裏切りの香り 上
長い長く続く王宮の廊下をジーク殿下は早歩きで歩いていた。その姿を少し離れた位置から付いてくるのは、カルファとソルジアだ。
「____いつの出来事だ?」
「1週間前だそうです」
カルファはつかさず答えると、ジーク殿下は険しい表情に変わる。
「大きさは?」
「拳ほどだと聞いております」
ソルジアが淡々と答えると、ジーク殿下は表情を変えずにふうむ、と呟く。突き当たりの手前の部屋に入って行こうとしたが、途中で声をかけられた。
「兄上」
「ルドルフ」
声の主は第二皇子にあたる、ルドルフ殿下だった。ジーク殿下は第一皇子であり、皇位継承権は第一位。そして、弟のルドルフ殿下は皇位継承権は第二位だ。兄と同じ真っ青な絵の具のような目を持ち、髪色はジーク殿下とは違い母親と同じ明るいオレンジ色をしている。ルドルフ殿下のが、やや吊り目気味だが、顔立ちはジーク殿下とにている。第一皇子と第二皇子という間柄故、ジークとルドルフは仲が悪いのかと思いきや、ルドルフは兄のジークを心から尊敬しており、兄弟仲は良い。寧ろ何かにつけ、兄を守ろうという忠誠心まで持ち合わせていた。
2人はカルファとソルジアと一緒に部屋に入っていく。カルファがつかさず部屋のカーテンを引くと、ソルジアがアルコールランプに魔法で火をつけて部屋を明るくした。
「久しぶりじゃないか、ルド。元気にしていたか?」
ルドルフは数ヶ月間領地へと出かけていた。勉強熱心なルドルフは、領地の様子を見に行くことはしばしばある。
「もちろんさ、今回も領地内の様子を見て色々と調べて来たんだ。それよりも」
「国立学校の結界が破られていることがわかった」
「いつから?」
「1週間前、拳くらいの大きさだそうだ」
「随分と大きなサイズだね。今まで、ペン先くらいの穴が開くことはたまにあっても、拳くらいってのはなかった。……人為的かな?」
「恐らく。…………だがしかし、心当たりがない。学校の結界は歴代の結界に対して、校長や結界に特化した力を持つ教員やまたは特別な生徒が上書きするように掛けているだろう? 強固な結界にするため、仕掛けるのも複数でやっているはずだ。だが、それを破られたと言うことは…………
「ただならぬ力を持った者が破ったか、または結界形成に携わっていた者達の中に裏切り者がいるかだね」
「裏切り者か……恐ろしいことだ」
ジーク殿下は顎に手を付けたまま、ハァとため息を吐いた。ルドルフはジーク殿下の二歳下なため、一応ミルハー帝国の国立学校に通っている。
「結界の穴が魔法を使う人間によって開けられたのなら、それで問題ありません。……ですが、今回、精霊使いに詳しい教員に調べてもらったところ、血がついていたということなのです」
「血? ……誰の?」
ルドルフは説明をするカルファを見つめると、ジーク殿下は顔を曇らせながら呟いた。
「シェリーのだ……この国のもう1人の聖女、血の姫の…………」
兄の表情を見つめると、ルドルフはジーク殿下が思い悩んでいることを察した。
「血の姫ですか、では、そのシェリー侯爵令嬢が今回の結界を破った犯人だと?」
「いや、それはない。絶対に」
「何故言い切れるのですか?」
ルドルフはジーク殿下に問い詰める。いつもは冷静に判断ができる兄に対して、今回の様子の違いには少し驚いていた。
「……シェリー様と殿下は結界が破られた期間とされている時期に、行動を共にされていました。結界が破られたのは上空部だと言われています。シェリー様は今魔法を使うことは禁止されていますし、右足を負傷されています。仮に殿下と一緒にいない期間に結界を破ろうとしたとしても、到底魔法を禁じられているシェリー様が届く場所ではないということです」
ソルジアが殿下の代わりに説明すると、ジーク殿下も口を開く。
