっても気に入ってたりします?」
「そそそそそそそんなことはありませんことよ!?」
キャサリンはぎゅいんっと首が捩じ切れんばかりに目を逸らした。
顔を真っ赤にして動揺が溢れ出している。
「あのゴボウサラダの味が忘れられなくていつ隣から音がしてゴボウを取り立てられるか今か今かと待ち侘びていたなんてそんなこと天地がひっくり返ってもありえませんわ!!!!」
人の気持ちを読む能力に乏しいユフィでも、さすがにキャサリンの本心を察する。
顔を上げて、恐る恐るユフィは尋ねる。
「あの……実家近いので、持ってきましょうか?」
「本当ですの!?」
ぎゅんっと、キャサリンはしゃがみ込みユフィの両手を命の恩人かのように取った。
顔が星屑を散らしたようにぱあっと明るく、鼻息もふんすふんすと荒い。
名家の公爵令嬢にらしからぬ姿である。
あまりの勢いにユフィがポカンとしていると、キャサリンはハッとして立ち上がり、こほんと咳払いをした。
「持って来てくだされば、受け取らない事も無きにしも非ずでしてよ」
取り繕った様子に、ユフィは思わずくすりと笑みを漏らした。
ジャック同様、初めて会った時は(怖い人だ……)という印象はあった。
しかしこうして話してみると、気さくで面白い人だとユフィは思った。
「では、明日持っていきますね」
ユフィが言うと、キャサリンは縦巻きロールを優雅な手つきで触れ、満足そうに頷いた。
「ええ、よろしくお願いいたしますわ」
こうして、ユフィは実家にゴボウを取りに行く運びとなったのだった。
「面白かった」「続きが楽しみ」と少しでも思っていただけましたら、ブックマーク登録、またこちらのページの下部の「ポイントを入れて作者を応援しよう」から、ポイントを入れていただけますと幸いです。




