(9)カンナ
ナナミは来なかった。
あんな性格だが、約束は守る女だったから、おかしい、と思った。電話した時は、クラブを出たところだから、すぐに着くと言っていたのだ。
おかしい。携帯がつながらない。
胸騒ぎがしたので、あたしはニ丁目で女の子達を送る手配を済ませると、ゴールデン街へは行かず、区役所通りの事務所へ戻ることにした。
途中、顔見知りの風俗店の店長を見かけたので、声をかけてみた。この男は、系列のデブ専風俗店へナナミをスカウトしようとして断られたことがある。あたしの顔を見るたびに、何とかナナミを説得してくれと言うので、本当はいやだったが、仕方ない。
「ナナミを見かけなかった?」
「どうしたの、血相変えて。ナナミちゃんなら、早足で風林会館の方に歩いてたっけねぇ。」
「何時頃?」
「うーん、十一時過ぎかな?うちの社長が顔出してったすぐ後だから、そう、間違いないよ。それよりさ…」
「ありがとう。」
あたしは、店長の制服のポケットにビール券を数枚ねじこんだ。この男は、酒好きなのだ。換金しても、五千円近くなる。
まだ何か言い続ける店長に手をふると、あたしは通行人の間を縫うようにして事務所へ戻った。
水を一杯飲んで、事務所のデスクにつくと、あたしは頭を整理する前に、もう一度ナナミの携帯にかけてみた。電源が切られているようだった。やはり、おかしい。だが、様子をみてみることも必要だ。
ナナミは、女衒の仕事には関わっていないし、他のクラブから歌手の引き抜きの話が来ているわけでもない。だから、敵対する組織にさらわれたという可能性は除外していいと思う。
第一、麻記子は今のところ他の組織と摩擦を起こさないよう気を配って、配下の者にもきつく言い渡していたから、表面上このあたりは平和だった。
あり得ない。あり得るとすれば、あのしつこい変態馬鹿コップだろう。
あたしはリュウに会ったことがない。彼氏の存在なんて、ナナミの妄想の産物だというのが周囲のもっぱらの意見だったが、あたしはリュウは実在すると確信していた。
リュウが、クラブシンガーの仕事のことをかぎつけるかもしれない、とナナミが不安がっていたのは最近のことだ。感情がエスカレートして、ナナミの体を責め苛み、傷つけ、おかしな物まで持ち出して穴という穴に突っ込んでは、後から後悔して泣くのだという話も聞かされていたが、それはうんざりすると同時に、かなり笑える話でもあった。
じっさいの光景を想像するのは悪趣味だが、つい目にうかんだのは、あふれんばかりに餅の入った巨大なうすと、貧相な体の若い男が格闘している図である。シュールで諧謔的なエロス?
あたしは頭をふって、気色の悪いイメージを追い払うと、これから調べるべきことを確認し、スケジュール調整に向かった。
何でもなければ、それでいい。しかし、何かあったら…ただじゃ済まなくなる。