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97.酒乱迷走

 ボスティス侯爵別邸にてイルガゲート王太子殿下、ブルースター公爵との情報を交わした翌日の夕方、公爵からの御呼びに応えたルガートは案内してくれる執事の後ろに続き内心は僅かな緊張を滲ませていた。

 理由は二つ。

 呼び出しの理由のとして先日、話を逸らす為だったろうが割りと放ったらかしにしていたフレインの婚約者としての是非。

 公爵家側から正式な対面も書面も明確にされてはいない今、ラインハルトの答えが表れるかどうか。

 次に情報交換の際に見せた自身の動揺について。

 先代国王陛下、ガレゾフィートの逝去は少なからず、ルガートに衝撃を与えていた。

 この国は先代国王が崩御なされた時点で次期国王が即位される。

 頭では分かっていた。


(ガレッソは、先代国王の訃報を聞いただけなのか)

「旦那様、ボスティス様をお連れいたしました」

「通せ」


 丁寧なノック音に一度思考を区切り、ドアを開いて会釈する執事にお礼を伝え、中へと足を踏み入れる。

 葉巻の香りが程よく充満し、通されたのは公爵家別邸の談話室だった。

 ここは初めて入ると、オーバル型の間取りに柔らかく明るいグリーンを基調とした談話室の暖炉前、対面型の二人がけのソファーの片側に座って背を向ける公爵の姿が見える。

 足を進めようと踏み出したドアを入ってすぐ側に、サービスワゴンとメイドが控えていた。

 上段にクローシュが三つ、中段には以前試作で飲ませてくれたウイスキーに似た酒、チェイサーだろうディキャンターで五つ置かれ、他多数の酒。

 更にその下段に置かれていたのは、既に空の酒瓶……思わず鳩尾辺りを手で支える。

 酒を飲むのは構わないのだが、この量は少々いただけない。


「……閣下?」


 恐る恐る、近づく前に声をかけた。

 下段の酒瓶の数は、出来上がっておかしくない量なのだが。


「座りなさい」


 案外と冷静な声に少しホッとする。

 メイドから中段の酒とディキャンターを無言だが丁寧に差し出され、対面のソファーへ向かう。


「まず飲め。以前教えてくれた方法を試して寝かせたが、味の変化はまだ無くてな」

「年数的に浅いですから。この手の熟成期間は十二年からと聞いたことがありますし」

「魔法でなんとかならんのか」

「無茶いいおる。経時って意味での熟成期間(エイジング)なんですけど、魔法でとなると時間を操るなんてのはヘイストとスロウとかか。……物は試しにやってみます?」


 差し出されたグラスを受け取り、チェイサー用のグラスに水を注ぐ。

 琥珀色の液体にヘイストを施してから飲んでもらうも、大した変化はなかった。

 色味は元々なので、自然に熟成させるともしかしたらより濃いキャラメル色になるのかも知れない。


「ホットアイマスクの魔法を応用させてみたらどうだ」

「そうなると……」


 しばし考えている間に酒を注がれていた。

 喉を通ると雑味が目立つが口当たりはドライだが後味はまだ軽やか。

 最後に抜けるフルーティーな香りが特徴的だが、甘さがないだけこの滑らかさがつい先に進む一手となり悪酔必須だなと口を噤む。

 固定魔法でと言っていたが、その前に、効果がないとは分かっていたが、試してみたかった言葉。


「エンジェルスシェア」


 途端、淡くて丸くふんわりした光がグラスを包み、ぴちょんと最後に可愛らしい音が跳ねて光が去ると、二人で仰天と目を見開いた。

 見合わせた胡乱な目にルガートも即座に素早く手を挙げる。


「ルガート」

「不可抗力」

「抜かせこの小僧。またやらかしおって」

「まさか成功すると思わないでしょうに」

「随分とロマンチックな詞だったが?」

「この手の逸話をまんま言っただけだっつの」


 グラスを押しつけダメ元で成功してしまった魔法を自身の酒にも施すと、似た光と音が現れ、軽やかに去った。

 色味は変わらなかった酒を同時に飲み込むと、驚きが勝り更に同時に俯き、ただただ長いこと沈黙する。


「う……っま」

「なんと……これは……熟成期間など待てないではないか」

「失敗……いや成功だけど……閣下これ急いで魔士に教えてあげてください。余韻が……うっま」


 語彙力が消えた。


