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紅蓮天照烈士之神楽  作者: 鋼田 和
第一幕 無双の爆槍
3/15

 第二章 傾いて狂う血戦華

何かを得たいのならば、何かを捧げよ―――。

 巳二つ時、宿を出た蓮理と早苗は再度、城門前まで来ていた。しかし、返答は昨日と同じ。違う点を述べるとすれば、発見された血痕のことで注意を呼び掛けられた位である。

 

「今日も駄目ね。真田公、何処に行かれたのかしら……?」

 

「う~ん。別の町村に視察?」

 

 顔を(しか)めながら考え込む蓮理を見て、早苗は首を傾げて根拠も無い答えを出す。

 

「それでも、ちゃんと大名所在町の領民には伝えなくてはならないわ。でもそれをしていないとなれば……まさか責務を放棄している? いや忘れているだけ、ということもあり得る……いいえ、それこそあり得ない。真田公はそういう人ではなかったわ。でも万が一、という可能性も……」

 

 頭を抱え、更に思考速度上げていく。蓮理は筋金入りの頑固者であり、一度何かを始めれば納得が行くまで、少なくとも自分からは決して妥協せず止めようとしない。故に、泥沼に嵌り易い性質(たち)である。そのことを、蓮理の幼馴染みである早苗は重々承知していた。

 

「んー……蓮理ちゃん蓮理ちゃん。そんな難しい顔してたらさ、ほら、(しわ)が増えちゃうって」

 

「えっ? ……そんなにしてた? 私」

 

「うん。もうすっごいヤッバい位に」

 

 早苗は自分の顔を弄り、蓮理に見せる。それを見た蓮理は思わず吹き出してしまい、直ぐ様緩んだ口元を右手で押さえる。

 

「なっ……確かに考えに没頭してたのは認めるわ。けど……くっ……けど! 私そんな顔はしてないわよ!」

 

 既に早苗は顔を元に戻していたが、蓮理は思い出し笑いを繰り返してしまう。お陰で上手く喋ることができない。

 

「そーそー、じゃんじゃん笑って笑って。笑いながら気楽に行こうよ。こーんなさ、初めて来た土地なんだしいくら考えたってわかんないって。真田公だって、何度も会ったこと無いんしょ? そんなんじゃその人が何を考えてんのか、とか行動読める訳ないじゃん」

 

 物事にも、引き際というものがあるのだ。蓮理はそれを見極める能力がとりわけ欠けている。文武両道才色兼備と謳われている幼馴染みの短所(こせい)の一つであり、それを改善……否、教えてやる役目は自分であると、早苗は誰よりも理解していた。

 

「……そうね。少し、突っ走って暴走した感は否めないわ。ごめんなさい、早苗」

 

 短所にも二種類ある。不幸にもその人の価値を下げてしまっている所、そしてもう一つはその人を表し、長所にもなり得る所。人はそれを、個性と呼ぶ。妥協を許さない蓮理の克己的な自己研鑽(けんさん)はもはや蓮理そのものを表すといっても良い長所であるが、一方で頑固者という短所が内在している。しかしそれは蓮理の価値を下げているのではない。長所の部分を目立たせる、個性なのだ。故に、人々は蓮理のことを完璧だと疑わない。常に難しそうな顔をしているので、勘の良い人間なら頭固そうだ、とか怖そうな印象を持つかもしれないが、個性という意味での頑固者に気付くのは長年幼馴染みをやっている者しかいない。改善してしまう訳にはいかない。教えてやるのだ。自分はこんなにも素敵なんだぞ、と。

 

「謝ることないって。それよりさぁ」

 

 突如、凄まじい音が二人の耳に届く。不幸を運ぶ音、とも取れるその音は快活に鳴る。音でわかる。言うまでも無い音。蓮理は音の発生源である早苗の腹にゆっくりと目を落とした。

 

「あら~。こりゃあアレだね。お昼ご飯だね! 今日は蕎麦食べたい気分だよ、うん!」

 

 ニヤつきながら、かつ目を輝かせながら早苗は蓮理に訴える。『腹減った。飯食わせろ』と。

 

「……少し早いけれど、行きましょうか。確か大通りにお蕎麦屋さん見掛けたから」

 

「よっしゃ行こう! 蓮理ちゃん速く! めんつゆが私を待ってる!!」

 

 蓮理の細く、雪のように白い腕―手首―を掴み一目散で大通りに向かって駆ける早苗。蓮理に合わせるつつもりは毛頭無いようだ。

 

