第64話 まさかの指名
翌朝、教室にて。
「ユフィ、なんだか目がひび割れた地面みたいにバッキバキだけど大丈夫?」
闇のオーラを漂わせるユフィにライルが心配そうな面持ちで尋ねた。
「らい、じょうぶれす」
「うん、どう見ても大丈夫じゃないね」
呂律も頭も回って無さそうな声に、ライルは苦笑を浮かべた。
それもそのはず、ユフィの目元には深いクマが刻まれ、顔色もげっそりと青白くなっていた。
(うう……張り切りすぎて朝まで朝まで回復魔法の練習をしてしまった……)
いわゆる徹夜である。
もともとロングスリーパー気質な上に、(大体ひとりだったため)やることがなく寝てばかりだったユフィにとって、たった一回と言えど徹夜がもたらすダメージは計り知れない。
今にも倒れそうなユフィに、ライルは「ちょっと待っててね」と徐にハンカチを取り出した。
「水球と、熱波をかけてっと」
魔法名口にすると、ライルの手にするハンカチが湿り気を帯び、やがてホカホカと湯気を上げ始めた。
「ユフィ、顔あげて」
「ふぇ……?」
(×_×)みたいになってるユフィの目に、ライルはハンカチを乗せた。
「!?!?!?!?」
瞬間、カッサカサだった目にじんわりと心地よい温もりが広がった。
まるで温かいお湯に浸かるような感覚が目からじんわりと全身に染み渡った。
「はふあ……なんれすかこれ……」
「水魔法と火魔法の応用して、ハンカチを温かく湿らせておしぼりみたいにしたんだ。気持ち良いでしょ?」
ライルの言葉に、目から鱗がこぼれ落ちた。
攻撃魔法といえば、ひたすら破壊一択で出力を上げてきたが、こんな使い方もあるのかと感嘆する。
「凄い……気持ち良いです……」
うっとりとした表情でリラックスし、目を閉じたまま温かさを享受するユフィ。
肩から力が抜け、緊張が和らいでいくのを感じる。
温かく湿ったハンカチが、徹夜の疲労で固まった目元と心を優しく癒していった。
極上のリラックス体験に寝落ちしそうになっているユフィに、ライルが言葉をかける。
「そのハンカチ、肌触り良いでしょ?」
「はい……なんだか、優しく抱き締められているような気がします」
「そのハンカチ、王家の特注品でさ」
「えっ」
ライルの言葉で、血色の良くなっていたユフィの顔からサーッと血の気が引いていく。
「王家の技術者たちが一丸となって開発した、肌触り重視の最新モデルらしちょ、ちょっとユフィ!? なんでいきなりハンカチで自分の首を絞め始めたの!?」
「ごめんなさい私みたいなのがそんな大事なハンカチを使ってしまい死んでお詫びします!!」
「朝っぱらから何やってるんだお前らは」
ドタバタと大騒ぎをする二人を前にして、エドワードは深いため息をつくのだった。
そうこうしていると、先生が教室に入ってきて朝のホームルームが始まった。
ライルのハンカチのおかげで少しだけ目のしょぼしょぼは収まったものの、まだ眠気は完全には治らない。
(い、居眠りしないように気をつけないと……)
頬をぎゅーっとつねって必死に眠気を追い出していると、先生が口を開く。
「今日は重要な発表があります」
穏やかな口調で先生が言うと、生徒たちの注意が一斉に集まる。
「五月祭の演舞会、攻撃魔法の部に出るのはジャック・ガリーニ君です。おめでとうございます」
おおおっと教室からざわめきが起こる。
「おめでとうジャック!」
「やっぱ花形の火魔法は違うな!」
「ハンス先輩へのリベンジマッチ、期待しているぜ!」
生徒たちは期待と興奮が入り混じった声でジャックにエールを送っている。
「ふはは! 任せとけ 今年こそ勝利をもぎ取ってやるぜ!」
自信満々に拳を掲げ声を張り上げるジャックの表情には決意と情熱が溢れていた。
(やっぱり凄いなあ……)
ジャックが演舞会に選ばれることは、生徒会の共有によって事前に把握していた。
しかし、改めてユフィはジャックに尊敬の意を抱いた。
首席はライルといえど、ジャックが上位の火魔法の使い手であることは間違いない。
幼い頃の自己研鑽と努力によって、クラスの代表に選ばれるまでに至ったジャックを素直に凄いと思った。
「次に、回復魔法の部ですね」
先生がそう前置きして、聞き馴染みのある名前を口にした。
「エリーナ・セレスティアさん」
再びおおおっとざわめきが起こった。
「流石ですわエリーナ様!」
「よっ! 次期聖女様!」
とめどない歓声に動じる様子もなく、エリーナは優雅に立ち上がる。
瞬間、まるで熟練の軍隊のように、しんっと静寂が舞い降りる。
