01.
「おぁ……」
第一声はここぞとばかりに戸惑いと困惑を混ぜ込んだ頼りないものだった。
身動きの取れないここでは無意味だと思考を即放棄。
なぜなら赤児だから。
ユエンリーナ王国。
王冠歴六九八年という節目も間近の頃にこの世界でつつがなく生まれ、すくすく成長した方である。
育ち盛りで齢五歳にして現在の身長は一三六センチを迎えたばかり。
大きい?
当然。男なのだから。
前世もご期待に添えないが男だ。
よくある異世界転生ものの顛末を想像した俺は、人生設計を明るく穏やかにしたかったばかりに赤児の頃から隙なく猫被りを徹底してきた。
見目が重なり愛らしく従順で素直、それでいてほんの少しだけ間の抜けた性格はメイド達からはなかなか激しめの可愛がりを受けて育つ。
誰もが可愛いと思うキャラクターを演じ、今日まで熱演してきた。
「次男のルガートなどは、いかがでしょうか、王女殿下。殿下のご希望通りの……可愛らしい性格で、優しい自慢の息子です」
「あら、まるで犬のようね!多少は言うことを聞かない躾甲斐がある性格の子でもいいのだけど」
なんだアレ。
というか次男? と認識した途端、ショックで全身が震えた。
俺だよ。
何だあの女は、縦より横の広がりの方が多くないか?
王女ってお姫様ってことだよな? あれ姫じゃなくてガマガエルだろどう見ても!
まるで接待風景を見ている俺は、父だと思っていた人から人身御供としてあの女にあてがわれようとしている現場を目撃(覗き見)してしまう。
部屋から離そうと俺の背中に触れる手が震える俺付きのメイドのメニエラも真っ青だ。
いけない、あんなのに仕えた日にゃ明日の命があるか分からないと本気で背筋が凍りついた。
逆らっても、どう頑張って従順でも、飽きたらポイ捨て案件が横にあるどころか背負っている。
脂ぎった肌にボンレスハムのようにはち切れんばかりの肉がサイズの合わないドレスで更に強調され、手足の関節すら見えないほどぎちぎちに肉肉しい。
いっそ畜産農家に失礼なその肥やしっぷりを見て、吐き気を覚える。
(いや待て、ストレスで食に走ってしまった人かも)
「わたくしの執事補佐候補となるのなら、わたくしのお世話も当然だわ。……何から何まで、お世話してもらわないと」
(いいいいいいいや!! 欲に忠実、色欲千万!! 気持ち悪いわあのクソガキ!!)
ヨダレ過多で舌舐めずりする様に、全身に怖気が駆け抜ける。
何かしなければ。
俺がダメでも歳の離れた兄かこの先産まれるであろう可能性の妹弟という最悪の結果も待っている。
父は気でも触れたのか。
この先に待つ地獄を考慮し、何が何でもお引き取り願わなければいけない状況を無理やり捻り出して考え、メイドの引き止める声も振り切って応接室を離れて向かったのは、兄の部屋。
これがルガート人生初のパニックだった。
「兄上!」
「ルガート、返事も待たずにドアを開けるとは何事だ。お前らしくもない」
「サンダーアロー!」
「な!?」
後先も考えず問答無用で魔法を放った。
体には当たらず上手く膝に刺さった雷矢と窓にも同じ魔法を放ち、ガラスやその先に見えた木が吹き飛ぶが、脇目も振らず、小さな体はバルコニーから身を躍らせる。
メイドの声に悪いと謝ったが、知らない金切り声が直後に響き、心の底から不快だと顔を顰めた。
次の瞬間、全身に走る激痛に俺は意識を失った。
その日を境に、『従順で素直で愛らしいルガート』は世から消えてしまった。
「兄貴いるか?」
丁寧なノックを三回。
右側の眉毛から頬にかけて酷い裂傷の痕が残る少年がやや荒くドアを開けて入室すると、一人がけのソファーに腰かけ、兄と呼ばれたジミトリアスはこの上なく苦い顔で眉間を押さえつつ出迎える。
「ルガート……お前はまた、返事をしてからドアを開けろと言ってるだろう」
