迷人悪夢
源龍は怒りをあらわに人狼に怒鳴る。これではおちおち戦っていられない。
「オレもそのつもりだったが、天下が来てはそれどころではないな。……天下を知っているようだな。見えるぞ、見えるぞ」
「またそれか!」
「ふふ、オレには何もかもお見通しよ」
そんなやり取りをしている間、志煥すら固まり。気持ちが飲まれないようにするのがやっとだった。
今までいろんなものを見て来た。見たくもないものも見て来た。しかしこれはさすがに想像を超えすぎたものだった。
その想像が実体化し、自分に迫るような感じだった。
そうかと思えば、すう、と。にわかに煙が見えたと思えば、それは樽と化して。船の床に鎮座していた。他の船にも同じように、樽が現れ置かれた。
「いい匂いがする」
誰か男が樽のふたを開ければ、
「酒だ!」
そう言って顔を突っ込んで、ごくごく飲みだした。
志煥も樽から漂うよい匂いに、心を動かされ、自分も飲みたいと思った。漁村の人々も同じように、樽を凝視し。子どもが呼び掛けても知らん顔の有様だった。
「この気持ちは……」
志煥の心は揺れた。それは心地よい揺れだった。若かりし頃、大志を抱いて地方から漢星に出て。役人になって出世してやろうとした。
しかし叶わず、苦労の末に地方の漁村に飛ばされた。海を眺めて、自分に失望したが。
「私は、自分に負けてはいなかっただろうか」
失望すればこそ、己を省みて、書物を手に学びなおし。そこでようやく、自分を見つめなおし、失望から立ち直れた。
「いかん!」
志煥は気を奮い立たせて樽まで駆け寄り、それを足蹴にする。しかしびくともしない。それでも、樽に迫る人々に対し、もろ手を広げて、
「ならぬ、これを飲んではならぬ!」
そう叫んだ。
人狼と画皮どもは面白そうに眺める。にやにやへらへらしている。鳳凰は静かに海に浮かぶ。
源龍も異変を感じる。物の怪たちよりも、人の方に。
「これはなんだ?」
「餓鬼に聞けばよかろう」
人狼は少し後ろに跳躍し、距離を開ける。
「僕らには異変はないようだけど」
「一度死んで転生して、この世とあの世のはざまにいる、はざまの住人だからだよ。転生者ははざまの住人の異名でもあるんだ」
「はざま!?」
貴志は言葉もない。この世とは生者の世界で、あの世とは死者や神の世界、そのはざまにいるとは。
「じゃああたしらは?」
龍玉と虎碧だ。ふたりにも異変はないようだ。
「あなたたちは、転生者と巡り会うさだめで、世界樹が力を与えている者なんだよ」