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紅蓮天照烈士之神楽  作者: 鋼田 和
第一幕 無双の爆槍
9/15

 第八章 反撃の結束者達

これ以上後手で受けるつもりはない、と叫んだ者が掴んだ手の中にあるものは、何か――。

 「真田幸正と道則の叔父である、真田幸隆がどういった立場なのかを、まずは整理する必要があるわ」

 

 昼であることもあって、町中は活気に満ち、賑わっていた。その中を行き交う人々と接触しないように歩いていた蓮理が隣の早苗に話しかける。

 

「えっと、結構前に姿見かけなくなったんだよね? ってことは……」

 

 早苗は人指し指を唇に当てて空を見上げる。その言葉の続きは蓮理が請け負った。

 

「ええ。全く関係ないってことは確率的に考えても低いでしょう。二人のように攫われた被害者であるか、あるいは今回の黒幕、手引きをしたとして何かしら加害者として関わっているか、見極めなければならないわ」

 

 うーん、と唸り、早苗は首を傾げて横にいる蓮理を見る。やや納得のいかない表情である。

 

「でもそっちって思斗が調べてくれてるんじゃなかったの?」

 

「最初はね、そうだったけれど……私達の担当していた道則先生が攫われてしまったとなってしまったら、仕方ないでしょう? とりあえず、真田幸隆について尋ねていきましょうか。話すのは私がするから、早苗は町の人々の声を拾って頂戴」

 

 町民が何を話し、噂しているかわからない。しかしどんな些細なことでもそれが根幹に繋がる可能性がある以上、聞き耳を立てて貰う役割が必要である。早苗の性格上、そのような役割は難しいと思われるかもしれないが、蓮理がそう思っていたのならこのような仕事は与えていない。できると信じているから任したのだ。勿論、根拠も存在している。早苗は注意力が散漫であるが、それ故に四方八方に注意が向く。要するに聞く範囲が浅く、広いのである。その事実は旧友でしか知り得ない。

 

「うん、わかったよ蓮理ちゃん。ぶっちゃけるとそっちの方が楽――じゃなかった、楽できていいや! ……あれ?」

 

 その言葉の通り、簡単である。早苗にとって人の話を聞くまでは全然構わない。しかしその後の考え、推理することの方が至難の技であった。

 

「……お願いするわ。でもその前に」

 

 言葉を切って、蓮理は立ち止まる。それに連動するかのように早苗も止まった。

 

「うん? その前に?」

 

 早苗より前に出ていた蓮理は振り向いた。

 

「行く所があるの。行っておきたい、行かなければならない場所が」

 

 それは責任感を帯びた強い目であった。見て、すぐに早苗は蓮理の言う場所を理解する。

 

「ああ……あそこだね。うん、行こう!」

 

 早苗自身、気になっていたことではあった。やはり何よりも先にあの場所に行かなくては。それでようやく開始するのである。

 

 

  ●   ●

 

 

 二人が足を運んだ先には、女性がいた。正確には妻と子、である。そう、蓮理達は真田道則の家族の元へと訪ねていた。困惑した表情をしながらも二人を居間へと迎え入れてくれた妻に対し蓮理は感謝と、そして誘拐を未然に防げたかもしれないという謝罪を行った。

 

「お顔を……どうかお上げ下さい。蓮理様がするべきことではありません」

 

 名は明美(あけみ)という、その女性は無理をしている、と蓮理は思った。主人がいきなりいなくなり、もう二度と会えないかもしれない状況だというのに不満をぶつけずに、ただひたすら我慢している。その優しさが蓮理の心を痛ませた。

 

「しかし、私は道則先生がいつ攫われてもおかしくないと思いつつも、彼に気を付けるよう助言をせずに放置してしまいました。私の判断の甘さです……本当に申し訳ありません」

 

 自分と早苗で見張りをすることだってできた筈である。実際その日の夜は予定も何も無かったのだから。というより、そうした方が良かったと後悔する程、あの会話は無駄であった。自己嫌悪に陥りそうにもなるが、何とか自分を保つ。

 

