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【完結】聖女様になりたいのに攻撃魔法しか使えないんですけど!?  作者: 青季 ふゆ@醜穢令嬢 2巻発売中!
第四章

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第106話 肝試し


 昼食後は、しばしの自由時間となった。

 生徒たちは思い思いに過ごしはじめる。

 

 湖のほとりでは、靴を脱いで水に足を浸す者、ちいさな魚を追いかけてはしゃぐ者たちの笑い声が響いている。


 野原の木陰では、数名が持参した本を広げ、風に揺れるページと静寂に身を委ねていた。


 合宿場の屋根裏では、心地よい昼下がりの眠気に勝てず、ぐっすりと寝入ってしまった生徒もちらほら。

 どこかの部屋からはうっすらといびきまで聞こえる始末だった。


 日が傾き、湖面が夕暮れの朱に染まる。

 夜は合宿所が出した夕食をとって自由時間になった頃。


 集会場でぽんっと手を打って声をあげたのはエリーナだった。


「ねえねえ、肝試ししようよっ!」


 目を輝かせて提案するその姿は、まるで待ちかねていたかのようだ。


「肝試し?」


 とライルが首を傾げる。


「昼のうちにね、森の奥の分かれ道のとこに旗を立てておいたの。そこまで行って持って帰ってきたらクリア、ってルールでどう?」

「ひ、ひええええ……!」


 思わず情けない悲鳴をあげたのはユフィだった。

 肩をびくつかせて、腕を抱えるようにして後ずさる。


「こ、こわいのはちょっと……」


 と、震えながら懇願するが。


「いやいやいや、ユフィが怖がるのはおかしいでしょ!?」

「お前は、魔物を秒で爆砕する。むしろ肝が試される側じゃなくて、試す側だ」


 ライルとエドワードに秒でツッコまれた。


「な、なんでっ!?」


 ユフィはひとり、理不尽なツッコミにがびーんとする。


「き、きき肝試しか……ふ、ふふ、余裕だな……! 所詮はただ暗くなった森の道を歩くだけじゃないか!」


 そう呟いたのはジャック。

 彼の膝は震え、手は小刻みにわなないている。


 よく見れば袖口をぎゅっと握りしめ、耳の先まで赤くなっていた。


「こんなにもわかりやすい強がりだと、むしろ面白いわね」


 くすくすと笑うエリーナは、この状況を楽しんでいるようだった。

 肝試しは、流石に一人で行かせるのは危険だろうという話になり、二人一組で行うことに決まった。


 ペアは公平を期して、くじ引きで決めるということに。

 誰と一緒になるかは、完全なる運任せである。


「ユフィちゃんユフィちゃんユフィちゃん……! ユフィちゃんと一緒に肝試しして、どさくさに紛れてあんなことやこんなことを……!!」


 引く手がぶるぶると震えるほどの緊張感と、神に祈るように固く閉じた目。

 エリーナのその様子はもはや真剣な儀式であり、何かしらの呪詛めいた執念すら漂わせていた。


「エリーナさん!? な、なんだか怖いですよ……!?」


 すぐ隣で見ていたユフィは、その気迫に圧されておののいた。

 エリーナから時たま感じるぞくりと背筋を這う寒気に、思わず半歩後ずさる。


「じゃあいくよ、いっせーのーで!」


 ライルの声がかかると同時に、ユフィたちは一斉にくじを引いた。

 それぞれの手のひらに、紙片が一枚ずつ握られる。


「エリーナは俺とだね」


 ライルがやや気まずそうに紙を見せると、エリーナはガーン! とショックを受けた。


「ああ! 神よ!! なぜなのですか!? わたくしが一体何をしたというのですか!? 数々の試練を乗り越えてきたというのに、なぜここで運命を分かたれなければならないのですか!! こんなんだから神は◯◯(ピー)とか、◯◯(ピーピー)とか言われるのですよ!」

