照りつける太陽のように白いキミは
大企業"NEO-UU"が育てた"万能人"。
彼らは国の指導者に迎え入れられたり、事業を活性化させたりと個人で大きな力を持つことができた。
しかし、その"万能人"の中には、与えられた特権や肩書きを捨てて地球市民から脱退する者がいた。
彼らは"現代賢者"と呼ばれた。
一般に"現代賢者"とは南極を他の企業や国の勢力から奪い取り、それ以来南極に住む"万能人"を指す。
新しい発見や技術を次々に生み出す"万能人"とは対照的に、世界の人々が連想する"現代賢者"印象は非常に悪いものだ。
あの戦争、"現代賢者戦争"は確かに手荒に見えたが、あの一つの選択肢だけは潰させる訳にはいかなかった。
私たち"現代賢者"は……
南極 東域 城壁の街
「暑い暑い暑い!おい!これで最後の荷物だよな!?」
容赦なく照りつける陽射しの中、若い男がタオルで汗を拭い悲鳴を上げた。
それに体格のいい30代ばかりのアジア系の男性が答える。
「ああ、最後だな。どうもありがとよ」
この男性は今日この城壁の町にやって来た"現代賢者"だった。
彼が持ち込んだ荷物はコーヒーの焙煎機やコーヒーを注ぐカップやグラスばかり。
"現代賢者"は普通、この南極に来てから必要品を造り揃えるが、彼の食器や用具は一つ一つが別格な雰囲気を醸し出して唯一無二と言う言葉がよく似合う逸品ばかりであった。
「こんな炎天下だがお礼に一杯作るぞ。飲んでいくか?」
「あーと!コーヒーをか?この町じゃ水を冷すのも一苦労なんだぞ!また冬の時に頂戴するぜ。じゃあな!」
男性はそう言うと灼熱の通りを歩き"てみずや"へと向かって行った。
もっとも、この30代ばかりの男性はこのような暑さでもコーヒーを平気で飲むことができる。
何故ならと、コーヒーを好む気持ちが単純に他より強いからだ。
そんな病的とも言えるコーヒー好きから、彼は「コーヒーおじさん」とのあだ名がついた。
この南極に来るずっと、ずっと前に。
コーヒーおじさんは荷を崩して金色に光る手回し式の焙煎機のパーツを取り出し、通りと家を仕切るカウンター台に組み立て始めた。
少し複雑だがそれを組み立てることなど彼にとってはとても容易なことだ。
コーヒーおじさんは数分足らずで手際よく焙煎機を組み立て終えると、港の町でこの南極の地のコーヒー豆を手に入れることができたことを思い出した。
初めての地で、初めての味に出会えるなんてとても新鮮なことだと感激した。
早速肩掛けのバッグからそのコーヒー豆が詰められた小さな瓶を取り出してまじまじと眺めた後に開封して匂いを嗅ぐ。
「驚いた。無臭の豆か。見た感じロブスタ種のなかまのようだが、何処で採れたかを聞いておくべきだったな…」
生では無臭でもきっと焙煎すれば匂いがでてくれるだろう、と彼は未知のコーヒー豆に期待し、早速組み立て終えた焙煎機に豆を入れ火を点けた。
彼の焙煎機はそれぞれの豆に適した時間が経てば熱伝導と熱蒸気でケトルのように音が鳴る構造になっているが、何しろこの南極産の豆は焙煎にどれだけの時間がかかるかまだ分からないのでこの機能は切ってしっかりと見守ることにした。
きっかり13分。焙煎機の豆からパチパチと音が鳴り始める「一ハゼ」と呼ばれる段階にやっと入った。
