2話
「ニコルお嬢様、何してんですか?」
「……サーラ、もしかして私が見えるの?」
壁にピタリと張り付いたまま極力動かないようにしてたのに、部屋に入ってきた侍女のサーラは、ぽやん、として私を見つめる。
「何をアホなこと抜かしちゃってるんですかい、しっかりバッチリ見えてますよ。まさか透明人間なんて、くだらないこと考えたとか?」
「い、いいえ、そ、んなこと、これっぽっちも考えるワケないでしょ? 馬鹿らしい」
動揺が声に出ないように、なるべく平静を装ってサーラに向き直った。
何だ、お母様のように、念じれば、魔法が使えると思ったんだけどなぁ。やっぱ修行不足かしら?
どこで訓練を受ければいいのかしらね。あとでお母様に相談してみようかな。
「ニコラスの様子はどう?」
「それですが、捻挫と打撲は一週間くらいでほぼ回復するらしいです。脳しんとうは目覚めれば問題ないと。頭から落ちてあの程度の怪我で済んだのはラッキーな方らしいです、はい」
ほう、と安心して胸を撫で下ろすと同時に、聞きなれた叫び声が耳に届いた。
「ニコラーーーーーーーースっ!」
来ちゃったよ、ごめんお父様。また頭の上が薄くなるかも……
意を決して、しずしずと階段を降りていった。
玄関にいるお父様は、全身汗まみれ、前髪がベッタリと額に張り付いている。
うえっ、その汗拭おうよ……チラッとサーラをみると、すかさすかさず後ろに手を回してサッと分厚いタオルを差し出してきた。
私はお父様にそれを渡し、お父様はそれで髪の毛をゴシゴシ。結果、何本かまた抜け落ち、その毛を確認して一言「……グッバイ、私の毛髪」
タオルを握りしめ、遠い目をしてしばらく佇んでいる。そしてハッと気づくと私の両肩を掴み、睨むように聞いてきた。
「ニコラスが階段から落ちて瀕死の重傷だと聞いた。容態は? アイツは今どこに?」
「心配いりません、全身打撲と捻挫は一週間くらいでほぼ回復、脳しんとうを起こしてるので、少し寝かせて目覚めれば問題なしです」
先ほどサーラから聞いた情報をそのままそっくり伝えた。
「そうか、なら良かった……って良くないぞっ。お前が何かやらかしてニコラスが犠牲になったんだろ? さあ、素直に吐きなさいっ」
お父様ったらひどいっ。最初から私を犯人扱いしちゃって。まあ、だいたい予想が的中してるあたり、お父様の勘もまだまだ捨てたモンじゃないわね。
しかーし、ここで素直に認めるワケにはいかない。何とかして誤魔化さないと。
「私が可愛い弟を犠牲にするなんて……お父様ったら私のこと、そんな目で見ていたんですか? ニコル悲しい。いっそ出家でもして誠意を示せば良いのかしら……」
しょんぼりさん、といった顔をつくって、悲劇のヒロインになりきってみましたっ!
「い、いや、そこまで言ってないから。まあ、ニコラスが目覚めれば話しも聞けるし、問題ないか、ハハハ」
やべぇ、ニコラスが目覚めたら、私が仕出かしたこと筒抜けじゃん。どうするかな。
「お父様、ニコラスが階段を踏み外したことは一瞬だったんです。目覚めても記憶が曖昧な可能性もありますので、あまり詮索せずに回復に力を入れるよう、励ましてやった方がよろしいと思いますよ?」
「うむ、それもそうだな。詮索することによって、ニコラスを咎めるようなことにもなりかねんな。わかった、ニコルのいう通りにしておこう」
やっりぃ、これでこの件は片付くな。
あとは、明日からの護衛の辞退をお願いしないとね。それと例の書類。なになに?
書類は明日からの護衛日程と注意点ね。
アルベリアからの使者の不穏な動きを見かけたら、すぐに報告を、だと? 何かあるの?
「お父様、ニコラスは明日から第二王子の身辺警護だったんです。アルベリアとの外交がからんでるでしょ? 大丈夫ですかね?」
私は書類をお父様の前に広げ『不穏な動き』という文字を指差しながら話し続けた。
「ウチの国はアルベリアとはあまり仲良い関係ではないですよね? 向こうは好戦的な国の体質だと聞いてますけれど」
んー、と唸りながらその書類を受け取り、眉をひそめながら話す。
「あまり大丈夫とも言えんな。向こうの情勢がきな臭くなって来てる。また昔のように、どっかの小役人に賄賂を掴ませて、こちらの内乱を煽りそうな感じ……って何でニコルが聞いてるんだっ。お前には関係ないからっ」
ふ〜ん、ジェイクが王宮に戻るのもこれが理由だよね、たぶん。ってことは……
第二王子に引っ付いていれば、アルベリアの内情とか使者の顔覚えるよねえ。もしかしたら、貴族の裏取引きとか探れちゃったりするねぇ。これって私の出番じゃない?
「お父様、私、ニコラスの代わりに第二王子の身辺警護につきますよ。怪しい動きを通報するだけですよね? 公式の場で怪しい動きなんかする人なんて滅多にいないですから、私はお飾りで立ってますよ」
その言葉を受け、お父様はギョッと目を剥き、ブンブン首を横に振りながら「絶対にダメだっ、余計なことに手をだすな」と全力拒否をする。なんて失礼な。
「やっぱりダメですか? わかりました、仕方ないですね。ニコラスの休暇申請は私が届けておきますよ」
「ああ、私はエリン公国の視察が入っているから、しばらく連絡がとれん。何かあったらミレーユに連絡を入れなさい。今はスラー伯爵夫人と温泉巡りのはずだ」
出張の支度をしたらすぐ出かけるそうだ。
少し待ってお父様を送り出すため、再び玄関へと顔をだす。
ニッコリ笑って「行ってらっしゃい」と明るく手を振って送り出した。パタンと扉を閉めた途端、私は嬉し過ぎて大きな声を上げてしまった。
「やったあ、行ってらっしゃい、お父様。申請は明日、私が一日だけ警護のお仕事させてもらった後に出してくるわ。たっのしみ〜」
あ、でも制服をどうするかなぁ。きっとニコラスのを借りてもダブダブで違和感あるよねぇ。
「ニコルお嬢様、近衛の制服は前回、第六騎士団の制服と一緒に、ニコル様専用のものをお作りしておりますのでご安心ください。ウイッグも、今回は、すぐには外れないよう、バージョンアップしております。名付けて『ニコラスヘア二号』」
小躍りしている私の横から、サーラが明日の変装準備について説明をする。
目の前に出された制服とウイッグに、思わずタジタジっとしてしまった。
しかしなぁ、『ニコラスヘア二号』って……まんまやないかい。
前回ウイッグが簡単に外れたのがよほど不納得だったのか、何点かの改良を加えたことを、こと細やかに説明してくれた。
もう、私がいつニコラスに変装しても全然動揺しないみたい。というより、早く変装して欲しかったように思うんだが。まあ、それは気のせいだとして。さすがサーラよね、だてにお母様とタッグを組んでるワケじゃないのね。
今回は一日だけだし、ジェイクと鉢合わせにならなければ、絶対にバレない自信がある。
私はニコラスの書類をもう一度読み、明日の日程を頭に叩き込みながら、気を引き締めた。