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79.風駆け

「誰だ。なぜ隠れてる」

「こ、殺すな! おっ、オレは、ここに飼われてる風駆(かざか)けだぞ!」

「証拠は?」

「はい!」


 懐から取り出した手紙の裏面を見せられ、エトラン公爵家の封蝋だと分かって剣を収める。

 剣を向けられたのは初めてだったようで、青い顔色に謝りながら視線を合わせてしゃがみ込んだ。


「悪かった。だが不用意に隠れるのはいただけないな」

「何話してるか気になったんだよ」

「ますますいただけんな。もし悪どい現場で気配も消せないなら、姿を見せた途端に殺されてるぞ? 俺でよかったな」

「……」


 目を見開いて絶句する子供の瞳に薄い膜が張る。

 よほど驚いたのか、脅しすぎたか、悪いことをしたなと苦笑して脇に手を通し立ち上がらせる。

 しっかり立った足腰に頷き、見上げてくる子供の淡いピンク色の瞳を見つめ、また少し屈んで視線を合わせる。


「約束しろ。そういうことをしたかったら、まず技術を磨いてから動け」

「……はい」

「いい子だ」


 ぐっしゃぐっしゃと音が鳴るくらい髪をかき混ぜ、お詫びに中へと促す。


「シェリントン、この子にご飯食べさせてやってくれ」

「おや、風駆けの坊主じゃないですか。何かあったんですか?」

「神経質になって剣で脅かした。お詫びにご馳走させてやってほしい」


 気風のいいシェリントンは女だてらに料理長を務めて長く、メイド長と同じだけ仕えてくれている使用人の一人。

 目をまん丸に見開いて見上げてくる風駆けの子供は、ルガートが誰か予測したのだろう、ニヤリと笑い、自己紹介をする。


「ボスティス家の次男、ルガートだ」

「は、初めまして……!……」


 二の句を告げない子供がどんどん俯いていく姿に首を傾げ、シェリントンを見つめると苦笑される。

 なんだ?