エリーナは皆を見回して、天使のフルートのような声で言葉を紡いだ。
「皆さんの期待に応えられるよう、精一杯頑張りますね」
ぱちぱちぱちっと、自然と拍手が沸き起こる。
この教室にいる誰もがエリーナが代表であることを認め、称賛していた。
(うんうん、やっぱりそうだよね)
ぱちぱちと手を叩きながら、ユフィは深い納得を覚えた。
同時に、ユフィは安堵の気持ちでいっぱいだった。
もはや『万が一……』と考えることすら烏滸がましいが、自分が指名されなくて良かったと心の底からホッとしていた。
(皆の前で私のクソゴミ回復魔法を披露するなんて、拷問でしかないもんね)
自分にとっても、観客にとっても拷問だろう。
一時間経ってやっと擦り傷が治る程度の回復魔法にじっと目を見張るなんぞ、もはや眠りの魔法である。
「お静かに。回復魔法の部については、例年とは違い各学年で二人ずつ選出されることとなりました」
先生の言葉に拍手が止まる。
同時に、ざわつき始めた。
穏やかな表情のまま、しかしどこか言いづらそうな表情で、先生の指先が一人の女子生徒に向いた。
「……………………ふぇっ?」
間抜けな声が教室に響いた。
先生の、深い皺が刻まれた指が自分をズビシイッと指しているという現実を、ユフィは理解することができなかった。
思わずユフィは振り向き、後ろに座っている男子生徒に、『貴方ですか?』とぎこちないアイコンタクトで尋ねる。
(いや、俺男なんだけど。つーか、なんだお前?)
みたいな顔をされたので秒で前を向くも、先生の指は自分をピンポイントで差したまま動かない。
まるで剣先を向けられたような気持ちになっていると。
「貴方ですよ、ユフィ・アビシャスさん」
重罪を犯した被告人に死刑を宣告する裁判官のように淡々と、先生は言った。
「貴方も、回復魔法の部の演舞に参加指名をされていいます」
「「「「えええ!?!?!?!?!?」」」」
教室が揺れんばかりに驚愕の声が弾けた。
(指名……? 私が、カイフクマホウのエンブにサンカシメイ?)
死命の間違いじゃないだろうか。ただでさえ青白かった顔が真っ白になり、心臓がバクバクとダンスをし始める。
世界が一瞬で崩れ去ったかのような感覚の中、女子生徒の一人が納得いかないと言うように手を上げた。
「せ、先生! エリーナさんが代表なのは当然として、なぜユフィちゃんが……!?」
理由までは説明しなかっただけ配慮を感じるが、先生は無慈悲な説明を口にし始めた。
「私もどのような判断があったのかはわかりませんが……今年から回復魔法の成績が一番良い者と、一番悪い者が組んで回復魔法を披露することになりました」
そこから歯切れが悪そうに先生が説明を続ける。
「この形式にした理由は、回復魔法の成績が良い者が悪い者を指導することで、全体のレベルを底上げするため……また、チームワークと協力の重要性を学ぶためでもある……と聞かされています」
一応は筋の通っている説明に、女子生徒は「なる、ほど……」とだけ答えて席に座る。
クラスの空気も、(ああ、まあ、それなら……)という、どこか納得と同情めいた空気に包まれていた。
一方、ようやく自分が指名されたことに実感を抱いたユフィは(むむむむ無理無理! 絶対無理!!)と顔中から汗をダラッダラに噴き出した。
「せせせせ、先生! ななななな何かの間違いではありませんか!?」
「いいえ、何も間違っていませんよ」
なけなしの勇気を振り絞って尋ねるユフィに、先生はゆっくりと首を横に振って尋ねた。
「ユフィさん、貴方の回復魔法の成績は?」
ユフィは目を逸らした。
「言うまでもありませんね」
先生はゆっくりと頷く。
「これは決定事項です。頑張ってくださいね」
決定事項という逃げられない言葉に、重たい石を胸に敷き詰められてそのまま海に落とされたかのような絶望が舞い降りる。
今目の前で起こっていることが現実かどうかわからなくなって、視界がぐにゃんぐにゃんに歪んだ。
ユフィと一緒に演舞会に出れるのが嬉しいのか、エリーナは満面の笑みでグッと拳を握って言う。
「一緒に頑張ろうね、ユフィちゃん! ……って、ユフィちゃん!? 先生ー!! ユフィちゃんが息してないです!」
エリーナに肩を揺らされながら首をがっくんがっくんと揺らすユフィ。
「サヨ……ナラ……私の人生……」
足先から髪先まで真っ白にしたまま、ユフィはこれまでの人生を走馬灯のように振り返った。
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