06.
「フレイン嬢!」
「あら、ノースタックス様、いかがなさいまして?」
赤い髪の少年がかなり赤ら顔で嫌悪の表情も隠さず前へ現れる。
酒を飲むのは構わないが、前後不覚とまでいかないものの今にも転びそうに見えた。
のんびり答えるこの子も大概だが。
「そいつとどちらへ? 申し訳ありませんが、そちらの方はご一緒するには少々障りある噂がございます。とても乱暴者だとか聞き及んでますし、些か公爵家の恥となりますよ」
乗せられた指先に軽く力が込められて軽く頭だけ振り返って見下ろすと、ちらりと視線だけ向けられた気がした。
俺が対応すんのかい。
「誰かは知らんが、案ずる素振りのようで公爵家を侮った発言と取れる内容と分かってるか?」
「……こ、侯爵家の恥晒し者が何を言う!」
「今この場で恥を晒してるお前が何を言ってるんだ。飲めない酒に振り回されてるお子様がついうっかり発言した内容は、酒の席だからとお咎めなしでいられるとでも思ったか?」
「なにを、俺は!」
「公爵令嬢のお誘いは領地運営という展望あってのお言葉でな。年端もいかない小僧の言葉が公爵家をコケにしたと分かれば、ブルースター公爵閣下はさぞお嘆きになろうな」
「な、なっ……?」
「お前、恥ずかしくねえか」
「何だと貴様あ!!」
大声でこちらへ向かった子供の姿はよく見える。
フレインの手を離して軽く離してから振りかぶった子供の横から脇に手を差し込み、半回転させて解放する。
ただ回っただけだが何が起こったのか分からなかったのか、一瞬呆けた子供がキョロキョロと周囲を確認して振り返り、こちらをまた睨みつけてきた。
「ジョシュア! お前は! 何をしている!!」
「ぐあ!? あ、兄上!?」
その横から真っ青な顔を歪ませ、躍り出る勢いで登場した腕が子供の頭を容赦なく殴りつけた。
貴族にしては手が早くないか?
保護者は兄弟か。
「ノースタッフ」
「ノースタックスだ!!」
「ジョシュア! お前はもう黙っていなさい! ……ボスティス侯爵子息、弟が大変失礼しました。この場は収めていただけませんか」
顔色がかなり悪いけれど、大事にするつもりは毛頭ないルガートは、首を振って自身も今しがたの言い間違いを謝罪する。
「いやこちらも失礼。元より相手をしていない。そちらが勝手に盛り上がったので困っていたんだ。仲裁していただき感謝する」
「私はノースタックス伯爵家の長男、ビフェルと申します。後日改めて謝罪がしたいのですが」
真面目か。
「この場で収めろ。単なる酒の席の余興だ」
「……。感謝いたします。ブルースター公爵令嬢、」
「あら、わたくしは何も見ていなくってよ」
「だそうだ。ブルースター公爵令嬢、引き続き案内をお願いしたい」
「ええ、では皆様、ご機嫌よう」
会場のざわめきもなんのその。
抜けてから気付くが、会場からホストファミリー両方が不在になるがいいのだろうか。
後ろから追いかけてくる軽い足音に振り返れば、見たことのないお嬢さん方が血相を変えていたので流石に止まる。
走ったことがないのだろうかと心配するくらい到着するまで随分と遅かったし、気にかけなければと思うほどには息が上がっていた。
「フレイン様!」
「あらお二人共、どうかなさいまして?」
「こ、こちらの侯爵家のご子息は、その、お噂がございますから!」
「あら、では皆様もご一緒にいかがかしら」
「え?」
微笑みを浮かべちらりと見上げた視線にまたかと呆れながら頭をかき、二人の御令嬢に視線を移す。
びくりとあからさまにビビっている様子は申し訳なくなるが、何も取って食う訳ではないのだがと弟に話すような雰囲気で手をあげる。
「領地に関するご意見をお聞きできれば幸いです。父の領地では少々難がございまして、こちらのブルースター公爵令嬢も、そのつもりでご案内してもらっていたんです」
「ご意見、ですの?」
「はい」
「あの、か、拐かしではなく?」
何でだよ。
「子供が子供を拐かして何になるんで?」
「え? そ、それは……そうですわね」
「では、本当に、意見交換のみと?」
「先ほどからそう申してます」
「「も、申し訳ございません!!」」
誤解が解けたならよかった。
では参りましょうか、とこちらに説明を押しつけたフレインののんきな声と再び手を伸ばす様子に、仕方なく手を取って歩き出す。
そして付いてくるらしい二人の令嬢。
案内された書斎に到着すると、後ろにずっと控えめについて来ていたメイドに振り返るフレイン。
「ミネリア、わたくし達のお茶の用意をお願い。あと何か軽食も」