水分の多い豆ほどこの「一ハゼ」の段階に時間がかかる。
コーヒーおじさんはこの豆は水分が多く含まれている種類だということを新しく脳に刻み込めた。
別のコーヒー豆とのブランドを探すのに今日を費やしても悪くない、と彼は思いつき、次の段階「二ハゼ」が始まる前に家の奥に無造作に置かれた大きな荷物にへと駆け寄った。
その中から気分で数種類のコーヒー豆を探し当てると、カウンターから今度はジリジリという微かな音が聞こえてくる。
これは「二ハゼ」が始まった合図だ。
コーヒーおじさんは急いでカウンターに戻ると、さっきまでいなかった子供がじいっと焙煎機を見つめていた。
その子供は光り輝いているかと錯覚するほど肌が白く、着込んだ服装もその肌に負けじと真っ白のものが占めている。
その中でも不恰好に被った帽子に付いている赤い角と2つの赤い目が実に目立つ。
白色と赤色がお互いを映えさせていた。
それらは、その子が先天性白皮症であることを遺憾無く主張していた。
焙煎機に向けられた赤い目がコーヒーおじさんへとスッと移る。
「おっさん誰?」
キョトンとした顔でアルビノの子供が亜人の言葉で言った。
彼も南極に来る船の中で覚えた"亜人"の言葉で適当な返事をする。
「私か?私は今日ここに越してきた者だよ」
コーヒーおじさんは焙煎機の灰色のレバーをむんずと掴み、回して容器の中の豆をザラっとかき混ぜた。
「そんなことはわかってるんだけど」
白い亜人の子が不服そうに言う。
コーヒーおじさんは数秒の間、ザラザラと豆をかき混ぜる音を聞いた後、改めて言い直した。
「…初めまして。私のことは『コーヒーおじさん』とでも呼んでくれ。実の名は、忘れてしまったんでね」
「コーヒー?」
コーヒーおじさんは焙煎機の中の豆を指差する。
「その豆がコーヒーだって?それ、食べても旨くないよ」
「食べる?少し違うかな」
そう言うと彼は、すっかり水分が抜けて膨らんだ豆を網に移し薄皮と熱を飛ばす段階に差し掛かけた。
「じゃあ消臭に使うとか?」
白い亜人の子の質問攻めが続く。どうやら気になって仕方がなさそうだ。
「んん〜違うね。正解をお見せしよう」
彼はコーヒーフィルターをカウンター下から取り出し、焙煎した豆を少量入れ、中網で上から軽く圧力をかけた。
コーヒーカップの上にフィルターをぴったり重ね、沸かしておいたお湯をこれまた少量、注ぎ入れる。
「薬?」
「おっ、コーヒーは薬だ。違いない」
「おじさん病気なんだ!」
何故か軽快な口調で白い亜人の子が笑った。
趣旨のズレた反応にコーヒーおじさんは苦笑いした。
「えーとだな…健康を促進させる飲み物だ。これは」
コーヒーカップの大きさと丁度いい量、豆からでる味が薄すぎず濃すぎない量をゆっくりと、「θ」の文字を描くように湯をフィルターに注ぎ蓋を被せる。
「これっておいしいの?」
「さぁね…。この豆のコーヒーは飲んだことがないから分からん。キミも飲むかい?」
「いいの!?」
「もちろん。ここまで本格的なコーヒーを飲める場所は多分南極でここだけだぞ!」
コーヒーおじさんは同じ手順を踏んでもう一つコーヒーを淹れて白い"亜人"の子の前に差し出した!