「エリーナ落ち着いて! 色々な神聖な機関から怒られるから!! 特に聖騎士団とか、教会とか、色々まずいから!!」


 慌ててライルが制止に入るが、エリーナは完全に自我を失っていた。

 天を仰ぎ、嘆き、叫び、神を責める怒涛のような罵詈雑言。


 その言葉の数々は、天界の存在たちすらも頭を抱えそうな勢いだった。

 一方のユフィはというと。


「エリーナさんとライル君がペアということは、私は……」


 恐る恐る周囲を見回したユフィの隣には、すでに一人の影が立っていた。


「……よろしくな、ユフィ」


 差し出された手にはじっとりと冷たい汗。


 ジャックの顔は引きつり、唇の端がかろうじて笑おうとしているが、震えのせいでうまくいっていないようだった。


 こうして、ユフィはジャックと一緒に肝試しに繰り出すことになったのだった。


◇◇◇


 ぎしっ、と小枝を踏みしめる音が、静まり返った森にひときわ大きく響いた。

 月明かりは思いのほか明るく、木々の隙間からこぼれ落ちるように地面を照らしている。

 それでも森の奥深くへ進むにつれ、木の葉が頭上を覆い、ところどころ月光の届かぬ影が濃く落ちていた。


 気温も昼間とは打って変わって肌寒く、時折、羽音が耳元をかすめるたびに、ユフィは思わず肩をすくめた。


 そんな中、ユフィとジャックは、人ひとりがようやく通れるほどの細い獣道を、足元に注意を払いながら進んでいた。

「い、いいか、ユフィ。絶対に俺のそばから離れんなよ!?」


 妙に張り詰めた口調でジャックが言う。

 だがその実、肩はガチガチに強ばり、手元のランタンも心なしか震えて見えた。


 暗がりに目を凝らしつつ、右を見て左を見て、後ろまで確認してから、また前を見るという動作を繰り返している。


 その挙動は、頼れる護衛というより、今にも泣き出しそうな子どものようだった。


「は、はいっ……!」


 ユフィはつられて背筋をぴんと伸ばし、声をひそめて返事をした。

 二人はしばらくのあいだ、無言のままざっ、ざっ、と草を踏み分けながら歩き続けた。


 ときおり夜風が木の葉をかすめ、さわさわと音を立てる。

 遠くでフクロウが鳴いた気がして、ユフィは思わず足を速める。


 それでも、ジャックの背にぴたりとついて歩くのはちょっと気まずくて、足元の草ばかり見てしまう。


(なんだか……気まずい)


 ジャックとこうして二人きりになるのは、これが初めてではない。

 攻撃魔法の精度を高めるために個別レッスンを頼まれたこともあったし、「体力づくりだ!」と称して、地獄の筋肉トレーニングに付き合わされたこともある。


(でも、こんな雰囲気は……初めてかも)


 ジャックの様子は明らかにおかしかった。

 歩くたびに肩がぴくりと跳ね、枝の揺れにも過剰に反応する。


 意味もなく立ち止まっては、やたらと真剣な顔でユフィを振り返り、「平気だよな!?」「こ、怖くなんかないよな!?」と、確認というよりもはや念押しをしてくる。


 そのたびにユフィは笑うべきか、真面目に答えるべきか戸惑い、「だ、大丈夫です!」と答えるしかなかった。


 この、そこまで深い関係ではない男子と、怖い状況に二人きりというシチュエーションがなんとも居心地が悪い。


(うぅ……早く旗を取って戻ろう……!)


