空想短編小説 鉄を使った縄文人
青森県三内丸山の集落は、縄文時代前期中ごろから中期末ころに繁栄したとされている。今から約一万年前の時代であろうか。
この縄文集落には大規模な集会場や六本柱の櫓のようなものなど大型の建造物
がある。これらの建造物は、本当に打製石器や磨製石器のみで作られたのであろうか。この遺跡群を見るにつけ、その疑問がふつふつと湧いてくるのである。
この物語は、今まで学んできた歴史ではあり得ない縄文人が鉄の道具を使っていたのではないかという仮説に基づくものである。
はじめに
私は今、青森の三内丸山遺跡に佇んでいる。
ここは八甲田山から続く緩やかな丘陵の端、沖館川の右岸の河岸段丘に位置し、広大な集落跡には竪穴住居、墓、貝塚、高床式貯蔵蔵、大型掘立柱や道路などの遺跡群が整然と配置されている。
三内丸山の縄文集落は、縄文時代前期中ごろから中期末ころに繁栄したと言われている。
ここの集落には大規模な集会場や六本柱の櫓のようなものなど大型の建造物があるが、これらは打製や磨製石器などで作られたのであろうか。
この物語は、私たちがこれまで学んできた歴史では到底考えられない縄文人が鉄の道具を使っていたという仮説に基づくものである。
序章
遺跡の案内ボランティアは、「この集落の周辺にあった墓は子供の墓です。子供が遠くに埋葬されているのはかわいそうだとして、皆がいる住居の近くに葬ったのではないかと思われます。ここの土壌の関係から骨などは残っていませんが、小さな土器の甕に人の油分が残っていたことから、それが子供の墓だと分かったのです」と説明した。
その甕の一つに小指程度の赤錆びた鉄の欠片が発見された。
第一章
今から約2〜3万年ほど前、日本列島はユーラシア大陸と地続きであった。また、約1万1600年前までは地球は氷期であったと言われている。
約1万3000年前の縄文時代早々期は日本列島は雪や氷に被われ、ナウマン象が闊歩する時代であった。
おそらく縄文人の祖先は、2万年以上前に獲物を求めて今のカラフト半島などから流入してきたと思われる。
1万1600年前ころには氷期が終わり間氷期に入る。
間氷期に入ると温暖な気候により極地の氷山や高地の氷河は溶け出し、海面は上昇し低地はほぼ海面に没した。
日本列島に入ってきた縄文人の祖先は、日本列島のいたるところに流入した。
本州最北端に進出した縄文人の祖先は、縄文時代前期中ごろに丘陵地で小動物やクリなどの果実が豊富な森林があり、魚や貝類なども豊富に採れる海もすぐ近くにある青森の三内丸山に多くの人々が住み着き大きな集落を築いたと見られる。
三内丸山の集落は、その後約1000年続いたが、その間、住人は生活に利用するための土器や石器などや祭祀儀礼に使ったであろう板状の土偶なども作った。
また、日本列島の各地の集落や大陸との交流もあったようで、ここの地域にはない黒曜石、琥珀、漆器、翡翠製の大珠なども使っていたようである。
第二章
この集落では、代々古老が首長となっていた。
最初に首長となった古老は「この集落では問題が発生した場合には、みんなで話し合いをして決めることにしよう」と語った。
当時、三内丸山の大集落には数百人の住人が暮らしていた。集落の住人のうち30人が集会の場に集まった。
年少者から10人、働き盛りの者から10人、高齢者から10人の30人で、男女の割合は半々であった。
住人の話し合いの場として、集落の中心部に大きな集会の場を作り、その集会場の奥には神々や祖先を祭る祭壇を設けた。
そこにおいて最初の集会が開かれた。食べ物のカスなどをどこに捨てるか、食糧をどのように保存するか、死者の墓をどこにするかなど集落のルールが話合われた。