「カップから水が落ちる音がしなくなったら、上の蓋を外して飲んでみな」
そう聞くや否や、白い子供は頬をカウンターにへばり付けてカップの中の音に耳を澄ませた。
コーヒーをつくる上での最終段階であるこの「ドリップ」には数十秒掛かる。この時間を利用して彼は白い亜人の子に、今度はこちらから、幾つかの質問をしようと考えた。
「そういえば、キミは誰で、何処から来たのかな?」
「…アリサカ。で、あっちから来たんだ」
アリサカと名乗る子はカウンターに伏したまま左手で東南の空の方向を指した。
「あっち?じゃあキミはやはりこの町の人じゃないのかな」
「そうだよ。あっちの森の先の人だよ」
「すると何だ、亜人の言葉を喋れるみたいだし、キミは亜人かい?」
「んー、うん。"爬虫亜人"だけどね」
アリサカはそのままカウンターに突っ伏した姿勢で背後に長く生えた尻尾を彼に見えるようにピンと立てて左右に動かした。尻尾も透き通るように真っ白だ。
「見事なまでに白色だな。しかし目立つだろう?その…、人を喰う生物からはどうやって逃げるんだい?」
「エルネス姉が追っ払ってくれるんだよ!エルネス姉ね!ダインとか竜種より強いからさ!」
その質問にアリサカはパッと顔を上げて目を輝かせて早口で答えた。
「…ふむ。お姉さんがいるのか」
コーヒーおじさんはそれを少し不思議に思った。
ダインという恐鳥類も、竜種も、亜人にとって大きな天敵だと聞いていたからだ。
果たして子供が簡単に追い払えるものなのだろうかと。
「そのお姉さんは一緒じゃないのみたいだが、大丈夫なのか?」
もしかしたらただの誇張かもしれない、とコーヒーおじさんは深くまでは触れないことにした。
「エルネス姉ケガしちゃって、手当てしてもらってる」
「それは大変だ」
わざわざ城壁の町に手当てしてもらいに来ているということは、もうアリサカやエルネスには頼りになる親がいないことを表していた。
「あっ、………音、しなくなった!」
「よしきた」
アリサカにつられるようにコーヒーおじさんもフィルターを取り外して、カップの中の液体と対面する。
「黒い…それと、熱そう」
「そりゃ湯を注いで作るから熱いだろう」
キメの細かいあぶくから覗く黒い液体の湯気を見て、好奇心に溢れていたアリサカの表情が少し曇る。
「どうした?怖じ気ついたのか?」
「"爬虫亜人"には熱いのとか冷たいのは、その、アレなんだ…」
「"ヘテロスタシス亜人"ってやつか。そいつは大損だなぁ。コーヒーは熱いうちが一番美味いんだ。しょうがないからスプーンで掬って冷やすといい」
「そうする…」
彼はコーヒーカップがすっかり並べられた食器棚から小さなスプーンを取り出しアリサカに渡した。
"ヘテロスタシス亜人"なら、体温はこの猛暑により人間の体温くらいにまで上がっているだろう。それでもコーヒーの温度は致命的なほど熱く感じるらしい。
焙煎した後のコーヒー豆には芳ばしい香りが出て、その中には若干の苦味も含まれていた。しかしコクやキレは飲んでみないと分からない。
「では、いいだこう」
スプーンに掬ったコーヒーにふーふーと息を吹きかけて冷まそうとしているアリサカを尻目に、彼はぐびりぐびりとそのコーヒーを飲んだ。
酸味はほぼ無く、予想以上に強い苦味が後味として喉にやってきて余韻を残す。
どの豆にも感じたことのないさっぱりとした味わいであった。
カウンターの方から咳き込む声が聞こえて、こーひーおじさんはアリサカがこっ酷く苦しそうにしていることに気が付いた。
「うわっ苦っ!なんだこれ!」
「やっぱり子供にはまだ早かったか。ミラティーでも入れるか?」
「『やっぱり』ってなんだよ!苦いって知ってたなら教えてくれてもよかったじゃないか!」
「言ったろ。私も飲んだことないって。もしかしたら甘いコーヒーの可能性も…どうした?」
コーヒーおじさんは口を噤んでしまった。
