31.好物になった瞬間
「入るぞー」
「既に入ったあと。貴方はもう少し遠慮をしていただきたい」
「寝ぐらの塩梅はどうだ?」
「快適です。温泉にも入りました。かなり、疲れが取れた気がします」
「だろうな」
適当に狩ってきた鳥肉(捌き済み)を持参で現れたルガートを見て笑顔を見せるヴァスと、昨夜の一件からかなり遠慮のない物言いになったエドラに肩を竦める。
ウォーターベッドの痕跡がないので起きてかなり経っているのか、現在昼過ぎの時間で、来るのが遅れたかと頭を掻いた。
持ってきた鶏肉を不思議そうに見つめるが、そこらにいる鳥なので特段珍しくもない。
あとになって宗教上の理由から肉は食えないかと、失礼なことであったか少し慌てた。
「野菜とかの方がいいか?」
「いえ、あの、ちょっと量に驚いてしまいまして……。普段もお腹がキツいと思うまで食べたことがなかったものですから。あ、そうだ、展覧会での食事も、ありがとうございました」
ヴァスの身体が細い理由を、欠片ではあっても改めて突きつけられ目を瞠る。
「お前、止めろ……そういうの本当に止めろ……」
ケインにそんなことを言われたら泣いてしまいたくなる想像にヴァスを重ねてしまい、胸が痛い。
こいつ、何でそんな苦労の星の元にいるんだよ、王位継承者ってのはもっとこう、ドロドロはあっても裕福なもんじゃないのかよ。
思わず庇護欲を擽られて用意した鶏肉を丸ごと焼きたくなった。
「日数は不明か?」
「いえ、おそらく、二週間程度の潜伏で十分だと思います」
「何か食べたいものがあったら言え。持ってくるか作るかするから……」
「嬉しいです。あ、でも水がたくさんあるので、それだけでも十分贅沢ですから」
「止めろ、ほんと止めろよなお前まじでこの野郎」
「?」
分かっていない様子に本気で泣きそうになってきた。
もう我慢ならずに一度屋敷に帰り、料理長に無理を言って調理場のものを色々と貸してもらう。
バスケット三つを手にまた洞窟へ向かい、中身はすべて食べてもらうようルガートが作った料理。
「大体な、細いと思っていたんだ。お前に今必要なのは炭水化物。それからタンパク質!」
「?」
「パンもいいが、米を食えっ!」
ドン、と出したのは盛り盛りの握り飯。
そして大量の揚げたての唐揚げ。
付け合わせに盛ったサラダはスチームしてほとんど皮付きだ。
「あんたは暗殺者兼業か?」
「必要とあらば」
「だったらなおさら風呂入れ。あんたらの体臭はこの国じゃ馴染みがないから、結構分かりやすいぞ。溶け込みたいなら多少は入った方が隠せる」
「お風呂って一週間に一度じゃないんですか!?」
「風呂っつうのはいつでものんびり気兼ねせずに入っていいんだよ馬鹿野郎!!」
もうほんと泣くわ!
流れで飯まで支度してしまったが、毒味もせずに直で食べ始めたヴァスに目を剥き反応が遅れた。
横にいるエドラと一緒に声をかける前に手をあげてはいたが、一足遅く、中途半端な位置で停止していた。
「……お、いしい! 何ですかこれ! 何ですかこの味!!」
こいつのとこの香辛料のはずなんだがなぁ。
「おい、喉詰まらせるから、ゆっくりよく噛んで食べろ。その方が美味い」
「……! 本当ですね! とても美味しいです!!」
「……野菜も食え。明日はもっと凄いの作るから」
「!! 楽しみです!!」
ダメだ。
これは、二週間などで満足させてやれないのではないだろうか。
顔を覆い隠し、細々と食べるエドラも細いが、成人女性としてはやや細いというだけ。
それでも、この二人を合わせて見れば十分に異様に思えた。
「エドラ」
「何だ」
「ヴァスの睡眠時間はどれくらいだった」
「熟睡されたのはあのあとすぐ。それから、お前が来る一時間前まで寝てらした」
大体にして十時間程かと考え、寝過ぎの様子に眉を寄せると、再び爆弾を投下された。
「あんなに安心して寝たのは初めてで、ルガートが来るまでずっとふわふわしてて落ち着きませんでした。やっぱり睡眠時間は二、三〇分くらいで……」
「いいぃかあああ!!! 睡眠時間っつーのは脳を休める一番大事な仕事だからな!! 次またんなこと言ったらはっ倒すぞー!!!」
「今日のルガートは大変賑やかですね」
エドラに優しい筋トレメニューをこなさせるよう伝え、それから毎日ヴァスの洞窟へと足繁く通った。
怒涛の食事と量、そして回数にヴァスは信じられないほど目を見開いていたが、妥当だ。
むしろそんなんで追いつけないが、基本を作れるならなおさらやっておきたかった。
細い割りには残さず食べているので、ルガートも無茶を行使したとも言える。
