紅い瞳は真実を曲げる
ボクの瞳は紅い。生まれつきじゃないけど、紅い。嘘つきの眼だ。
元々の眼の色は蒼。ボクは変わった人に会って、悩み事を打ち明けた。そしたら、紅い瞳にしてくれた。この眼は、嘘を本当にしてくれるすごい眼なんだ。
ある日、ボクは赤い少年に出会った。その時ボクは泣いていて。そんなボクを見た真っ赤な彼は、真っ赤な瞳を大きく見開いた。
「どうした?
何かあったのか?」
素早く駆け寄って、ボクの事を心配してくれた。こうやって心配してもらった事ってあったっけ? そんな事を思ったら、余計涙が出てきて止まらなくなった。
彼は何も答えずにぼろぼろと涙をこぼすボクを抱きしめて、落ち着くまで頭を撫でてくれた。
見かけた事のない、全く関係のない彼になら、秘密を話しても大丈夫な気がした。
「ボク、本当は女の子なんだ」
「うん」
落ち着いてから、ゆっくりと順番に話し始めた。
「だけど、父上も母上も、男の子が欲しかった」
ある夫婦が望んだのは、男の跡継ぎだった。でも、生まれたのは女である自分だった。長男ではないが、長子。男として育てられる事が、生まれてすぐに決まった。
そうして育てられて五年が経った。両親にとって念願の男が生まれた。長男が生まれた今、男として育てられる意味はない。そう思っていた。
だが、そうではなかった。
生まれたばかりの長男を、次男だと喜ぶ両親。それを見た時、自分が完全に男として認識されているという事実に気が付いた。女である事を忘れ去られていたのだ。
女である自分は不必要だ。そう言われた気がした。男として育てられた自分を大切にしてもらえている事を喜べば良いのか、女としては認められなかった事を悲しめば良いのか、幼い自分には分からなかった。
ぐちゃぐちゃになった思いが、この状態を作り出していた。
「で、あんたはどうしたいんだ?」
「う?」
一通り話し終えたボクは、彼からの質問に首を傾げた。赤い少年はわざとらしく額に手を当てて溜息を吐いた。
「あんたは、男として両親の期待を背負いたいのか?
それとも、女としてこれから生まれた性を謳歌したいのか?」
ボクは即答した。
「父上と母上の努力を無駄にしたくない」
ボクは、あんまり深く考えていなかった。女の身体でありながら、男として生きていくという意味も、両親の期待を長男として背負うという事も。
ボクの答えに、彼は軽く返事をした。そして、覆い被さるようにしてボクの頭を両手で挟んだんだ。
「あんた、名前は?」
紅い瞳と、近距離で見つめ合う。透明感のある、綺麗な赤だった。
「フローレンス」
名前を言えば、眩しいくらいの笑みを送られた。
「開花と繁栄か。良い名じゃん。
あんたの成功を祈ってる」
彼の笑みに、吸い込まれそうになる。一度も名前の由来なんて、考えた事はなかった。
ちょっとだけ、自分の名前が好きになれそうな気がした。
「よし、フローレンス。
俺と契約しよう」
彼の紅い眼に釘付けになった。ボクの意志じゃない。勝手に、彼の紅い眼にピントがあった。心臓がばくばくしてくる。どこか、遊ぶ約束をしているみたいな軽さのある言い方だったけど、強制力があるみたい。
頭のどこかで、危険だと言う声がした。
その声に一瞬従おうとしたけど、無駄だった。金縛りにあったように、ボクの体は動かない。言う事をきいてくれなかったんだ。
「フローレンス、その願い聞き届けよう。
その身体、周りからは男として見えるようにしてやる」
「……」
口も動かない。じっと彼の瞳を見つめながら、この儀式が終わるのを待つしかなかった。
「万が一の事もあるからな。
ばれそうになったり、不都合な事があった時に便利な眼もやろう」
ボクの両目を彼の手が覆った。かっと熱くなった。でも、叫ぶ事も逃げる事もできない。眼が燃えるようで、怖かった。身体の自由がきかないのも、怖かった。
「本当に、困ってどうしようもない時だけ、俺を呼んでも良い。
ロー、助けてって呟け。そしたら助けに来てやる」
