第59話 一難去ってまた一難
「ライルさん、ありがとうございました!」
授業が終わるや否や、ユフィはライルにペンを差し出し深々と頭を下げた。
「役に立ったようで何よりだよ」
ライルは微笑んでユフィからペンを受け取る。
今まで数多の令嬢を虜にしてきた笑顔だが、ユフィに見惚れるという選択肢はない。
めり込まんばかり机に額を押し付けて、ユフィは感謝の言葉を口にしている。
「ライルさんは命の恩人です。この恩は来世もかけて必ずお返しします」
「来世も出会えるかどうかわからないでしょ」
「はっ、確かに!」
「相変わらず、ユフィは面白いね」
くすくすと、ライルは口に手を当てて笑った。すると「あ、そうだ」と思い出したように言う。
「このペン、使いやすかったでしょ?」
「あ、はい。軽くて、サラサラ書けました」
「でしょう。このペン、王家の特注品らしくてさ」
「えっ」
ライルの言葉で、ユフィの顔からサーッと血の気が引いていく。
「王国の技術者たちが一丸となって開発した、書きやすさ重視の最新モデルらし……ちょ、ユフィ!? なんでいきなり自分の首を絞め始めたの!?」
「私みたいなゾウリムシがそのような高価なものを使ってしまい申し訳ございません死んでお詫びしま……」
ぱーん!!
「あいでっ!?」
ぎゅううっと自分の首を絞めていたユフィの頭を、眼鏡をかけた青年が丸めた教科書で叩いた。
「何を馬鹿なことをやっている」
「エ、エドワードさん!」
青年──エドワードは眼鏡の奥の瞳を光らせながらユフィを見下ろしている。
エドワードも生徒会メンバーの一員で、エルバドル王国の宰相の令息。
正義感が強く、真面目で、思っていることをズバズバ言うちょっと怖い人……というのがユフィから見たエドワードの印象であった。
「次は体力測定だ、移動教室の際は五分前行動が基本中の基本。早く着替えに行け」
そう言って、エドワードは体操着の入った袋を手に教室を後にした。
「そうだそうだ、体力測定だった。それじゃ、僕も行くね。頑張ってね、ユフィ」
ライルもそう言い残して退室する。
「体力測定……」
一人残されてからユフィは呟き、「あ!!!!」と叫んだ。
(たたた体操着!! 忘れちゃった!!)
一難去ってまた一難。
体力測定において不可欠な体操着を家に置き去りにしてしまった事にユフィは気づいた。
体力測定は、新しい学年に上がる毎に行われる恒例行事で、文字通り走ったり飛んだりして身体能力を測る授業だ。
全身を激しく動かすのもあり体操着の着用は必須。
制服で受けようものなら担当教師に埋められクスノキの養分にされてしまうこと事間違いなしである。
「ううう……どんだけ忘れるのよ今日……」
むしろ持ってきている物の方が少ない説が出てくる有様だ。
慌てると碌な事にならない事を改めて実感した。
「体力測定頑張らないとねー」
「私、最近走ってるんだ! 去年よりは持久力アップしてるはず!」
「すごーい! えらーい!」
他の女子生徒は体力測定をどこか楽しみそうにして体操着へ着替えていく。
「どうしよう……どうしようどうしようどうしよう……」
まだ測定は始まっていないにも関わらず、ユフィがダバーッと汗を流していると。
「私の体操服を貸してあげるわ!」
体操着姿のエリーナがやって来て、胸をどんと叩いて言った。
「え、でも、それじゃエリーナさん体操着が……」
「大丈夫よ。万が一に備えてたくさん予備があるから」
エリーナが指パッチンすると、どこからともなく専属と思しき使用人が、ずらりと体操着が並んだハンガーラックを持って来た。
「さ、さすが大貴族……!!」
スケールの違いにユフィは感嘆の息を漏らす。
「で、でも、申し訳ないです……ただでさえ、さっきシャロン先生から庇っていただいた上に、体操着もお借りするなんて……」
「そんなの、気にする必要はないわ」
ぽんとユフィの両肩に優しく手を置いて、慈愛溢れる表情でエリーナは言う。
「体操着を貸すくらい、どうってことないわ。私たち、友達でしょう? 体操着が無くて困っているユフィちゃんを見る方が、私は嫌なの」
「エ、エリーナざあん……」
流石は次期聖女候補、なんて綺麗な心の持ち主なのだろう。
困っている者に対し何の見返りも求めず、優しく手を差し伸べる姿はまさに聖女そのもの。
こんな人になりたいと切に願って、自分は聖女を目指しているのだと実感する。
「本当にありがとうございます! ありがとうございます!」
エリーナから体操着を受け取って、ユフィはぺこぺこと頭を振る。
「使ったらすぐに、綺麗に洗って返しますね」
何気なくユフィが言うと。
「それを洗うなんてとんでもない!!」
先程までの穏やかな表情から一転、般若のような形相でエリーナが声を張った。
「……エリーナさん?」
「なんでもないわ」
幻を見たかと思うほどの早さで、エリーナの表情が元の穏やかなものに戻る。
「その体操着、特殊な洗い方が必要みたいなの。使った後、そのまま返して貰って構わないわ」
「あっ、そうなんですね! わかりました、授業が終わったらすぐに返します」
「ありがとう、助かるわ(ユフィちゃんの汗が染み込んだ使用済み体操服ぐふふふ今から興奮が止まらないわ)」
気のせいだろうか。
何か、絶対に聞いてはいけない幻聴が聞こえたような気がしたのは。
「それにしても、体操着に特殊な洗い方なんてあるんですね」
「ああ、それはね」
大したことでもないとばかりに、エリーナは言った。
「その体操着、うちが展開しているブランドの特注品で、ちょっと材料が特別なの。だから、使う洗剤とか、洗い方とかに少しコツがあって」
「身体が泥だらけになってもこの体操着だけはピカピカのまま返します!」
ライルといいエリーナといい、ペンや体操着まで自前のものとはなんてスケールが大きいのだろう。
辺境の村出身のユフィはただただ感嘆するしか無かった。
「面白かった」「続きが楽しみ」と少しでも思っていただけましたら、ブックマーク登録、またこちらのページの下部の「ポイントを入れて作者を応援しよう」から、ポイントを入れていただけますと幸いです。