命の天秤を持つ彼 上
『……騙したのね!! …………そんなことが、許されると思うの? アンタの正体をバラしてやる……!!』
私はむず痒く体の奥に広がる不快感を堪えながらも、本性を出して嘲笑っているルキに歯向かう。火のように血走る感覚もして、崩れ落ちそうになっていた。
『バラせるもんなら、バラしてみたら……? でも、侯爵令嬢でもあり、血の姫の君が命を天秤に掛けるように、体の関係を持って僕と繋がっていただなんて、皆が知ればどうなるだろうね? 君の辛うじて保たれている評判は血の姫だからっていうのもあるだろう? その血の姫があんなことーやーこんなことーをしたって話を僕が皆にしたら、君は今までと同じようにいられないと思うけどね』
『私を脅すの? 自分から無理矢理血を奪い取ったくせに?』
『優等生の僕と、一緒にいる者を不幸にするって噂の君。皆に信用されるのはどちらかなぁ? 頭使えば、分かるでしょ?』
ルキは私に近づいて、私の首元に手を当て、握り潰そうとする。指に力が込められると、私はルキを睨みつける。視線に苛ついたのか、ルキは首元を握っていた指の爪を立て、手先のみ本当の姿を出した。鋭く尖った爪先が私の首元をスッとにじむように食い込んでくる。
『く…………』
『君は僕の所有物となるんだ、シェリー。これからその血も体も僕に差し出して、死ぬまで僕に全て捧げるんだよ。哀しくても苦しくてもね。……もちろん、心を僕に差し出したければ、僕はいつでもウェルカムだけど?』
首を掴む力が強くなり、私の血がじんわりと小さく垂れた。ルキは手を離すと、爪先についた血を舐めとる。
『……本当に君の血、最高だよ。もちろん、アッチの方もだけど。……これから血をもらうために、定期的に呼び出すから、宜しくね』
『…………』
ルキに肩をポンと軽く叩かれると、私は絶望でその場に崩れ落ちる。さっさとルキは歩いて行ってしまった。私は何もせずに暫く座り込んでしまっていた。
………………どうして
どうして どうして どうして どうして どうしてどうしてどうしてどうしてどうして どうして?
頭の中で、何度も何度も回避できた筈の出来事を、回避出来なかった私は自責の念に囚われていた。ドロシー先生に相談する? ……こんな自分を知られたくない。感情に負けて、誘惑に引っ掛かった駄目な自分を曝け出せない。…………ジーク殿下にも……誰にも言えない……。暫く頭を抱えていると、頭上から声がする。
『……大丈夫ですか?』
アネシア様が後ろに立っている。私は潤んだ目を彼女に向けると、アネシア様は私を気遣ってくれたようで、屈んで同じ目線で私に伝えてくれる。
『お体の調子が悪いんですの? シェリー様?』
『…………えぇ。……少しだけ。でも、仕方ないわ』
『……そうなの。私の力は貴女に使ってしまうと、血の作用が弱まってしまうというものね。……顔色がここのところ、悪かったみたいだから、心配だわ』
彼女は急いで走った時に垂れて乱れた私の髪の毛を、優しく耳に掛ける。綺麗な飴色の金色の目が、真っ直ぐに私を見つめてくる。なんて濁りのない眼差しなのだろう。なんて、存在そのものがこの方は綺麗なのだろう。だから故に聖なる力を持ち合わせたのだろうと思う。私とは違う力……。私は心底惨めになった。
『……ありがとう。でも、弱まるものならば、弱まればいいと思うの。…………こんな力……誰も望まないもの……』
私の一言に、アネシア様は一瞬で切ない表情をする。私に近づいて、私の体を起こしすと、少し背の低い彼女は見上げて私の首元に触れた。
『…………内緒よ』
少しの力を出して、アネシア様は私の首元の傷を治してくれた。それ以上は何も言わずに、ただただ私を見つめていた。私の首元についていた不快感がさらりと風のように消えていった。一瞬の出来事に心を洗い流されたように、ぼうっとしていると大きな声が聞こえる。
『アネシア!!!! どうしたんだ?!』
『……殿下。………じゃあ、シェリー様、また』
後ろからジーク殿下がわかりやすく不機嫌になりながら、アネシア様に近づくと、すぐに手を引っ張って行ってしまった。…………偶然とは言え、私が一緒にいたからだろう。私はアネシア様にお礼も言えずに、立ち尽くしてしまう。