これらのルールは、話し合いで決められたとおりに実行された。それらは、現在発掘されている貝塚や蔵の跡、埋葬された甕などの遺跡で判明する。
第三章
当時、この集落が位置する三内丸山は温暖な気候で, 食べ物には事欠かなかったが、数年に一回の割で寒冷になり、その年は食べ物がほとんど採れず、多くの人々が餓死した。
そこで、集落の住人の代表者は集会の場に集まった。
「小動物の狩りや魚介類の採集をもっと効率良くやる方法はないのか」と働き盛りの者の男が語った。
高齢者の男から「狩りや採集できる場所をもっと広げる必要があるのでは・・・」
「小動物が移動するけもの道のいたる所に罠をしかけたら、狩りの場を広げる必要はないのでは・・・。魚介類の採集を高めるには丸木舟をもっと作ればいいでしょう」と働き盛りの者の男は反論した。
「肉や魚介類などは採れたとしても、果実や植物などの食べ物も増やすべきてないのかな」と高齢者の女が言った。
「クリやクルミ、シイなどの果実は森の中から拾うのではなく、集落の周りにその樹木を植え、えごま、ひょうたん、ごぼう、豆などの植物や野菜は栽培すれば楽に採集できるでしょう」と働き盛りの者の女が言った。
これらの意見を踏まえて、住人らはそれぞれにできることをした。
高齢者と働き盛りの者の女は年少者とともに、集落の周辺にクリなどの樹木の苗を植えた。また、集落の空いている場所に植物類の畑を作った。
働き盛りの者の男たちは二手に分かれ、一方は森の中のけもの道に罠を仕掛けた。他の者たちは、森の大きな樹を伐採し、丸木舟を作ることにしたがなかなか捗らなかった。
そこで集会が開かれた。
「森から太い丸太を集落近くまで運ぶことができない。何か良い方法はないだろうか」と働き盛りの者の一人が言った。
高齢者の一人が「集落の一番近くにある大きな樹から伐採し、根っこを掘り出し道を作り、奥へ、奥へと切り開いて行くしかないだろう」と一つの案を語った。
この高齢者の案に、それぞれの参加者がいろいろな意見を出したが、結局は「やらざるを得ない」ということになった。
三か月ほどが経ち、集落の周囲には果実の林や畑が完成した。また、けもの道の罠もいたる所に設けられ、シカやイノシシ、小動物のノウサギ、ムササビなどがかなり採れるようになった。
温暖な気候により、クリなどの樹木は幹の周囲が2メートルにも及ぶ大木となっており、これを打製や磨製石器で伐採し、木の鍬などで根っこを取り除くのに一苦労していた。
そこで、また集会が開かれた。
「たくさんの人で伐採などをやっているが、なかなか捗らない」と伐採に従事している働き盛りの者の男が嘆いた。
「打製や磨製石器、木の鍬ではすぐに壊れてしまう」と他の働き盛りの者の男が言った。
古老が「他の集落との交流で得られた、うがった面が鋭く尖る黒曜石を使った斧や刃先を鋭く尖らせた斧などがあるので、それを使った方が良いだろう」と語った。そして、古老は「ところで、」と話を続けた。
「ある男が若いころ丸木舟で遠洋に出て魚を採ろうとしていたところ、嵐に襲われ漂流し、ある集落の住人の舟に助けられ、その住人の集落に連れて行かれ、数年間そこで過ごした。その集落の住人は他の集落や大陸との交流があったようで、大陸からは黒光りする石で作られた固くて鋭い斧や鍬などの道具も手に入れたようである」
(注) 製鉄は、最近の発見によると今から約4500年ほど前のヒッタイト文明がその起源と言われており、日本列島では弥生時代に九州北部において大陸・朝鮮半島から流入した鉄の原料からたたら製鉄を行っていたのが最初であるとされている。
第四章