「どうしてめんつゆなのよ……」

 

 

  ●   ●

 

 

「んん? なんか騒がしくない? ってか人多いな~」

 

 大通りに辿り着いた二人だったが、大通りの異変に気付いたようである。昨日も大概人で賑わっていたが、今日は少しばかり事情が違うようである。賑わいと言うよりざわめきと表現するに相応しいだろう。皆、目的地である蕎麦屋を取り囲むように見ている。

 

「すみません。あの、どうかしたんですか」

 

 蓮理は大工の出立ちをした青年に状況を尋ねる。

 

「何でも、山賊達が縄張りの山から降りて来て、蕎麦屋にずっと居着いているらしいんだよ。腹減ったなぁ……」

 

 青年は少し不安そうに答えた。それなら別の店に行けば良いと蓮理は返したかったが、あえて言わなかった。余程ここの蕎麦は美味しいのか、何か特別な理由があるのかは知らないが置いておいて、とにかく穏やかな雰囲気ではない。

 

「山賊ねぇ。私見るの初めてだけど、なんで今に限ってなのさ~」

 

 愚痴を呟き始める早苗。それを慰めようと蓮理が口を開いた時だった。

 

「男は出て行けや!!」

 

 店の扉が開き、店主と思われる初老の男性が転がされる。どうやら山賊の一人が蹴り飛ばしたようである。しかし、蓮理がもっとも注目したのは顔や手に表れた、無数の痣。特に手が酷く、惨たらしかった。ここの蕎麦屋は提灯(ちょうちん)に書いてあるように手打ちである。つまり、手は蕎麦打ち職人にとって命であろう。店主は他の人達に運ばれながらも呻いていた。

 

「早苗、私も凄く空腹になってきたわ。それに、今とてもお蕎麦が食べたい。行きましょう。めんつゆが私達を待ってる。すみません通して下さい」

 

「おおっと、蓮理ちゃんもよーやく蕎麦の良さがわかってきたようで私は嬉しいのですよー」

 

 人を掻き分け、店先へと辿り着く二人。占拠ばかりか暴行まで犯す山賊を、蓮理が放って置く道理は無い。蓮理の脳内に響く、店主の呻き声。『娘が……娘がまだ……』

 

「誰か、早く同心へ知らせて。……早く!」

 

 蓮理は観客と化している群衆へと呼び掛ける。先程話し掛けた男性が駆けて行くのを見て、扉に手を掛けた。

 

「あぁ? 何だぁ?」

 

 扉を開ければ綺麗であったろう店の内装は、小汚い服装をした見るからに野蛮そうな男達によって埋め尽くされ、凄惨な目に遭っていた。蓮理は辺りを見渡す。女性客も混じっているのか、女性が四、五人程、山賊達が持つ御猪口(おちょこ)に酌を取らされていた。

 

「男は出て行け、何でしょう? 私達は女よ。入って来て良い筈だけれど?」

 

 ああ、なんて汚らしいのだろう。成程、賊とは、悪とはこういうものか。やはり間近で見て、感じなければ、理解はできない。無論これは差別等ではなく、侮蔑だ。

 

「ふは、違いねぇ。別嬪さんがわざわざ来てくれるなんて思わなかったからよぉ。オラ! こっち来て頭領に酒注げや!!」

 

 そう言って山賊の一人は蓮理の肩を掴み、引き寄せようとした。

 

「触れるな下種」

 

 しかし、それを蓮理が素直に認める筈が無い。掴んできた相手の手を逆に掴み返す。そして空いた手を襟首へと向かわせ、掴む。後は単純な流れ作業である。足を掛け、身体を捻り男を背負い投げる。勢い良く食卓に叩きつけられた男はその衝撃で気絶してしまった。

 

「おっ、アンタ運良いよ。蓮理ちゃんの一本背負いなんて、そうそう受けれるもんじゃないからね。ぶっちゃけちゃうと私でも食らったことないんだよ」

 

 早苗の言葉の後、山賊達から笑いが消えていた。が、それも束の間であった。残った山賊達は怒るどころか気絶した仲間を笑い者にし始めたのだ。山賊達の態度に、蓮理の顔に怒りが表れる。仲間がやられて笑うとは本当に人間か、と疑いたくなる。

 

「貴方達……!」

 

