裏切りの香り 中
会場の中に入ると、私を見てどよめく生徒達がいた。恐らく、学年が違ったりクラスが違ったりする生徒達なのだろう。生徒達だけではない。教師陣も数人は平静を装いながらも、私が懇親会に参加したことで、微妙に表情をヒクつかせた先生もいた。
……ま、想定内ですわ。
私は素知らぬ顔をして、会場の隅へと移動した。ジーク先日、殿下は懇親会が始まったらどうするか、流れを説明してくれた。
『パーティーが始まったら、私達はそれぞれに会場に着く。頃合いを見て、ドロシー先生の尋問が始まったら、ドロシー先生には自由に話してもらおう』
『……事前に私達が話をした方のが良いのではありませんか? ドロシー先生だけを吊し上げる形では、先生が困りませんこと?』
アネシア様が答える。殿下はそれも想定している上で答えた。
『必要あることさ。ドロシー先生に伝えて、真犯人を炙り出さないとね』
壁の花になっていても仕方ないので、私は軽食でもと思い、移動しようとした。そんな時、嫌でも聞こえてしまう。
「……ねぇ、なんで血の姫がいますの? どうして来たのかしら?」
「最近では、アネシア様と仲良くしていらっしゃると聞きますけど、この国の聖女様を汚さないでいただきたいわよね。……それに、あのドレス、何ですの? あの白いドレス。今流行りのデザインじゃないですか」
一見ウェディングドレスにも見えなくもないこのドレスは流行りなのですか。お気の毒ですが、こちらは私のチョイスではございませんのよ。それに、貴女方のような陰口を言う方は私が何を着ても言いますよね。などと私は、心の中でそっと線引きをしていると、私の元へとワインを持ってくる人がいた。
「シェリー。久しぶりだね」
…………ルキだった。ダークブラウンの細身のセットアップスーツに胸元に薄いフリルがついたシャツを着ていた。……吸血鬼…………みたい。……私は一歩、後ずさりすると彼はそんな私を逃すまい、と一歩前へと出てくる。
「…………そうね。でも、アナタには用はないわ」
「まぁ、そう言わずに。……ドレス、素敵だね。色白の君にとても似合っているよ」
ルキはワインを持ちながら、意味有り気に微笑を見せる。ジーク殿下は私の様子に気づいたようで、こちらに来ようとしたが、他の令嬢に呼び止められてしまった。
私は逃げようとした。さすがにルキもこんなパーティー中に何かしては来ないと思う。殿下や何となくわかってくれているアネシア様や、ツンケンしていても冷静沈着なルドルフ様、ジーク殿下の右腕達であるカルファ様とソルジア様がパーティーの参加者にいるのはわかっている。その誰かしらに目が入れば、ドロシー先生の計画が台無しになるから。…………でも、この状況はパーティー中なだけに断れる雰囲気ではないわね。
「ありがとう。……それじゃあ」
「待ってよ、本当によく似合っているよ。……白くてでもピンクのグラデーションが可愛くてさ。……ねぇ、シェリー…………
ルキは迫って来ると、私の腕をグッと掴む。掴む指がとても力が強くて、痛い。やめて! と言おうとすると、ふと、ルキは自分が持っていたワイングラスをわざと私に向かって傾けた。ルキが持っていたのは赤いスパークリングワインだった。そのワインが私のお腹からばしゃりとかかってしまい、ドレスが赤く染まってしまった。
「…………あっ!!!! すみません!!!! 手が滑ってしまった!!」
「きゃーっ?! 何?? 何なの?! 嫌だわ、とても気持ち悪いっ!」
「まるで血じゃないの! ……あぁ、恐ろしい。やっぱり血の姫の側から離れましょう!! 呪われたくないもの」
ざわざわと貴族女子達が話し出す。ルキは思ってもいないくせに申し訳無さそうに、目を潤ませながら困惑しているかのような表情をした。
「……すみませんっ! シェリー様っ!! 僕っ……うっかり、ドレスを汚してしまって。今すぐに落とさなくては、外に行きましょう」
それが狙いですわね、会場から出たら、いきなり血を吸われてもおかしくありませんわ。と感じながらも、私はルキの思い通りにはなりたくないわ。……私は動くことをせずに、小さな抵抗を見せていた。ルキは平静を装った風のなかに、いかにも不機嫌さを交えたような顔をする。
ルキは私の腕を掴みながら、彼は爪をわざと長く伸ばしてくる。____(それがルキの元々の姿なのだろう)……私の肌に当たって、これ以上のびたら血が出てしまうくらいになっていた。
「……シェリー」
ふっと、声の元を見つめる。ジーク殿下が涼しい顔をして、後ろからやって来る。
「殿下」
「私のあげたドレスを汚すなんて、いけないな」
「申し訳ありません」
言葉はせめる言葉なのに、声色が凄まじくお優しい。ルキはサッと手を離す。私はぺこりとドレスの裾を掴んで謝罪をすると、殿下は私の肩にそっと手を触れる。ジーク殿下が私がルキに掴まれていた腕の部分に改めて優しく触れると、皇太子スマイルを見せた。
「仕方ないね。誰かに見られる前に、1度外に出ようか。上着は私のを掛けておくといい」
「ありがとうございます」
「では……君は気にすることはないよ。ここは私が対応するから」
殿下がルキに微笑みかける。皇太子としての紳士的な対応を見せられて、ルキは呆気に取られたような表情を一瞬見せたが、すぐに不機嫌に私を睨みつけた。私と殿下はそれを見ることもなく、さっさと会場外へと出て行った。殿下に対する黄色いお声が、血の姫にドレスですって?! と何故か感嘆の声まじりになっていた。
「…………ありがとうございます。殿下。つい、ドロシー先生を守る計画に夢中で、ルキのことを忘れていましたわ」