その男は、その集落に来た当初から「ここから北の方へ7日ほど歩くと海に近い丘の上に大集落がある」とそこの住人から聞かされており、その大集落こそ自分が住んでいたところだと思っていた。
数年後のある晴れた日、その男は住人から送られた黒光りする石でできた斧と鍬を一本づつ携え、三内丸山に戻ることにし、皆に別れを告げ北の方へ歩き出した。
湿地帯や大木に覆われた山を幾度も越え、時には狼や熊に襲われたが、持ってきた斧で格闘した。また、命からがら逃げたこともあったが、ようやく海が見える山まで辿り着いた。彼は、熊との格闘で左脚に大きな傷を負っていた。
ようやくその山の頂上に登り、辺りを見回した。
遠くに海が見え、その傍の丘に大きな集落が見えた。
その男は「やっと戻っ来た」と涙を流した。
三内丸山の集落の入り口に辿り着いた。
集落の年少者のガキ大将がその男を見て「お前は誰だ。見たことがない」と警戒した。
そこに高齢者の男が現れ「見たことのある顔だ。お前は誰だ」と告げた。
その男は「私はタルといいます。クリの実が4回実る前に、魚を採るためここから丸木舟で沖合に出たが、嵐に合い遠くに流されてしまい、ほかの集落の人に助けられた。そこで過ごしてきたが、この集落が忘れられず戻ってきたのです」と答えた。
「タルか。覚えているよ」と先ほどの高齢者の男が思い出した。「脚に傷を負っているようだが大丈夫か」とこの男が集落の住人であることを知ったガキ大将がタルの手を引き、ゆっくりと集会場まで案内した。
タルを囲んだ住人は「あなたが持ってきたものは何なの」と質問した。
「私を助けてくれた集落の人々はいろいろな集落や大陸との交流があったようで、見たことのない首飾りや耳飾り、腕輪などをしていた。また、変わった文様の土器もあった。もっとも驚いたのは木の柄の先に石ではない黒光りする固いものを取り付けた斧や鍬を使って簡単に樹を伐採したり、根っ子を掘り出していた」と話し、持ってきたものを指し示し「それが斧や鍬です」と興奮気味に語った。
一月ほど経過したが、タルの病状は回復せず死んでしまった。住人は、タルの葬儀を盛大に行った。
葬儀の際、古老は「タルを忘れないため、彼が残してくれた斧や鍬をこの集落の宝物として集会場の祭壇に祭ることにしょう」と宣言した。
第五章
数年経ち、住人は黒曜石の打製石器や磨製石器、木の鍬で樹の伐採や道の開削を行ってきたがなかなか捗らなかった。そこで、働き盛りの者で伐採に携わっていた男は、祭壇に祭ってあった斧と鍬を使えば少しでも捗るのではないかと考え、集会で了承を得た。
しかし、その斧や鍬は何年も祭られていたので錆びてしまっていた。
働き盛りの者の男は磨製石器と水を使って、錆を削ぎ落とし使えるようにしたが、「この斧と鍬一本だけでは足らないよ」と不満げに漏らした。
「まずはこの斧や鍬を使ってみて捗るようだったら、この斧と鍬を持っている集落に行き、ここの物品と交換することを考えよう」と古老は言った。
働き盛りの者の男で伐採や道の開削に従事している者たちは、打製や磨製石器の斧や鍬に加えてこの斧と鍬を使って伐採作業などを行った。一本ずつでもこの斧や鍬を使うと作業が捗り、楽に行うことができた。
集会が開かれた。
働き盛りの者の男が「やはりタルが持ってきた斧と鍬は素晴らしい。たくさんあればもっと捗るのではないか」と口火を切った。
「タルが助けられた集落からこの斧と鍬を交換できればと思うが・・・」と古老が口ごもり語った。男が「その集落にはどうやっていくのか」と詰問した。
「タルはここから南へ約7日くらいの海岸の近くと言っていたが、詳しくは分らない」と古老。
男は言った。「タルは丸木舟で嵐に合って流されたということだから、舟で海岸のヘリ伝いに行けば辿り着けるのではないだろうか?」