「この失態は、必ず道則先生を生きて連れ帰ることで取り返す所存です。その為に、どうかお力を貸して欲しいのです」

 

 謝罪を本命に出向いたのだが、ついでに(というのも失礼ではあるが)聞きたいこともあった。

 

「……私にできることがあれば、何なりと」

 

 この際に、早苗は子供の世話をすることになった。子供を聞かせる内容ではないので隣の部屋へと移させる。早苗の目が輝きながら子供を抱きかかえて行ったのは気のせいではない。

 

「子供がお好きなのですね」

 

 というより、思考回路が似通っているからかもしれない。蓮理は微笑ましいと思っているに違いない明美の顔を見て、苦笑いしか返すことができなかった。そこまで素晴らしいものではない。

 

「みたいです……それでは最近、道則先生が尾行をされたということはご存知ですか?」

 

 まず本題を切り出す前に、小さいことを片付けていく。それを踏まえて、自身の懸念している事柄について話すこととしよう。

 

「はい、知っています。私はしばらく寺子屋を閉めて、城へ避難した方が良いとも提案してみたのですが、主人は『こんな時だからこそ、閉める訳にはいかない』と……」

 

「そのことなのですが……」

 

 予想以上に速かったが、ここだ、と蓮理は切り出した。しかしそれは叶わず、突如鳴り響いた、玄関先に取り付けられていた鐘によって妨げられた。

 

「あら……誰でしょうか。すみません、お客様だといけないので、少し席を外させて頂きます」

 

 不思議そうに首を傾げ、そして申し訳ないという旨を伝えながら頭を下げた。

 

「いえ……構いません」

 

 ありがとうございます、と再度礼をし、立ち上がって玄関へと向かって行った。

 視界から明美が消え、すぐさま蓮理は隣の部屋の障子を開ける。

 

「早苗」

 

 その光景としては確かに微笑ましいものであった。早苗はずぼらではあるが、面倒見は良い。一緒に遊んでいる子供も楽しそうに笑っていた。

 

「うりうり~。わぁ、もうこの子可愛いなぁ。二歳だっけ? うへへ、名前なんて言うんだろ? あ、蓮理ちゃん。話終わった? もうさぁ、可愛すぎて鼻血出そうなんだけど怖がらせるといけないから必死に我慢しているんだぁ」

 

 それは結構。しかし今はそう悠長に楽しんでいる場合ではない。

 

「早苗!」

 

 蓮理の纏う雰囲気に気付いたのか、パッと姿勢を正して蓮理の方を見る。子供は膝に乗っかっていた。

 

「う、うぇい……何? どうしたの蓮理ちゃん」

 

「どうした、じゃないわよ。玄関に行くわよ」

 

 しかし早苗には蓮理の意図がよく理解できていないようで、頻りに子供の手首を掴んでぶらぶらと動かす。

 

「えー? でもお客の対応してるんだから、邪魔しちゃいけないよ?」

 

「相手がお客だったなら、私だって邪魔なんかしないわ。ただ、今のこの状況で家に訪ねてくるなんて、怪しいと思わない?」

 

 話しながらも玄関の方へと注意を向けておく。今のところは穏やかだと判断できる話し声が聞こえてくる。どうやら本当に客であるらしい。しかしながら、それがより怪しさを増している。真田幸正が連れ去られたとわかった時から懸念していたこと、それは身近な人物が裏切っているのではないか、ということである。そうでなくては堅固な城から真田公だけが消えるなんてことは難しい。つまり今やこの松代町民は皆、疑わしくなってしまっているのである。警戒の意味も込めて、自分達も出張っていかなくてはならない。

 

「んー、でも大胆過ぎじゃないかな。生徒だったりして」

 

「さっき、生徒には全員休みって通達を送ったって言ってたじゃない。その手の管理はあの人がしているみたいだったし」

 

 道則が教鞭を振るい、その妻は裏方としてその他の事務的な仕事を手伝っており、生徒に連絡を送る役割はほぼ妻が行っている、と居間に通されている最中に教えてもらったことであった。

 

「じゃー何だろ……?」

 