「お前はまだ繕うのが下手だな」

「また唐突ー」


 いきなり真面目な顔に戻って反応が遅れてしまう。

 あまりの美味しさに言葉も出さずにひと瓶丸々空けてしまった今の今まで酒一直線だったろ。


「妙なところで老成しておるが、顔に出やすいのは鍛えておけ。殿下はマーソラール様の所在を認知しておらん」


 そんなに分かりやすいのかと顔を擦り深く頷く。

 各所でそこそこ指摘されているので、もう少し引き締めておくかと今は頭の隅に追いやった。


「あの方は強い。誓約魔法はあっても、精神的自由はある。悲しみの深さは他者と共有は測れんものだからな。気遣ってやれる優しさと憐む同情はまた違う。履き違えんことだ」

「……はい」

「お前は身内にとことん甘い。いつか足下を掬われかねんぞ」

「肝に銘じます。ありがとうございます、閣下」


 話の区切りに違う酒に変え、メイドがサービスワゴンのクローシュの中身をテーブルに持ってくると、ただの飲み会の雰囲気に切り替わった気がした。

 フレインのことは突くとあとが怖そうだが、話し始めるまで待った方がいいものか。


「公爵家の息女はブルースターとエトラン、グリフィアと併せて五名。そして侯爵家は二名、伯爵家は年齢に差はあれど九名。この者たちは既に幼少期に第二王子との顔合わせは済ませている。婚約者候補として」

「閣下」

「今は声が未だ挙がってはおらぬだけで、侯爵家であるお前との婚約など即座に棄却できるものだ。稀に見る貴族の者同士の私愛、いや、家柄は釣り合ってはおる。しかし」

「閣下」


 本来であれば、格上の者の言葉を遮るなどあってはならないのだが、悪戯に公爵が寛容なのをいいことに、ルガートも眉根を下げて留めさせた。

 それでもやはり叱責はない。

 しかしそっぽを向いた姿のままなのは苦笑するなと言うには難しい。

 つらつらと、王族との婚約の重要性を(あげつら)ったものの。


「ただただ娘らやらんと言ってるようにしか聞こえねえよ、おっさん」

「その通りだ馬鹿者!!」


 人の涙って瞬間的に大量放流できたのか。

 理性的だと思っていたのはポーズで、このおっさん、実はベロベロに酔っ払っている。

 今気づいた。

 威圧しているだけだと思っていたその目は、ただ座ってるだけだった。

 酔い方が分かり難すぎる。

 あのサービスワゴンの下の酒をすべて一人で開けたのならそりゃそうもなるよ。


「自慢の娘だ、当然だろう! なぜに貴様なのだ! ちょっと魔法が得意だからと誑かしおって! 魔法なら私も得意だ!!」

「たぶ、誤解を招く言い方すんな」

「既に娘のあられもない姿を公衆の面前で晒させといて何を言うか!!」

「してないだろっとわ!?」


 鼻先にヒヤリと冷気混じりの風圧が鋭く横切り、間一髪で後方に避けた先で見たのは、素手に氷を纏わせた公爵。


「シラを切るな」


 鋭い目には殺気が込められ冗談でない空気に声をかけようとしたが、今度はもう片方の手にも氷が発生し、その手の見た目が剣鉈らしき姿となった。

 たびたび思い描いていた姿が登場、嬉しくねえ。

 正気に思える様相は一変、酒乱にも見えなくもない上、怒りが振り切れている雰囲気は静かな怒気とも殺気とも言えなくない気配を放たれていた。

 かと思いきや、フレインの努力をつらつら述べ始める目端がまたうっすら濡れていた。

 この人、実は泣き上戸か。

 感情が目まぐるしくてこちらのツッコミが追いつかない。


「閣下、魔法を解いてください」

「許可は事前に取っておる」

「叩く前提かよ」

「お前の実力は見知っているが! 大事な娘をくれてやるかと言われれば話は別なのだ!!」

「酒の力に頼るのはよろしくないと思うが!」

「問答無用!」

「めんどくせええ!!!」


 ソファーを挟んで周りをぐるぐる追いかけっこ。

 鬼気迫る公爵の顔面を背後に、至るところを魔法で裂かないよう結界を忙しなく施していくルガート。


「……ふ」


 笑い声が響き、思わず足を止めてその笑い方が誰かに似ていると視線を投げかけた先で、静かに佇んでいたメイドがころころと上品に二人を見つめていた。

思ったより騒がしくはなりませんでしたすみません。

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