「オラ立て、ひよっこ」
「ルガート……容赦……なさすぎです……」
「お前の従者が甘々なのがよく分かったからな。俺の四日間を返せ」
「……誠意には、誠意で返さねばなりませんね。覚悟!」
「ぬっる!」
木刀を簡単に弾かれ、可愛らしい声で転ぶヴァスに頭を抱える。
何でこいつ今まで無事だったの。
ああ……この従者が強すぎたのか……仕方ないな。
「エドラ、お前の甘やかしでこうなってんだ。無様な主人の姿を見たくも見せたくもないなら、心を鬼にしろ」
「……分かった」
「ヴァス。お前はもうとにかく頑張れ。よろけるな。体幹鍛えろ、脂肪は待ったなしだぞ」
「ルガートの言葉は、たまに意味を図りかねます」
「意味なんてねえよ。腹の脂肪すらないから飯を食わせた。デブにならないように体を鍛えて筋肉をつけさせてる。鍛えたら体も疲れにくくなるし強くもなれる。自分の身を守れるならお前の従者も守る術に幅が広がる。いいこと尽くめだが、質問は?」
「ない。だから一日五回も食事を持ってきてくれてたんですね」
「理解したら早く立て」
「はい!」
食事や鍛錬は少ない日数では叩き上げの付け焼き刃なんてたかが知れている。
ほんの少しの変化しかない現状では上手くいかないし、微々たるものでしかないのは分かっていた。
だが、緩やかに死へ追いやられている小さな痩躯を見てしまえば、許せなかった。
地面に仰向けになって息を整えているヴァスを見下ろし、剣すらも持ったことのない柔らかい手は豆が潰れ始めていた。
「ヴァス」
「は、……は、い」
「お前は、怒れ」
「え?」
「怒っていい。無害そうに笑う必要なんてない。それも手段だろうが、お前は、怒っていいだろ」
王族あるまじき境遇は彼が自国でどのように扱われているのか、想像に難しくない。
立場故の危険もあるはずなのに、体が追いついていないのに身を削る今までの日常はどれだけ過酷だったか。
睡眠すら満足にできないでいたのに、それでも笑顔は捨てていなかったヴァス。
「……。ありがとうございます、ルガート。でも、そう、安易にことは進まないのです」
「……」
「僕は今、凄く貴重な時間の中にいます。だから、今日を、明日を、この瞬間を糧に、立ち向かえます」
「……そうか」
「はい」
「今終わった風に言うな。吐くまでやるぞ、オラ立て」
「鬼ですね!」
そして夜は特盛りの料理で迎え、難なくペロリと平らげる姿に当初の遠慮は微塵もない。
相変わらずニコニコと笑顔を向けるヴァスと無表情が固定されたエドラのセットを見慣れた今日も、ルガートは洞窟へと向かう。
「……、行ったか」
がらんどうの洞窟内は、すべての痕跡が消されていた。
ルガートの発動していた魔法以外の全て。
服やタオルなども燃やしたのだろう、生活用水の水瓶だけがたんまり、呆然と覗き込むルガートを映していた。
「唐突なもんだ」
しかし心は随分と晴々していた。
当初の線の細さから、骨と皮しかないその腕や足首には年相応分の肉がつき始め、痩けていた頬も血色のいいふっくらさが戻りつつあった。
目の下の隈も先日見た限りではだいぶ薄くなって、パサパサだった髪も艶が出始めているような気がした。
何よりだ。
「……落ち着いたら一報あるか。…………はーーー……。忙しなかったな」
二週間も経たずに行ってしまった二人。
彼らの無事を願い、洞窟内の魔法を解除したルガートは近くにある温泉も確認してから屋敷へと帰って行き、念の為、ガレッソに報告する。
「案外短かったですな」
「短いながらも俺の料理の腕は格段に上がったと思う」
何せ一日五食に色んな料理を食べてもらいたかったから、料理長と相談して決めたので揚げ物レパートリーが少し増えた。
「流石ですな。ところで休憩を許した訳ではございませんよ。とっとと立ちなさい」
「鬼ジジイめ」
「結構」
果たして本当に去っただけなのか、僅かながらにでも痕跡を探して無事かどうかだけでも確かめた方がいいのではないか、考えたらきりがないし、返答も期待できまい。
気もそぞろだったせいでいつもより倍は沈められたルガートは、無事を信じる方向で結論付けた。
タイミングよく、ブルースター公爵から討伐調査対象の日程が手紙で送られてきた。
せめて鳥の羽根をと初めて泣く主の前に跪き、頑なに許さないエドラはこの国に来た時よりも重くなった体を抱える。
新たに入手した服は既に故郷の衣装で、羽織る上着だけは違和感持たせないようこの地の服を着用している。
あらゆる痕跡を捨て、一塊の影は闇夜に紛れ、洞窟を静かに去った。




