全ては血で隠されて
私は赤く染まった指先を殿下の左目瞼につけた。真っ赤な光が私の指先から、殿下の瞼全体を小さく光で包み、殿下が元々出血している部分まで広がっていく。私は圧倒されて、口を半開きにしたまま驚きで固まっていた。そうしているうちに、赤い光が浸透していき、傷も怪我も綺麗さっぱりに治っていた。
「…………できたの?」
殿下に確認したいと思ったけれど、私が勝手に目を治したと抗議されかねないなと思い、何もできなかった。ただ、瞼はすっかり綺麗で瞑っている瞼をほんの少しだけ指で無理矢理開くと、怪我は治っているみたいだった。
「良かった……出来たわ」
でも、教室の外で待機していたカルファとソルジアに不敬だと注意されてしまうだろうから、目だけにしておきましょう。殿下の怪我は体の部分だけ。それ以外は最初から何もなかったということでね。
私は指先を見ると、つけたはずの血がなかった。初めて人に使ったわ。その驚きと、力を使ったので少しは体が楽になったなと思った。でも、やはり火傷は痛い。……でも、これくらいなんて事だわ。私は少し深く口で息を吐いて、火傷の痛みを誤魔化す。
「……お外の方!! 殿下が怪我をされています!! 助けて下さいませ!!!!」
私は壁を叩き続ける。早く来て! 誰か来て……!! と、必死になっていると、目の前にある白い壁が透けて見えた。アネシア様の魔法が効力が切れるサインだ。
「アネシア様!! 殿下が……!!!!」
私が壁を叩いて叫ぶと、残っていたアネシア様とジャン先生、カルファ、ソルジア、ルキがこちらに視線を向ける。アネシア様はジャン先生と2人の護衛に伝えると、ようやく盾の魔法は消えて私と殿下は自由の身となった。
「カルファ様! ソルジア様! 申し訳ございません!! ジーク殿下が怪我をされています!!!! 直ちに処置をお願いします!!!!」
「…………!! 分かりました! シェリー様、ここはもう大丈夫です。アナタも手当てしないと!! 腕が火傷しておられます!!!!」
「……私は大丈夫です! 私よりも、殿下を…………!!」
焦ってソルジアに伝えると、さすがに護衛2人も私の状態
にも何も言えなかったのか、心配をしてくれている。
「シェリー様、ジーク殿下の怪我は護衛である、私達のミスです。ジーク殿下に授業中は勉学に集中したいので外すようにと言われていましたが、間違いでした…………。決してアナタのせいではありません。この先、殿下を王宮の医師に診てもらいます。シェリー様もお手当を……」
「私は……
私は大丈夫ですと伝えながらも、体は痛み辛かったので、医務室でドロシー先生にお願いしようかと考える。しかし、ルキが一歩前へと出た。
「僕がシェリー様を医務室まで連れて行きます! 僕のせいで…………!!」
如何にも悲しげに話すルキに、この男は…………と、私は感じてしまう。さしずめ、医務室に私を連れて行った時に脅し私から血をもらうのだろう。本当は狙って火の玉を殿下に向けたクセに、申し訳無さそうにするなんて……どこまでも……
「いえ、大丈夫ですわ。私1人で向かいます」
「僕のせいで怪我をされたのですから、医務室に付き添います!!!!」
泣き出しそうな表情で訴えかけてくる。冗談は良して欲しい。こちらは死にはぐった上に、また血をもぎ取られるなんてうんざりだ。何とか回避しないと……
「私が付き添いますわ」
アネシア様が私の方へと近づいて言った。ルキは何だ? と思ったようで、言葉を発しようとしたがアネシア様が続けて言った。
「シェリー様は女性ですから、皆さまにも気を遣って、ご自分だけでと思っているかもしれません。ですが医務室にドロシー先生がずっと常駐しているとは限りません。同じ同性である、私が付き添った方が何かと手当てができると思います」
「アネシア様……」
「ですが、僕の責任で彼女は怪我をした訳ですし」
「いえ、これは私の責任でもあるのです。私が未完成の防御魔法で2人を閉じ込めてしまいました。私が責任もって、シェリー様を医務室に連れて行きますわ」