年少者グループのガキ大将が「数隻の丸太舟で行けば、一艘くらいは辿り着くのではないか。僕も是非とも参加したい」と興奮気味に言った。
第六章
働き盛りの者の男から三人、年少者から三人が選ばれた。
働き盛りの男の三人は、熊のようにがっちりした体のクマ、背のひょろっとしたクリ、そして積極的に意見を述べていた働き盛りの者のリーダーのクンガであった。
年少者の三人は、この計画の発案者であるガキ大将のクロとその子分のウサギのようにチョコマカとしたウサといつも腹ペコのハラであった。ちなみに年齢はクンガ、クマ、クリは20 代半ば、年少者のクロ、ウサ、ハラは16歳前後の血気盛んな男たちであった。
海岸べりには三隻の丸木舟が並べられていた。
クンガとクロ、クマとウサ、クリとハラがそれぞれの舟に乗り込み、他の住人が物々交換の果実や土器、板土偶などのその集落で作られた物を積みこんだ。
その日は青空が高く空気が澄んだ秋の日であった。住人らに見送られて、三隻の丸木舟は沖めがけて漕ぎ出した。
三隻は寄り添いながら、津軽半島伝いに半日ほど、北上した。ここまでは湾内で波も穏やかであった。
クンガがクロに「腕がきつくないかい」と尋ねた。
クロは「まだ大丈夫だよ。クリとハラの舟が少し遅れているね」
クンガは、クリの舟に「大丈夫かい。もう少しゆっくり進もうか」
クリは答えた。「私は大丈夫だよ。ハラが少しくたびれているみたい」
ハラは「腹ペコになったので、力が出ないんたよ」と言い訳をした。
「それじゃ、ここらへんで釣りをしょう」とクンガ、みんなが「そうしよう」と言い、それぞれに持ってきた小さな竿に動物の骨で作った釣り針に木の実をつけ、海に垂らした。
クマとウサの舟が最初に30センチくらいの鯖に似た魚を釣りあげたのを皮切りに、30分もかからずに10匹を釣り上げた。
「どこで食べるの」とハラ。
「近くの海岸に舟を上げ、そこで魚を火であぶることにしよう」とクンガ。
砂浜のある海岸に辿り着き、皆で舟を引き上げ、すこし大きめの石がある場所で石を組み、木と木をこすりつけ火を起こした。
クロ、ウサ、ハラの三人は、近くの山から細い木の枝を探し出し、魚をその枝に刺して、火の周りに並べた。しばらくすると、良い匂いが漂ってきた。
ハラの腹がグーとなった。「もう食べてもいいよね」
皆も腹が空いてきたようで、思い思いに火の周りに座った。
クマは、土器に入ったドブロクを小さな土器に移し、皆に配り「さぁ、乾杯しょう」と土器を掲げた。皆も出航初日でここまで無事に来たことを祝し乾杯し、焼けた魚を貪った。
「黒光りする固い斧や鍬は手に入るのかなぁ」とクロ。「タルが持って来たのだから絶対あるよ」とウサが答えた。
「腹も満杯になった。また明日頑張ろう」とクンガが言い、皆も思い思いの場所で眠りについた。
翌朝、皆、日の出と同時に目覚め丸木舟に乗り込み二日目の航海に出発した。昼過ぎまでは穏やかな天気で航行も順調で、津軽半島の西側まで進んだ。
午後に入って西の方から突然黒雲が湧き、風も吹きだした。「これは荒れるぞ。岸に上がろう」とクンガ。
三隻とも必死に櫓を漕ぎ、岸に辿り着こうともがいたが、強風によって沖合に流されるばかりであった。
突然、三隻の300メートルほど先の海面上に渦ができた。竜巻である。三隻の丸木舟は竜巻に飲み込まれた。
第七章
翌日、穏やかな海上に二隻の丸木舟があった。
クンガとクロの舟とクマとウサの舟である。
「クリとハラはどこだ」と目覚めたクロが叫んだ。
「どこにもいない。竜巻にやられたんだな」とクマ。
クリとハラがいなくなったことに皆落胆し、涙を流し沈黙した。
