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75.トラウマ

 パタパタ軽い足取りで向かう小さな背中に溜め息を吐き出し、もう少し言葉遣いを改めさせないとルガートには会わせられないと頭を悩ませる。

 似通った言葉遣いなだけに、主人に据えようにも主人候補の方が粗雑な時がほとんどなのはいかがなものか。

 せめて絶対的に裏切らない確信を得るまでは保留と判断し、ミヌスは仕事へ戻った。


「ミヌス、ハシェットが何時に帰るか分からんから、急ぎでない用件あったら明日の午前に回してくれるか? 午後はギルドと宝石店に向かう予定だから、誰か訪ねてきた時は時間があるようならもてなしててくれ。すぐ戻るようにする。あー、とりあえず明日の予定まででいいか。それ以降はあとで紙に書いておく」


 振り返りもせず、誰が来たのか分かっているルガートの様子に最初驚きはしたものの、その子供あるまじき感覚に今は平静を保って返事を返す。

 先ほどからずっと紙と向き合って地図らしきものを作成している様子から、エトラン公爵令息が来るまで極力声をかけないように通達しなければと苦笑した。

 部屋を下がろうとしたメイド長へ呼び止める声に、足を止めて振り返る。


「メイド達が持ち歩きに邪魔にならないアクセサリーって何だ?」

「そうですね。ヘアピンなどはいかがでしょう?」

「いいな。大きさも手頃だ。皆に守り石つけて渡したいから、飾りの付いてない新しいヘアピン買ってきてくれると助かる」


 長年勤めていて、ここまで心を砕いてくれている貴族は果たして何人いるのだろうかと苦笑した。


「ご用意しておきます」

「ありがとう」


 こちらに振り返った時の柔らかになった目元にミヌスも微笑みを絶やさない。

 子の成長は早い。

 日の光を受けて透ける金の髪と、薄暗くも煌めきを放つ深い緑の瞳に、眩しく目を細めながら恭しく頭を下げるのだった。





「……終わった……。もー安易に安請け合いしねー……」


 一五階層分はなかなかに骨が折れる。

 これ以上は手が死ぬ。

 一気にやっつけ作業をするからそうなっただけなのだが、果たして気付くのはいつか。

 ソファーに体を深く預け、時計を確認すると昼食の時間にはまだ少し早かった。


「……実家にも手紙送っておくか」


 予定では長くかかっても二週間と言ってある。

 帰りの行程を考えると確実に延びるだろう。

 また手紙を書き出し、しばらく手紙を書きたくないと思ってきた。

 実家、ザバルト伯爵、サワヌァ村の村長、ブルースター公爵へ直接は書かずこれはフレインに頼み、コフト宝石店、ギルド。

 仕上がった手紙を見つめ、短期間で我ながらよく書いたものだと褒めてやりたくなった。


「ルガート様、エトラン公爵令息がご到着いたしました」

「今行く。ここはこのままで構わない」

「かしこまりました」


 手紙だけは懐に入れて厚い内ポケットに笑いそうになりながら玄関へと向かい、シャンとした佇まいのハシェットに声をかける。


「お忙しかったかな?」

「余裕だ。腹は空いてるか?」

「程々にといったところかな」

「じゃあ食ってけ」


 さっきまでいた談話室に案内すると、寛ぎ始めたハシェットは妙に肩の力を抜いているように見えた姿に、嫌な予感と眉間に皺が寄る。


「何かあったのか?」

「君の醜聞は耳にしています」


 いきなり地雷を踏んできたハシェットには驚いたが、噴き出さなかった腹筋は偉い。

 せっかく綺麗に整えた地図が大惨事になるところだった。


「しかし僕は噂は噂で留めておいた人間でね」

「おう?」

「先日、妹が王女のお茶会に行ってきたんです」

「ブウッ!!」


 今度は耐えられなかった。

 せめてもの救いは、咄嗟に結界を張って水濡れは自身だけの被害で済んだ。

 慌ててハンカチを用意してくれたメイドにお礼を言い、タオルを持ってきてもらうよう頼む。

 もう噴き出しはしないと誓うが、平静でいられるかは自信がなかった。


「大体、五歳の幼子に与えられた無体って何だい? 僕が知りたいね。精々が無理矢理キスしたとかだろう」

「止めろ……想像させるな……お前どんだけ度胸あるんだよ……」


 割りとはっきりとした感覚で血の気が引くルガートの様相に頷いたハシェット。

 おい待て何の確認だそれ。


「やはり噂は噂でしかないですね」


 メイドがタオルを用意してくれたので結界を解き、髪や服を拭っていく。


「俺はこの世で奴と二人きりにされたら自害を選ぶ」