 今度は子供の頬をぷにぷにと触りながら考える。否、考える振りをしていた。この時の早苗は子供の頬の柔らかさに心を奪われている。

 その真意を察した蓮理は両手を合わせるように、思い切り叩いた。

 

「それを確かめに行くのよ。ほら早く」

 

 その音で現実に呼び戻され我に返る早苗を見て、溜め息交じりに促しながら腕を掴む。

 

「わっ、わっ! ちょ、ちょっと待ってよ蓮理ちゃん。この子置いとけないし、一緒に行くなんてもっと駄目じゃん」

 

 慌てて弁論したのは見え透いているが、蓮理は掴む腕を放した。何故なら何が起こるのかわからない以上、このまま三人で向かうのはよろしくない。ここに一人放置しておくのも、何が起こるのかわからないのだから、もっとよろしくない。

 

「……そうね、それなら貴女は残っていて。私が行く」

 

 こればかりは仕方のないことだろう。自分が浅はかだったかもしれない。

 

「うん、それでよろしく! 何かあったらすぐ呼んでね! すっ飛んで行くから!」

 


 即答する程、その子供と遊びたいのだろうか。気持ちはわからないでもないが。

 

「期待しているわ」

 

 障子を閉める際、うえへへへへ、という嬉しい悲鳴と表現すべきなのかよくわからない声とそれを呼応するかのように純粋な子供の笑い声が入り混じっていたのは、聞かなかったことにする。

 通された道を戻ると、妻と男がいた。体格が良く、腰には刀が差されていた。道則より年上そうに見えるが、そこまで年老いていると言う訳でもなく、三十歳後半、と推測できた。

 蓮理の気配と姿に気付いたのか、男は話を打ち切って視線をこちらに向けた。明美も振り返る。

 

「あぁ、蓮理様。ご紹介します。主人の部下で護衛の隊長も務めて下さってくれた、中里さんです」

 

何だ、護衛か、と内心安堵する。てっきり浮気現場でも見てしまったのかと少々冷や冷やしていたところであった。

 

「……どうも」

 

 頭を軽く下げる。やや不愛想であったが、それを一々気にする蓮理ではなく、反射的に蓮理もお辞儀し返す。そうして目線を元に戻すと、彼がじっと蓮理を見つめていることに気付いた。探る目、そう、疑う者がする目であった。

 

「あの、何か?」

 

 問うて、すぐには答えなかった。少しの沈黙を挟み、ようやく山里と呼ばれた男は口を開いた。

 

「道則様が誘拐される前に寺子屋に来ていたな……奥様、どうか離れて下さい」

 

 右手をゆっくりと柄へと伸ばした。と同時に身を前へと屈み、足腰に神経を集中させた。右足も片方と比べると一歩分程度に前に出ていた。この姿勢が何か、蓮理は知っていた。一般的かつ基本的な、居合斬りである。

 

「山里、さん?」

 

 余りの出来事に、明美は声を少し震わせながら尋ねた。しかしその返答は彼女が期待したものではなく、むしろ一番望んでいない言葉であった。

 

「申し訳ありませんが奥様、今日お訪ねしたのは道則様を見つける為です。その手掛かりが、今、貴女様の横にいる。離れては貰えませんか。奥様を血で汚そうものなら、私は道則様にお会いできる顔がありません」

 

 明美はその忠告を無視し蓮理の前へと立ちはだかる。

 

「違います! 蓮理様もまた主人の為に動いてくださっているのです。その方にそのような無礼は主人の部下といえども私が許しません!」

 

 普段はお淑やかな女性ではあるが、このような状況下では声だって張り上げる。真田道則の選んだ女は蓮理の予想以上に強かった。

 しかし、明美の勇気と蓮理の驚きを掻き消す大声が家中に響き渡った。

 

「では何故、この女性が現れた次の日に道則様の姿が見えないのです! 偶然にしては、上手くでき過ぎている!!」

 