「煩い。つーか蕎麦屋で酒飲むなよ阿呆共。酒臭いんだよ気持ち悪ぃ。せっかくの香りが台無しだよ頭大丈夫か。まぁ香りとかよくわかんねぇんだけど。あと、お前らも臭いせいでもあるな。海に突っ込んで体洗って鮫に食われて死んでくれ」

 

 蓮理が怒声を浴びせようとした、その時に蓮理達の横の食卓にて蕎麦を平然と啜っている人物が口を開いた。蓮理も早苗も、山賊達でさえも今まで気付かなかったが、蓮理達にはその姿、その声には覚えがあった。

 

 昨日出会った、赤髪の人物だった。

 

 

  ●   ●

 

 

 蕎麦を啜る音が続く。続く。まだ続く。赤髪を揺らしながら蕎麦を食すその様は、つい先程発した言葉の主とは思えない程である。

 

「あ?」

 

 やがて蓮理や早苗、山賊達の視線に気付き瞬く間に不機嫌そうなしかめっ面を見せた。

 

「何見てんだ。見せもんじゃねぇぞコラ。つーかこの姉ちゃん達ならまだしも、テメェ等見てんじゃねぇよ鼻の穴に割り箸ブチ込むぞ」

 

 間違いなく、昨日二人に尋ねて来た人物である。着ている着物や声が同じであるし、何より目を引く髪色と端整な小顔が証拠だ。相違点は、口調。昨日と共通している節はあるが、口の悪さが酷くなっている。そこの山賊とそう変わらない。むしろもっと酷い。

 

「あ、貴女……」

 

「あ、昨日の」

 

 蓮理と早苗はほぼ同時に言葉を発した。それに気付き赤髪は二人を見る。そして首を傾げ、手を叩く。つまり忘れていたのであろう。自分から話しかけたこの二人のことを。

 

「ああ、うん。思い出した! 昨日のアレか! 嬢さん達か!」

 

「アレ扱いしないで頂戴」

 

 蓮理はキッと睨みつける。昨日と全然雰囲気が違い、優美さが感じられない。まるで別人のようである。これには流石の蓮理も、少しばかり苛立ちを覚えてしまう。

 

「おいおい姉ちゃん達よぉ。勝手に話進めちゃいかんでしょ。俺達も混ぜてくれやぁ」

 

 ようやく、山賊の一人が口を開く。例に漏れず酔っているのか、やや赤みを帯びた顔であった。赤髪の人物に気付かなかったことはどうでも良いらしく、むしろ美人と呼べる者が三人になり、酌注ぎが増えるのは山賊達にとって喜ばしいことであるのだろう。

 

「そこのえらい別嬪さんもお二人さんも、気を取り直して飲もうや? な?」

 

 今度はやや大柄で無精髭の男が赤髪に近寄る。それはつまり蓮理達のにも近付いていることを意味する。それを蓮理が見逃す筈が無い。

 背を向ければ今度は蹴り飛ばしてやる。赤髪の女性には申し訳ないが、餌になってもらおう。喰らい付くその寸前が貴様の最期だ。

 

「ぎゃあああああああああ!!」

 

 しかし、蓮理の思惑は外れる。自分はまだ足すら上げていない。では何故男は叫び、仰向けに倒れ、その上気絶までしているのか。全ては男の鼻が物語っていた。鼻穴に割られた割り箸が一本ずつ、それぞれ刺されていたのだ。

 こ、これは痛い……! 早苗は咄嗟に自らの鼻を袖で覆うようにして隠した。

 

「な……」

 

 刺したと思われる張本人は既に新しい割り箸を割り、残りの蕎麦を一気に啜り上げている。そして、箸を叩きつけるように椀の上に置いた。立ち上がる。

 

「さて、鼻にブチ込まれた位で気絶してんじゃねぇよ。女はもっと太いもん突っ込まれんだからよ。で、だ。なぁ、別嬪てこの猫耳乳デカ釣り目お嬢さんと背の高~い若干男らしいけど美人なお嬢さんのことか? んん?」

 

「なななっ……」

 

 蓮理は紅潮せずにはいられなかった。確かに蓮理の乳房は平均よりずっと大きく、しかし括れは細いという体型である為、更により大きく見えてしまう。が、蓮理にとっては重い、有事によっては邪魔になる、極め付けに外来の下着であり現在の神州では普通となっているブラジャーの寸法が限られて最近はわざわざ発注せねばならない始末、挙句自分の好みに合う柄すらも限られてきてしまう。晒しで押さえ付けようにも息が苦しくなるだけで、効率重視の蓮理にはコンプレックスを抱かざるを得ない。自身の髪と同様に気にしていることを同性とはいえ率直に告げられ、加えて言った言葉の意味を理解してしまったのであれば赤面の一つや二つ、したくなってしまうだろう。