「でも、僕が……
「シェリー様は女性ですもの、広範囲の火傷を負っていたら、ルキ様には体を見せるわけにはいきませんでしょう? その点、私なら女性同士ですし治癒魔法も得意ですのよ。ここは私にお任せください」
ルキはアネシア様の凛としたブレない意思に何も言うことができなかった。良かった、と私は感じつつも、アネシア様とも関わりたくないと思っていたのに、予想外な状況になってしまったなと反省する。
「さぁ、行きましょう、シェリー様。状態を見て、医師に診てもらうか判断しましょう。……歩けますか?」
「あ……ありがとうございます。歩けますわ」
私はアネシア様の両手を握らせてもらい、借りながらゆっくりと歩き、医務室へと向かった。
医務室へ着くと、私の様子にドロシー先生は目をまんまるくして驚いている。
「まぁ!! シェリー!! どうしたの?!」
「はは……ちょっと怪我しまして」
驚くのも仕方ないわね。医務室にある姿見で自分の姿を確認すると、胸まで伸びた自慢のふんわりストレートヘアの金髪は静電気を帯びたように荒れていて、服は袖先が焼けてなくなっていて、右側の顔から首から、恐らくその下も火傷をしていると思ったもの。通りで痛いわけよね。
「ドロシー先生! シェリー様が授業中にルキ様の作った火の玉が誤ってシェリー様とジーク殿下に当たってしまったのです!! ジーク殿下は護衛様達が王家の専属医を呼んで診てもらっていますが、シェリー様も一度、こちらでも状態を見てもらいたいのです!!」
「火の玉が?! 危なかったわね〜!! 一歩間違えれば死んでしまうところだったじゃない!! ジャン先生にもよく言ってきかせないと」
「ははは……」
苦笑いしていると、ドロシー先生はいつものようにベッドの前にかかっているカーテンを引いてくれる。ゆっくりと座ると、服を脱ぐように言われて、上半身を脱いだ。
「酷いわ…………。一刻も早く治癒魔法をかけて、医師にも診てもらいましょう」
確かに……。よく見ると、顔から下までが火傷でただれたようになっている。ドロシー先生は手を出して、私の体を治してくれる。
「……うーん、やっぱり体の損傷が酷いわね。治りが悪いわ、アネシアさん。貴女も治癒魔法をかけられる?」
アネシア様は私から背を向けて状態を見ないようにしていたけれど、名前を呼ばれて慌てて振り向いた。
「はっ……はい……!! 治癒魔法ですね……わかりました」
アネシア様が患部に向けて手をかざすと、手よりも少し大きな光が溢れてくる。ドロシー先生からも同じように溢れていたが、アネシア様は聖女だけに力が強く、どんどん私は体の芯から緩んでいくような、楽になる感覚になっていった。
「シェリー、楽になってきた?」
「……えぇ、先生、アネシア様。こんな事があっていいのかしらと思うほどです。どんどん楽になって来ていますわ」
「アナタはいつも体調が安定しないのだから、無理しちゃ駄目よ? 火の玉が当たったって聞いたけど……どういう状況だったの?」
「それは………………
ドロシー先生が私を見ずに聞いてくる質問に、私は口ごもり答えられなかった。かわりにアネシア様がはっきりとした声で質問に答える。
「私にはジーク殿下に向かっていった火の玉を、シェリー様が庇おうとしたように見えましたわ。でも……間に合わず、殿下が勘違いをされて、2人で火の玉にぶつかってしまったというところでしょうか……」
「いえ、私は庇うなどとは…………
私がまた言葉に詰まると、今度はドロシー先生が微笑んだ。まさか死のうとしていた、などとは言えなかった。
「全く、シェリーったら、優しいんだから。……無理も程々にね。力の解放のが先でしょう?」
「力の解放……?」
アネシア様が、不思議な表情をして、初めて顔を上げる。ドロシー先生はアネシア様が私について何も知らないことを理解して、話し始めた。
