10.
太陽が昇りきった暖かさで目を覚まし、現地点までの情報を紙にまとめて書き終わる頃にはすっかり昼を通りすぎた辺りで出発の準備を整えたルガートは、岩を風魔法で浮かばせ山を降りた。
たらふく寝たお陰で魔力も回復し、余裕を持ってザバルト伯爵邸に帰れる。
下山中は誰にも邪魔されることなく真っ直ぐ帰れたルガートは、先日の宣言通り、夕方前にはザバルト伯爵邸に到着した。
ノッカーを叩くとすぐに出迎えたのは伯爵家に勤めるメイドで、やや汚れているルガートを目に留めた時点で気取られない程度の加減で不審げに目元を眇めた。
格好が貴族でないのだから当然の反応に頭を下げ、耐火用の外套も外す。
「ルガート・ボスティスです。伯爵はいらっしゃいますか?」
「大変失礼いたしました。ご案内いたします」
「失礼します」
他のメイドに報せを出し、案内してくれるメイドのあとに続く。
応接室かと思ったが、柔らかい調度品の印象からどうやら談話室へと通されたらしく、外套だけを預けて勧められた椅子には座らず断り窓辺に向かって欠伸をしながら伯爵を待った。
野宿で土埃や灰にまみれているし、微妙に残る眠気を覚ますにはこの方がいい。
程なく現れたザバルト伯爵が笑顔で出迎えてくれた。
「お待たせしました、ボスティス様。よくご無事で」
「こちらこそ、入山の許可をしていただき本当にありがとうございました。お陰様で、上質の岩を手にできました」
「門前のあれですかな?」
屋敷内に持ち込める大きさでないので、窓の外に見える岩の存在感に苦笑する。
「はい。申し訳ありません、他に置くところがなく」
「いえ構いませんよ。どうぞおかけください」
「いえ、結構汚れが目立つのでこのままで構いません。すぐに出るつもりなので」
目を見開く伯爵に俺は待っている間に寄越してくれたお茶を飲み干し、メイドに手渡す。
「美味しかったです」
「え? め、滅相もございません!」
「ボスティス様、せめて一泊でもして行かれた方が……」
「実は夕刻に迎えに来るよう示していたんです。なので、今日のところは」
早めに来るようにも伝えていたし、日が沈む前に来るとルガートの言葉に苦笑をこぼす伯爵は、大きなお腹を撫でながら軽く目を回す。
「まるで渡り鳥ですな」
「いい材質の品を早く試したいもので」
「はは。お時間まではまだ時間もあります。お疲れには変わりないでしょう、せめて食事くらいはいかがでしょうか?」
「……。そうですね。では、お言葉に甘えます」
せっかくの好意だと頷いて、しかし服はこれしか持ってきていなかったから、町で買ってくるかと考える。
町の服屋がどこにあるか尋ねると、若い頃の服を譲ると話すザバルト伯爵に少々気が引ける。
いくらなんでもそこまでは申し訳ないが、立派な腹を叩くザバルト伯爵は笑っていた。
「いかんせんこの体型です。宝の持ち腐れになるよりいいでしょう。どうぞ使ってください」
「何から何まですみません」
「こちらも恩恵にあやかれるのですから、これくらい些末ですよ」
「ありがとうございます」
父との話は順調に進んでいるようだ。
風呂まで用意してもらい、さっぱりして用意してくれた服に袖を通す。
一式用意してくれたのだが帰るのみでこれは貰いすぎと簡易なシャツとズボンだけを貰い受け、丈は少し余るが袖をまくれば問題ない。
概ねぴったりな服はまあ、食事だよなあと苦笑する。
メイドに案内された食堂へと向かえば、見知った顔がいた。
「ご機嫌よう、ルガート様」
「ご機嫌麗しゅう、フレイン嬢、ルイリア嬢。成果の程はあとで聞かせてくれ」
「かしこまりましたわ」
自信たっぷりの表情に頷いて、用意してもらった食事は空きっ腹でなくともとても美味しかった。
勧められた酒は流石に止めておき、再び案内された談話室へはフレインと彼女の友人のルイリアと時間まで三人でお茶を囲むことに。
「ボスティス様、火竜はいましたか?」
「いや、今回は見かけなかった。またちょくちょく来るから、その時に倒す予定だな」
「簡単に仰いますが、火竜は簡単に倒せる魔物でなかったはずですが……」
「ルイリア、ルガート様の感覚はわたくし達とズレがありますから……」
「はあ……」