「シェリーは先日の授業で、右足の付け根も怪我したことを隠していたんだ。あの傷であの場所には難しいだろう。それを実行するとなれば、もっと彼女について詳しい人間が、彼女の血を何らかの手段で手に入れ、血の姫の力を利用して結界に穴を空けたと言っても過言ではない」
「…………シェリー侯爵令嬢の力を利用した者ってことか。そんなことができるのは、彼女にとって詳しい人間……」
「あぁ。他にも怪しい人間はいるが、1番に学校で名が上がっているのは、ドロシー・グロリユーだ」
◇
殿下に力を使って、殿下に自分の呪いについて説明をしてから幾日か日々が過ぎていた。右足の付け根の怪我は回復傾向にあるものの、私の体調は可もなく不可もなくといった状態で、それでも以前よりかは多少は良くはなっている。懇親会パーティーまで、あと少し、という予定で、私は殿下に呼び出しを受けてしまった。
「シェリー……ちょっといいかな」
「…………? はい」
望んではいないものの、最近の私は学校に到着するとアネシア様とお話をするという何とも言えない習慣になっていた。……アネシア様はいつも明るく、朗らかで、存在そのものがキラキラしている。彼女を目の前にすると、影のような自分が透けて見える気がして、何だか惨めだった。……が、ルキからの監視を掻い潜れるのは私としては、好都合でもあった。
「アネシア様、ではまた」
「えぇ。シェリー様、また」
まるで仲の良い友達同士のように手を振って、私は殿下の後を着いていく。最近では殿下やアネシア様と行動を共にすることも驚かれなくなった。空き教室に入ると、殿下は鍵をかけ、私に真剣な眼差しを向ける。
「君に聞きたいことがあるんだ」
「……聞きたいことですか?」
私は殿下を見つめると、すぐレスポンスは返らずに殿下は一呼吸置いてから話し出す。何かあったかしら?
「君は具合が悪くなると、医務室に行くだろう? ドロシー先生はどれくらいの頻度で君の血を抜いているんだ?」
殿下は何を考えているのかわからない表情で、私を見て確認してくる。血の姫の力を解放することに尽力してくれるのか? いえ、それは考え過ぎだわ。それとも私の体調を気遣って? …………うーん、考えるに殿下だったら真っ直ぐに体調は良いかと聞いてくるはず。……どうしてかしら?
「以前は週に4日は抜いていただいていましたが、最近は3日ほどでも、何とかもっていますので……」
「そうか。抜いた血は何処に捨てているんだい?」
「私のですか? ……ドロシー先生が魔法検査室に持って行ってくれています。濃度や私の血の状態を調べるために……」
そこまで言うと、殿下は顎に手を触れて、真剣な表情に切り替わる。あぁ、きっとこれは私の体調ではなく、何か別の事が関係しているんだわと私は冷静に俯瞰するように感じた。
「では、ドロシー先生が君の血を手にしようと思えば、容易いのだね」
「…………殿下? 私は話が見えて来ないのですが……」
どうして説明が足らないんだと思っていると、殿下は一度私の顔を見て、口を開く。
「…………君と先日、足の付け根を確認しに医務室へと行っただろう。あの日、我が校に設置された結界が何者かによって破壊されていた。……そして、破壊された跡から、君の血痕が見つかったんだ」
「……血痕?! 私はそのようなことはしておりません!!」
思い切り声が大きくなってしまったことに、自分でも驚いてしまった。殿下は私を理解したように説明してくれる。
「もちろん。君は私と一緒にいたのだから、シェリーにはアリバイがある。破壊された場所は、上空部。君の怪我と魔法を禁じられている君の力で届く範囲じゃない」
殿下の言葉に安堵する。そしてナチュラルに私をシェリーと呼ぶことにも今更ながら気づいてしまい、また違う意味で動揺してしまう。……いけないわっ。それよりも!
