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エンジュ

 朝、半分ほど覚醒した頭でぼんやりとした目覚めを迎えた。目は閉じたままだったが、ふと柔らかい感触が手の中におさまっているのに気づく。なめらかな手触りはキメ細やかな絹のようで、それでいて心地よい弾力を兼ね備えている。さて、このような寝具が存在していたかどうか、寝ぼけながら俺は昨日ベッドに入る際の記憶を再生する。

 こんな感じのものは存在していなかった。となれば……なんだ? やけに気持ちいい感触だ。


 残り半分の意識も事実確認のために覚醒させ、ゆっくりと目を開けていく。窓から差し込んでくる陽の光に少し目を細めながらようやくその正体を悟った。


「ふぎゃああああぁぁぁぁぁっ」


 静謐な空気を積み上げてつくられる朝の静けさを叩き折ったのは、俺の悲鳴だった。


「な、なななな、れ、レレレレいな? が……なんでこっちに!?」


 ベッドの中、俺が飛び退いた勢いでシーツがめくれあがり、レイナの色白で美しい肢体がキワどく見え隠れしている。待て、ちょっと待て。ということはなんだ? さっきの感触はつまりはもしかしてアレということか? 神の頂ともいえる神秘に彩られた双丘に、俺は手を触れてしまったということか。


 っていうか、俺もしかして眠ってる間に何かされた? されてないよね?

 うん……多分何も……されて、ない、と、思う。

 ぶっちゃけわからない。


「ん……おはよ、イサヤ。よく眠れた?」

「さっきまでなっ! なんでレイナがこの部屋にいるんだ。ミルと一緒の部屋で寝たはずだろ」

「だってあたしを守ってくれるんでしょ? 夜だって何かあると危ないし」


 俺の貞操が危ないわっ!


「と、とにかく、部屋に戻ってくれ。こんなとこ誰かに見られたら誤解される」

「は~い」


 レイナが伸びをするとシーツがはだけそうになり、瞬時に駆けよってそれを防ぐ。


「そういうところも……新鮮だなぁ」


 などとレイナが呟いたところで、部屋内にノックの音が響いた。


「イサヤさん!? さっきの声はなんです。どうされました?」


 ミルだ。山小屋の部屋に当然鍵などあるはずもなく、ノブを回せば扉は開く。こんな国境付近にまでくる人間はそういないため、昨日ここに泊まったのは俺達だけだったのでセキュリティ的にも問題はなかった。


 だが、今ばかりは鍵が存在していればと思った。シーツ下のレイナの身体はおそらく防御力0の状態だ。今こそ俺の全力の敏捷力を見せるときに他ならない。扉へと一秒も経たずに駆けてドアノブ押さえようとしたが……コンマ一秒の差でノブを握ったのは、扉の向こう側だったようだ。


 開かれた扉の先にいるミルが、猛疾走する俺を見て微かに驚きの表情を浮かべた。俺は急制動をかけて直立不動の姿勢をとる。


「おはようございます。大丈夫ですか? 何か叫ぶ声が聞こえた気がしましたが。あ、それとレイナさんが見当たらないんです。何かご存じ……」


 ミルの視線がベッドの先に固定され、次に俺へ固定された。


「ご存じあったようですね。すいませんでした」


 そういって、ミルは静かに扉を閉じた

 ……誤解です。俺だってついさっきまではご存じありませんでしたからね。


 朝食の場でこちらを見やるミルのどこか冷たい視線に耐えられず、俺は釈明を開始した。獣人族の特性を知っているミルは、あの現場を理解してくれただろう。


「レイナさんも少しは慎みを持ってください。獣人族がどういう価値観を持っているとしても、イサヤさんは人間族です」

「じゃあミルは気になる男性がいればどうやってアピールするの?」


 ちょっと興味あるな、その質問。

 レイナの言葉にミルが困ったように顔を伏せた後、


「わ、私は商人ですから、そうですね……例えば相手の欲しい商品を仕入れて――安く提供するとかでしょうか」


 ……あげるんじゃなくて、あくまで売るんだ。さすがミル。


「ん~、あたしには真似できそうにないなぁ」



 山小屋を出発して向かった先は山脈の洞窟だ。山脈は間近で見上げると頂上が見えない。一体標高はどの程度だろうか。しかも遠くから眺めた時には稜線が切れ目なく続いていたので、登って向こう側へと行こうものなら多大な労力を強いられるだろう。まさに天然の国境だ。


