02.
目一杯に体を動かしたおかげでお昼寝の時間になると健やかーに入眠してくれたケインをメイドのハンナに任せ、部屋を出る前から分かっちゃいたが、目の前にいたのは兄。
厳しい視線が見下ろすも、恐怖は一分もない。
説教という選択肢は微塵も浮かばなかったルガートは、ジミトリアスの言葉を待つ。
「ルガート、なぜ私を呼ばない」
呆れと脱力に、顔の筋肉が降下した。
「……さっき兄貴に言った方が優先だろ」
「どう考えても弟達が最優先だろう」
兄馬鹿だ。
窓から見えていたのか、まあ賑やかな声もしていたからそわそわしたのは目に見えていたので、その手を肩に誘導させる。
「そっち終わったら付き合うから何とか頑張れ」
「お前がやった方が早いだろうに」
「俺はまだ一〇歳でーす」
「まったく、生まれる順番を間違えたようなものだな」
連れ立って兄の部屋ではメイドのリズリーがすかさずお茶の準備を始める。
ジミトリアスと一人用のソファーに差し向かいに座ったルガートは、テーブルに広げられている書面の一枚を手に取り目を通す。
「編成も終わってるなら言うことなくないか?」
「私はな。問題は野盗ではなく魔物の方だ。予備編成まで考えると、魔士隊が少々心許ない」
「規模を考えると問題ないように見えるが……」
メインを魔物に置くなら歩兵一〇名、弓兵五名、に対して魔士一〇名とはぶっちゃけ多いと思う。
魔獣への成長は予測不可能と言われ、これまでの前兆として複数の魔物達が固まって行動し始めるのが定説だ。
文字通り個々がおしくらまんじゅうよろしく固まるという。
融合か中心となる一つの個に対し魔力を明け渡しているとの見解も取り上げられたが、定説に反し、冬場では寒さをしのぐ為、単に重なるだけと確認された機会もあったせいか、いまいち信憑性に欠ける。
書面を見下ろし、いくら連戦になるとはいえ。
「魔士の多さは過剰戦力な気も」
「ルガート……。お前レベルの魔士がいるなら苦労はしない。お前一人分の魔法に匹敵する人数を算出するならまだ一〇人は足らないからな」
「そんなもんか」
この世界では魔法に対する概念がなぜかまだ希薄で、各属性の魔法を扱えはするものの、威力は付け焼き刃の者が多い。
暖炉の火が俺だとすると、この魔物討伐へ駆り出される魔士はロウソクか、せいぜい料理に扱う火力程度が限度。
王都から派遣される正規の魔士であるのに。
なぜここまで能力の差に開きがあるかも定かではない。
現実問題、圧倒的に研究者不足なのだ。
かと言って、俺が研究者向きの人材でもない。
「魔法に関しては出来た弟だが、魔物の討伐に組み込んでもいらん軋轢が増えるだけだ。それに、焚きつけられた王太子殿下が暴走されかねん」
「へー」
「はー……。私だって出来ることならお前と二人で赴いた方がどれだけ楽か。だがな、王太子殿下、自ら望まれた遠征だ。功績を残さねばならんし御身を護る任務もある。……何であの人、付いて行くとか言い出すんだろうか……」
「兄貴、どんまい」
苦労してんなと笑いながらふわりと使った水の魔法を出現させ兄の目を覆い、横長の水球を象ったまま空中で停止する。
「少し凭れてくれ。制御がまだ不安定なんだ」
「いやもうこれどこに不安定の要素がある。あー……冷えてて心地いいな……」
いわゆるホットアイマスク・水球版。
温度を徐々に上げていき、湯に浸かる程度の適温で止める。
『対象固定、温度過程固定、使用時間十分。第三者による複製不可、使用後霧散開放。使用者の希望時出現設定』
「よし。兄貴、それいつでも呼び出し可能にしたから、疲れた時や寝る前にお勧めする。ホットアイマスクって言えば出る」
「相変わらず規格外な魔法だ。ルガート、これは人をダメにするぞ……」
「何言ってんだ、真っ当な休息だろ」
「ああああ……弟が尊い……」
ダメになってる兄を放置し、改めてテーブルの書類に目を通す。
個々の能力値など載っている訳ではない為、編成にどうしても隔たりが見えるのだが先ほどの兄の言葉を借りれば、人の扱う魔力に個人差があるのは少々いただけない。
「レベルの差か?」
「魔法か?」