「……俺、名前、ないから……」

「そうか。先に飯食え。手紙ありがとな。シェリントン、俺もすぐ食べたいから用意を頼む」

「かしこまりました、坊っちゃん」


 騒ぎに気づいたミヌスが慌てていたけれど、特に問題もないと宥めながら部屋へと戻る。

 いつものシャツと黒のパンツというラフな格好に着替えて階下へ向かう最中、まだミヌスからのお小言は続いていた。


「坊っちゃま、あの子はまだ教育の途中でございます。今お側に置くにはとても……」

「大丈夫だって」


 食堂のドアを開けるとカチンコチンに固まり、椅子に座っているのに窮屈そうな風駆けの子供の様子に堪らず噴き出す。


「まあ借りてきた猫だな」

「……」

「ミヌス、今日はこいつの隣で食べる」

「……はあ。かしこまりました」


 十脚ある椅子の一番ドアに近い場所に腰を下ろしていた風駆けの子供の右隣に座り、すぐに配膳が整えられるのを待ちながら、隣で泣きそうな顔になっている子供の頭を撫でる。


「さ、触らない方がいいぞ! き、汚い!」

「はあ? 子供は汚くなって当たり前なんだよ。ほら、準備整ったから食え」

「こんなの、食べたことない」


 だから隣に来たのだ。

 ルガートが手にしたフォークやナイフを見つめ、同じ場所から見て手に取った様子に手を動かしていく。

 あくせくしながら真似をして、一口が大きい食事を口にした子供は、何の琴線に触れたのか、ボロリと大粒の涙を流した。


「……う、うっ……うう〜〜……」

「しょうがないな」


 泣き出してしまい手が止まってボロボロ涙を零す子供に苦笑しながら立ち上がる。

 ケインより年上っぽいのにあまりに軽い体を持ち上げて子供が座っていた場所に座り、膝に乗せて器用にフォークだけを使い料理を切り分ける。

 ミヌスの視線が恐ろしくて振り返れないが、今は勘弁してやってほしい。


「ほら、口開けな。泣く前にちゃんと食え」

「うう……ふううう……!」

「それ返事してんのか?」


 泣きながらもしっかり口を動かすものだから、笑ってしまった。

 綺麗に平らげた食事にスープは器ごと手渡し、温まりながら飲めよと自身の料理の前へ座り直す。

 自分の食事を始める間、ミヌスから特に別邸への訪問者はいなかったと伝えられ、首肯で返事をする。

 いつもよりゆっくりな時間の食事を終え、スープは先に飲み干していた子供はまだ名残のように泣いているものだから、ケインにするように抱え上げて談話室へと向かう。

 お茶の用意をお願いしてソファーへ下ろし、その隣へ座ったルガートは子供の涙を袖で拭っていた。

 こんな時にハンカチは持っていなかった。


「ほら、落ち着いたか?」

「う、ん」

「俺はかなりセンスがよくない」

「?」

時津風(ときつかぜ)ってのはどうだ? 通り名はトキでいいだろ」

「ときつ、かぜ?」

「良いタイミングで吹く風って意味だ。めでたい言葉で使われてるんだが、どうだろう?」

「貴方のお名前ですよ」


 ミヌスがフォローしてくれたので、口端を上げて視線を戻すとまん丸の目がこぼれそうなほど見開かれる。

 止まった筈の涙が、また溢れた。


「オレの、名前?」

「ああ。堅苦しいか? んじゃ、ゲイルとか……」

「トキが! ときつかぜが、いい! です!」

「そうか」

「でも、あの、ルガート様! オレ、なんにも、返せるものがない!」

「いいんだよ、そういうのは。今ミヌスから教育中だってな? うちのメイド長は凄いんだぞ? ちゃんと言うこと聞いてれば良さが分かってくる。お前の今後を考えて教えてくれる言葉なんだから、よく聞いておくもんだ」


 きょとんと瞬く瞳から、長く流れていた涙が止まったようでなにより。

 ミヌスに視線を合わせたトキは答え合わせをするように見つめていた。

 向けられた視線に軽く息を吐き、仕方がないですねと言いたそうに微笑むメイド長。


「教育を終えたらルガート様の風駆けをお任せする次第だったのですよ」

「情報が得意なら、教育者や価値ある情報を提供してくれる者を敬うんだ。できれば図書館とかに通って、字も覚えろ」


 そこはミヌスも教えるだろうが、知識なんてのは覚えて損はない。


「……オレ、頑張れば、ルガート様に仕えていいの?」

「頑張るも何も、もぎ取れるかはお前次第だ。ただし、子供の内は無理せずよく食べよく寝てよく動け。あとミヌスの言うことはよく聞く、守れるか?」

「守る! オレ、頑張るよ!」

「いい子だ」


 またぐっしゃぐっしゃと頭を撫でて慌てて体を引こうとする体を捕まえる。

 風呂に打っ込むか。


「ルガート様、今日は使用人部屋へ泊めさせましょうか?」

「いいな」

「だ! ダメだ! 風駆けのねぐらがあるから! そっち戻る!」

「うち泊まったらいいだろうに」

「風駆けのルールなんだ! 半人前は雇い主と距離は取っておかなきゃ情報精度が鈍るって! 風駆け同士の掟もたくさんあるから!」

「へえ?」


 そんなもので鈍る程度か? と挑発的に見下ろすが、トキが首を縦に振ることはなかった。

 結束は硬そうで、意外と頭にいる人は面倒見のある者なのかと沈黙する。


「風駆けはいわゆる影への出世も見込まれます。情が移れば、それだけ仕える貴族の情報も多く抱えましょう。彼はそれも懸念しているのかと」


 なるほど、下地はしっかりしているようだ。

 また挑発的に見ると、少し構える様子が猫に見えた。


「捕まらなきゃいい。トキ、違うか?」

「む、無茶言うなよ! オレはまだ下っ端だから、(かしら)の言葉は絶対だ。下の奴らもまだ小さくて……」

「その子達はお前が守る対象でない。お前自身が弱いのに、守った気でいるのか?」

「!!」


 カアッと顔に朱が刺し、下唇を噛み締め、白くなるほど握り締める小さな手を見つめる。


「守りたいなら、お前が強くならなきゃいけないだろ。力もそうだが、知識もつけなきゃダメだ。強いと思ってんなら、今日俺がお前に剣を向けた瞬間を思い出せ」

「……」


 失禁は免れたが腰は抜かしていたのだ、いざという時に動けないのであれば、影への候補にすら擦りもしないだろう。


「……その気持ちは嫌いじゃないけどな」


 まだ小さいのに誰かを守りたいと動く気持ちは、無碍にしたくない。

 くしゃりと撫でて、沈黙したまま俯くトキに言いすぎたかと頭を掻く。

 ミヌスを見上げれば、目を伏せて我関せず。

 今、今だろ教育の話。


「トキ」

「……はい」

「言い方はキツかったと思うが責めてはいない。お前が力をつけて、その子達を守ればいい。独立って手もあるだろうに」

「……」

「組織を抜けるのが難しいなら、俺も手助けする。まあかけられる手助けは限られるだろうが」

「ううん。俺が弱いのは、知ってた。から、ありがとうございます」

「うん?」


 何のお礼だ?

 淡いピンク色の瞳が煌めき、そこに強い意志があるのを見た気がした。


「オレ、約束します。立派な風駆けになって、……なれるよう、頑張る」

「約束守れるな?」

「うん! だから、今日も帰って、情報集めます!」

「いや寝ろ」

「ちゃんと寝ます!」

「お、おう」


 そろそろ領地に帰るから別問題が出るのは勘弁したい。

 通用口まで笑顔で帰って行くトキを見送り、今回は上手くことが運んだからよかったものの、こちら側の情報を得て悪用されかねないのだからあの子の教育が終わるまでは許可なく会わせませんとミヌスから渾々と説教をされるのだった。


「ところで風駆けって何?」

「……ルガート様、まずはご自身が王都の貴族の一般常識を学ばれなければいけないようでござますね」


 藪蛇だった。

みっちりお勉強いたします。

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