 そんな気持ちが胸をよぎった、その時だった。


 ――ばさっ、と草むらが揺れる。


 突如、何かが飛び出してきた。


「うわあああああああっ!!」


 ジャックの絶叫が森の静寂を裂くように響き渡る。

 その瞬間、彼は反射的に隣のユフィに思い切り飛びついた。


 叫びながら両腕でユフィの肩をつかみ、その勢いのまま前のめりに彼女を押し倒しかける。


「えっ、ちょ、ちょっとジャックさん!? な、何か出ました!?」

「そこ! そこ! なんかいる!」


 ジャックは混乱しながらも、音のした方向を茂みに指を向ける。

 瞬間、ユフィの右手が条件反射のように動いた。


「│雷撃スパークボルト》!!」


 ユフィの掌から飛び出した雷撃が、風を切って一直線に茂みへ向かう。


 樹の枝をかすめて飛んだそれが、ぴたりと草むらの根元に命中した。


「きゃっ!」


 たたたたっ。


 草をかき分けて、小さな何かが飛び出してきた。

 丸っこい胴体にふわふわの尻尾、つぶらな瞳をした……。


「……リス?」


 ユフィは唖然として、それを見送った。

 雷撃に驚いたのか、リスは一直線に木の幹を駆け上がり、そのまま枝の影に身を潜める。


「ジャックさん、大丈夫です! 安心してください、リスさんでした!」

「リ……リス……?」


 ジャックはぽかんと口を開けたまま、呆然とした目で木の上を見つめていた。

 冷や汗がこめかみをつたう。肩にのせた手が、今さらになってがくがくと震えだす。


「パワープレイすぎるな……」


 突然攻撃魔法を放ったユフィに、ジャックはそんな感想を口にする。

 緊張の糸がぷつんと切れたのか、ジャックの表情から怯えの色がゆっくりと引いていった。


「なんか……怖いの、どっかいっちまったな」


 へらっと笑ったその顔は、先ほどまでの強がりではない。

 どこか素直で、子どものようにあどけなかった。


「それはなによりです」


 ユフィもホッとして笑みをこぼす。

 すると──ぽつり。


 冷たいものが、頬に落ちた。


「……あれ?」


 思わず顔を上げれば、頭上の空はいつの間にかどす黒い雲に覆われていた。

 月明かりも星もすっかり隠れている。


「うおっ!? 本格的に降ってきた!」


 ジャックが声を上げた直後、パラパラと音を立てて雨粒が増えていく。


「わー! これでは旗どころじゃ……!」

「ユフィ! こっち来い!」


 ジャックがユフィの手を引いて駆け出す。

 木々の葉を伝って落ちる雨粒が、服や髪を濡らしていく。


 足元はぬかるみはじめ、視界も悪くなってきた。

 そんな中、ジャックがふと前方を指さした。


「あそこ……! 入れそうだ!」


 木々の向こうにぽっかりと開いた、黒い影。


 岩に囲まれた自然のくぼみのような洞穴が、雨を避けるかのようにひっそりと口を開いていた。

 二人はそのまま泥に足を取られそうになりながらも、全力で駆け抜け洞窟の奥へと飛び込んだ。


◇◇◇

 

 洞窟の中はひんやりとしていて、雨音だけが外から聞こえてくる。

 ザーザーと激しく降る音は、まるで世界の終わりを告げるような激しさで、止む気配はまるでなかった。


「……こりゃ、当分足止めだな」


 濡れた前髪をぐしゃっとかきあげながら、ジャックがぼやく。

 制服の袖をしきりに絞っているあたり、少し寒そうだ。


「ご、ごめんなさい。私の足がもっと速ければ……旗を取って戻れたのに……」


 ユフィがしょんぼりと俯いて言うと、ジャックは「はぁ?」と間の抜けた声を上げてから、すぐに軽く肩をすくめた。


「そんなの気にすんなよ。雨なんて誰にも読めねーって」

「そ、そうかも、しれません」


 少し気まずそうに目をそらしながら、ジャックは近くに転がっていた大きな石を見つけた。

 ちょうど腰掛けられそうな平たい面を確認すると、そこにストンと腰を下ろす。


「ほら、隣。座れよ」


 ポンポンと、隣のスペースを軽く叩くジャック。


「あ、ありがとうございます。では……」


 ユフィもおずおずと隣に腰を下ろす。

 二人の間に変な沈黙が落ちる。


 話すでもなく、ただ雨の音を聞いていると、ますます気まずさが増していく。


(うう……こういう時、何話せば良いかわかんない……)


 ユフィはじりじりと視線をさまよわせた。

 目の前の濡れた地面、洞窟の入り口、岩の凹凸、隣にいるジャックの濡れた肩。


 どこを見ても気まずさは消えない。

 自分から話題を振るべきなのか、それとも黙っていた方がいいのか。


 そもそも、こういう時に何を話すのが正解なのか。

 どんな言葉が正しいのか、どこにもマニュアルはない。


 ただでさえ普段、男の子と二人きりなんて状況に慣れていないユフィにとって、このシチュエーションは未知の領域だった。


 心臓が落ち着かなくて、鼓動がうるさくて、何もしていないのに顔が火照る。


(え、ええと……でも、別に変なこと考えてるわけじゃ……ないし……これは単に、会話に困ってるだけで……)


