悪循環が侵食していく
孤独を感じながら、私は生きていた。何度も何度も、どうして私はこうなのだろうと自分を責めては、殿下の後ろ姿を遠くから眺める日々だった。
『いつも1人だよね』
貴族学校の校庭内にある、あの湖が近くにある中庭で1人ただただボーッとしていると、ルキに声をかけられた。あの事件から、ここは暫くは立ち入り禁止となっていた。見えないバリケードが教師の魔法によって貼られている。……そんな場所にいても、誰も私を気にもしないのに。なのに……見上げると、ルキがいた。黒髪に刺激的な赤い目がよりコントラストが強いように見えた。目が覚めたような感覚になり、私は口を開く。
『私と一緒にいると、不幸になるから』
自分から言っても仕方ないと思っている。信じたくないけれど、自分派やはり血の姫だから、誰かを不幸にしてしまうのだと思わずにはいられない。
『どうして? 誰かを救える姫なんでしょう?』
何にも知らない癖にと感じてしまう。明るく軽やかに落としてくれたルキの言葉が、今の私には苛つかせる。
編入生のアナタには何もわからないでしょう、私の何を理解しているの?
『私がどんな風に人を救うのか、アナタは知らないでしょう? 知らない方がいいわよ』
『血を垂らすんだっけ』
『……えぇ』
知っているのなら、話しかけてこないでと思って低い声で返事をする。どの人も私自身については何の興味もないくせに、私の持っている力だけは異常に詳しくて。
あぁ、この人も同類かと心の中で思った。
『その力は使っているの?』
『…………いいえ、全く使っていないわ。聖女様がいるし、使うタイミングもないし。むしろ、使ったところで不気味に思われるだけね。私は不幸を呼ぶらしいから』
どうか私に誰も関わらないで欲しいと思った。ルキもまた、ミステリアスでクールで寡黙な雰囲気だった。だが、私とは違うのは、故に純粋に人気があったので、クラスにも自然と溶け込んでいた。そんな人と関わりたくない、というのが本音だった。
『でも……君が辛いでしょう?』
彼は大きな目をこちらに向けて呟く。ルキの大きな赤い目に、何故だか疼くような理由のない感情に一瞬掻き立てられる。ルキの黒い髪の毛__前髪が風によって静かに靡いた。私が何も言わないでいると、少し血色の悪い薄い唇が開いた。
『…………僕なら、君を楽にしてあげられるよ』
『え?』
悪魔のような囁きに私は思わず反応してしまった。彼は私に近づき、その薄い唇をニィッと口角を上げて鋭い2つの八重歯を見せつける。周りには爽やかな風が時々ふんわりと吹いているのに、彼と私だけにはドロドロに溶けた鉄のような、異様な熱さを感じていた。
『アナタ……人間ではないの?』
私が表情を強張らせながら話すと、今度はルキは満面の笑みを見せつける。
『人間だよ、心はね。…………なぁに、吸血鬼だって貴族学校に通ってはいけないなんて話はこの国にはないだろう?』
『ある程度の身分さえあれば、議席は確保できるもの、関係ないわ。……でも、魔族は別よ。吸血鬼は昔から魔族の使いと言われているし…………アナタ、どうやって学校の関門を通過したの?』
魔族と言うのは、主に大昔に魔術を使える人間が、まじないをしたのをキッカケに生み出したドラゴンから派生してきていると言われている。最初はドラゴン一体と魔術師のみだったが、それに加担して自ら呪いの道を選んだ者達が、連鎖して、また生み出されて、魔族は増殖していったと言われている。魔族は深い森や憎しみの中でしか生きられない。今は国とは連携が取られており、魔族の世界に一切私達人間が触れないことを条件に、均衡は守られている。たが、稀にこちらの世界に魔族が来る場合は、彼らの存在は有害なため、病むなく倒す対象になっているのだ。先日の湖から出て来た魔物のように……。だから……この人はどんな理由でさえ、国の処罰対象者だ。