……ただ……一瞬の出来事に、涙が出そうになった。その存在のように、揺らがない清らかな存在として、私もいたかったな、と思った。
それから、度々、ルキは何かにつけて私を学園内で呼び出すようになった。人通りの少ない場所や、一室や、はたまた、彼の自宅……城などに呼ばれて、脅しを片手に、私は彼に血を与えなければいけなくなった。
首元や腕や太ももからならまだ良かった。…………ルキは傷物になってしまうといけないからと、私を抱く形で私の力を受給した。矛盾が生じているわよね。ルキは私の処女を喪失させたことには何の罪悪感もないのだと思った。悲しいほどに……そうする事で、彼は血よりも強く私の力を得られ、また私の体調も一時は良くなっていた。周りには私とルキが仲睦まじいように見えていたけれど、実際には私は彼に強要されていただけだった。…………そして、暫くすると、ルキの恐ろしい力のせいで、私は心も体も麻痺するようにルキを欲してしまっていた。その度に彼は笑い、嬉しそうに近づいてきた。私は…………ジーク殿下から、どんどん遠ざかっていった。
ある日、学園内の食堂で珍しくアネシア様が頭を抱えていた。誰も傍にいなかったので、私はそれとなく近づく。アネシア様はゆっくりと私を見上げる。
『アネシア様……どうかなさいましたか?』
『シェリー様。……こうしてお話するのは、お久しぶりね…………少し力を使い過ぎたのか、力がパワーアップする前兆なのかわからないのだけど、最近頭が痛いのよ』
私と同じように、聖女アネシア様も力が上昇する時には体の不調をきたすのだと理解ができた。そこは同じなんだな……と思えるだけで、私はどうしてだか優しい気持ちになる。
『…………あら、お辛いですわね。……でも、聖女アネシア様の治癒力をご自分には使わないのですか?』
『自分の力は私用では使えないの。それに……魔法ばかりに頼っていても仕方ないし、困ったものね』
こめかみを抑えるアネシア様を見て、関わらない方がいいのだろうが、あの時のお礼がしたいとふと思った。
『でも、痛いのは何でも良くないわ。私、ドロシー先生の所へ行って、軽めの頭痛薬をもらって来ます。常連の私が行けば、すぐにお薬は手に入るから。……どうかお待ちになって?』
『シェリー様…………。ありがとう。貴女は優しいのね』
笑顔で彼女に手を振って、医務室に向かった。ドロシー先生がたまたま医務室にいなかったので、戻ってくるかと思い、待ってみたけれど来ないので、少し時間がかかってしまった。……悩んだ末に、私はアネシア様に自分のまだ手を付けていない飲み物を渡そうと思った。マートルが私用にと、体調が良くなるハーブティーが入っていた。きっと頭痛にも効果がある筈……。事情を話そうと元に戻ろうと食堂へ向かう途中…………ジーク殿下に突き飛ばされる。
『シェリー侯爵令嬢!!!!!! お前、何をしようとした!!!!!!』
『で……殿下?!』
『来い…………!!!!!!!!』
急に何?! と私は思いながら、見上げると、ジーク殿下は私の腕を思いきり引っ張り上げ、光堂まで強い力で強制的に連行された。突き飛ばされた時に私はハーブティー入りのボトルを床に落としてしまった。拾うことなく、ジーク殿下にすごい力で引っ張られてしまった。
光堂に着くと、不安な表情をしたアネシア様が立っている。頭痛の方はまだ落ち着いていないのかもしれない。私が心配になって、近づこうとすると、ジーク殿下に腕をまた引っ張られてから投げ捨てられる。私はその反動で床に体を打ちつけてしまった。聖女と関わるのが、そんなに嫌なのかと思い、周りを見渡すと、大勢の人たちが集まって私達を見ている。
『何ですの…………? アネシア様、ご加減は……』
『…………シェリー様……』
私は曇った表情で俯くアネシア様に視線を向けると、ジーク殿下は導火線に火がついたように怒りを露わにする。
『アネシアと話すな!!!!!! シェリー侯爵令嬢!!』
? 私は何故ジーク殿下が怒っているのかわからなかった。普段からアネシア様とは親しく話す間柄ではない。今回限りだ。……なのに、怖いくらいの目つきで、私を見つめている。何なの?
