第2話 ブラック・ウォルフ
「ブラック・ウォルフ……?」
漆黒の体毛に覆われた巨大な狼、ブラックウォルフ。
危険度をカテゴライズする指標はD。
中級クラスの冒険者が五人くらいで取り掛からないと倒せない強さだ。
『ふしゃー!』
さっきまで甘えていた猫ちゃんが、総毛立ってブラック・ウォルフに威嚇をし始めた。
もしかすると、この猫ちゃんはブラック・ウォルフから逃げてきたのかもしれない。
そうでなくても、今この瞬間、自分自身も標的になったのは事実であった。
『グルル……』
殺意が滲み出す凶悪で鋭い双眸からは、目に映るもの全てを食い千切らんとする強い意志が感じ取れた。
鋭い牙が光り、口からは熱気とともに濃い毒のような息を吐き出している。
『グルアアァァァァアアアアアア!!』
咆哮を上げながらブラック・ウォルフが駆けた。
ユフィと、猫ちゃんに向かって。
魔物の行動原理は単純だ。
自分よりも弱き生物を食らい、己の血肉とする。
小さな猫とユフィのようなひょろっちい人間なんて絶好の標的だった。
普通の人間がこの状況なったら即座に両手を合わせ、天に向かって嘆くだろう。
ああ、神様、私が何か悪いことでもしましたか?
そんな問いを胸に鋭い牙に引き裂かれ、ブラック・ウォルフの晩ごはんとなるはずだ。
そう、普通の人間であれば。
「雷鎚裂爆」
翳した手から放たれた光が、目にも止まらぬ速さでブラックウォルフを襲う。
眩い白、バリバリッと痺れるような感覚、そして、炸裂音。
『クッ?』と短い声のみ漏らし、ブラック・ウォルフは存在ごとこの世界から抹消された。
まさに、一瞬の出来事だった。
「……びっくりしたー」
ブラック・ウォルフを瞬殺した当の本人であるユフィは、間の抜けた声で言う。
小蝿が寄ってきたから反射的に手で払った、くらいのテンションで。
「あっ、いけない、つい……!」
ブラック・ウォルフと一緒に薙ぎ払った何本もの木や、黒焦げた地面を見てハッとする。
五歳の時、誤って家の花瓶を割ってしまいお母さんにこっぴどく叱られた記憶が蘇った。
「で、でもさっきのは非常事態だったから、仕方がなかったよね、そうだよね……!?」
誰に対してかわからない自己弁護を口にして、早くこの場を立ち去ろうとすると。
『相変わらず凄い魔法だねえ、ユフィ』
頭の中からじゃない、しっかりと声が鼓膜を捉える。
声の元を辿ると、ユフィの足元にちょこんと座る猫ちゃんに行き着いた。
「シン、ユー?』
『うん、僕だよ』
これは、幻?
さっきまで可愛い鳴き声しか口にしていなかった猫ちゃんが、シンユーの言葉を喋っている。
『そんな驚いたような顔しないでよ。僕は僕だよ』
「こ、心を読まれた!? いや、でも……」
そんなにおかしいことでは無いように思った。
なぜならシンユーという存在自体、自分の妄想が生み出した架空の存在だから。
つまりは悲しき一人芝居。
側から見ると独り言の多い不審者そのもの。
(あ、だめ、死にたくなってきた……)
本当に死んでは困るので思考を中断する。
ともかく、猫ちゃんがシンユーの言葉を喋り始めたことに関して深く考えることはやめた。
難しいことを考えるのは昔から苦手なのだ。
(きっと私の豊富な妄想力が、シンユーと猫ちゃんを繋げただけ)
そう納得することにした。
「とりあえず、学校に行かないと」
リュックを背負い直す。
さっさとこの森を抜け出さないと、夜に到着する羽目になってしまう。
そう思って先を急ごうとすると、シンユー(猫)がひょいっとユフィの肩に飛び乗った。
それからすりすりと、頬に顔を擦り付けてくる。
どうやらユフィを命の恩人だと思っているようで、離れる気は皆無のようだ。
「置いては……いけないよね」
優しい、というよりも流され精神が板に付いているユフィは、シンユーを連れて行くことにした。
軽くひと撫ですると、くるる、とシンユーは気持ちよさそうに喉を鳴らす。
その愛くるしさに頬を綻ばせて、シンユーを肩に乗せたままユフィは森の中を駆け出した。