 成程、そういうことか。確かに考えてみればそう思われても仕方ないかもしれない。護衛で家を見張っていたら見知らぬ女性二人と話し始め、その後に護衛の交代時間の合間を掻い潜って上司を連れ去られでもしたら、直前に会っていた自分達を疑うのは当然ではないか。恐らく彼は先程まで町内を駆け回り、自分達を探していたに違いない。このような状況を作り出す為に、あるいはそれを見越して“浦葉忍者”達が時を見計らい、連れ去ったというならば、これは中々大したものであろう。

 

「明美さん、大丈夫です。彼の言う通り、少し離れていて下さい」

 

 兎に角にもこの事態の収拾を冷静に、かつ早急につけることが先決である。しかし何かの間違いで彼女を怪我させるにはいかないので、後ろに下がって貰う。正直前に立たれてしまっては躱しようがなくなってしまう。

 

「貴方も落ち着いて、その手から力を抜いて下さい。順を追って説明します。私は幕府直轄……」

 

 説得を試みるも、その返事は鋭い鉄であった。

 

「貴様のような小娘が、幕府の名を語るなぁっ!!」

 

 忠誠心が爆ぜ、白刃が斜め上をなぞるように滑った。

 反応して足を後ろに蹴り、回避を行う算段であったのだが……その足に力を込める直前に、何か強い力で引っ張られ、その入れ代わりに誰かが迫る線に向かう。見覚えのある茶髪であった。

 

「さ……」

 

 その者の名を呼ぶ前には、山里は既に倒れ込み、馬乗りの状態で制圧されていた。なえ、と続いたのは少ししてからである。

 

「ねぇ、あんたが大声出したから、この子泣いちゃったじゃん」

 

 その手に握るは通路の端に立て掛けられていた角材。寺子屋増築の際に唯一余った資材であった。その角材の先端は山里の喉仏にぴったりとくっ付けられていた。

 

「子供ってさー、繊細で敏感なんだよね。もっと大切に扱わないと、あの、ちょっとその子あやしてあげちゃって下さい。やっぱりお母さんが良いみたいだし」

 

 振り向きながらそう言って、母の着物で涙を拭っている子供から蓮理へと目を移す。

 

「あ、ごめんね蓮理ちゃん。自分で言っときながら、結局連れて来ちゃった」

 

 苦笑しながら、早苗は再度山里の方へと顔を戻す。普段の彼女であることには違いないが、纏う雰囲気が、完全に蓮理の護衛役としての雰囲気へと変質している。

 

「で、あんたさぁ……何でこうなっているか、わかってる?」

 

 口調もそのままである。しかし一語にこれ程の重みを加えているのは普段の早苗とは全くの別人であると、思斗や薙刃がもしこの場に居合わせていたら、そう思うだろう。

 

「き、貴様もいたな……道則様はどこだ……!?」

 

 喉を圧迫されて尚、話そうとする山里を見て、早苗は眉を顰めた。

 

「いやそれ、こっちが聞きたいぐらいだし、それより質問に答えなよ」

 

 ぐっ、と角材を容赦無く押し込む。

 

「げはっ……!」

 

 最早言葉を発するどころか、呼吸すら難しくなるのではないか、というぐらいに強く押し込んだ。その殺さない程度に加減された圧力を維持しながら、早苗は呆れたようにこう言った。

 

「うーん……じゃあ仕方ないから特別に教えてあげるよ。あんたは蓮理ちゃんに刃を向けたんだ。そういうの、私としちゃ見過ごせないんだよね」

 

 啜るように小さく呻く山中は、突き付けられた角材をどうにかしてどけようと両手で掴むも、びくとも動かない。早苗は片手で握ってしかいないというのに。

 

「蓮理ちゃんがあんたみたいな奴に負けるなんて微塵にも思っちゃいないけれど、そうやって敵意を向けたのは許せない」

 

 ほんの少し、力を加えた。表情からして苦痛であると見て取れたが、それが何だと言わんばかりに気にも留めていない。

 

「私だって冗談かどうかは見分けがつくよ? あんただって殺さない程度で蓮理ちゃん斬ろうとしたんだろうけど、怪我はさせるつもりだったんでしょ。その時点でもう冗談じゃないんだ。そんなの駄目だよねぇ、うぎゃーって怒りに任せちゃ。碌な目に遭わないよ。現にあんたがそうだ」