 自分の中のざわつきを整理しようとしても、理由がわからない。


 ユフィ自身、これが「男子と二人きり」という状況ゆえの緊張感であることを理解していなかった。


 恋愛感情というものに疎く、異性に対しても基本的には「仲間」や「先輩」「後輩」としてしか認識してこなかった彼女には、それがどれほど特別な空気かなど、まだ知る由もない。


「なあ」


 不意に隣から声がして、ユフィの肩がぴくんと跳ねた。


「ひゃいっ!」


 変な声が出てしまって、ユフィは顔を熱くしてしまう。


「……ユフィって、その……好きなやつとか、いるのか?」


 ぼそっと、どこか気まずそうに、それでいて真剣な響きでジャックが問う。


「……スキ……?」


 ユフィはぽかんと目を瞬かせた。


 好き──それは、感情の一種。


 恋とか、愛とか、何度か耳にしたことがある概念だったが、それを自分の中で明確に意識したことはあまりなかった。


 友達のいないユフィにとって、そういった感情に触れる機会は皆無だったから。


(好き……は、相手に良い印象を抱いていて、そばにいたいと思う気持ち……?)


 ごく僅かな知識をもとに、ユフィの頭の中で、ぱちぱちと電球のように概念が点っていく。

 導かれた結論はひどく浅いものだったが、ユフィが回答するには充分だった。


 一拍おいて、ユフィのぱあっと顔が明るくなる。


「はい! います!」

「なっ……!?」


 予想外の即答に、ジャックが目を見開いた。

 思わず後ろにのけぞりそうになっている。


 そんな彼の動揺には気づかず、ユフィは嬉しそうに指を折っていく。


「まず、ライルくん! カッコよくて、優しくて、いつも引っ張っていただいてますし、何よりすごく頼れるんです! あっ、それからエリーナさん! なんといっても優しですし、美人ですし、とても素敵です! 一緒にいるとたまに背筋が寒くなる時もあるんですけど……」

「ああ……好きって、そういう……」


 ジャックの顔からみるみる気が抜けていく中、ユフィは無邪気に語り続ける。


「次にエドワード君! ちょっぴり厳しいところもありますけど、料理の腕前は一級品だし、凄いと思います。で、それから……」


 ふと、ユフィはジャックの方を振り向いた。


「ジャックさんも大好きです!」


 不意打ちのように飛び出した言葉に、ジャックの口がわずかに開いたまま止まる。


「最初はちょっと怖そうな人だなって思ってたんですけど、でも接しているうちに、すごく仲間想いだって分かって……頼れるし、気配りもしてくださいますし、あと、さりげなく守ってくれるところとか……えっと、私、いつも感謝してるんです!」


