嵐将携帯
「蝶!」
女王の名を叫んで、駆け寄ろうとするが。動けない。よく見れば、自分は鬼のように宙を漂って火口上空にとどめ置かれているではないか。
夢の中では、夢の中にいると気付けないものだ。武徳王は必死になって足掻いたが、身体は一向に動かない。
光善女王はそれに気付かぬまま、火口の天湖を見据えていた。
「神仏の怒り天の怒りを体現し、数多の地獄を湧現させた天頭山よ。我が国、白羅を、民を、愛する王様や我が子らを救うため。我が身を差し出すゆえに……」
その言葉は武徳王にも聞こえた。
何を言っている。まさか。そう思っていると。
「救い給え!」
跳躍し、飛沫を上げて天湖に飛び込んだ。
それから、泡のひとつも立たなくなり。周囲は寒々しいまでに静かになった。
「蝶、蝶ぃー!」
武徳王は叫んだ。大噴火を起こした天頭山の力にあやかろうと、光善女王は自らを生け贄にしたのだ。
「ああ、我に力なきために」
もはや嘆くことしかできぬ己の無力さや天の無慈悲さを呪うしかなかった。
「次に生まれ変わるときは、人になど生まれたくないものだ」
人の世のわずらわしさや、苦難、試練、それらは庶民から王族にいたるまで同じように訪れる。こんな思いをするくらいなら、早々に死んで。来世生まれ変わることがあっても人ではないものがよい。
「来世は家族皆で路傍の花と生まれ、そよ風を友としてゆるりと生きたい」
恨めしそうに天湖を眺めていると、にわかに風が起こり、波も立った。
嵐か、と思っていると。
天湖を突き破るように飛び出る、白く、翼をもてる虎。
「翼虎!」
武徳王は驚き、そこで目が覚めた。
目を見開き、上半身を起こせば。お付きの小姓が、起きられましたか、ご気分はいかがですか? と問うてくるが。そこに飛び込むように、臣下か駆けつけてくる。
何事かと思えば、臣下は息せき切って、
「い、い、い、一大事です。巍軍が撤退しました!」
「なんと、戯言を申すな!」
相手は自分に散々玉砕を説いた徹底抗戦玉砕派の臣下で、愛する后をむりやり出家させたのもそれらである。
「それより女王は、女王はどうした!」
「巍軍撤退はまことです。ほんとうに。……女王様は、知らぬうちに寺から姿を消されて」
寺は宮殿に比べて監視の目も甘かった。そのため、女王は隙を見て寺を抜け出したようだった。もう女王でない、一尼僧である。ということで油断があった。
病身ながら王の怒りは大きかった。
「うぬら、百度生まれ変わろうとも我が恨み消えぬと思え!」
「も、申し訳ありませぬ。女王様は責任をもってお探しします。しかし今は、巍軍でございます。ほんとうに撤退したのです」
相手が王であろうと傲然と振る舞っていた臣下が、いまは床に頭をぶつけんがばかりにひれ伏している。この変わりようはどうであろう。