数時間ほど経って「遠くに岸が見える。あそこまで行こう」とクマが大声を上げた。必死に櫓を漕ぎ、ようやく海岸に辿り着き浜辺に上陸した。
浜辺の先には小さな川が流れ海に注いでいた。その先には、穂の先に小さな種子が一杯実っている植物が整然と並んでいた。
クンガは「この草は見たことがない。整然と並んでいるのは人の手によるものだろう」と語った。
その近くに集落があった。十数軒の竪穴式住居や高床式の蔵などが並んでおり、女性らが水場で土器や食ベ物を洗っていた。そのそばでは数人の子供たちが犬と戯れていた。
四人は、草むらに隠れて人々の様子を窺った。
「ここの人たちの顔は我々と違っているし、言葉も分らない。あの器は我々のものとは違い、薄くて模様もないよ」とクマが言った。
「男が土を耕しているが、あの鍬の先は黒光りしている。あれだ」とクロが叫んだ。
叫び声に気付いた住人らは、黒光りする斧や鍬、小刀をかざして声がした方へにじり寄ってて来た。四人は見つけられ、集落の広場に連れ出された。
集落の男は「お前たちは何者だ」と脅すように言った。
クンガは、言葉は分らなかったが、何を聞こうとしているのかおぼろげながら分かったので、身振り手振りで、これまでのことと黒光りする固い斧と鍬が必要であることを説明した。
「あなたたちが話していることは何となく分かった。何を持ってきたのか」と集落の男。
「クリやクルミなどの果実、土器、板土偶、耳飾りや腕輪などの装飾品などがある」とクロが答え、舟の底にかろうじて残っていたその物を示し「黒光りする固い斧や鍬をそれぞれ10本ずつ分けて欲しい」と哀願した。
住人たちは「この土器は厚くで模様や形が変わっているね。土偶も板状になっている。装飾品は良いね」と言い、この集落にはない珍しい物ばかりなので、交換することにした。
集落の男は「私たちは、西の方からやって来た種族から石から鉄の作り方を教わったので必要な数は作れるので、10本くらいなら分けてあげよう。しかし、鉄の作り方は教えることはできない」と告げた。
クンガたちは、数日間この集落に世話になり、その間鉄の作り方をこっそり観察することができた。
集落の男たちは、粘土で小さな炉を作り、そこに木で作った炭を燃やして、ふいごで炉に空気を送り込み、その炉に鉄となる石をくべて溶かしたものを取り出し、それを叩くと固い鉄ができる。さらにそれを炉に入れ再び取り出し、更に叩いて先を尖らせ斧や鍬などの形に整え、水に浸す。これを何度となく繰り返して作っていた。
クンガたちは、ここの住人に自分らの集落のことを尋ねたところ「この集落から舟で三日で行ける集落は聞いたことがない」ということであった。
クンガたちが途方に暮れていたところ、「我々は、舟で七日間かけてあなたたちと同じ種族ではないかとと思われる別の集落に行き、そこの人たちと交易したことがある。また行く予定があるので、その際には一緒に行こう」と集落の男が言った。「それはありがたい。是非ともお願いしたい」とクンガたちは笑みを一杯にして頷いた。
第八章
三日ほど経ち出航する準備が整った。
クンガたちの丸木舟より大きな三人が乗れる舟が五隻が浜辺に並んでいた。クンガたち四人もそれぞれの舟に乗り込んだ。五隻の丸木舟は浜辺からゆっくりと旅立った。
沖合に出ると風が吹き海面が波しぶきとなったが、荒れることなく七日が過ぎ、遠くに陸地が見えた。
浜辺に到着し、交易品を担ぎ近くの集落まで歩いた。
クンガたちは、その集落の人々の話す言葉を聞き、顔を見て「我々と同じだ」と故郷へ帰って来たという感じで懐かしんだ。
クンガたちに「あなたかたは、どこから来たの」と住人らが不思議そうに尋ねた。
クンガたちは、これまでの経緯を説明した。