そう言うと、彼は覆っていた手をはずした。燃えるような熱さはなくなっていた。さっきまで感じていた恐怖感も。
「その眼は特別だけど、俺みたいな奴には通用しないから気を付けろよ」
「あ……」
ようやくボクの身体はボクの言う事を聞いてくれた。でも、うまく言葉にならなかった。
「じゃ、父上と母上を大切にしてやれよな」
「ろー……っ」
ボクの呟きは無視された。頭を強くがしがしと撫でて、ローという少年は消えた。
文字通り、消えたんだ。紅い霧になって。
それ以来、ボクは男の子として、ダーブロウ家の長男として生活している。
七歳のお披露目パーティーで、美人な友人もできた。何かと世話を焼きたがる隣領の令嬢とも仲良くやっている。
何度かバレそうになった事もあった。でも全部一人で何とかできた。紅い瞳は真実を曲げる。うまく暗示をかけて、ボクが女の子だって気が付いた事をなかった事にする。
何もかも、うまくいっていた。
「ねえ、何で僕に嘘をつくんだい?」
今までずっとうまくいってたから忘れていたんだ。
「僕はずっと昔から気が付いていたよ」
貰った力が、通用しない相手がいるって事。がくがくと、膝が震えてる。ボクは目を見開いたまま、彼から目を逸らせなかった。喉がからからになって、ひゅうと乾いた呼吸音がした。
「フロウ。君に事情があるんだと思って、今までは言わないでいた」
通用しない相手が、親友だったなんて。気が付かず、ボクは彼にも暗示をかけようとしてた。いや、何度か暗示をかけた記憶がある。
優しい彼は、暗示にかかったフリをしてくれていただけだったのか。
「さすがにこの年で、言わないでいるわけにはいかない」
彼は、美しい彼にだけは、知られたくなかったのに。天使のように美しくて、真っ直ぐで、公平さを持った彼にだけは――
「従者のフィデリオに身体を洗わせるのは止めるんだ。
その度に暗示をかけるなんて、可愛そうだ。
流石の僕も見ていられないよ」
ボクだって、良いとは思ってない。でも、毎回動揺されるんだもん。仕方ないじゃん。
それに……
「……体を洗う泡の使い方、分からないもん」
ボクは、自分で言うのもあれだけど、自分の事は殆どフィデリオに任せっきりで、できない事ばかりなんだ。
思い切って正直に言った。泡の正体だって、知らないんだ。一人で湯浴みなんて、できるわけがない。
「……」
「……」
沈黙が怖い。彼から冷気が出てる気がした。背筋に悪寒が走る。
「エ、エルッ!」
思わず彼の服を掴んだ。掴んだ手を、逆に掴まれる。
「石鹸の使い方くらい、教えてあげるよ」
エルの手は温かかった。だけど、とてもしっかりと掴まれて、両手が動かない。
「周りはどうであれ、十歳になった君は立派なレディだ。
それを忘れちゃいけないよ」
どんな時でも、エルは綺麗だった。嘘を吐いて、真実を曲げて生きてきたボクが、こうして話をする事だって申し訳ないっていうのに。
「君の紅い瞳は真実を曲げるんだ」
「……エルにはちゃんと見えてたんだね」
ボクに言えたのはそれだけだった。険しい表情だったエルが、微笑んだ。ふんわりと、柔らかな微笑み。
ボクの大好きなエルが戻ってきたように感じた。
「その瞳は、魔眼って言うんだ。
これからじっくりと理由を聞かせてもらうよ」
ぐっと顔を近付けてから、覚悟していてね。なんて言われてしまった。顔が離れたと思ったら、手を引っ張られる。
どこ行くの!?
覚悟って何? いや、えっと。そうだ!
「フローレンス・リアム・オリビア・ダーブロウは停戦の申し立てをします!」
「あはは、それ面白いけれど、戦っている訳じゃないから無効だよフロウ」
心の底からおかしな事でも聞いたかのように、笑い転げそうな勢いでエルは笑っていた。でも、手は離してくれなかった。
ずるずると引きずられがちになりながら、エルの後を歩くしかなかった。
そしてボクは、今までの事を洗いざらいに白状させられたのだった。
紅い瞳は真実を曲げきれなかった。