「憂気(ゆうげ)な夕餉を囲んで」
第2話「憂気な夕餉を囲んで」
積みあげられパチパチと柔らかく火を宿し、囲炉裏の灰の中心で鉄鍋の底を炙る薪を、火加減を調節しに火箸で突く老人が「こんな遠くまでよう来なすった若いの」と、眠たげな眼差しでタロウに優しく語りかけてくれた。
「はあ・・・・・・まあ、その・・・・・・お休みのところお邪魔してすみません」
静かに、そして何気ない語りや所作の端々に、老いたりとは言え魔術師であり樹海の頂点に立つ者としての凄みを放つ最長老様に対し、近所のお年寄りに接する時より恐縮して答えるタロウ。
お尻に優しくない藁を円形に編み込んだ堅い座布団の刺激にも黙って耐える他ない。
着古した作務衣姿の上に、狼の毛皮で作ったと言うゆったりとしたローブを羽織って、首からアメジストの首飾りを下げたこのご老体こそ、魔術ギルドの長にして数多の魔術師が崇める最長老様である。
タロウの隣で並んで正座しているハナ先生の今は亡き養父=天空のアル・マーゲドンの師匠でもある最長老様は、ハナ先生曰く「師の師は我が師も同じ」と言う偉大な方らしいが、ちょっと何言ってるかタロウにはわからなかった。
「それにしても天空のアル・マーゲドンの件は残念じゃったのぉ?血の繋がりこそないが、あの者の愛娘だったお主にとって何よりの心の支えを失っては、さぞ辛いことじゃったろうに」
「いえ。もったいないお言葉です最長老様。父の葬儀に最長老様が参列してくださったので、今頃、亡きアルお父様も喜んでいただけてるはずです。私もまだアルお父様が生きているような気がしてしまいますが、49日も過ぎて、お父様の死を受け入れることにしました」
正座した姿勢から両手をついて深々と頭を下げる、普段はヒステリー圧力鍋お嬢様なハナ先生。
二人の重苦しい会話の端々がアル・マーゲドン変死事件の加害者であるタロウの、健康診断で所見なしの健康優良心臓に「お前が悪い!」と見えない五寸釘となって突き刺ささりまくっている。
実際、魔術師が口に出して紡ぐ言葉はもれなく『言霊』と呼ばれる精神コントロールエネルギーとなって、周囲に様々な影響をもたらすのだが、今朝から水と塩しか口にしてない腹ぺこタロウの弱り切った精神を痛めつけるに十分だ。
遺族関係者のコメントだけでデス・スメルを超える死の呪文に聞こえてしまう。
「そこの若いの。ええと、タロウ・ライトニングくんとか言ったかの?随分と面白い呪法と契約しているようじゃが、この儂ですら耳にしたことのない魔力も呪文も必要としない死の魔術を扱えるとは、その若さで大したものじゃ」
「いえ、そんなことないっすよ?俺の近所にオープンした妙なマジックショップでワンコインで買えたお手軽魔術なんでって、いってぇ!」
偉大なる最長老様に向かって、空腹から鍋の湯気の匂いにすっかり油断してため口で謙遜するタロウの無礼に、般若も裸足で逃げ出す形相のハナ先生が、タロウの脇腹の辺りを白魚のような見た目からは信じられない指の力でつねってきた。
「ふむ?それは確かに妙な話じゃな。人や動物の魂を左右する呪術の類いは我が魔術ギルドでも厳重に流通経路や販売価格を管理しておるはずじゃから、そんな幼子でも手の届くような簡単な代物じゃないんじゃが・・・・・・」
「仰せの通りです最長老様。しかしながら、我が父を葬った術者であるこの男の尻は本当に死のオナラを放てるのです。私も初めは悪い冗談かと思いましたが、今日、この場所までの道すがらで、何回か風下に回ってタロウのオナラを嗅いでしまった動植物が死に至るのを、この紅のハナ・マーゲドンも目の当たりにしました」
そう。今日もなるべく、ハナ先生の風上でこかないように気をつけていたタロウだが、熊やらイノシシやら大猿やらが突然草むらの陰とかからタロウの尻めがけて飛びかかったり突進してきたのだ。
驚いた拍子にこいたデス・スメルの犠牲者が何匹かいた。