そんな魔族の使いと言われる吸血鬼が、全体的に広がり張られた校内バリアをどのようにして掻い潜ってきたのだろうか。……先日の魔族と言い、何処かに穴があるとしか思えない。
『処罰対象者だからね、ずっと言えなかったけど、僕の家は代々吸血鬼の家系でね。人間の血も少しは流れているみたいだから、完全体ではないんだよね。だから、本当の身分を隠して生きているんだ。……僕だって、普通に暮らしたいんだよ』
わかったような、わからないような理由だなと感じつつも、私はルキの話を真正面から聞いていた。彼はクスリ、と微笑を浮かべながら、またやんわりと尖った八重歯を見せる。どんな理由でさえ、彼が吸血鬼で私とは意味の違った異質な存在であるということは、一身で理解できる。
『秘密を共有されても、私は何も出来ないわよ。自分のことで精一杯。何を求めているのかは知らないけれど』
『何も求めていないさ。バレた時には処分される、それだけだろう? それよりも……君を助けたいよ。シェリー』
『気安く呼ばないで』
生ぬるい風が私の髪を靡かせて、顔に張り付かせる。張り付いた髪の毛の気持ち悪い感覚が、今ここにいるルキそのものと同じように感じてしまう。
『ごめん。…………でも、本当に心配しているんだ。君は血の姫。噂では短命と言われている。けど、それは血の力が濃度と比例するように増えているから、身体の中に疼くような痛みを感じるんだろう?』
『どこまでも人の情報だけは詳細に知っているみたいだけど。……何が言いたいのか、端的に言ってよ』
ルキの赤い目に太陽の光が差し込むと、恐ろしいくらい眼光が強くなった。彼はフウとため息を軽く吐いて、また小さな八重歯を見せる。今度はルキが力を込めているのか、八重歯はどんどん鋭く長くなっていき、先端を私に見せつけているようだった。
『うん。じゃあ、言わせてもらうね。…………僕に君の血を吸わせて欲しい』
私はニヤリと笑うルキに近づくと、思いきり頬をビンタした。彼は驚いて、八重歯を一瞬にして引っ込ませて目を大きく見開いた。……暫く少しの沈黙が続くと、彼はクスクスとやけに上品に笑い出す。
『痛いよぉ、シェリー様』
『馬鹿にしないでよ、私にアナタの食事になれって言っているのと同じでしょう? 何が起きるかわからないじゃない! …………それに……私は侯爵令嬢よ。傷物になんかなるものですかっ……!!!!』
私の訴えに、ルキは両手を広げて上に向け嘲笑うかのように理解できないというような表情をした。
『何言ってるんだよ。大丈夫だよ、考えてみて? ウィンウィンの関係じゃない? ……君は血の力が上がっているから、血を放出した方が身体が楽になる。僕は毎日じゃないけれど、やっぱり血を供給しないと辛いんだ。それにさぁ、傷物って、大丈夫だよ。2点だけ肩に穴が空くけど、それが嫌ならなるべく映らないように小さな物にするし。……何なら、誰にも見えない太ももとかでも良いよ? それも嫌って言うなら…………君自身は抵抗があるかもしれないけど、もっと違う身体の部位を使って経口摂取してもいいんだよ????』
それは私に気娘であることを捨てろ、と言っている。恐ろしい。そんなことをしていたら、嫁ぎ先はないかもしれないが、余計になくなってしまうだろう。自分を捨て身にすることなどできない。こいつは怪しすぎる。
ルキは私を急に抱きしめ、私の耳元に唇を近づける。首を噛まれるのかと思い、私は急いで体を突き放そうとルキの胸板に両手を当てて、力を込めた。
『放して………………っ!!!!!!』
このど変態! と言ってやる余裕はなかった。ルキに私の力は全く通用せず、私は簡単にルキにまた抱きしめられてしまう。悔しさに満ちていると、彼は生暖かい吐息のような声で、私の耳元で静かに囁いた。
『僕は本気だよ、シェリー。…………それとも、まだ君は僕以外の〝他の誰か〟に期待しているの?』