「その確固たる決意は涙ぐましく讃えたいのだが、悲報とも言えるかな」

「まだ抉るのかよ」

「王女が君とどうにか接触できないかと画策しているのだと言う」


 脳裏に、あの気味の悪すぎる目元がフラッシュバックした。

 ドッと背中をソファーに預けるが、これは自分の意思でそうした訳ではない。

 勝手に力の抜けた体が思うように動かなかった。


「大丈夫かい?」

「頭は回ってる」

「妹が聞いた話によると、過去の過ちを悔い改め、お話したいと」

「……土台無理な話だ」

「ルガート? 君のそれは、かなり根が深いのではないのかい?」

「そうらしい」


 見下ろした手は信じられないほど震えていた。

 どんな魔物と遭遇しても、あの行商人を脅した時より感じなかった震え。

 怖いとかそういうことではない。

 まだ五歳の、あの出来事は自分にとって、意志に反してかなりのトラウマレベルなのだと知れた。


「坊っちゃま、気付けのお酒にございます」

「っ、悪い」


 視界の端で慌しく出入りしていたメイドが体を支え、用意してくれた酒を一口含む。

 テキーラに近い味に目が覚めたが、到底酔える状況でなかったから助かった。


「ありがとう」

「とんでもございません」


 ほっとするメイドがすぐさま立ち上がり、邪魔しない距離へと再び下がるのを見届けながらハシェットに疑問を投げかける。


「妹さんは、王女の手助けをするのか」

「悩んでいました。僕に相談し、君の真意を知りたいと」

「真意? 本音を言えば拒否一択だわ」

「だろうね。それから妹から伝言です。『先日の失礼な態度お詫びいたします。誤解しておりました』と」

「……さっぱり見当がつかないんだが」


 ルガートの誕生日に起こった珍事は令嬢達が卒倒するほどのアクシデントだった。

 怖がらせた自覚があるので仕方ないだろうと思っているが、なぜ詫びるのだ。


「王女の発言は何やら常軌を逸しているらしく、とてもではないが、君と会わせたら血を見そうで恐ろしいと言っていました」

「色々とツッコミたいんだが、妹君のご英断に感謝したい。命の恩人だ」

「そこまでとはね」


 からりと笑ったハシェットはお茶を再び飲み下しながらその背筋はピシリとしていた。

 顔を手で乱暴に擦って深い溜め息を吐き出すルガートとの差は不良と優等生の対比に近い。


「妹が王女のお茶会に赴いたのはその一度きりだけ。他のご令嬢方にも手を伸ばしているとの話だが、皆一様に躱しているみたいです」


 顔も知らぬご令嬢に両手で顔を覆い隠し、泣きそうな気持ちで声を絞り出す。


「……俺は何人に花を送ればいいんだ?」

「ふふ。止めておいた方がいいですよ。いらぬ誤解と醜聞に拍車をかける」

「だが感謝してもしきれないんだが」

「うら若きご令嬢達があらぬ誤解をするよ。婚約者の決まっている方が決闘申し込むだろうし、余計にかの方が君の出没場所や居場所を特定すると思うよ?」

「オトナシクシテマス」


 何で犯罪者でもないのに追いかけまわされなければならんのか。


「手紙などは?」

「今のとこ知らん。…………え、いや、まさか親父達が止めてるのか?」

「なくはないね」

「ぐっ……もっと修行しておかないと」


 頭を抱え、とりあえず今のように脱力して呆けないようにしなければ。

 そして事情を聞くより豪華なお土産でも用意するかと考えを巡らせるのだった。


「僕の用件はこれくらいかな」

「助かった。ほんと……心から感謝する」

「じゃあ私の側近になるかい?」

「遠慮する」

「ふふ」


 話がひと段落しても解決した訳でない。

 これからは油断しないよう危機察知能力を特段に上げなければ。

 ああ、今とてもヴァスの従者エドラに師事を仰ぎたい。


「ところでさっきから気になっていたんだけど、この地図は何だい?」

「ギルドに売り付けるもんだが、貴重な情報くれたもんな。“竜の籠”で発見した地下型のダンジョンだ」

「え!? これ全部かい!?」


 食い入るように見つめるハシェットはそれでも遠慮しているのか、手には取らずに身を乗り出すだけで見ていいと一枚手渡しルガートも笑った。


「やはり君は凄いね」

「お前のが凄いだろ。今日、お前が来なかったらその辺ブラブラ歩いてたぞ」

「極力馬車での移動をお勧めしますよ」

「分かった」


 更に身を潜めれる冒険者の格好ならなおさら見つかりにくいだろう。

ハシェットの一人称がやや不安定に見えますが、わざとなので。

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