「あなたたちの集落は、ここから歩くと七日、舟だと三日かかる北の方にある」と住人らが語った。
二日後、大陸の男たちは、ここで交換した品を舟に積み入れ大陸の方へ出航した。クンガたちは、「ありがとう。この恩は決して忘れないよ」と手を振って。親切な大陸の人たちに頭を下げ感謝の気持ちを伝え、航海の無事を祈った。
その後、クンガたちは、どうやって帰るかの話し合いをした。
クマは「舟だと三日で帰れるのだったら、舟にしよう」
ウサも「舟がいい」
クロは「舟は早く着けるけど、嵐に合うと大変だよ」
クンガは「それでは二手に分かれて帰ろう」と言った。
舟派はクマとウサ、陸派はクンガ、クロで、それぞれに準備を進めた。
クマとウサは、大陸で交換した物をここの住人に渡し丸木舟と交換した。鉄になる石や黒光りする斧や鍬五本ずつとその他の物を舟に積み込んだ。
クンガとクロは、残った鉄になる石と黒光りする斧や鍬五本などをそれぞれに分配しそれらを背負った。
舟派と陸派とも準備が整ったので「故郷で会おう」と互いに激励し、海上と山の道に別れた。
クンガとクロは、山道を歩きながら「この道はタルが辿った道かも知れない」と感慨深げに語り、クロも頷いた。
「ここら辺は熊や狼などがいるので気をつけよう。斧を一本手に持とう」とクンガが言い、それぞれに斧を手に持ち歩きを進めた。
一方、クマとウサは、心地よい風に頬を打たれながら「クンガとクロは大丈夫かな」と陸行した二人を案じた。
その日の夕方から雨風になり、どんどん荒れて来たので、舟を近くの浜に揚げようとしたが、暗礁に乗り上げてしまい、クマとウサは海に投げ出された。
岸に打ち付けられた二人は、風雨が治まった夜明けころに息を吹き返した。
クマはウサに「大丈夫かい」、ウサは「岩に足をぶつけてしまい、足が動かない」
クマはウサを抱き抱えながら「舟や斧や鍬なども海に持っていかれて何にもない。これからどうしょう」と悲嘆にくれながら林の方へ向かった。
クンガとクロは手に斧を持ちながら、草を掻き分け山を登っていた。
「昨日は夕方から風雨が強かったみたいだけどクマとウサは大丈夫かな」とクロが独り言をつぶやいた。
クンガは「あの二人は大丈夫だよ。明日には我々の集落に着いて歓迎の宴に酔いしれているだろう」とクロを元気づけた。
クマは、足を引きづっているウサを抱えながら小川が流れている森の近くにある原に腰を降ろし、ウサを寝かせた。「ここで野宿しよう。まずは火を起こし、食糧を調達してこよう。ここで待っていろ」とウサに告げて、森の深くまで進んだ。
小一時間経ったころ、クマがノウサギを抱え戻ってきた。
ノウサギを火であぶり腹ごしらえをした後、クマは森から持ってきた草をウサの傷に張り付け、「これを貼っていれば傷は良くなるよ」と元気つけた。
「火を燃やしていれば、熊や狼などは来ないよ、絶対に火を消さないように」と言い残し、その次の日も森の奥深くに立ち入った。
遠くでガサッと音がした。クマは身構えた。
二人の男が斧で草むらを払いながら進んでいるのが見えた。
「えっ、あの二人はクンガとクロではないか」と驚きの声を上げた。
その声を聞いたクロは「クマではないか」と叫んだ。
クンガとクロはクマに近づき肩を抱き寄せ、再会を喜んだ。
「ウサはどこだい」とクロが言った。
クマはウサの状況を説明し、「今は海岸から少し離れた森の原にいるよ」と告げ、三人はウサのいる原に戻ったが、火は消えておりウサの姿もなかった。
周辺の樹には熊がつけたとみられる爪跡があり、焚火の切れ端が散乱しており、血が森の奥深くまで続いていた。
三人は事態を飲み込み、身構えた。
惨劇から数時間経っていたようで熊が再度戻ることはないと思われたが、一刻も早くこの場所を離れることにした。
