秋水長天
「ここは」
オレは死んだはずだ。
源龍は周囲を見渡す。
辺り一面白い霧に包まれている。足元すら霧に包まれて、足が見えない。白い霧に包まれて浮いているようにも感じる。
服も着ている。剣も佩いている。
ただ、あたり一面が白い。
「ここは……、オレのことを考えれば、天国じゃねえ、地獄かもしれねえな」
江湖で剣客として生き、時には傭兵として戦場を駆けての戦いの人生だった。この手で奪った命も数知れず。
剣を抜く。
本能的で、無意識な動作で。そのことに気付いて苦笑いする。
「地獄に落ちても、これか」
所詮自分は戦う事しか知らない殺人機械なのだ。地獄の獄卒だろが閻魔大王だろうが、戦うことに躊躇はない。
(しかし白いな)
いまわの際に見た、海と空との境がぼやけて見境が付きにくい秋水長天を思い出す。
海と空は境をなくし、ひとつとなって。自分はそこへ来たのか。
だが何の気配もない。
ただただ白い。
ここには、生き物は源龍しかいないかのようだ。
「地獄」
ふと、地獄について考えた。
獄卒が罪人を拷問するのが地獄だと思っていたが。
「そんなものは死ななくてもある」
思えば、生きている時も地獄ではなかったか。人同士骨肉相食むひどい有様。これが地獄でなくて何であろう。
いや、むしろこんなものは地獄のうちにも入らないのか。
「ここにはオレしかいない」
ひとり、という地獄。
この白い世界、勇んで剣を構えたところでひとりしかいないとなれば何の意味があろう。
「悪夢だぜ」
人間はおろか他の生き物も、草一本すら生えていない。足も地に着いているのかどうかすらわからないような、白い世界。
そこで、ひとり飢えて死ねというのか。いや、自分はすでに死んでいる。ならこの白い世界でひとり何をしろというのか。
悪夢だった。こんなことなら、現世で剣を振るう方がまだましだ。
「ひとりは怖いかい?」
声が聞こえ、咄嗟に反応して声の方を向く。
「ははは。強がっていてもやっぱり人恋しいんだね」
声を聴けば、幼い男児のようだった。それが源龍をからかうように言い、そのうえ、ひとりだと思っていたのにそうではなかったことに気付けなくて、思わず屈辱を覚えて腹が立つ。
「ざけんじゃねえ、姿を見せやがれ!」
「死してなお意気盛ん、善き哉善き哉」
声はなおもからかうように言う。まるで寺の坊主が子供をあやすように。
「僕の姿が見たいかい? なら、声のする方へ来なよ。それなりの手練れならわかるだろう」
「ようし、あとで泣き入れても許さねえぞ」
源龍はふわふわしたおぼつかない感触の中、声の方へ歩き出す。