 言い終えたユフィは、まっすぐな笑顔でジャックを見た。

 それは誤解を招くような気配など一切ない、天真爛漫で、透明な好意の笑みだった。


「……くはっ」


 しばしの沈黙の後、ジャックが肩を揺らして笑い出した。

 気の抜けたような、呆れたような、そしてどこか優しい笑いだった。


「そうだよな。お前はそういうやつだよな」


 ジャックは少しだけ顔をそむけて、天井の湿った岩を見上げる。

 雨音が洞窟に反響する中、彼はふと思い出したように口を開いた。


「そういやさ。お前、五月祭の時に着てた衣装……あれ、超似合ってたぜ」

「えっ……あっ、はい! ありがとうございます!」


 ユフィは頬を染めて、ぱっと花が咲いたように笑った。

 それは飾らない喜びに満ちた、無垢でまっすぐな反応だった。


 そんなユフィの反応に、ジャックは「こりゃ、どうしようもねえな」と呟き肩を竦めるのだった。

 その時だった。


 ぴちょん、と、天井から落ちた一滴の水が、ユフィの肩にぽつりと当たった。


「ひゃっ……!」


 びくんと肩を震わせ、ユフィは反射的に跳ねるように身体を引いた。

 濡れた肩を押さえて、きょろきょろと天井を見上げる。


「お、お水……です、よね……?」


 どことなく心許ない声。

 先ほどまでの朗らかさが嘘のように、怯えた子ウサギのように瞳が揺れていた。


「大丈夫か?」


 隣から、ジャックの落ち着いた声がかけられた。

 ユフィは慌てて首を横に振った。


「だ、大丈夫れす! ぜんっぜん! 慣れてますからこういうの、はい!」


 舌足らずな返事。


 自分でも何を言ってるのか分からなくなって、ユフィはかぁっと顔を赤くする。


「お前、強いくせにビビリなんだな」


 からかうようにジャックが言うと、ユフィはぶうっと頬を膨らませた。

「そ、それとこれとは話が別ですよ。お化けとか、未知のものは怖いんです。攻撃魔法が効くかどうかわからないじゃないですか。流石の私もすり抜けられたらお手上げです……」

「まあ、それもそうか」


 ジャックはくつくつと笑いながら、周囲を見渡した。

 岩肌から滴る水。

 ぬめりを帯びた床。

 時折、風がひゅうっと通り抜けて、不規則な音を運んでくる。


「にしても……不気味な洞窟だな」


 場の空気を変えるように、ぽつりと漏らす。


「そうですか? 私は結構、落ち着きますよ?」


 あっさりと返ってきた言葉に、ジャックは目を瞬かせた。

 そして、すぐに諦めたように肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。


「うん、やっぱりお前はそういう人間だったな」


 どこか呆れたような、それでも柔らかく滲む笑み。

 ジャックの顔がふっと優しく緩んだのを、ユフィは何気なく横目で捉える。


 その笑顔が、妙に胸に残った。

 けれど、その感情に名前をつけるには、ユフィはまだ、少しだけ幼すぎた。


(それに……なんだか、ここ……懐かしいような気がする)


 視線を洞窟の奥へと向けながら、ユフィの胸にざわりと何かが立ちのぼった。

 湿った岩の匂い。

 肌を撫でる、ひんやりとした空気。どこかで水が滴り落ちる音。


 それらが、脳裏の奥底を静かにノックする。


(あ……)


 その瞬間、胸の奥がずきんと疼いた。

 押し込めていた何かが、泡のように浮かび上がってくる。


 ——ここ、知ってる。ここ、前にも来たことがある。


 思い出した。

 小さな遠足の日。

 あの日、ユフィはひとりだった。


 みんなが楽しそう遊んでいる中、彼女はひとり、地面にしゃがみこんで蟻の行列を眺めていた。

 その時、ふとした風が吹いて胸元に留めていた名札が、ふわりと飛んでいった。


 それをそのまま慌てて追いかけて、崖から滑り落ちたのだ。


(そうだ、それから、この洞窟に辿り着いて……)


 ──お友達ほしいよぉぉおおおおおおおおお!!!!


 突然、脳裏に幼き自分が放った声が響き渡ってユフィはビクッと跳ねた。


 あの時、自分のボッチ加減に嫌気が差して、周りに人がいないことを良いことに己の想いをぶちまけた。


 ──一緒にお弁当食べたりぃ! お昼寝したりぃ! お勉強教えあったり!! そういうのっ、したいのにーーーーー!!


 地面に這いつくばりながら、草の上で、涙をぼろぼろとこぼしながら叫んでいた。


 それまで心の奥に押し込めていた、誰にも言えなかった願いが、胸の奥から吹き出すように飛び出した。


 ──おともだちぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!


「いやあああああああああああああああああああああああ!!!」


 突然、洞窟内にけたたましい叫び声が響いた。


 ユフィ本人の口から発せられたものだ。

 洞窟の天井に反響し、まるで何人もの少女が一斉に叫んでいるかのように広がっていく。


「うるさっ!? な、なんだよ急にっ!?」


 ジャックが飛び上がらんばかりに肩を揺らし、ユフィに向き直った。

 その目は警戒心と戸惑いに満ちていた。


 まさか魔物でも現れたのかという勢いで、軽く臨戦体制をとる。


「ハッ! いや! これは! その! え、えっと、その……」


 ユフィはぎこちない笑みを浮かべながら、じりじりとジャックから顔を逸らす。

 頭の中では赤い警報が鳴り響いていた。


(どうして今このタイミングで思い出すのぉおおおおおおおおおおお!!!)


