秋水長天
それは誰も知らない物語。
読む者のない。
にもかかわらず、そこに人があった。生き様があった。
死に様もあった。
そしてまた生き様が重なり、また死に様が重なり。
それでも、それは誰も知らない物語。
読む者のない――。
半開きの眼に見えるのは、空か、海か。
陽光もおぼろげに、淡く霞んだ海と空。どこでわかれているのか。ふたつ並んで交わり合って、海も空もひとつのものに見える。
どれが海で、空か。
上が海か、下が空か。
だが、そんなことは、もうどうでもいい。
(それより、なんでオレはこんな時に)
そんなことを考えるのか?
胸を貫く剣。
その剣の剣身に埋め込まれた七つの、紫の珠。
北斗七星の配列に埋め込まれている。それは七星剣といった。
それが己の胸を貫いていた。
白く細い手が七星剣の柄を握りしめ、男の胸を貫く剣を抜けば。赤き血潮がほとばしるように流れ出し。
無精ひげを生やしながらも精悍な顔立ちで眼光鋭い黒衣の剣士は、どっと力が抜けて、人より頭一つ抜け出た長身の身を砂浜に横たえて。
秋の、海と空とが交わる秋水長天を眺めていた。
そばには得物の剣が並ぶように横たわる。
「オレは死ぬのか」
「そうよ、源龍」
かすれた声に応える、あどけない少女の声。紫の衣をまとった少女が、男を、源龍を見下ろすようにそばに立っている。
それは、さながら死者を迎えにきたる天女のようであった。
「香澄、お前は、勝ったってのに嬉しそうじゃねえな」
「意地悪を言わないで」
あどけなさの残る小柄な少女、香澄は長い髪が風になでられ頬をかすめるのも気にする様子もなく、虫の息の源龍を見つめていた。
「まあ、いい」
「なにが?」
「こんなくだらねえ世の中とは、おさらばだ」
「……。そうはいかないわ」
「死人をからかうんじゃ……」
それから声が出ない。目も閉じた。
(これで楽になれる)
思えばいい人生と言えるものではなかった。
戦ばかりの乱世に生まれ合わせて、剣客として生き、戦うことを余儀なくされ。
気が付けば、この香澄という少女剣客と手合わせをして、このざまだ。
「源龍、あなたにはやることがある。生まれ変わって」
もはや源龍は答えない。目を閉じて、安らかに眠る。
海から風が吹いて、香澄の髪を揺らす。
横たわる源龍を見つめて、七星剣を見つめ、鞘に納めると。瞳を閉じて、静かに手を合わせる。