 

「ここにゃ、別嬪さんなんて二人しかいねぇって。俺が別嬪? ふざけろよ」

 

 倒れた男を揺さぶるのに飽いたのか、他の山賊達に問い始め、自ら近付いて行く。

 

「おいおい、謙遜すんなって。お前さんも負けない位の別嬪さんだぜぇ……へへ」

 

 他と違い黙って酒を飲んでいた山賊の頭領はようやく自慢の口周りの髭を弄りながら開いた。気の強い男勝りな、しかし美しい女が自分に向かって歩み寄り、酌を注ぎに来たのだと思い込んでいるのであろう。事実、赤髪の手には徳利が在った。

 

「おい、別嬪、って意味知ってるか? とりわけ美しい“女”って意味だ。よく見ろよ」

 

 頭領の襟首をゆっくりと掴み、女の部分を強調しながら言った。顔を見て、頭領は固唾を飲んだ。昔見た、遠くからしか見ることができなかった名高い女郎、否、花魁と同等に美しい。もしくはそれ以上か。それほどまでの美人が目の前に立って、しかも引き寄せられて息が届く距離に居る。そして

 

 

  ●   ●

 

 

 頭領の意識はそこで途切れた。正確には途切れさせられたのだ。徳利を持つ赤髪の腕が頭領の頭蓋骨を叩き割らんと唸りを上げて振り下ろされたからである。その威力は凄まじいものであり、食卓も頭に与えられた勢いと固さに敗北し叩き割れた。

 

「うっわ酒臭! 駄目だコリャ吐きそうだわ。誰が顔見ろって言ったよ。あの姉ちゃん等にあって俺に無いもんがあるだろ。……乳ねぇだろうが!! まず胸見るだろ普通! 貧乳でも少しは膨らみあるだろ! なぁ、おい! よぉく見ろ絶っ壁じゃねぇか!!!」

 

 そして明かされる。店内全員が驚愕し、疑わずにはいられない言葉が炸裂する。

 

 

「俺ぁ、男だ!!! この俺を女扱いしたド腐れ外道共ブッ殺す!!テメェ等のもん踏み潰して使い物にならなくしてやらぁ!!」

 

 

  ●   ●

 

 

 静寂は、訪れた。立つ彼は先程のような怒りの表情を見せていない。むしろ穏やか……否、彼は塵を見るように見下した目をしていた。決して、穏やかとは言えない雰囲気を醸し出している。

 

 「なぁ、象って生物を知ってるか? 海を越えた先にある、印度(インド)って国や阿弗利加(アフリカ)って国とかに生息してる、デカい動物なんだが……いや俺も実物を見たことはねぇんだけどさ」

 

 赤髪の彼が静かに問い掛ける。しかし、求める答は返ってこなかった。

 

「それに、デカいっつっても妖魔と比べりゃ中くらい。まぁアレと比べちゃ駄目だな。で、話を戻すとさ、蟻っているじゃねぇか。蟻。あのちっこいの。で、よく蟻と象で比喩表現する言葉あるんだよ」

 

 今、このような場に相応しい話ではない。至極どうでもいい内容であると蓮理は判断し、辺りを見渡す。酌注ぎを強要させられていた女達は既に蓮理と早苗を通り抜け、外へと逃げ出していた。店内の損害は先程壊れた食卓以外見受けられない。頭領らしき人物は未だに気を失っているようであった。そう、重ねて強調するが最初の一撃以降、店は破損していない。そうしたくなる程に、赤髪の彼は速やかに、そして丁寧に山賊全員の右腕をほぼ間違いなく、完膚無きまでに再起不能にしたのである。故に彼が喋っても、応対する声が飛ばないのは当然であろう。

まず骨―上腕の上腕骨、前腕の尺骨(しゃっこつ)橈骨(とうこつ)、指の豆状骨(とうじょうこつ)舟状骨(しょうじょうこつ)三角骨(さんかくこつ)大菱形骨(だいりょうけいこつ)小菱形骨(しょうりょうけいこつ)有鈎骨(ゆうこうこつ)基節骨(きせつこつ)中節骨(ちゅうせつこつ)末節骨(まつせつこつ)―を露出するように圧し折る。