「かしこまりました」
「俺は酒を頼む」
「そのように」
「かしこまりました」
ボスティス家の三倍はある、図書室といっても差し障りなさそうな蔵書の数を見上げ感嘆の息をつく。
これだけで先二年は楽しめる。
「ルガート様、地図の他にご入用は?」
「鉱物、出来れば岩石の資料はあるか? なければ火山岩の分布図でも構わない」
「ふむ、そのような資料は残念ながら見かけたことがありませんわね。地図だけになりますが」
「いや助かる」
背がまだ低いから結局俺が取ってテーブルの一角に集まると、不思議そうな顔で見つめる二人の令嬢は放置して地図を広げる。
仕事の早いメイドがもう準備を整えてきたので一時中断する。
軽くつまめるナッツや度数の低い酒を躊躇いなくあおると三人からは信じられない目で見られたが、今は目を瞑る。
「ルガート様、現在位置は」
「この辺りか? この山脈地帯は火山湖とかは?」
「いえ、普通の山脈だと記憶してます。こちらが我が領地の鉱山地帯でもありますが、火山が噴火した記載は残念ですがございませんわ」
「そうか。ブルースター領は違うな……。出来れば火山岩が多く取れる、もしくはそれに近い性質を含む岩があれば、ホットストーンの製作も進みやすくなるんだが」
「ホットストーン、ですか?」
付いてきた一人の令嬢がぱちくり目を瞬かせて真っ直ぐ俺を見つめていたと思うと、体を震わせ、その頬を紅潮させ始めた。
唐突に様子を変えた令嬢は椅子から立ち上がり、身を乗り出さん勢いで前のめりにルガートを見つめる。
え、なに。
「ホットストーンですか!? なぜ、ボスティス様がホットストーンのお話をっ?」
「発案者だから話しているんだが……」
「……! 本当ですか!? わたくし、お礼を申し上げたく存じます!」
「え?」
話を聞くと、この令嬢の母が長年腰痛を患い、長時間動けない日々が続いていたらしい。
動こうとすると激痛が走り身悶え、動かそうにも絶叫を上げる始末で、寝たきりの姿に救う手立てが見えなかったのだとか。
しかし、先日遠征から帰ってきた兄が石を熱して腰に当てたところ、以前よりも苦痛が和らいだという。
今は家の中でなら何とか動き回れるまでに回復しているらしい。
「母の、笑顔を、久し振りに見れました! ボスティス様がホットストーンを作ってくださったおかげです」
「お袋さんはまだ治ってないぞ」
「は?」
「おそらくぎっくり腰じゃないか? 静養するのも大切だが、動かなさすぎるとクセになる。適度に動いて足腰も鍛えるよう伝えてくれ。筋力をつけたら、うちの領地の温泉もおすすめだ」
「あの、な、治るので?」
「それは確約できない。クセになると言ったろ。だが運動してればある程度は改善される。覚えたな?」
「は、はいぃ! ありがとうございます!」
ぼろりと、涙を流した令嬢に驚き、胸元に添えていたハンカチを手渡して外方を向く。
兄貴、助かった。
この作法だけは本当に助かった。
顔を真っ赤にさせて背を向けたので俺もホッと一息つくよう少ない酒を飲み込み、もう一人の令嬢が前に出る。
泣かせてしまったせいで怒るのかと顔を上げると、怒気は含まれていなかった。
「あの、よろしければ、わたくしの領地でならご希望の岩が見つかるかもしれません」
「ほんとか?」
「曽祖父の話に火山という単語を聞いた気がします」
首を傾げる令嬢は火山が噴火したかは定かでないがと頬を押さえる。
岩の特徴も聞いたが、流石にそこまではと首を横に振られてしまう。
分かっていたのでルガートも気にしないでくれと椅子を勧め、全員がなぜか立ち上がっていた状態に苦笑した。
山はかなり危険が多い為、地元民でも入山制限があるという言葉にこれはと当たりをつけられそうな手応えを感じる。
「ルガート様、彼女の領地はブルースター領地からちょうど東に位置しております。更にその北東は“竜の籠”として有名な山がありますの」
フレインから出た特徴的な単語に、まさかと目を見開く。
「魔物の生態に詳しいか?」
「いえ、わたくしは。少々お待ちください、父が魔物の生態を書き連ねたものが……」
それマニアじゃないか?
いや今は助かるけど。
この世界に飲酒の年齢制限は設けていません。
やらかした子供はその後、本人が気にかけるか、成人するまで酒は禁止される家庭が多いです。
貴族も庶民も関係なく手伝いが入るので、飲めるなら様子を見つつとゆるい世界と認識していただければ幸いです。
当然日本では飲酒は二十歳になってからです!