何が面白くて野郎の尻なんか目がけて突っ込んで来るのやら。地元の猟友会も真っ青な野生動物対処である。
「いやぁ~。お恥ずかしい限りです。無益な殺生はするなって俺の親父もよく叱ってくれてたんですがね?って、いって!」
疲れた足を投げ出して姿勢を崩して愛想笑いのタロウの脇腹の辺りを、またもや鬼の形相でハナ先生が万力要らずの指の強さでつねってきた。
「いい加減にしなさいタロウ!最長老様のご厚意で、貴方のふざけた死の魔術を解約していただこうと言うのに、これ以上、最長老様に対して横柄な態度を見せたら承知しないんだから!」
「ふぉっふぉっふぉ。若いと言うのはそれだけで可能性に満ちあふれており、この老いぼれにとっては明日の朝日より眩しいもんじゃて・・・・・・。どれ、そろそろ鍋が頃合いじゃな。こんな山奥でも美味い山菜やキノコやジビエにはありつけるから、タロウくんの口に合えば良いのじゃが」
囲炉裏端の口喧嘩する若者たちを春の日差しより優しい温かさで見守る最長老様が、自家製味噌と果実酒で煮込んだ山菜鍋を、木のお椀によそってタロウに手渡す。この優しさをハナ先生も是非、見習ってほしいとタロウは「どもっす」とお椀を慎重に受け取りながら思った。
「ほれ、ハナちゃん。お前さんもたまにはこういった田舎料理を食べて、魔術や占い以外も勉強しなされ。お前さんもいずれは好いた男の子の一人でもできれば、手料理を振る舞う日が来るもんじゃろからの」
そうだ!そうだ!偉いぞ最長老様!もっとこのヒステリー圧力鍋ハナちゃんに人間の優しさ淑女の心とか教えてやってください!
タロウは登山で疲れた体に優しい、喉の奥から胃袋に染みる熱い山菜鍋の煮汁をすすりながら頭の中で喝采を送った。
あ、俺の好きなマイタケも入ってる。
普段は口うるさいハナ先生も、最長老様の前では可愛いひ孫同然ハナちゃんなのだ。
「あ!申し訳ありません最長老様!私の分は自分でよそいますから!それとハナちゃんはやめてください!」
敬愛する偉大な最長老様がお椀をもう一つ用意して、オタマでキノコ山菜たっぷりの鍋の中身を掬おうとするのを、慌てて立ち上がって止めようとするハナ先生。
「ああ、ハナちゃんハナちゃん、お前さんも今宵はお客様じゃ。座って待っておれ。ああ、肉はあまり好きじゃなかったかの?」
「は、はい、好き嫌い言ってすみません最長老様!お言葉に甘えさせていただきます!」
ハナ先生お肉苦手なんだ?と意外な個人情報をゲットしたタロウさん。
両手でお椀を受け取りすっかり借りてきた猫より大人しく座り直すハナちゃん。
タロウが気安く「ハナちゃん好き嫌いは駄目だぞ~?」と意地悪く言うと、ハナ先生から熊をも射殺すような殺気に満ちた眼光でメンチを切られた。ひょっとしてファイヤーボールは要らないんじゃね?とタロウは思った。
「すみません、ハナ先生調子ぶっこき申し訳ありません!」
へへ~!っと白砂のお代官様の裁きの前に平たくなる庶民のようなタロウを睥睨するハナ先生から「次、私をハナちゃんてからかったら殺す」と宣告されてしまう。
「まあまあ、ハナちゃんや。料理が冷めてしまっては勿体ない。お主もカッカッせず、大人しくしておれ。どれ、儂もいただくとしますかな?」
仲裁する気もそぞろに自分のお椀の中身をすすりはじめた最長老様が「おう、美味くできたようじゃ」と満足げに頷いた。
タロウもようやくまともな食事にありつけて、ハナ先生を怒らせるワードが増えたものの、心なし落ち着けた。ただし、肛門は緊張したままだった。
「はあ~、美味い!最長老様は料理もお得意なんですねぇ!」
空腹が調味料じゃなくとも、お世辞抜きで最長老様お手製山菜キノコ鍋は、コンビニ弁当と比べるべくもなく、とにかくタロウがうなる美味しさだった。
「ふぉっふぉっふぉ。独り暮らしも長いといろいろ特技が増えるもんじゃて」
しわくちゃの顔を更にしわくちゃにして微笑む最長老様が、魔術師たちに崇められている理由を知った気がしたタロウだった。