 

 早苗は怒れている。落ち着いた表情で、落ち着いた口調で、心中は怒りで渦巻いている。それを示す茶の瞳は、山里に恐怖を植え付けるに充分であった。

 

「身の程を知れ。蓮理ちゃんを一体誰だと思ってるんだ」

 

「早苗、もういいわ」

 

 これ以上、明美とその子供に見せるべきものではないと判断した蓮理は制止の言葉を告げる。

 

「蓮理ちゃんは本当、優しいね。でも私は今すっごく頭に来てるよ。蓮理ちゃんのこと何も知らない癖に、まさかまさか、いきなり悪者扱いするなんてさ。許せないよ」

 

 小さく、歯軋りする音が聞こえた。このままではいけない。蓮理は一息吸い、そして出した。

 

「早苗!! 貴女がこの場で一番この子を怖がらせているわ。お願いだから、彼を解放しなさい。私達の目的を忘れないで頂戴」

 

 先程の明美にも山里にも負けないくらいの張り上げた大声で名前を呼び、早苗を諌める。すると徐々に加わっていた力が、一定で止まる。

 

「……他ならぬ蓮理ちゃんからのお願いだし、そもそも断るなんてできないし、したくないからね。勿論言うことは聞くよ……でも」

 

 角材の先端を喉仏から離し、馬乗りから立ち上がって蓮理の傍へと戻る。そして山里に忠告の意を込めて、吐き捨てるように言い放った。

 

「今度蓮理ちゃんを悪者扱いしたり傷つけようとしたら……その喉、潰してやる」

 

 背を向けて、角材を元の場所に戻しに向かった早苗と同時に蓮理は咽せこんでいる山里の近くにまで駆け寄る。

 

「ぐっ……げほっ、げほっ……!」

 

 連理を睨み付けるようにして、山里は立ち上がる。それに気付きながらも蓮理は謝罪の意と、自分達の身の潔白を述べた。

 

「部下が失礼致しました。しかし、彼女の言っていることは紛れも無く事実です。私達は今回の事件に加担していません。逆に、真相を追う立場です。長くなりますが、落ち着いて聞いていただけますか」

 

 山里は蓮理に目を合わさないまま、沈黙が流れた。蓮理は無言の肯定として受け取る。とりあえず、鎮静は成功したようだ。

 明美は山里を介抱する、と言ったので、泣き疲れて抱かれて眠っていた子供を引き継いで、引き返してきた早苗と共に居間へと戻った。

 

 

  ●   ●

 

 

 蓮理、早苗、明美に山里と四人共対面になるよう居間に座り、話すこととなった。子供は隣の部屋で寝かしつけてあるらしい。簡易的なあらましを説明した後、蓮理は懐からある物を取り出し、山里に差し出した。

 

「進物取次番頭……幕府直轄、というのは本当のことであったか」

 

 その地位を証明する書状をまじまじと見て、山里は蓮理に返すや否や慌てて土下座をする。その豹変ぶりに、早苗はやや満足そうに頷いた。それを見た蓮理は思い切り背中を叩く。その痛さに悶える早苗を余所にして、蓮理は口を開いた。

 

「そう畏まらないで下さい。それに、こういう、もはや通過儀礼みたいになっていることをしている時間は惜しいです。先程簡単に説明しましたが、恐らく道則先生は“浦葉忍者”という忍集団に連れ去られました。重要なのは、どこに連れ去ったか、ということです」

 

 蓮理の言葉に明美が反応した。反応、というより気になっていたことについて蓮理が触れたので尋ねた、という方が正しいだろう。

 

「その、蓮理様の部下という方は、主人を取り返そうとしてくれている際の、その忍者達が向かっている方角とか覚えていらっしゃらないのでしょうか」

 

 明美の抱いている期待には、蓮理は答えることができなかった。

 

「そこまで気に留めていなかったようです……どうも絶対に取り返せると自惚れていたみたいなので」

 