 これまで思い出すまいと深く深く沈めてきた記憶。


 それが今になって堰を切ったように溢れ出してきたのだ。


 あの日、幼き日の自分がこの洞窟で見せた、己の全力の黒歴史ムーブ……それは、思い出すだけで胃がきりきりと軋むような惨状だった。


「な、なんでもないです……! き、気にしないでください! あっちの壁の色が、なんか……懐かしいなって!」


 動揺を隠すように、ユフィは岩肌を指さしながら早口でまくし立てる。

 しかし指先はぷるぷると震え、声もどこか裏返っていた。


「いやいやいや、さっきのはどう考えても絶叫だっただろ……? マジでどうしたんだよ?」


 訝しむジャックの視線が刺さる。

 ごまかしきれない。いや、ごまかさねば。


 あの日、自分がいかに│惨憺さんたんたる姿だったかを説明できるわけがない。


(絶対にダメ、ぜぇぇぇったいにバレちゃダメ……!)


 汗が滝のように流れ、背筋が寒くなったその時。


 ──だったら、僕が友達になってあげようか?


 耳の奥に、小さな男の子の声が蘇った。


 ふわりとした優しい響き。柔らかく、包み込むような声色だった。


(……あれ?)


 誰だろう。

 覚えていない。


 でも、確かに誰かが、あの日の洞窟で声をかけてくれたような気がする。


 ユフィは、過去の記憶の中のその断片に、胸がじんわりと熱くなるのを感じていた。


「なあ、大丈夫か?」


 不意に、目の前からジャックの声。

 見ると、彼が眉間に皺を寄せ、じっとユフィを見つめている。


「……さっきから変だぞ、お前」


 その目は呆れとも違う、真剣な困惑に染まっていた。


 心配というより、「どう対処したらいいのかわからん」そんな雰囲気で、言葉の端々に戸惑いがにじんでいる。


「気にしないでください……ちょっとしたフラッシュバックでして……」


 およよよよとすすり泣くように言うと。


「そ、そっか……まあ、お前昔色々とありそうだしな……」


 ジャックは眉をひそめながらも、それ以上は何も言わず、ため息をついて視線を洞窟の外へ移した。

 ふと気づけば外から聞こえていた雨音がぴたりと止んでいた。


 湿り気を帯びていた空気も、いつのまにか静寂に包まれている。


「お、雨、やんだな」


 ジャックは腰を上げ、洞窟の入口まで歩いていき、外の様子をうかがう。


「出れそうだぞ。さっさと旗持って帰ろうぜ」


 その言葉に、ユフィもぱっと表情を明るくした。

 心のもやもやを吹き飛ばすように、勢いよく立ち上がる。


「あ、はいっ!」


 水たまりの残る地面を慎重に踏みしめながら、ふたりは再び森へと駆け出していった。

 雨上がりの空はどこか透き通っていて、木々の葉からはしずくが光を弾いていた。


 さっきまでの薄暗い洞窟とは対照的な、清々しい空気がそこにあった。

 だが、ユフィの胸の奥にはまだ、名も知らぬあの「声」の余韻が静かに残っていた。


 ——あれは、いったい誰だったんだろう?


◇◇◇


 ざあざあと降り続けていた雨もようやく止み、ジャックとユフィは無事に旗を回収して戻ってきた。


 ぴちゃっ、ぴちゃっ、と濡れた靴が鳴るたび、足元に残る水たまりが光を弾いた。


 木々の葉からぽたぽたと水滴が落ち、合宿場の敷地内にはまだ雨の匂いが濃く残っていつつも、どこか清々しい静けさがあった。


 そんな中、先に戻っていたライルとエリーナの姿が、合宿場の玄関口に見えた。


「ユフィちゃんっ!」


 エリーナが真っ先に駆け寄ってきた。

 彼女の美しい銀髪も、雨に濡れたのか所々しっとりと張りついている。


「大丈夫!? すっごい雨だったけど、風邪とかひいてない? ずぶ濡れだったら着替え用意するからね!? それともタオル先!? あ、熱計ろうか!? 脈も測る!? あっでもそれより……!」

