担々麺屋
何かの事情があるのだろう。世間知らずのおぼっちゃまと言ったりしながら、その裏に気遣いを感じて、貴志は怒ることはなかった。
「担々麺売りの店はこの近くにあるけど、この店はあたしも知っている姐さんのやってる店さ。江湖の女侠としたもんかね」
「やくざですか」
「あんたのような人には、あたしらはそう見えるんだね」
「あ、いや、そんな」
迂闊に漏らした言葉に娼婦は苦笑し、貴志は慌てて取り繕う。
「ここらへんは貧民窟でもましなところさ。姐さんのおかげでね。面倒見がよくて、なつくやつも多いんだ。あたしも世話になった」
「いい人なんですね」
「そうだね。根っからの悪人なんてまずいないよ。なにかの事情でそうなったんだよ。運命って、容赦ないよ」
「……」
「でも、人の世には多少なりとも人情がある。巡り合わせのいかんによるけど、あたしは姐さんにどん底からすくい出されて、娼婦でもましなほうさ。むごいことになった女も多いからね」
貴志は言葉もない。娼婦としてむごいこととはどんなものか、想像するだにぞっとしてしまう。
しかし娼婦の方でも前置きがつい長くなったことに気付いて苦笑し、本題にはいる。
「ところであんた、言葉遣いがちょっと違うね」
「僕の名は李貴志といいます。暁星の者です」
「道理で。身なりもいいし、身分も高いんだろう」
「ああ、恥ずかしながら、宰相の子で。器量に合わず悩んでいます」
「宰相! からかわないで」
「ああ、いや、そんな、からかってませんよ」
「まあ、いいや。それで、本題に入るけどね」
(ほんとなんだけどなあ)
まあ、確かに、宰相の子がひょっこりひとりであらわれるなんて現実離れしてて、簡単に信じてもらえないかと受け入れた。
「早く帰った方がいいよ。で、二度と来るんじゃないよ。ここはあんたにはふさわしくない」
「いや、別にやましいことをしようと」
「だからなおさらだよ。担々麺売りの源龍と香澄のことはあたしも知ってるけど、同じことを言うと思うよ」
「……友達になるのって、そんなに難しい事なんですか?」
「身分が違いすぎると、どうしても意識にずれがあって、すれ違いもだんだんひどくなって。最後は合わなくなるんだよ。っていうか、つべこべ言わずに、さっさとお帰り!」
娼婦はおもむろに立ち上がるや、鬼の形相になって怒鳴り。部屋の押し入れを開けたかと思えば、なんと幅広の刀を持ち出してきたではないか。おそらく護身用に置いているものだ。
貴志はだが、動じることはなかった。大嫌いとはいえ武術の心得もある。




