第98話 「お友達ほしいよぉぉおおおおおおおお!!!!」
「いえーい! イリヤちゃんが鬼ねー!」
「もう、ずるい! 待て待て〜!!」
「こらこら〜、あまり走るところんじゃうよー」
広大な原っぱに、子供たちの楽しい声とシスターの微笑ましげな声が弾ける。
鬼ごっこだろうか。
小さな体を元気いっぱいに動かして、子供たちはきゃっきゃと遊んでいた。
今日は、ミリル村の唯一の学舎である教会での催し。
通称、遠足の日。
教会から遠くまで歩いて、どこまでも続く広っぱで元気いっぱいに遊びまわる。
そんな、普段味わうことのできない非日常に、子供たちはワクワクと胸を躍らせていた──ただ一人を除いて。
「966匹……967匹……968匹……」
にぎやかで明るい原っぱから少し離れた森の中。
木々が空を覆うように枝葉を広げ、薄暗くなっている場所で。
「969匹……970匹……ああっ、動かないでっ……!?」
幼き頃のユフィはひとり、地面を歩く蟻たちを数えていた。
友達がいないユフィにとって、遠足は「楽しい時間」ではなかった。
周囲の子どもたちが笑い合い、はしゃぎ回る様子を見ていると、胸の奥がきゅっと痛んでくる。
それに混ざれない自分を知っているから。
どうしても、足が一歩、輪の中に踏み出せなかった。
だからユフィは、自由時間になった途端、ひとり森へと身を隠した。
木々の影が落ちる薄暗がりは、誰も探しに来ない静かな場所。
そこでユフィは、たることもないので蟻を数えていた。
小さな行列が、何かを運びながら列をなしているのをじっと見つめて数字を刻む。
「971匹……972匹……」
ただ無心に数え続けていれば、他の音が気にならなくなる。
自分が今ぼっちであることも忘れることができる。
それはユフィにとって静かで、少しだけ安心できる時間だった。
(早く……終わりの時間にならないかな……)
それだけを願っていた。
蟻を1万匹ほど数える頃には、みんな一緒に帰る時間になる。
何の面白みもないこの退屈な時間からさよなら出来るのだ。
しかし、そんなユフィの思いは無情にも断ち切られた。
「あっ!」
突然、びゅうっと風が吹き、胸元から何かがひらひらと舞い上がった。
『ゆふぃ』と拙い字が書かれた名札だった。
教会で手渡され、糊で無造作に貼り付けていた白い布の名札が、風に乗って空高く飛んでいく。
「無くしたら怒られるっ!?」
慌てて立ち上がり、名札を追って森の奥へと駆け出す。
木の根に足を取られながら、それでも目は空を舞う白い布に釘付けになっていた。
「待って! お願い、止まってぇ……っ!」
気がつけば、森の斜面を駆け下りていた。 そして──。
「きゃっ!?」
足を滑らせた。
視界がぶれる。
足元の土が崩れ、ユフィの小さな体が、崖のような急斜面を転がり落ちていく。
幸い斜面はそこまで角度がついておらず、じきにユフィの体は止まった。
「う、うぅ……あいたた……」
身体のあちこちがずきずきと痛む。
泥と草にまみれて顔を上げたユフィの視線の先に、異様な空間が現れた。
森の奥深く、岩肌が口を開けたようにぽっかりと闇が口を開いている。
ただの岩の裂け目には見えなかった。
空気が違った。
風が止まっているのに、洞窟の奥に向かって何かが深く、吸い込むように流れている。
(……なんだろう、あれ)
足が勝手に動いていた。
名札を拾うのも忘れて、その黒い穴へと近づいていく。
中は薄暗かったが、まったく見えないわけではなかった。
冷たく、しんとした空気が肌を撫で、外の喧騒が嘘のように遠くなる。
ユフィはそっと、その洞窟の中に足を踏み入れた。
石壁に囲まれた暗がり。
誰もいないその空間に、彼女の心はふっと落ち着いた。
(……静か……ここ、なんだか……落ち着く……)
そう思った。
誰の視線もなくて、誰の声もない場所。
やっと、自分が存在していてもいいと思えるような、そんな気がした。
しかし胸の奥で、ぽつりと、寂しさが滲んだ。
どこまでも暗いこの空間にいると、先ほどで鼓膜を震わせていた、同級生たちの楽しげな声を思い出してしまう。