「ちょちょちょエリーナさん落ち着いて! 大丈夫ですからっ」


 エリーナの暴走気味の心配ラッシュに、ユフィは思わず両手をばたつかせながら慌てて首を横に振った。その手には、濡れた布のようなものが握られている。


 しわくちゃにはなっているが、肝試し用の赤い旗だ。


「ほら、この通りです。ちゃんと、回収してきました」


 ユフィは胸を張って微笑み、旗を掲げてみせた。


「凄い! さすがユフィちゃんね!」

「えへへ……それほどでも……」

「……って、それより!」


 エリーナはぐいっとユフィの肩を抱き寄せ問い詰めた。


「ジャック君に変なことされてない!? 嫌なこととか、妙なこととか、どさくさに紛れてうっかりとか、そういうのっ!」

「してないからな!? 俺をなんだと思ってるんだ!?」


 ジャックがすかさず鋭く突っ込むが、エリーナはさらりと無視した。


「そもそもこんな天気じゃ肝試しどころじゃなかっただろうしね」

「だからこそよ!」


 エリーナが顔を赤くしながら、両手でほっぺを覆ってぶるぶる震えながら言う。


「雨なのをいいことに、ふたりで洞窟とかに雨宿りして……薄暗いところで……あんなことやこんなことを……ッ!!」

「どこかで見てたんかお前」


 ジャックがうっかり呟く。

 すると、エリーナがぎゅるんと振り向きジャックの胸ぐらを掴んで言った。


「テコトハヤッパリナニカアッタノネ?」

「いやいやいや! 雨宿りはしたけど、なんもしてねーよ! てかやめろその顔! 聖女がしちゃいけない顔になってんぞ!」


 両手をぶんぶん振って否定するジャック。エリーナの顔が描写できないあり様になっており、ユフィはこくこくと勢いよく頷くしかなかった。


「とにかく、無事でよかったよ。本当に」


 そのやり取りに割って入るように、ライルが穏やかな声で言った。

 場を和ませようとするような一言には、言葉の端々からにじみ出るような安心が込められていた。


「でもこれじゃあ、続きは中止かな」


 ライルは軽く首を傾げて空を見上げながら言う。


「うんうん、それもそうね」

「足場も悪くなってるし、転んで怪我でもしたら洒落にならないしな」


 本来なら、次はライルとエリーナの番だったが、肝試しはこれにてお開きとなった。

 服も濡れている事だし、各々部屋に帰る流れになった。


「それじゃ、俺はこっちだから」

「うん。またね、ジャック」


 ジャックと別れてから、ユフィはライルとエリーナと共に、合宿所の廊下を並んで歩いていた。

 三人の部屋は同じ方向に並んでおり、歩幅を合わせながら、互いに先ほどの肝試しの話に花を咲かせていた。


「でも……意外と肝試し、楽しかったので、またやりたいですね!」


 そう言うユフィの瞳はどこか輝いていた。


「うふふ、そうでしょう? ひやっとするのも、非日常って感じで、たまには悪くないのよね。またやろうね、次は本格的なの!」


 エリーナがいたずらっぽく笑うと、その銀髪がゆらりと揺れた。

 どうやら彼女はこの手のイベントが大好物らしく、次の企画まで考えていそうな勢いだった。


 そんな、和やかな空気の中だった。角を曲がろうとしたその時、ふと先の廊下に人影が見えた。

 廊下の灯りの下を、一人の教師が落ち着きなく歩いていた。


 左右を見回しながら、何かを探している様子。隣のクラスの引率担当、ルード先生だ。


「ルード先生?」


 ライルが一歩前に出て、声をかけた。


「どうしたのですか?」


 声に反応して振り向いたルードは、少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに安堵の表情を浮かべた。