「ああ。それならぼんやり納得できると思って。同レベルの奴を列ごとにまとめれば、多少は付け焼き刃程度に出来ないか?」
「一考あるな。となると王太子殿下は最後列にいてもらう口実にもなる」
「王太子殿下の魔力はどれくらいだ?」
「純粋に魔力だけの能力値を考えるとまあ高いが、お前と比べてしまうと威力はやや心許ないだろうな。しかし王族は“天啓”もある。魔法だけが全てでは無いのは確かだな」
天啓。
その名の通り、天より授かりし啓示。
一説にはその啓示を受けた王族は一生分の軌跡がおおまかに垣間見るという。
自身の一生を見るなど怖気でしかないが、王となるべく者にとっては覆しようのないレール。
ある王は道を逸れた途端に国を傾け、ある王は粛々と王位を退き、ある王は望むままの女を娶ったが成す子はことごとく死産とあいなったらしい。
半分オカルトかと思いはするが、幼心で反抗心から天啓に背く王族は身を以て体験するのだと以前、王太子殿下の側近候補になったばかりの兄から聞かされた時は全身の毛が逆立ったのを今でも覚えている。
天啓を受ける瞬間は人それぞれのタイミングらしい。
だが、必ず一〇歳頃にはどの王族も授かるという。
第二次性徴のようだな。
笑って悪いものではないのだと諭されるも、王族とて一人の人間だ。
その心情まで透けて見えるわけではない。
話は逸れたが天啓は局面においては絶対的な存在で、王族は天の意に沿い国を治める。
事実、現在ユエンリーナ国は平和そのものだった。
「これ王太子殿下に統率させたらどうだ?」
「全隊をか?」
「元々は統率や指揮感覚を掴ませる為の遠征なんだろ? 代わりに兄貴が前線に出ればいい」
「ふむ。それもいいかも知れんな。歯止め役がいなくなるが、誰かに任せるか」
凭れた姿で腕を組んで思考を巡らせるが、格好がゆるすぎて緊張感の欠片もない。
ルガートは王太子殿下と対面すらせずに過ごしていたので、どんな人物なのかは身内達からの又聞きでしか認識していないせいか、僅かに顔をしかめた。
「……王太子殿下って問題児なのか? 兄貴、最近やけに疲れてるって言ってるのそれか? ちゃんと寝てんのか?」
最近では王都と領地を行ったり来たりを繰り返し、忙しく動く兄の様子に、遠征時にもなんとかならないものか考えようとしたが。
「ははは。俺の弟ちょう可愛いー」
「クソ、ダメにされてるから会話が成り立ってねえ」
歳の差の余裕か。
こうやって王家の機密事項などをてらいもなくペロっと話すくせに、肝心なところははぐらかされているが、まだ二〇歳にもなっていない兄が過労死するのは忍びない。
こちらもはぐらかしたので人のことは言えない。
それに、内容を考えればそうたいして強くもない魔物だ。
例え魔獣化になるとしても、火力のある魔法がある。
「やっぱ俺が行って……」
「ルガート。この話はもう終わってる。殿下の成長にならんから止めなさい」
「……。分かったよ」
「お、勝手に消えるのか、凄いな」
ホットアイマスクの効果時間が終わったらしく、座り直す表情を窺うと使用前より目元がはっきりとしている様子に一人満足して頷いた。
「そろそろお前も他の貴族の子達と顔合わせの時期だったな。準備はしているのか?」
「何の?」
そういえば先週、夜会がどうのと親父から聞いた気がする。
「……。リズリー、父は何と?」
「既に泣いております」
「……。ルガート、午後の予定はキャンセルだ。新しい服を作りに行くぞ」
「拒否する。午後はケインの勉強問題集を新しく練り直すんだ」
「却下だ。まったく、社交界を何だと思ってるんだお前は」
首根っこを引っ掴まれ、抵抗虚しく泣く泣く兄に引きずられて新しい服を作りに向かうのだった。
今更地元以外の奴らと顔合わせとか顰蹙ものすぎるんだよ。
領地ではそれなりに打ち解けている歳の近い子はいるが、貴族の子息令嬢ともなれば話は違う。
顔の傷があるから相手に不快しか与えない、行く必要もないと散々主張するも、片足がやや不自由とは思えない体幹の兄から解放されることはなかった。
ハンナはジミトリアスとルガートもお世話した大ベテランの乳母でもあります。
母の次に逆らえません。