幻在相交
大口を開けて悲鳴を上げている。その大口から発せられる声。
「欲望を、欲望を満たしたい!」
「足りない、足りない!」
「もっと、もっと!」
その言葉を聞き、羅彩女は思わず歯ぎしりする。
源龍は、雷の心配はないと、足にすがる子どもに「わりいが離れてくれ」と離して、得物の打龍鞭を取りにゆき、急いで戻る。
「糞鳥に食われてもなお、欲の皮が張ってやがるのか。たいしたもんだぜ」
忌々しそうに源龍は皮肉をつぶやく。
一見何の変哲もない雲が、青銅鏡から発せられる光が当たると、そんな人面になるのである。ということは、これは、分厚い雲であると同時に、魂の塊としたものなのだろうか。
光が消える。青銅鏡はただの鏡にもどった。
その雲からまた別に分かれる雲があり、高度を下げてくる。下げながらも、何か姿かたちが変わってゆく。
「なに、何があるってんだい?」
羅彩女は軟鞭を構え。源龍も打龍鞭を構え。臨戦態勢。
「んん?」
「これは」
雲は高度を下げつつ姿を変えてゆくが、それは人の形をとっていた。さらに、服装に頭の上に乗せる冠も形作られてゆく。
「皇帝……」
羅彩女はぽそっとつぶやく。そう、その姿はまさに皇帝である。薄汚れた灰色の雲が、人間の姿、それも豪奢な帝衣をまとい冠を戴く皇帝の姿になったのである。
「なんてひでえ面だ」
目鼻顔立ちもくっきりとしてくるが、その顔つきはお世辞にもいいと言えない。特に、目はつり上がり狂気を湛える。目は口程に物を言う、というが。その目からして、皇帝の姿の雲は欲望と狂気にとり憑かれているのは一目瞭然だった。
「食っても食っても腹が張らねえってのも、哀れなもんだな」
その、薄汚れた灰色の皇帝は、身の丈は世界樹の高さを超える。世界樹も高い、しかし雲の皇帝からみれば。膝までしかない小さな苗木だ。
それがしゃがんで、手を伸ばし。伸ばされる手の指先が目指すのは、青銅鏡。
青銅鏡を持つ子どもは恐怖で身が固まり、身動きできない。
一陣の風の如く駆け、羅彩女は子どもを抱きかかえて駆けて。同時に源龍も駆け出し、打龍鞭を指先にぶつけようとする。
ぶうんと打龍鞭は唸り、伸ばされた、一番長い中指にぶつけられる。
しかし、打龍鞭はぶつけられたもの、ぐにゃりとした手応え。まるで腐肉を打ったような、手応えのなさだ。それどころか、少しへこんだところから、跳ね返って。
「うおお!」
打龍鞭はどこかへと弾き飛ばされそうになり、源龍は咄嗟に拳に力を込めて柄を握り。体勢を整えなおす。
「鞭が効かない!?」
遠くへ離れて子どもを下ろし、青銅鏡を託され左手に持つ羅彩女は、唖然とその様を見やった。




