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29.まみえた白

 聞こえたのは、女の声。

 細く、息を吸い込む。


「何者」

「……こっちの台詞だ。聞くのは無駄だろうが、てめえこそ何者だ」

「……」


 生唾もまともに飲み込めず虚勢だけで声を出すが、いきなり霧散した殺気に息を殺す。

 唐突に敵意とナイフが消えても、油断すると首にひと突きだと手に力を込めると実感した剣の感覚に、まだ取り落としていなかったことで気を持ち直す。

 見えない背後を睨み据え、声が震えないようにと願った。


「悪いがこの領地は特に目新しいものも、めぼしい物も無い。何の目的があって……」

「ルガート」

「…………ん?」

「従者が、失礼しました。僕です」


 聞き覚えのあるような、気がする声。

 背後ではなく、ルガートの前から現れたのは、先日ブルースター公爵領の芸術展覧会でほんの数十分だけ言葉を交わしただけの、ヴァスという少年だった。

 暗がりでよく見えないが、その白の双眸が森の暗闇でもはっきり分かるほど輝いていた。

 髪も黒いし暗めの衣服を身につけているからか、爛々と見える瞳はまるで黒豹にでも遭遇した心地になる。


「あ?」

「すみません……こちらが、軽率でした。まさかこんな早く会えるなんて」

「ヴァス、だったか。何でここに? お前、国に帰ったんじゃねぇの?」

「少し、諸事情がございまして……」

「……。…………はあ」


 言い淀む姿は少し年相応に見えた。

 かなり申し訳なさそうな顔をしているが、こちらはいくらか寿命が縮んだと思う。

 背後の殺気はじゃあ、あの女性従者か。

 改めてヴァスを見ると、いつの間にかヴァスの側で控えるように佇んでいた。

 いや足音一切聞こえなかったぞ。

 動揺していたから気付かなかっただけかと顔を覆い隠し、ひとまず深呼吸をする。


「ついて来い」

「え?」

「ここで何かしてたろ。その明かりで俺は来たんだ。周囲を警戒して目立つのが得策じゃ無いなら、ついて来い」

「……分かりました」


 ルガートが案内したのは森の端にある洞窟だった。

 洞窟といってもたいした深さはない。

 ここらは人も来ない為、雨露を凌ぐのに時折使う程度の場所であるが、最低限の必需品は揃えていた。


「ここは……」

「雨宿り代わりに使ってる。目隠しするから、奥に入ってろ」

「? はい」


 洞窟の入り口へ戻り結界、目眩しに魔法で蜃気楼でもいいかと施して洞窟の中へ戻ろうとしたら、なぜか笑顔全開で近くにいたヴァスの頭を反射で殴りつけた。


「痛いです」

「当たり前だ。奥に行けつったろ。バカなのか」

「魔法を近くで見たのは初めてで! 芸術展覧会でも見ましたが、ルガートはかなり魔法に長けた方とお見受けしました」

「話を聞け。おいあんたの主人だろ、止めろ」

「若が示す興味を妨げるなど愚行の極み。ご覧なさい、この愛らしい笑顔」

「会話しろ会話っ」


 予想以上のマイペースに乱されながら遠慮せず二人の頭に拳骨を落としておいた。

 溜め息を吐きながら光魔法で明かりをつけ、夜では明るすぎたので、彩度を絞る。

 生活用水に使ってた水瓶はしばらく来ていなかったので中身を外に捨て、洗って新しい水を入れておき、飲み水はこれだけあれば問題ないかと次に取り掛かる。

 火は中毒になると面倒なので地面と最奥の全面に熱魔法を張り巡らせ、気温を固定させる。

 いわゆる床暖の状態にし、積んでいた木箱を解体すると一畳半ほどの座るスペースができあがった。

 更に奥へ向かい壁に沿って二つの水球を作り出し、壊れたら大変なのでその形を崩さないよう結界で包む。


『対象固定、形状固定、温度固定、第三者による複製不可、起床後霧散開放。使用者の希望時出現設定』


目を開けると、寝心地のよさそうな水球に目を見開いている二人に振り返る。


「……ふう……。これだけ好きに出現するようやっといた。寝る時に使え。ウォーターベッドって言えば勝手に出る。あと、ここの裏手に人の手が加わってない温泉あるから、それ使って体温めろ。タオルとかは明日持ってくる」