「シェリーの力は誰かに使わないと、溜まり溜まってしまうのよ。そうすると、この子の体調が思わしくなくなるの。……でも、皆生徒も教師でさえ、シェリーの力を怖がっている。本当は不幸なんて起きないのに。……困ったものよ」
「お噂でしかシェリー様の力については聞いたことが有りません。いつも調子が悪そうにしているように見えておりましたが、力が原因なのですね。ドロシー先生、何とかならないのでしょうか?」
「ならないわ」
私は2人の会話に割って話すように、答えた。アネシア様私を見つめて、ハッと気づくように、真剣な表情に変わった。なっていたら、私は今までこんな思いはしていない。何度も何度も何度も…………変えようと試みて、成功した試しがない。
「…………王家でさえ、私の力を恐れているの。そういうものなんだもの。何とかなったためしがないわ」
私の言葉にアネシア様は黙ってしまった。ドロシー先生は困った表情をする。……今更ながら、頑なになってしまったわ。今話したところで変わることはないのに。少し落ち込んでいると、ドロシー先生が優しく私を諭すように話し始めた。
「そうね、この国では聖女は特別な存在で……それは神々しい存在とされているからなのだけれどね。本当は、この国には聖女は2人いるのよね。…………アネシアさんと、シェリー。貴女達は全く方向性の違う力を持っている。シェリーの力はまだ未知なことが多いから、人として差別されやすいけど。本当はアネシアさんとシェリーは同じで、何ら変わりがないのよね。……私の育ての両親は教会出身でね、2人の聖女について正しいことをよく教えてくれたから、皆が怖がるほどシェリーの力は全然怖くないわ。寧ろ、どうして王家がそんなに王家が血の姫であるシェリーを拒むのかが、私には理解できないのよね」
「……私も……産まれた時から、そういう待遇だったから……」
ジュワーっとドロシー先生とアネシア様の治癒力が私に浸透して来たので、ホッとしてくる。痛みが少しずつ緩和されていくと、扉が開く音がしてベッドの外から声をかけられた。
「ドロシー先生はいらっしゃいますか?」
「はい、私はここにおりますが? どちら様でしょうか? 今生徒の手当て中でして」
ドロシー先生が私に手を翳しながらも、ベッドの外にいる人に話しかける。相手はピリッとした声色で返事をした。
「私は王家の者です。……ジーク王太子殿下が負傷したとの事、シェリー侯爵令嬢も同じく負傷したので診るようにと仰せつかっております」
王家の人が来たのね。こんな姿だもの、さすがに血の姫とはいえ、診てくれるんだわ。
ジンワリと浸透している力をドロシー先生は少し弱めると、サッとカーテンを開けて外に出て答えた。
「少々お待ち下さい。こちらでも今応急処置に当たっていますので。火傷がとても酷いんです」
「そうですか。では待たせていただきます。火傷という事ですので、王家の専属医にも念入りにやらせます」
はい、えぇと大人の会話が飛び交うのを私は遠くに、アネシア様の治癒力に集中していた。しかし、王家の人間が来たからか、途中でアネシア様はやめて、私の上の制服を丁寧に着させてくれた。
「ありがとう、アネシア様。感謝しますわ」
「……いえ、シェリー様。私はこれくらいしかできませんが、よく王家の専属医に診てもらってくださいね。……色々と終わりましたら、また話しましょう。今まではお話しする機会はありませんでしたが、これをキッカケにと言いますか色々と仲良くしていきたいと思っていますわ」
「…………えぇ、ありがとうございます」
それはとても嬉しい言葉ですが、きっと仲良くはなれないわね。何だかんだ言っても、私とアネシア様では違いすぎますもの。浮かび上がる感情を敢えて言葉にはせずに、私はただ会釈だけをした。ゆっくりとでしか動けなかったので、アネシア様の肩を起き上がる時にお借りしてから王家の方に向かって歩いて行った。
「では、シェリー侯爵令嬢をお借りして行きます」
私は王家の従者がドロシー先生とアネシア様に挨拶するために会釈するのを後ろから見ると、1人でゆっくりと身体を引きずるようにしてついて行った。




