我画願望
その一方で貴志は筆を手にして、「光」と書いたが。反応はなかった。
(どうして)
鄭拓のは好きなように書けているのに、どうして自分のは思い通りに書けないのだろうか。
(いやいや、慌てるな。慌てるな。慌てたら向こうの思う壺だ)
そっと誰かの肩に触れた。柔らかな感じからして女性のようだった。一瞬どきりとしたが、息を整えて落ち着いた。
闇と黙の無明の世界では近くに誰かがいても、誰かわからない。それでも。
(近くの人を怖がらなくてもいいって、本当にありがたいことなんだな)
と、つくづく思ったものだった。
それからも、肩と肩が触れた。皆闇と黙に包まれて不安だったが、誰かの肩に触れるて、リオンとコヒョの小柄な子どもは、誰かの足に身を寄せて、少しでも安堵の気持ちになれた。
いつしか、肩と肩がつながっていたが。その様子は見えなかった。見えなくても、よかった。確かに触れ合っているという実感があったから。
(どうすればいいんだろう)
さてこの危機をどう乗り越えようか。
(何かで天命を知るってあったけど、これがあたしの天命かねえ)
羅彩女はふとふと思った。日陰にいさせられて、日向に出ようとしても日陰に、さらに闇に押し戻される人生だった。
(逃げられないのなら、一緒に生きるしかないか)
ふと、そう思うようになった。
龍玉は耳をそばだてて、九つの尾もゆらゆらゆらしながら、誰かの肩と触れ合っていた。片方は相方の虎碧と信じたかったが。
(それにしても、人間っていつの世もこんなんだねえ)
哀れみすら覚えてくる。自分から、のこのこと闇に吞まれてしまう。己心の弱さに負けて。それを自分たち妖怪のせいにされて、本当に迷惑な話でもあった。まああくどい妖怪もいるっちゃいるけど。そこはそこで、個別に見てほしいところだった。
(奴は己心の無明に呑まれてしまった。賭けるとすれば、そこか)
自身も無明に呑まれた経験のある聖智は、肩の感触と、足に触れる子どもの感触を感じながら、そんなことを考えていた。
(まったく、哀れな)
筆を制する者は天下を制すと言うが。
(筆を過信しすぎだ)
とも思った。
(……、恐れぬのか)
どうも様子がおかしい。恐慌の気配がないのが鄭拓には気掛かりだった。鄭拓には見えていた、聞こえていた。
(私が謀反を起こされるだと!)
学がなく字の読み書きも出来ないはず源龍にそう言われて、馬鹿げたことをと思いつつ。
しかし、打開の機会はあるのだろうが、現時点で一同が相手の術中にはまってしまっているのは間違いない。
まさか光と音のない、闇と沈黙の世界を現出させられるとは。何も見えない、何も聞こえない、何も発せられない。この三重苦がいかに苦痛なものかを皆それぞれ痛感していた。