 たどり着いた洞窟は天然にできた岩の割れ目といった様相で、縦にひび割れが走っている。これを洞窟と呼んでいいものだろうか。崩れそうな不安もあって入るのを少し躊躇ってしまう。そして国境を抜ける道だというのに、特に騎士が常駐していることもなさそうだった。


「自分でいうのもなんですが、人間族は他種族に対して排他的ですからね。わざわざこんなところに騎士を配備しなくとも、ここを通る人間は物好きな者やごく一部の商人ぐらいでしょう。ですから半ば放置されているらしいです」


 荷物の中から手際良く、イースウェルで準備した松明を片手に持ったミルが呟く。ならばミルもそのごく一部というわけか。洞窟の中は微かな湿り気を帯びており、どこかカビ臭い。内部の広さはダンジョンの部屋よりは小さいが通路ほど狭いというわけではない。魔物が出現しても対応はできるだろう。


 しかし、この暗さでは対応が遅れるかもしれない。


「あたし、暗いところでも物は見えるよ。獣人族の中でも猫は暗闇が好きだから。昨日だってイサヤの部屋に行く時……」


 洞窟内部で眼を翡翠色に輝かせるレイナの言葉を遮り、俺は隊列の変更を要求した。すなわち、もっとも視界が広いであろうレイナを先頭において何か前方に異変があればすぐに知らせられるようにしたのだ。


 そして後方は俺が担当する。視界はレイナほど広くはないが、何かあれば対応できるように警戒しながら歩いた。ミルは戦闘力が低いので安全な真ん中に位置取ってもらい、松明で辺りを照らすようにお願いした。


「なあ、ここを通る商人って向こうに何しに行くんだ?」


 幸い魔物はまだ出現していない。警戒はしているが、暗い洞窟をただ黙って進むのは精神衛生上良いとはいえないので、ミルに質問してみた。


「それは人によって様々でしょう。そうですね……私が知っているのは武具の材料となるドロップアイテムの買い付け目的でしょうか」

「ドロップアイテムの買い付け?」

「はい。ドワーフの作る武具などの交易は困難ですが、ドロップアイテムの買取は獣人族から許可を得ている商人がいるそうです。獣人族には物々交換で生活する者もいるようですが、やはり通貨というものは流通の効率化に必要不可欠なものですから、獣人族もお金は使用します。人間族から物を買うことも皆無ではありませんし」

「ふむ、なるほど」

「獣人族だって土地を拡げるためにはダンジョンを攻略するからね。これはどこの種族においても同じなんじゃないかな。まあ、ドワーフ族はそこまで戦闘に向いてるわけじゃないかも。ただ手先はものすごく器用だから、それを他種族に提供することで友好関係を築いて自国の領土拡大をお願いしたりするんだよ。強いドワーフも時々いるけどね」


 レイナが得意気な顔でこちらを振り返る。自分だってそのぐらい知っているというアピールだろうか。


「え、と獣人族が攻略で獲得したアイテムは基本的にドワーフ族に渡すそうです。買取や物々交換だろうと思いますが。でも、実際のところはかなりドロップアイテムが余ってしまうそうです。需要に供給が追いつかないといったところでしょうか。そこで余ったドロップアイテムを買取にくるのが……」

「人間族、か」

「はい、それが私の知っているケースです。余っているドロップアイテムを大量に買い付け、それを商人ギルドへと持ち込んで差額で利益を出すらしいです。獣人族に通貨が流れるのはこれが大きいのではないでしょうか」