クンガ、クマ、クロの三人は、海岸淵まで着いた。
そこで、三人はウサの弔いをした。
「六人で出発したのに、今や三人二なってしまった。何としてでも鉄の斧や鍬を集落に持っていきたい。それが残された我々の使命だ」とクンガが宣言した。
弔いが終わった後、海岸を見ていたクマが「あの浜に我々が乗って来た丸木舟がある」と叫んだ。
近寄ってみると舟は傷んでいなかったが、櫓と鉄になる石や鉄の斧や鍬などはなかった。
「この舟を使って我々の集落へ戻ることにしよう」とクンガ。
「嵐に合えば元の木阿弥だよ」とクロ。
「航行は天気の良い昼前だけにすれば゜大丈夫だよ」とクロ。
第九章
三日後には櫓も作り終え、食糧も調達できたので、明朝に出航することにした。
その日の朝は海もないでおり、またとない出航日よりであった。
三人は丸木舟に乗り込み、航海の安全を祈り漕ぎ出した。
三時間ほど経過したころ半島の突端まで来た。
半島を超え、クンガたちは舟の舳先を南に向けた。
「湾内に入ったので.海面も穏やかになった。この調子だと昼過ぎでも航行は大丈夫だろう」とクンガが言った。
その言葉を聞いた二人は更に一生懸命櫓を漕いだ。
太陽が海の彼方に沈むころ、遠くにボーッとした明かりを見ることができた。
その明かりは、故郷の集落に建てられた六本柱の大型櫓の三層の上層に掲げられた灯であった。
クンガたちは、その明かりを目指して櫓を漕ぎ続けだ。
やっと集落の浜に到着した。
クンガ、クマ、クロは互いに抱き合いながら、歓喜にむせび泣いた。
丸木舟の周りには住人が取り巻き、喜びに湧いた。
その夜は、仲間が帰って来たことを喜び、酒を飲み交わしつつ輪になって踊った。
明け方までクンガたちは、旅の様子ととクリ、ハラとウサの死を涙ながらに語った。住人らは、その話を食い入るように聞き、三人の死を悼み涙した。
第十章
翌日、クンガたちと住人らは集会場に集まり、持ってきた五本ずつの鉄の斧と鍬と鉄になる石を披露した。
働き盛りの者の男の一人が「この鉄の斧と鍬があれば樹の伐採や道の開削は捗るでしょう。感謝します」と告げた。
高齢者の男は「鉄になる石を鉄にする技は教えられたのかい」と質した。
クンガは「教わることはできなかったが、作り方は盗み見てきたので、何とかやってみようと思っている」と自信なげに答えた。
クンガたちは、盗み見てきた鉄の作り方をやってみた。
まずは、石を積み上げ炉を作り、枯れ木をくべた。
次に、火を勢いよくして高温にするため、中空にした熊笹を使って一生懸命火に息を吹きかけた。そして、持ってきた石を炉に入れ、更に熊笹で息を吹きかけた。
なかなか石は溶けない。更に息を吹きかけたが溶けない。
クロは「おかしいな。向こうで見たとおりにやったんだけど石は溶けない」と落胆した。
「炉も燃やす物も熊笹のふいごも向こうの物とは違うので石は溶けないんだ」とクマもがっかりした。
「向こうの物と同じような炉や木炭、ふいごを作る必要があるが、我々の腕ではこれらの物は作れない」とクンガは悔し気に呟いた。
クンガたちは、集落の皆に鉄を作ることができないことを平謝り「何年かかるか分からないけど鉄が作れる道具や物を作りたい」と語った。また、「我々は鉄の斧や鍬を五本ずつ持ってきたので、タルの斧、鍬と合わせて六本で伐採などをしよう。少しでも仕事が捗るのではないだろうか」と付け加えた。
このようにして三内丸山の集落では、打製や磨製石器、木の鍬に加えて六本の鉄の斧と鍬を使って樹の伐採と幅が広い道を作った。
海岸べりの広場には丸太が数本並び、男がその丸太に乗って摩耗石器や鉄の斧などで中心部を刳り抜いていた。横には完成した丸木舟が数隻並んでいた。そこでは、男が網を作ったり、動物の骨で釣り針を作って漁の準備をしていた。