こともなげに宣うルガートに微妙な表情になるルイリアを気にせずお茶を飲み込むと、フレインに視線を向ける。
ぴっと少しばかり肩を緊張させた様子から、何の話が始まるかすぐに合点したろう口端を上げる。
「で? 進捗を聞かせてくれ」
「スピードには追いつけるようになりましたわ!」
「捕まえろって言ったろ」
「ですが、ルガート様、この魔力は捕まえようとすると逃げますのよ?」
「そりゃ他人の魔力だからな。ある程度は反発するさ」
もっとも、逃げるように設定しているから捕まえるのはまだ先だろうな。
それに気付くか教えるかはまだいいだろう。
「意地悪ですわね!」
「人にご迷惑かけたお仕置きだ。ちょっと火ぃ出してみろ」
「ここでですの?」
危ないと言いたいのだろう。
親指と人差し指で大きさを示す。
「指先程度の大きさでいい」
「ルイリア、よろしくて?」
「危なくないでしょうか……」
「もしもの時は俺が止める。まあ、大丈夫だと思うがな」
不安げなルイリアにも危なくなったら全力で消火すると約束し、では、と一瞬沈黙したフレインのかざした手のひらの上に、ロウソク程度の大きさの火種が浮いていた。
目を見開くフレインは、自身の起こした火にも拘らず衝撃を受けている。
のほほんと可愛いですね、とルイリアは笑みを浮かべていた。
「ルガート様! これ、これは!」
「だから大丈夫っつったろ。こっちへ攻撃してみろ」
平面にした水の魔法を手に浮かばせ、的代わりにしたそれをフレインに向ける。
生唾を飲み込んだフレインは手のひらを捻り、こちらへ向けてロウソクの火を放った速度も申し分ない。
ジュッとすぐに消えた火を確認し、ルガートも水の魔法を解いてお茶を飲み込んだ。
「凄いですね、フレイン様!」
「わたくし、こんな繊細な操作をしたことがありません」
「安定してきたんだろ。これが対魔物だったら威力も申し分ないものになる。王太子殿下の遠征に付き合った魔士よりは上々の魔力だからな」
分けた魔力が消えても操作の感覚は覚えているから続ければ、この先も安定した魔力を発動できると区切りをつけて立ち上がり、部屋を出ようとしたルガートに行き先を訪ねた二人はなぜかそのあとに続き、門の前に置かれている岩を見て呆けていた。
ルガートと同じくらいの身長のまん丸い岩を見てその反応は当然なのだが、当のルガート本人は気にも止めずに岩の一部を削った。
「ザバルト伯爵にはこの先も付き合いがあるが、色々と世話になったからな。これ分を少し加工するから待ってくれ」
「は、はい!」
風と水魔法で研磨して拳ほどの大きさの石がゆうに二〇個以上は仕上がった。
唖然としているルイリアと、ルガートの魔法を恍惚と見続けているフレインの落差も激しい。
加工中、門の前にいたから、迎えに来た御者がすぐに状況を察知してくれて苦笑していたがもう少し待ってもらい、荷台に岩を移しておく。
平面になったから転がって落ちる心配もなくなったので縄でくくりつけていく御者の手際は実に手早かった。
伯爵家の執事が持ってきてくれた桶に石を詰めて彼女では重さで無理があるだろう、そのまま屋敷の中に持っていってもらう。
「火で熱してもいいが、お湯で温めるのも良い。やり方は任せる。とりあえず屋敷の人ら全員で使って感想を聞かせてほしい」
「あ、ありがとうございます!」
「いや、こちらこそありがとう。かなりいいものだから助かった」
ふと笑うルガートに頬を染める二人。
本人は忘れがちだが、顔はいいのだ。
「ああ、あと、ブルースター公爵家で開いた夜会で突っかかってきた奴がいたろ? 名前何だったか」
「ノースタックス伯爵家のジョシュア様ですわね」
「あいつに絡まれたんだが、町にいたのか?」
「絡まれた? どちらでですか?」
「山に入ってしばらくしたらあとを尾けられてた」
目を見開く二人は見事に同じ顔だった。
「まあ!? あの山は許可がなければ入山出来ませんのに!」
「何しに来たのかいまいち分からないまま追い返したが、それでよかったか?」
「ええ! お父様によく言っておきます。あまりにも自殺行為ですわ!」
「頼む」
むしろ先に入っててたし死にかけたとは言わない方がいいな。
大人になったらお腹周りが、ですね。
脇肉、乗せ肉……うっ。