 なるほど。途中に山脈があるとはいえ、リープを習得している商人ならそこまで持ち運びに苦労しないのかもしれない。魔法が使えない獣人族がわざわざ売りに行くことはないのだろう。交流があまりないというのは、人同士の交流が少ないということか。


「それってさ、もしかして安く買い叩かれたりするのか? 俺がこっちでダンジョン攻略したアイテムとかさ」

「いえ、ほぼ変わらないと思います。そういった商法は薄利多売が基本ですから」


 インフレとデフレの概念、及び金の発行がどこで行われるのかについては、この際無視することにしよう。


 そんな話をかなり長い間していたのだと思う。気づけば、前方に明るい光が確認できた。結局のところ洞窟内部では魔物に遭遇することはなかった。


 洞窟を抜けると、緑豊かな草原が広がっていた。暖かな日差しが地面を照らし、足元に萌える草花の心地良い香りが風に乗って運ばれてくる。


「あたしの村はあっちだよ」


 明らかに元気さを増したレイナが迷わずに一方向へと歩みだす。やはり自国の領土に帰ってきたのが嬉しいのだろう。


 洞窟を抜けてさらに東へと向かう。エンジュへと向かう途中、やはり魔物の襲撃は何度かあった。ダンジョンよりも頻度は低いが、レベルは決して低くないので油断はできない。


 だが、俊敏な動きで敵を撹乱してくれるレイナのおかげで、戦闘はかなり楽なものとなった。敵の攻撃を華麗に躱しながら、機を見計らって強烈な一撃をお見舞いする、というのがレイナの戦闘スタイルらしい。複数で現れた場合には一体をレイナにお願いして、こちらが片付いたらレイナの援護へと向かう。レイナの一撃もかなり強力なのだろうが、やはり攻撃力においてはヴァルという剣の性能もあり、俺の方が段違いであるらしかった。



 ――早朝に山小屋を出発したこともあり、昼過ぎにはエンジュまで到達することができた。ミルは集落と言っていたが、規模的にはイースウェルと同程度だ。人口は少なめかもしれない。だが建物は煉瓦造りで、しかもかなり立派なものもある。器用なドワーフ族が手伝ったのだろうか。いや、レイナ自身もかなり器用だったので、自分達で建てたのかもしれない。


 エンジュを散策するのは後回しで、今はレイナが向かう先へと同行する。しばらくすると一際立派な建物が視界へと入った。


「ここがあたしの家だよ」


 族長の家はやはり他と比べて大きい。レイナが進もうとすると、入口付近にいた男がこちらへと駆け寄ってきた。


「レイナ様っ! ご無事でしたか」


 町の中にいた獣人族の種類はおそらく猫と思われるものばかりだったが、こいつは違う。かなりゴツい。筋肉は盛り上がり、俺を一回り……いや、二回りほどビルドアップした体格だ。例えるなら少し小さいボブ・サップといったところか。顔は人間のようだがどこか獣じみており、野性感満載である。髪の毛は顎まで繋がっているために、鬣のようになっている。耳と尻尾もあるようだが、どこか猫のもとは異なっていた。


「彼は獅子のようですね。獣人族の中でも特に戦闘力が高いといわれています」


 ミルの説明がなくても、強いのだろうということは分かる。そして怖い。さっきからこっちを睨む目が、俺には耐えられない。


「あいつ来てるの? ちょっとやめてよ。この人達はあたしを助けてくれた人なんだから」


 レイナが叱りつけると、その獅子は睨むことはやめたが、それでも敵意は無くなっていないように思える。

 さっさと家に入ろうとするレイナに、心配になって俺は声をかけた。


「俺達、もしかしていない方がいいか?」

「ううん。一緒にきて」


 俺とミルは顔を見合わせてから、レイナの後を追った。


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