第十一章
クンガ、クマ、クロは、その後鉄を作ることはできたのだろうか。
彼らは、何度も何度もいろいろな形の炉を作ったり、燃える木々を吟味したり、あらゆる種類のふいごを作ったりしたが、鉄を溶かすことはできなかった。
そのうちクンガとクマが老衰で死んだ。
残されたクロは一人だけで鉄作りに励んだ。それをずっと見ていた働き盛りの者の女ヒカはクロの作業を手伝うようになった。何年か経ちクロとヒカは結婚し、五人の子ができた。
その後も、クロとヒカは集落の仕事を終えた後、鉄を作るための道具を作ったが、依然として鉄を作ることはできなかった。
クロも数年後に死んでしまった。
タルと彼らが持ってきた鉄の斧、鍬は、大木の伐採や道の開削などに連日使われ、毎日研がれたため、鉄斧、鉄鍬は小さくなり道具としては役立たなくなってしまった。
集落の住人は、この鉄の欠片を元々作られた大陸に返そうと考え、感謝しつつ遠洋の海に沈めた。
数日後、クロとヒカの末の子が栄養失調で死んだ。
ヒカは集落の古老に、海に沈める予定の鉄斧の欠片一片をクロの形見として譲り受けていた。この欠片を末の子の棺の甕に一緒に入れた。
その集落では、次第次第に鉄は忘れ去られてしまった。
終章
縄文人が三内丸山に定着し大集落を築いてから数百年が経過した。この集落の人口は五百人に達し、当時の縄文集落としては日本列島最大となった。
このころの地球は間氷期中の小氷期であり、寒冷化も進み年間平均気温も下がり、海面は徐々に低下していった。
三内丸山の集落付近の海面も気温も低下し、食糧の収穫も減少しつつあった。
このころ、稲作を行っていた大陸の種族が土地を求めて日本列島の南の方から陸伝いに、あるいは海上から進出してきた。
当初は、稲作を行っている集落民との交流の過程で、三内丸山の集落でも徐々に稲作を行うようになっていた。しかし、この地域でも寒冷化が進み、海も次第に遠ざかり、樹木もクリなどの落葉樹から針葉樹に徐々に変わってきた。また、集落が大きくなり過ぎ、小動物や魚介類の食糧も不足気味となってきていた。このような状況から、三内丸山の集落では、稲作りは進展せず、次第次第に住人は三内丸山の集落を離れるようになった。
縄文の時代では鉄を作る技術はまだ持っていなかった。
その技術は、三内丸山の集落が廃れた縄文時代の末期あるいは弥生時代に大陸や朝鮮半島から流入してきた種族が持ち込むまで待つことになる。
しかし、この三内丸山の集落では、クンガたちが持ってきた鉄の斧や鍬を使っていたのである。
クンガたちは嵐に巻き込まれ、はるか彼方の大陸へ流され、未だ発見されていない当時先進的な集落に辿り着いたたのではないかと思われる。あるいは、もしかするとクンガたちは嵐に合い未来の大陸の集落に時空移動したのではないだろうか・・・?。
日本列島で鉄の道具を作る技術は三内丸山の集落が廃れた縄文時代末期あるいは弥生時代に大陸や朝鮮半島から流入してきた種族が持ち込んだものとされている。
しかしこの物語は、三内丸山の縄文集落の住人たちは苦労して手に入れた鉄の斧や鍬を使って伐採や道の開削を行い、集落の発展に寄与した。鉄を作る術は持てなかったものの、鉄の道具を使っていたのである。
この時代の縄文人が鉄を使っていたということは、鉄を使った時代は現在知られている時代よりもっと前の時代であったのかも知れない。あるいは、クンガらは嵐に合い時空を超えて未来の世界に行ったのかも知れない。
これは読者の判断にお任せすることにしたい。
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