アリサカは急に通りの方を見てピタリと止まってしまったからだ。
「エルネス姉帰ってきた!」
カップの中のコーヒーが溢れそうになるほどの勢いでアリサカが立ち上がった。
コーヒーおじさんもカウンターから身を乗り出してアリサカが見ている方に目をやると、陽炎が揺らめく通りから少女が歩いて来るのが見えた。
アリサカの姉らしき人物はアリサカと同様、真っ白な肌に白い布地をまとい、赤い目をしていた。
治療処理と思われる頭に巻かれた包帯も髪の色の白さと同化して、コーヒーおじさんは彼女が近くにくるまでそれに気がつかなかった。
「探したよアリサカ。あまり遠くに行かないでと言ったのに…。すいません。アリサカが迷惑かけなかったでしょうか」
その先天性白皮症の女の子はコーヒーおじさんに申し訳なさそうな口調で言った。
「姉弟揃ってアルビノとは…!珍しいこともあったものだ…弟さんはいい子にしていたよ。頭を怪我したなんて、どうしたんだ?」
「"曇竜"にやられまして…。いや、大したことじゃありません」
この発言でさっきアリサカが言っていたエルネスの強さに妙な真実味を帯びた。
見かけからして13歳かそこらだろうが随分と柔和で大人びていて、礼儀正しい。
しかし、竜種の中位である"曇竜"や恐鳥類ダインを退けられる者にしては、外見的に貧弱すぎる。
それでも現に曇竜相手にケガだけで済み、アリサカに至っては無傷という奇妙な矛盾があった。
「エルネス姉、このおじさんがコーヒーって飲み物くれたけど苦くて飲めない。いる?」
「コーヒー?聞いたことあるよ。飲んでみたいかな」
「なかなか苦味が強いぞ。ミルクか糖分を入れた方が…」
エルネスはアリサカの隣の椅子に座ってカップの取手を持ちゆっくりとコーヒーを飲んだ。
コーヒーおじさんは、また妙な事に気が付いた。
まだコーヒーはさほど冷えていないのに、エルネスは熱そうな素振りも見せずに、普通にコーヒー飲んでいた。
アリサカと同じ"ヘテロスタシス亜人"ならば、危険な温度差を感じると小さな針を手に刺してしまって身が飛び上がるような脊椎反射が起こってもおかしくない、また、それを我慢で圧し殺すこともできないはずだったり
どうもさっきから辻褄が合わないことに彼は困惑した。
「コーヒー…初めて飲みました。心が落ち着きます」
「エルネス姉、苦くないの?何ともないの?」
「うん。おいしいよ」
アリサカは姉が苦いコーヒーを普通に飲んでいる事に驚いて問い詰めている。
「…いやはや、お姉さんは随分と大人だな」
「コーヒーって大人が飲むものだったの?」
今度はコーヒーおじさんに問いつける。
「私はキミより小さい時から飲めていたが、大人の飲み物とはよく言われるな」
「自慢しないでよ。いつか大人になったら飲めるようになってみせるから!」
「じゃあこれから薬草のお薬もちゃんと飲んでくれるね?」
「やだ!」
アリサカの言葉を聞いてすかさずエルネスが言い、またそれにアリサカがすぐに答えた。
一同はみな大笑いした。
日が傾き、アリサカとエルネスは帰って行った。
手を繋いで、誰もが仲のいい姉弟だ。
人類が"レフュージ"を見つける前も、8年前の"現代賢者戦争"があった時も、彼らはこのレフュージに住み、そして誰もが自然の脅威と恩恵を受けている。
コーヒーおじさんはその中で生きるあの白い姉弟には眩しいほど生命の神秘を感じた。
あの姉弟の不可思議な店を気になりはしたものの、執拗に詮索して突き止めたからと言って何になろう。
このコーヒーの一杯を飲む満足感には及ばないと彼は考えた。
人間の知りたがる癖は既に度を越し初めている。
ロマン主義の"現代賢者"達はよくこう語る。
「分からないから『神秘』と感じられる」
…と。
"現代賢者"に成ったばかりの彼でも、その言葉は今では充分に理解できた。
《"六種限戦争"が起こる1ヶ月前の日の出来事…》