 ここでも薙刃を自身の部下として説明。それよりも、薙刃は“浦葉忍者”を皆殺しにすることしか考えられなくなっていたので、道則を奪い返す、という目的はいつの間にか上書きされていたようなのである。しかし、そんな非常識なことを説明する訳にはいかない以上、嘘を吐くことにした。

 

「そ、そうですか……」

 

 その純粋な反応に心に申し訳なさが広がり、ちくりと胸に痛みを覚える。

 

「済んでしまったことに嘆いても、先には進めませぬ。手掛かりがない以上、足を使って松代町を捜し回るしかないでしょう」

 

 山里が捜索の意を示した。それは確かにもっともだと、蓮理も感じた。そう、今大切すべき、重要にすべきなのは過去ではなく未来である。

 

「でもその前に」

 

 その前に、どうしてもはっきりさせておきたいことが、蓮理にはあった。

 

「城の内部に出入りできる者、城内の人間を調べる必要があります」

 

 明美と山里は驚きの表情を蓮理に見せた。口を開いたのは、男の方。

 

「馬鹿な……あ、いえ、失礼しました。しかし裏切りなど……」

 

「本来なら、真田公が失踪した、という時点で行うべきことなのですが……山里さんが言った通り、済んでしまったことに嘆いても先には進めません」

 

 一息吐いて、更に続ける。

 

「早急に芽を潰すべきなのは、城内部に裏切り者がいるという可能性です。もしかすると複数人かもしれません。道則先生はこれを恐れて、保護を積極的に求めようとしなかったのでしょう。勿論、教育者としての立場もあったでしょうが」

 

 やはり我慢ならないのか、声を大にして反論を述べた。

 

「ですから……裏切り者など、有り得ません!」

 

 激昂、とも取れる感情の高ぶり様に、蓮理は両手を前に出して制した。

 

「あくまで可能性、です。ただ、城から真田公がいなくなった原因として、一番可能性があると思っています。学問を探究した道則先生とは違い、真田公は相当な腕を持つ武芸者であることから、直接誘拐というのは難しいでしょう。第一、城に籠っている大名と戦闘を行えば、城の誰かが気付く筈です」

 

「それは……」

 

 急に鎮火したかのように、大人しくなる山里。蓮理の言うことはもっともであると、納得したのだろう。

 

「そして私は、貴方が、あるいは貴方もそうなのではないか、と疑っています」

 

 蓮理の眼光が鋭く光る。疑うことは必要悪である。最善の解決に辿り着く為にはその必要悪を行使していかなければならないのだ。

 

「そっ、それは違う!……絶対に私は幸正様や道則様を裏切ることはしません!!」

 

 いきなりの、そしてあらぬ疑いを掛けられて黙っている程、山里という男は寡黙ではない。自らの忠誠は本物であると叫んだ。

 

「でもさぁ、さっきの攻撃だって、道則先生に対する忠誠心の暴走ってことで蓮理ちゃんは済ましてくれたけど、見ようによっちゃあ邪魔者の始末、とも考えられるよねぇ」

 

 早苗も追い打ちを掛ける。先程の流れもあってか、山里は早苗の視線に堪えられずについ自分から目を逸らしてしまう。

 

「だっ、断じて違う! そんなつもりはなかった!」

 

 だがそれでも、山里は身の潔白を証明し続ける。

そんな反逆は考えたこともないし、死んでもするものか!

 明美から注がれる視線も疑いに満ちたものとなっているのを感じた。このような展開は、いくらなんでも酷過ぎる。

 

「ええ、知っていますよ」

 

 頭の中が真っ白になった途端に、自分を救い上げる声が届いた。俯いていた顔を思わず上げる。

 

「……は?」

 

 真っ先に疑っていると述べた蓮理が、まるで掌を返したように信じる、と言い始めている。もはや何が何だかわからない。

 

「もし本当にそう疑っているのなら、こんな話をしたりはしません。勿論、奥様にも。まず貴方が本当に裏切り者であるなら、すぐに道則先生を誘拐しようと思えばできた筈です。でも貴方、貴方達は正直護衛の任務を全うしていた。この時点でもうその線は薄くなってきています。極めつけに、あの居合斬りに殺す気が無かったというのは早苗も指摘していましたし、私にもそう思えました」