「ごめーん。西の平原でまた野盗が出たと情報が入ってきたんだろ?」
「“お前”の情報だろうに」
「更にその北西に魔物の様子が妙に集まり始めてる。近いうち魔獣化するかも知れないからよろしく頼む」
さて、お分かりいただけただろう。
俺は快適ビフォーアフターに成功した。
容姿もそこそこ整っていたうちの兄弟だが、弟のお綺麗な顔は傷物、おまけに五歳離れた兄は杖を使わなければ歩行がやや困難な足に。
しかもオヒメサマの目の前で投身自殺まがいを図った俺は、当然ながら気が触れたと噂がついて回り、性格まで真逆に変わり果てたと世間様は肩を寄せ合っていた。
五歳の頃に起こしたとんでもない醜聞は十歳になった今でも語り草となっている。
父にはかなり申し訳ないと思ったのが、これが何とも言えない表情ですまなかったと頭を撫でる手は優しく、僅かに目元を赤らめ謝られた。
「まさかあんなお方だとは……」
嘆く姿は父もどうやら半ば騙された側のようで、口をはさむ隙のない謝罪と、姫の目の前での大惨事を働いた罪を悔いての処罰も全面的に受け入れ、更に心証よろしくない息子は側近候補を辞退する旨を上司(国王)に伝えた。
その父も高官の役職も侯爵位も辞す覚悟で罰を受け入れる姿勢を告げたらしい。
しかし、執事探しはガマガエルの独断凶行だったことが後々判明して、ボスティス家での惨事は不問と処されたという。
姫とは城で対面しなかったのか、父よ。
押し切られた形での姫の凶行は王城側で内々に処理されたものの、その噂が噂を呼び、なぜか俺は姫に無体を敷いたとなっていた。
醜聞としてはこちらの方が酷いもの。
濡れ衣にも程があるし吐き気がするから、全力でからかってくる近所のクソガキを全力で叩きのめしていつも兄に窘められて終わるのが常となっている。
「ルガート……お前もあと二年もすれば学園に入る。もう少し周りと溶け込め」
「拒否する。俺は俺とつるみたい奴だけでいい。兄貴もいい加減に現実見ろ」
「……あの可愛い弟はいずこへ……」
兄、ブラコン説。
顔を隠しているがさめざめと泣いている姿にドン引きしつつ報告は終えたので、また慌ただしく本気で泣く兄を放置し、部屋を後にする。
五年で大きく変わったのはルガートの性格と周囲との距離だが、今のところ軌道修正する気はない。
もう一つの目的地のドアを開けると、中から駆けてきたそれを受け止めた。
「にいちゃま、おそいです!」
「悪いな、ケイン。ちゃんと勉強してたか?」
「はい!」
ブラコンはここにもいた。
俺の弟ちょう可愛い。
くりくりのはしばみ色の目で見上げてくるこの小さな弟はまだ四歳一歩手前。
あとふた月もすればこの子の誕生日が待っている。
物怖じせず人見知りのない弟は俺を兄と慕ってくれるので可愛がりをしまくっていた。
勉強とはいうが、簡単な知能テストだけでもかなりの頭の良さに俺も舌を巻いている。
将来大物になるな、うちの弟は。
「ルガート坊っちゃま。坊っちゃまがお作りになられましたたテストですが……」
「もう解いたのか。ケインは天才だな。勉強はまた明日にして今日は庭で遊ぶぞ」
「ぶー」
唇を震わせブーイングをする弟に笑い、しゃがみ込んで目線が合えば、頬をはさんで痛くない程度に横に引っ張ってやる。
「おう汚いお返事だな、いつからうちの弟は豚になったんだ?」
「もっとおべんきょうしたいです!」
「外で遊ぶのも勉強だ。頭がよくても体が動かないとハンナも守れないぞ?」
「おそとにいきます!」
「偉いな。今日は駆けっこの練習だ」
「まけないー!」
「おお、その意気だ」
ボスティス侯爵家七不思議のひとつ。
初見の者は次男の振り幅の激しさに付いてけない。
最後までお読みになっていただきましてありがとうございます!
連載スタート、頑張ります。