「君が彼に言い寄られているところに、何とか、駆けつけられて良かったよ。…………しかし、彼はよっぽど君に執着があるんだな。自分色にでもしたかったのか、悔しそうにしていたね。まるで嫉妬しているような…………」
殿下が式服の上着を私に掛ける。私は首を大きく振った。
「…………申し訳ありません、殿下! 私に、このようなはからいなど……。でも…………不敬になるかもしれませんが、ルキが私に嫉妬と言うことなど、あり得ないと思いますわ……。さしずめ、自分が手懐けたおもちゃが急に違う行動を取り始めたのが、気に入らないのでしょう」
「…………私としては、そうだったのなら、良いけどね……。まぁしかし、彼にドレスを汚されてしまったね。このドレスを着ている君と一曲踊りたかったのだけれど、このままでは逆に君に恥をかかせてしまうな。残念だよ。……でも、すごく、似合っている」
殿下は私の頬に軽く手を触れると、優しく微笑む。…………あぁ、いけない。この笑顔に引きずられてはいけない。……私はこんなことを経験していいわけがないのだから……過去の人生で、何回も、殿下には突き放され、嫌われて来たのだから。こんな優しい姿が本心だと思ってはいけない……。このお方はアネシア様が好きなのだから。
私は少しだけ下を向くと、殿下はどんな表情をしたのかわからなかったけれど、少ししてから中に入ろうかと提案する。私は挨拶をして、淡々と後を着いて行った。
殿下の羽織りを身につけたまま会場へと2人で戻ると、ドロシー先生が表情を暗くして会場の真ん中へと立たされていた。教師のダナン・ディ・カルフィー先生がドロシー先生からほんの少し離れたところに立ちはだかり、得意げな顔と立ち振る舞いをしていた。頭が良く研究熱心のドロシー先生が気に入らないと陰口を叩く人だから、今回は先陣切って、ドロシー先生を問い詰めようとしているの?!
最低だわ、とふつふつと怒りが湧き上がる。私が抗議をしようとすると、殿下が私を静止するように私の手首に触れる。……いけない。ここからなんでしたわ。
「ドロシー先生。あなたは結界が破られる前日、魔法検査室に入りましたよね。魔法記録で確認が取れています。あなたは魔法検査室で、常に血の姫であるシェリー・アザレア・ルター侯爵令嬢の血のスピッツを管理していた。……あなたは週に何回も血の姫のスピッツを見るうちに、その効力を自分の願望実現に利用してみたくなり、結界にスピッツをかけた。…………違いますか?」
「違います。あくまでもシェリーのスピッツは彼女の体調管理の為に数値を調べていただけです。生徒の体調管理をするのは私の仕事ですから」
ドロシー先生ははっきりと答える。その断固として譲らない姿勢に、ダナン先生はわかりやすく眉間に皺を寄せる。
「でも、あなたは教会出身で、生い立ちから全ての存在に対して同等であるようにという考えを持っているでしょう。それはおそらく、私達人間と大昔に和平の条約を結んでいる魔族に対しても、同じように思っている。だから結界を破ったんでしょう」
「私は確かに教会育ちですが、同等であるのは人間に対してだけです。以前にも、それは申し上げたはずです。私は結界にシェリーの血を垂らすことなどしていません」
既にもうドロシー先生を犯罪を犯す人間扱いしていて、私は腹がたった。でも、ここを我慢しなくては。殿下はそろそろだなと、顎に手を当てて頃合いを見ている。
「______でしたら、当日に魔法検査室に入った理由をお聞かせください。あなたしか入る人はいないでしょう」
「ですから、シェリーの血がどれくらい濃度なのか、赤が強いのか白が強いのか、調べていただけですわ。何度も何度もお伝えしています。私は医務室勤務なのですよ。ダナン先生、私が生徒の体調管理して何が問題なのですか?」
ドロシー先生も少し怒りが湧いてきたところで、殿下が前に出た。ドロシー先生は殿下をチラッと見て、動揺はしなかったがダナン先生は少し驚いた様子を見せる。
「すまないね。私からもドロシー先生に確認させてくれないか」
「殿下。…………そうですね。殿下でしたら、ドロシー先生の疑いをしっかりと説明できるでしょう。私は下がります」
ダナン先生は殿下に一礼すると、渋々後ろへと下がる。さすがミルハー帝国の第一皇太子。あの理屈っぽくてしつこいダナン先生を一言で下がらせたなんて。
私が見つめると、殿下は場の空気を柔らかくするように自分のいつもらしい優しい言い方でドロシー先生に確認した。
「ドロシー先生。魔法記録ではドロシー先生が当日、確かに魔法検査室へと入って行く姿が映っていました。これは間違いないですよね」
「えぇ。結界が破壊されたと言われる日に私は魔法検査室に行きました。でも、それと私が結界を破ろうとするのは別話です」
「もちろん、これは確認です。ドロシー先生は週に何度か魔法検査室へと行くとおっしゃっていましたが、何回くらい行きますか?」
「4回くらいです」
ドロシー先生がダナン先生と話していた時よりも穏やかに淡々と事実を話し始めた。私の側にアネシア様、ルドルフ様、殿下の傍にカルファ様とソルジア様が集まってくる。
「鍵はいつも持ち歩いていますか?」
「えぇ。一応私が最後に校舎を出る時もありますので」
「ありがとうございます。じゃあここで皆にも確認する。当日、ドロシー先生を見た者はいるかな?」
殿下はパーティーに参加している皆に少し大きな声で話した。ざわざわ、と小さく貴族達が騒ぎ出すと、数人小さく手をあげる者がいた。