 

 そうして蓮理は山里に微笑み掛け、頭を垂れた。

 

「試すような真似をしてしまって、不快な思いをお掛けしました。申し訳ありません」

 

顔を上げ、苦笑する。

 

「そもそも私、疑うというのは余り得意ではないので。ただ、人を見る目、というのは僭越ながら有していると自惚れています。話をするに、信頼に足る人物ですよ、山里さんは」

 

 つい先程まで疑われていたというのに、今度は褒められてしまった。最早冷静に判断することは難しく、軽い混乱を起こしてしまっている。どう反応すればいいのかもわからない。

 

「まぁぶっちゃけ? 裏切り者だったらだったで容赦無く叩きのめすだけだかんね。変な気は起こさないように。今自白してくれたら、痛い思いはちょっとで済むけど、しない?」

 

 連理の横の早苗が悪戯っぽく微笑しながら、警告に似た宣言をする。それにたじろいた山里を察してか、蓮理がすぐに制止に入った。

 

「止しなさい、早苗。悪ノリよそれは」

 

 呆れながら早苗の背中を軽く引っ叩く。すると痛い、という言葉に濁点を付けたような小さな叫びを上げ、苦笑するも……。

 

「あはは、いやまぁ、蓮理ちゃんがそう言うならこの人は大丈夫なんじゃないかな。でも今の言葉は本気だから。そこら辺はよろしくね」

 

 まだ懲りていないようであった。

 

「早苗……もう、すみません。たまに、というか頻繁にしつこい時がありまして……」

 

 身をもって体感している山里だからこそ感じることができる。理解することができる。この早苗とかいった女性は、本当に本気で実行するだろう。だが自分は決してそのような下郎ではない。

 

「いえ……構いません。私が戸惑った姿を見ての言葉でしょう。正しい判断だと言えます。私もこれくらいで呑まれるようでは、修練が足りないと痛感しました」

 

 うわーお大人の余裕ってやつだね、とぼそぼそと呟くのを、蓮理が聞き逃す筈も無い。思い切り太股の部分を抓る。思わず叫びそうになった早苗であったが、口を広げた瞬間に蓮理の手によって抑え込められた。

 

「ありがとうございます。そこで護衛の皆さんも信用して……ある提案をさせて貰います」

 

「提案?」

 

 とにかく彼女達は信用してくれている訳だ、と理解し、心拍数が落ち着きを取り戻した。安堵の表情が見て取れたのか、蓮理は少し微笑みながら応答する。

 

「はい。まず、山里さん率いる護衛を二分して……まぁ配分はご自由にして頂けたら良いのですが、城に残る組と捜索組に分けて下さい」

 

 何か質問があるかと思い一度言葉を切ってみたが、山里は頷いて理解している風であったので、そのまま続けることにした。

 

「城に残る組は、内部に裏切り者がいないか徹底的に調べる。真田公が失踪、もとい誘拐された日の城内部全員の現場不在証明を調べ上げて下さい。もし見つけることができれば、真相に近付くことは間違いありません」

 

「しかしいなかった場合は……」

 

 その懸念は必要無い、と蓮理は苦笑した。

 

「いなかったらいなかったで良いことです。その為の捜索組なんですよ。同時進行で進めることにより、手掛かりが掴めるかもしれません」

 

「な、成程……!」

 

「私達も聞き込みを行うつもりです。そこでお二方に聞きたいことがあるのですが……よろしいでしょうか」

 

 山里は即答し、応じる。

 

「ええ、勿論です!」

 

 対し、先程から一言も発さない明美はというと。

 

「……え、あ、はい! な、何でしょうか?」

 

 呆気に取られていたのか、山里の是の返答につられて我に返った。またもや蓮理は苦笑しながら、許可を得た質問を行う。

 

「真田幸隆について、知っている限りのことを教えて頂きたいのです」

 

 二人は揃って顔を少し見合わせた後、代表として山里が口を開いた。

 