「えぇ、そうですわ。……でも、誰が一体?」
結界破りに私の血が出てきたということは。私の血の力は多くは認知されていないけれど、魔法に対する耐性として働く場合がある。執事長兼教育係であったマートルが幼い頃に私に教えてくれた内容に、血の姫である私には再生させる力があるようだ。怪我を治す力がこの身体に流れる血には備わっている。治すというのは、人には見えない細胞から治す力があるらしい。
細胞を一から治していくので、例えば何かの魔法に血を与えた場合には、血の力が逆作用して、破壊をしてからまた一から違う魔法が起こることがあるらしい。
…………とはまぁ教わって来たものの、そこまで周りの人達に私の血の力についての情報がまわっているとは思えない。家族はこの力については、この力を利用されないように門外不出と言われているし、私も体調もあるから周りに説明する暇はないわ。噂話だけが先行しているものね。
「我が校の結界は歴代の選出された魔法に強い者が集められて、過去に上書きするように年々結界を張っているのは、君も知っているだろう? 結界術、防御術、精霊術、医療術、それぞれに特化した人間が集まりグループとして結界は作られる。作るのも解くのも関わった魔法を使う人間なら、できること。…………それでね、シェリー。私達はある人物を疑っている。君もよく知っている、ドロシー先生だ」
殿下が複雑なお顔をされている理由が、今わかる。……結界を破ったのはドロシー先生ではないか、と言いたいのだ。でも………ドロシー先生は私が何度もループする中で見てきたけれど、理由なく結界を破壊するような人じゃない。
「有り得ませんわ、ドロシー先生はそのような人ではありません」
私は毅然とした態度でお伝えすると、わかっているよというような表情で殿下は私を見つめて説明を続けた。
「だが、理由はある。彼女は教会で義父母に育てられた、という生い立ちがある。教会の人間は、極端に悪と善の境目を作らないというような考えを持っている傾向にある。結界を張ることは、悪を排除するという考えだ。結界をなくせば、万が一、魔族達が不法侵入してくる可能性も出てくるからね。教会育ちのドロシー先生が、悪を排除というよりも、悪の存在も同等に分かち合う思考を持っている可能性もあるんだ」
私達の世界では、学ぼうとすれば魔法が使えるサイクルになっている。大抵は魔法を学ぼうとするのはお金がある貴族ばかりで、成長すると魔法を使う場面も少ないため、魔法に携わる仕事をする者は極小数。その中で、ドロシー先生は医療術という、簡単な怪我を治したり薬品を作ったりすることに特化していることで、これまで特待生で博士号を取って来た先生だ。
殿下のおっしゃる、私達魔法を使う人間側を善とするならば、ルキや他の魔族……悪意しか私達に与えない存在は悪になる。その二極化している存在同士を、ナチュラルに、昔のままに存在しましょうさせましょう……っていう考えを、ドロシー先生が持っていると言うのなら、このひとつの魔法学校だけではない、ミルハー帝国までもを脅かす思想の持ち主だ。
…………あり得ないわ。
「仮に先生が教会育ちだったとしても、これまでの先生を見てそうとは言い切れません。私にも優しくして下さるドロシー先生が、私の血を利用して結界を破壊するだなんて有り得ませんわ!」
「……私もそうであって欲しいと思っているよ、シェリー。だが、1番の怪しい人物として上がっている。今度の懇親会パーティーで彼女を問いただす流れができているんだ」
「ひどいですわ!! 他にも怪しい人物がいるのでしたら、もっと詳しく調査するのが学校の方針ではないのですか?! ドロシー先生は無実です! いつも魔法検査室に行って、私の血の状態を調べてはいますが、無謀なことをするような方ではありません!!!!!!」
私は殿下に食ってかかると、殿下は流石に焦ったようで私の肩を両手で抑えた。
「シェリーっ! ……あぁ、わかった。……わかってはいる。私も信じたくはない。…………でもな、シェリー、実際には君の血を手に入れることが容易いのはドロシー先生というのは本当だろう? 私は皇太子ではあるが、彼女を無実にするような、そこまでの実権はまだないんだ。仮に処分を伸ばすことも、王族としては許されない」
「でも、先生はやっていません。ループして来た世界でも、ずっと私の味方でいてくれたんですもの……懇親会パーティーで晒しあげられたら、ドロシー先生に非はなくても認めざるおえないではないですか!!」
私は殿下の胸を両手で跳ね除けようとすると、不意に殿下は私の手首を掴んで、そのまま流れで手をぎゅっと握った。
「…………シェリー。君にドロシー先生の詳細を聞こうとしただけなのに、君と言ったら……ドロシー先生が本当に大好きなんだね。幸せだな、ドロシー先生は……。だがしかし、冤罪だったとしても、本当の真犯人を探さなくてはいけないよ。君に覚悟はあるかい?」
「はい。私に出来ることがあるのなら、協力しますわ。ドロシー先生を救えるなら、私は…………」
私は殿下にお伝えすると、殿下はにこりと微笑んだ。私はドキッと殿下の笑顔に動揺してしまった。……いけない。私はぶるぶると首を振ると、殿下に啖呵をきった。
「真犯人を探します!」