それを知っていて、言うなどなんて性格の悪い男だ、と私は思った。王家が私の力の解放に協力して下されば、私も少しは楽になる。できればジーク殿下に…………協力してもらえないかと、私は心の隅で考えている。
だが。
『でもさあ。ジーク殿下は君に目もくれないじゃないか。力の解放をと切り札は知っているはずなのに、殿下はアネシア様に夢中だよね。君が困っているのに、手を差し伸べようとも、声をかけようともしない。…………すっごく無責任だよ』
『そんなことない!! ………………殿下が私に話しかけてこないのは、私が迷惑をかけたから……』
言葉尻が小さくなって、ルキの言葉にうまく反論することができなかった。本当はルキがジーク殿下を侮辱するのも許せない。そもそも不敬だ。……なのに、心の何処かでは、ルキの言葉を認めざるおえない自分がいる…………。身の程知らずで、殿下に好意を持ってしまった。でも、チャンスは無くしてしまった。………………殿下の目を傷つけてしまったから。
…………いや、元々チャンスなど持っていなかったのかもしれない。こんな家族以外の者達から差別されるような力を持って産まれてしまったのだから。
このまま増え続ける血の力を自分の中だけで抑えこみ、もしかしたら本当に死んでしまうかもしれない、あやふやな運命を
受け止めて一人で生きていくか。
ジーク殿下に私の苦しみをわかってもらえるよう、チャンスを狙うか。
はたまた、この男の話に乗り、少しでも自分の体調を応急処置のように、良くしていくか。
……………………今の私には決められない。
自分だけでどうにかする他ないのだ。私の選ぶ答えが、例え間違っていたとしても。
『アナタの力は借りない。……私は吸血鬼と血を交わす意味なんてないと思うし。…………アナタが吸血鬼だってことは、学校側には黙っておいてあげる。……ルキ、アナタだって、学びたいことがあるんでしょうから…………。だけど、これ以上、私には関わらないで。同情で声をかけるのなら、他の誰かにしてよ。私は……私のことだけで精一杯なんだから』
ようやく両手で彼を突き放す。縛られていた身体が軽くなった。私は教室に戻ろうとすると、ルキが私の手を引っ張り、両手で私の頬と頭を押さえて、私の唇に接吻をしてくる。
『ん…………っ……!!』
私は逃げようと、またルキの手を振り払おうとする。ルキは私のことなど気にもせずに、更に唇の中へと舌を割り込ませてくる。……殿方とキスすらしたことがないのに……っ!! この変態!!!! と思ったのも最初のうちで、ルキが私の上唇を舌でなぞらえてから、次にまた私の歯も舐める。ルキが舌を絡めてくるので、私は口が少し空いてしまい、必死に抵抗した。
あまりにもスムーズに行動され、私はなす術もなく、ただただされっぱなしだった。……暫く舌を絡め口付けをすると、ルキは満足したのか、私をようやく解放してくれた。
『……今度はビンタしないでよ。君のこと、諦めないよ。シェリー。君自身を誰も愛さなくても、僕が君のことを愛してあげる。楽にしてあげる。君は賢いから、何が正しいのか……わかると思うんだよね』
ストン、と身体の力が抜けて私は地べたに尻もちをするようにヘタリと崩れてしまった。膝下から右と左と、それぞれに違う方向を向けて身体を支えている足に力が入らない。驚き過ぎて、声にならないでいると、ルキは微笑み、そのまま去って行った。
私は口を両手で覆うと、自分の目から絶え間なく涙が溢れてくる。
『キス……したことなかったのに…………。殿下に……差し上げたかったのに………………うぅっ…………』
そんな願いは夢物語で、一生自分には手に入らない願いだとはわかっていても、自分の意志で決めていきたいと思っていたのに。こんな形で…………ルキに奪われるなんて………。
殿下に教えていただいたカセボの近くで。こんなことをされるなどと………………。
風によって、木々たちがうるさく騒めく。それが余計に虚無感を私に与えて、私はそのまま崩れるように大粒の涙を流した。