「ああ、ライルくんたちか。……よかった。キャサリンを見かけなかったかい?」

「キャサリンさん……?」


 ユフィが首をかしげたのと同時に、エリーナとライルも顔を見合わせる。


「うーん……私は見てないかな」

「俺も見てない」


 エリーナとライルがそれぞれ言う。


「えっと、エリーナさんは多分、ミリル村でゴボウを掘っています」

「「「ゴボウを?」」」


 ユフィ以外の三人のリアクションが重なった。


 それからユフィは、キャサリンがミリル村特産のゴボウにはまっていて、合宿場に着くや否やミリル村にゴボウ掘りに出かけたことを話した。


「キャサリンさんたら、ゴボウに夢中になりすぎじゃないかしら」

「まあ、キャサリンらしいといえば、らしいけど……」


 呆れる二人に、ルードは割と深刻そうな顔で言う。


「困りますねえ、一応、この合宿は団体行動が基本なのですが」

「そのうち帰ってくると思いますよ。一人で持って帰ってくるゴボウの量には限界がありますし」

「それもそうですかねえ」


 と、納得した様子の三人。

 しかしユフィだけは表情を曇らせていた。


 廊下の奥に続く夜の気配。窓の外の、風で揺れる木々の影。

 誰かの足音すら吸い込まれそうな静けさが、どこか胸の奥をざわつかせる。


(……なんだろう、この胸騒ぎ……)


 キャサリンが帰ってこないことに、理屈では説明できないほどの違和感があった。


 ただの遅れ? 


 夢中になっているだけ? 


 いや、それだけじゃない。何か、もっと別の──。


(嫌な予感がする……)


 喉の奥に、乾いたものが引っかかる感覚。

 さっきの肝試しの恐怖とはまったく異なる、冷たく、じわりと迫るような感覚だった。


 それからユフィは、ライルとエリーナと別れ、個別に割り振られた自室へと戻ることにした。


 さすがは王立魔法学園が長年契約を結んでいるというだけあって、この保養施設の規模は圧巻だった。


 長い廊下が迷路のように入り組み、壁には織物のタペストリーや、偉そうな人の肖像画が丁寧に飾られている。


「はぁ……」


 一日の疲れがどっと押し寄せる。

 今日は早く寝ようと、ユフィはドアノブに手をかけ……ふと、立ち止まった。


 ……何か、おかしい。


 ドアの向こうから、微かに空気の揺れが伝わってきた。わずかながらも、誰かの気配。


「……誰か、いるんですか?」


 声をかけるが、返事はない。ただ、息を潜めるような沈黙だけが、返ってくる。

 ユフィは慎重に、ドアを少しだけ開けた。


 きぃ、と音を立てて開かれる扉。室内は窓から差し込む月明かりだけが照らし、ほの暗い空気が漂っている。


「っ……!」


 そこに、立っていた。

 窓辺に背を預けるようにして、影の中に溶け込むように、ひとりの男が。


 凍りついたような空気が、ユフィの背を駆け下りた。


「……ザインさん……!?」


 思わず声が漏れる。

 見間違えようもない。


 あの男──バレンシア教の監査長、ザイン・ガッセルだった。

 教団における秩序維持、処罰、粛清を担う、いわば、教義の刃とも言える存在。


 ユフィとは、先日のグランヴェルム討伐において行動を共にした人物だ。


(ザインさんが、なんでここに……?)


 しかも、この学園の合宿所のユフィの部屋に、何の前触れもなく。


 彼の姿は、以前よりもどこか陰を帯びて見えた。


 顔立ちはそのままだが、目の奥の光は深く沈み、まるで長い間、夜の底を彷徨っていたかのような気配をまとっている。


 その瞳が、ゆっくりとユフィを捉えた。


「……また会ったな、ユフィ・アビシャス」


 声音は低く、穏やかだった。しかしその静けさが、かえって恐ろしかった。

 威圧的でも、苛立ってもいない。


 まるで、全ての感情が削ぎ落とされたかのような、研ぎ澄まされた鋼のような声音。


「ど、どうしてここに……?」


 ユフィは一歩、足を引いた。


 咄嗟に扉を閉めようとしたが、体が言うことをきかない。

 背筋に冷たい汗が流れ、喉が張りつくように渇いている。


 ザインは一歩も動かず、ただ窓辺に立ったまま、ゆるやかに言った。


「少し、付き合ってもらおうか」


 冷たい声が、部屋に落ちた。


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