『シェリー侯爵令嬢!!!! お前は聖女アネシア侯爵令嬢にお前の血を混ぜた毒を飲ませて、殺そうとしたな!!』
『私が……? そんなことしましたでしょうか?』
『しただろう!! 具合が悪いと言うアネシア侯爵令嬢に、飲み物を差し出した!!!! だが、よく調べればお前の血が混ざっている朱色の毒だった!!!!!! 護衛に調べさせ、発覚したんだ!! これは紛れもない事実だ!!!!!!』
『……どうしてですの? 私は頭痛薬を探しに行っていただけですわ』
『黙れ!!!!!!! そんなつまらない嘘で誤魔化したな!!!! お前…………聖女アネシアに毒を盛ろうとしただろう!!!!!!』
『……何のことですの?!』
言いたいことが噛み合っていない。暫くのやり取りを何のことかわからず、そのまま返すように聞いてしまった。
『とぼけるな!!!!』
『殿下!! ……何かの勘違いですわ!! 確かにシェリー様の言う通り、彼女は私のために頭痛薬を探しに来ていたんです!!!!』
殿下の雄叫びが光堂中をまわり、慌ててアネシア様がジーク殿下の腕にしがみついて説明する。今にも泣き出しそうな雰囲気で、精一杯に私のことを伝えてくれているようだった。
『…………アネシア!! 何故、彼女を庇うんだ。お前が彼女からだと受け取ったお茶には、毒が入っていたじゃないか。シェリー侯爵令嬢の血が入った!!!!』
アネシア様は俯き、口元を手で触る。ジーク殿下はお付きのカルファとソラジアの2人を手招きすると、私の目の前に一杯のガラス瓶に入った真っ赤なお茶を差し出す。
『私ではありませんわ。……だって、私は医務室にドロシー先生を探しに行って、それから戻る所だったんですもの。確かに私のいつも飲むお茶に似ていますが、私が用意した物ではありませんわ』
私の言葉に、殿下は余計に怪訝そうにする。周りの視線は私に痛いほど、向けられていた。ジーク殿下がいるからか、いつものように、聞こえなくてもいいひそひそ話は聞こえては来ない。でも、この場にいたアネシア様以外の人間はジーク殿下と同じ考えなのが空気感でよくわかる。
『嘘をつくな。……少し前にお前は医務室に向かってはいない。ドロシー先生に確認したが、お前の姿は今日は見ていないと言っていた』
『会えなかったんですわ』
『嘘をつくな!! 誰もお前が医務室にいたことを証明することはできないだろう!!!!!』
『それでも!!!! 私は毒など盛ってはいません。どうして、アネシア様に私が毒を盛る必要があるのですか?!』
私は精一杯の抵抗をする。やっていないものはやっていないのだ。何故、私がこんな素敵な聖女アネシア様を陥れる必要があると言うの????
『……アネシア様が聖女だからでしょう。誰からも慕われ、愛される存在ですから、貴女は何処かでアネシア様を羨んでいると思えば、当然ですね』
後ろからカラファがさも正当だというような出立ちで、伝えてきた。アネシア様は何か言ってくださるようだったが、殿下に止められた。
『これは生徒の1人が貴女に頼まれて、聖女アネシア様に渡してと言われたお茶です。丁度私達がその場を通り、アネシア様が飲もうとしていた所、殿下の飲み物や食べ物に使う反応紙を付けましたら、見事に血の毒性が反応したのです』
『貴女はいつも皆に囲まれているアネシア様を羨み、妬んでいた。この事実こそが充分な動機となるでしょう』
カルファの隣りに並ぶように、ソルジアもひゅっと現れる。言いががりだ。私は羨んでも妬んでもいない。……そもそも、そんなネガティブな感情は今の私には思うことすら、高貴だからだ。
『違いますわ!! 私ではなく、違う誰かが私を仕立て上げたのでしょう』