「……残念ながら、私も多くは知りません。あの人は常に裏方に徹し、表舞台には上がってこない人でしたので。それに大名が今の幸正様になられた時に、城の人間は総入れ替えを行ったことから、他に多くを知っている方は最早いないかもしれません……まず、前大名の弟で幸正様と道則様の叔父であること。そして地方に左遷されましたが蒸発。これぐらいしか……とにかく、余り好印象ではありませんでしたね。公になっていない分、前大名より酷いことをしていた、との噂もあります」

 

 やはり、と蓮理は巻物に記されてあった真田幸隆に関する事柄の内容を頭の中に思い浮かべた。

 

「私も、同様です。ただ主人が非常に嫌っていたので、余り私も考えないようにしていました」

 

「成程……そうですか」

 

 いきなり意外な人物について問われ、そして確認のように頷く蓮理を見て不思議に思ったのだろう。山里が尋ねた。

 

「どうして急にあの人のことを?」

 

「いえ、可能性の話ばかりで申し訳ないのですが、今回の誘拐事件、その真田幸隆が一枚噛んでいるのではないか、と」

 

 山里が身を乗り出す。意外な人物に予想外の展開で、混乱を防ぎたいようであった。

 

「ど、どうしてですか?」


「部下が以前、真田公の使い名乗る男と接触した際に手渡された巻物に、道則先生のこと、そして真田幸隆のことが書いてあったそうで、私もこの目で直に確認しました。道則先生が攫われたのは事実ですが、それに対して真田幸隆はどうでしょうか。そのような噂があっては、何とも怪しく感じられます」

 

 それだと真田公も蒸発扱いだと思われるが、恐らく違うだろう。真田公は殺される、つまり不利な状況に立っていると、“浦葉忍者”の一人が言っていたのを信じるとするならば、だが。

 何より、自身の勘――直感と言うべきなのだろうか――が告げている。この男は必ず絡んでいる、と。

 

「幸正様はそこまで……用意周到な」

 

 本当にそう思う。使いまで出していた、ということは自分の身に何か降りかかると予想していたのか。あるいはその兆候がわかったのか、どちらにせよ山里の言った通り用意周到である。

 

「お二方のお陰で、真田幸隆の人物像がより明確化されました。ありがとうございます。巻物だけの情報を頼る訳にはいきませんから」

 

 これで巻物の裏付けは取れた。後はひたすら足と頭を使って捜すのみである。

 

「それでは、貴方方の捜索組は聞き込みを行う際には、道則先生のことについて尋ねて下さい。私達は真田幸隆のことについて尋ねます。そう同じのことを尋ねていては町民に怪しまれてもおかしくはありません」

 

「そうですね……ではそのように動かせて頂きます。他の護衛の者達への通達は私に任せて下さい」

 

 これで奪還開始の下準備は整った。しかし、まだ残していることがある。

 

「お願いします。それと、ここにも数名配属して下さい。本来の役割である護衛も重ねてお願いします。明美さんとご子息に何かあれば、道則先生を見つけ出し助け出すことができても、失敗です。この家族を絶対に壊させる訳にはいきません」

 

 山里も力強く頷き、その意欲を見せた。蓮理の言葉に明美は心から感謝していると言った風にその意を述べる。胸に手を当て、やや涙で目を潤ませていた。

 

「蓮理様……」

 

 お礼を言うのはまだ早い。真田道則を連れて帰って来たその時に、ありがたく頂戴することにしよう。

 

「明美さん、私は絶対に道則先生を連れて帰ります。最悪の未来は想定しないで下さい。そのような未来、私達も貴女も望んでいません。どうか、ご安心を」


 無責任だと自分でもそう思う。綺麗事ばかりだと、薙刃がいたら罵られるだろうか。しかし今の荒れた世の中で信濃程の平穏な領は数少ない。その信濃すら危機的状況に陥っているのだ。それだけに、綺麗事を通していかなければならないと、蓮理は常に思っている。

 綺麗事、最高ではないか。自分が綺麗だと信じて疑わない事柄が実現するのは素晴らしい。自分が、この国を綺麗にするのだ。信濃の一領ぐらい綺麗事で救えなくて、何が“神州救済”か。


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