「いいなあ……」
声にならない声が、空気に溶けていく。
そして、ぽつりぽつりと染み出していた寂しさが、突然、破裂した。
「いいなぁぁああああああああああああ!!!!!」
地面に突っ伏すユフィ。
手足をばたばたと荒々しく動かす。
「なーんでえぇぇえええ!? なんで、私には友達がいないのぉぉおおおおおおお!?!?」
誰に見られているわけでもないのに、全力で駄々をこねる子供のように暴れ出す。
「なにか悪いことした!? 体が小さいから!? 人とうまくおしゃべりできないから!?!? はい!! 全部正解!!!」
目尻からは涙がぽろぽろとこぼれ落ち、鼻水まで垂れてくる。
「お友達ほしいよぉぉおおおおおおおお!!!!」
スカートも泥だらけ、髪の毛もぐしゃぐしゃ。
それでもお構いなしに、地面の上をゴロゴロゴロゴロ転がりまくる。
「一緒にお弁当食べたりぃ! お昼寝したりぃ! お勉強教えあったり!! そういうのっ、したいのにーーーーー!!」
葉っぱが服につこうが、髪に小枝が絡まろうが関係ない。
恥も外聞もなかった。
今まで心の奥に押し込めてきた気持ちが、堰を切ったように噴き出して止まらなかった。
「おともだちぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
大の字になって地面に寝転ぶ。
「だれか、だれかっ……お願いだから……」
両腕をバタバタと振り回しながら、魂の叫びを放った。
「私と……友達になってよぉ〜〜〜〜〜〜!!」
『だったら、僕がなってあげようか?』
びくうっ!?!?
全身が、雷に打たれたように跳ねた。
鼓動が大きく跳ね、空気が一変する。 ユフィはガバリと起き上がった。
「……え? えっ? だ、だれ……?」
心臓がバクバクと喉までせり上がってくる。
誰もいないはずの洞窟で、確かに誰かの声が聞こえた。
小声で震えるように呟いてから、慌ててあたりを見回す。
湿った岩肌、奥へと続く闇、ぴくりとも動かない静寂の帳。
風も音も、先ほどまでと何も変わらないが。
(今の、聞かれてた!?)
顔が一気に真っ赤に燃え上がる。
叫んだ言葉の一つひとつが脳内でリピートされ、羞恥で頭を抱えそうになる。
「ど、どちら様でしょうか……?」
顔を明かしながらも、ユフィは恐る恐る、洞窟の奥へと一歩踏み込んだ。
その瞬間だった。
空間の一部が、ぼんやりと揺れた。
闇の帳が、波紋のように淡く震える──光だった。
柔らかく、けれど確かに眩い光が、空気の中に染み込むように現れた。
光は、少しずつ人の形を取り始める。
輪郭がにじみ、手足が形を持ち、頭部らしきものが浮かび上がる。
キラキラと星屑のような粒子をまき散らしながら、そこに誰かが立っていた。
それは、現実のどこにも存在しないような姿だった。
服もない。髪も、顔も、目も、はっきりしない。
けれど不思議と、そこに「誰か」がいると確信できる。
まるで、夢の中で見た幻がそのまま現れたような。
光でできた人影が、確かにユフィを見つめていた。
(……あ……あたま……おかしくなったのかも……)
ユフィは思った。
あまりにも友達が欲しすぎて。
あまりにも寂しすぎて。
とうとう幻覚まで見始めたのだ、と。
でも──怖くなかった。
その姿は、洞窟の闇の中で浮かぶ光でありながら、なぜかとても懐かしくて、優しくて。
ただ、胸の奥をそっと撫でられるような、静かな温かさを感じた。
ユフィは、おそるおそる口を開いた。
「……あなたは……だれですか?」
光の人影は、ふわりと微笑んだように見えた。
『君の、友達……いや……』
そして、もう一度──
『──だよ』
その声が脳の奥に直接染み入った瞬間。
視界が、ふわりと揺れた。
空間がにじみ、洞窟の輪郭がぼやけていく。
体が宙に浮いたような感覚と共に、全身の力が抜けていく。
まぶたが重くなっていく。
最後にもう一度、光の人影がそっと手を伸ばしたように見えて──ユフィの意識は、ふわりと闇へと落ちていった。