「……ルガート。貴方は、なぜここまで……」

「人の領地で不審死とか起こしたくないだけだ。お前の言う“諸事情”が済んだら、勝手に帰ればいい。とりあえず今日はもう寝ろ。俺も眠い。じゃあな」


 なおも言い募ろうと口を開こうとしたヴァスを遮り、洞窟には更に侵入者除けに爆竹紛いの火属性を施しておく。

 久し振りに魔力をかなり多用したからか、いい感じに重さの増した眠気が現れてきて早く帰りたかった。

 さっさとその場を切り上げ屋敷へ帰ると、誰にも気付かれることなく行けると思ったが、仁王立ちする影に顔を歪ませた。


「ガレッソか」

「坊っちゃん、夜のお遊びには少々、物騒な物をお持ちですな」

「今日は見逃してくれ。ちょっと眠い」

「では朝にお話を窺いましょう」


 朝とは朝一番。

 太陽が昇った頃。

 もしくはその前。

 ガレッソとの約束は、いつも日の出前だ。

 寝かせる気があるのかこのジジイめ。


「……分かった。朝に話す」

「ご無事で何よりです」

「……悪かったって……」


 二階にある自室に跳び、重だるさの増した体で手早く着替えて早々にベッドに転がると、途端に襲う眠気に抗わずに瞼を下ろした。



 朝。

 軽装に着替え、稽古に使う木刀を持ち出して昨日ガレッソに見つかった場所へと足も重く向かうと、既に佇んでいる男に顔が崩れそうになる。

 まだ誰も起きていない時間にもかかわらずシャキッとしたその後ろ姿はちゃんと寝たのかと問いたくなるほど眠気と無縁そうで、頭を掻いて声をかけた。


「待たせた」

「おはようございます坊っちゃん。時間ぴったりですよ」

「おはよう。……昨日のは、俺の判断で話していいものか困る。できれば放置してほしい」

「坊っちゃんに殺気を向けた輩を庇われると?」

「見てたのか?」

「いえ。あの程度の殺気にも反応できぬようでは、衛兵職を辞さねばなりますまい」


 かなりの殺気にルガートは身動き一つ取れなかったのだが、ガレッソはいつもと変わらぬ笑顔で“あの程度”などと言ってのける。

 つまり、昨夜の殺気すら、ガレッソにとって取るに足らないものだと言えた。

 改めて規格外の存在に驚きつつもとりあえずあとを尾けていた節はなく、ヴァスの存在は隠せると安堵する。

 それが彼の衛兵長としてか経験則からか、彼の琴線に触れたのは確かで、片眉を上げたガレッソから厳しい視線を向けられた。


「お言葉ですが坊っちゃん。ルガート様、相手が絶対に敵ではないという保証はありません。いつか、寝首をかかれることもありましょう。敵意を見せた者を、易々と享受するのは……」

「俺の判断ミスとして受け取れ。今のところは、支障ない」

「坊っちゃん」


 目を閉じた先で見えたのは、あの展覧会でずっと同じだった目。

 今ははっきりと思い出せる怯えていた白い瞳が瞼の裏に浮かび、肩を竦めてガレッソを見つめ返した。

 俺が間違っていたなら、傷をつくのは俺だけだ。


「名目としては俺の客人だ。ただ、人に合わせるのは控えたい。何者かから狙われている様子だった」

「ですから、それが支障なのでは?」

「“俺”で止められないなら相手のが上手。まあもし、危機的状況に陥ってたら、助けてくれると助かるな」

「……やれやれ。頑固ですなぁ」

「お前ほどじゃねえだろ。英雄サマよ?」

「おや」


 カカッと笑ったガレッソの表情は明るい。

 あまりにもカラッと笑うものだから、拍子抜けしてしまうだろ。


「いやいや、ようやくお耳に入りましたか」

「悪かったな。まっっったく知らなくて」

「いえいえ、これで賭けは私の勝ちですな。お礼を申し上げねば」


 ぴくりと動いた眉毛に、余計な力がこもる。

 今、なんと言われた?


「……賭け?」

「はい。坊っちゃんがいつになったら私の過去をお尋ねするのか、旦那様達と賭けておりました。私は三年以上は気付きませんでしょうと賭けましたねぇ」

「……もしかしてブルースター公爵もか」

「はい。かの事件より書斎にこもる坊っちゃんに、いつか聞かれるやもとお話ししてました。……旦那様方はふた月と一年でしたかな? いやはや、ジョシュア様がお尋ねになられた時は内心冷や冷やしたものですが、まったくもって杞憂でしたな!」


 はっはっは!

 快活ながら控えめな哄笑が朝の空気に響く。

 天気がいいからなおさら爽やか、この光景だけを見るならば。


「坊っちゃん、お礼を申し上げます!」

「この、ジジイ!! 人をダシにすんな!!」

「お、久々に無手で来ますか?」


 初手で木刀をぶん投げたのは、考えるまでもなく悪手だった。

薪は民家から拝借してきました(エドラ)

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