 続いて筋肉―上腕の三角筋、上腕二頭筋、上腕三頭筋、前腕の長掌筋(ちょうしょうきん)腕橈骨筋(わんとうこつきん)浅指屈筋(せんしくっきん)、指の母指対立筋(ぼしたいりつきん)母指内転筋(ぼしないてんきん)短母指外転筋(たんぼしがいてんきん)短母指屈筋(たんぼしくっきん)掌側骨間筋しょうそくこっかんきん背側骨間筋(はいそくこっかんきん)小指対立筋(しょうしたいりつきん)小指外転筋(しょうしがいてんきん)―を破壊、更に上腕、前腕、指の神経を全て余す所無く切断。

受けた側も見た側も、常人ならば失神してもおかしくない程の最大級の複雑骨折の総出演であり、余りの惨たらしさにとても山賊達の右腕を直視することはできないだろう。

 

「ちょっと前に出会った人に訊いた話だとよぉ、とある蟻の大群にゃ流石の象も負けるらしいんだよ。真偽はまぁ、知らねぇが……俺は不思議に思ったね」

 

 この人間離れした芸当ができる人間なぞ、存在しない。では人間の姿をした彼は一体全体どういった存在なのであろうか。

 蓮理は純粋に恐怖を感じていた。“こんな化物が存在していたのか”と。しかも、自分のすぐ傍に。

 

「俺の持論はこうだ。“絶対的強者に、数は通用しない”……単純でわかりやすいだろ。一対千だろうが万だろうが億だろうが兆だろうが京だろうが垓だろうが(じょ)だろうが穣だろうが溝だろうが(かん)だろうが正だろうが載だろうが(ごく)だろうが恒河沙(ごうがしゃ)だろうが阿僧祇(あそうぎ)だろうが那由他(なゆた)だろうが不可思議だろうが無量大数だろうが、烏合の衆にしか過ぎない。一が個の力で上回っている限り、数を揃えても埃を掃うようなもんなんだよ」

 

 彼の言っていることは、現実的に考えればあり得ない論である。戦は戦力、すなわち数と戦略が最も念頭に置かれてきた。彼の持論とやらは、気が狂った異常者ですら言わないことである。

 

「どう見たって、蟻は弱者で象は強者だ。個々の力量は言わずもがな。つまり、蟻がいくら群れようが象には勝てない。要するに、だ。象である俺に、蟻であるお前らが勝てる筈がないって言いたい訳だよ」

 

 言動から推測するに、彼は人間ではない。人外である。例えるならば、人間の皮を被った未知想定外の存在。

 

 

  ●   ●

 

 

 蓮理は目の前の惨状を目にして、冷静になることを努めながら考える。山賊達は確かにやってはいけないこと、罪を犯した。店の主人を暴行、加えて占拠まがい。即刻牢獄行きが確定に違いない。しかし、ここまで徹底的に痛めつけたとなれば先に牢獄ではなく、まず病院行きであろう。ある程度懲らしめるだけで十分であり、ここまでやる必要性は感じられない。それに関してはこの自称絶壁の男とやらに問い詰めるとして、次なる対処すべき問題はどうやってこの場を収拾つけるか、である。

 頼みの綱である、先程呼ばせた同心はその配下の岡っ引数人を連れての登場。しかし、入口付近で突っ立ったままで唖然としている。

 

「さて、幸い全員……いや三人くらい寝てるか。まぁ、それ以外は気絶してねぇだろ。そこはまぁ、ちぃとばかし評価してやるよ。腕、気持ち悪ぃから見えねぇようにして山に帰りな。お前らが右腕を代償に得た教訓は“猿は山から下りないこと”だ」

 

「ま、待てっ! そいつらは山賊であるとの情報がある! 帰させる訳にはいかん!」

 

 事態をようやく飲み込んだ同心である男が声を張り上げる。

 

「ん? あぁ、そうか。ま、お似合いじゃねぇの? 野生の猿が見世物小屋にブチ込まれた猿に昇格だ。良かったな、毎日三食食えるんだから。せいぜい鉄の檻掴んで啼いてろよ。お前らが住処を代償に得たもう一つの教訓は“俺を敵に回さないこと”だな」

 

 しっかし女の着物はやけに疲れるな、とボヤキながら彼は蓮理と早苗の目の前に立った。

 

「後で……そうだな。夕刻辺りに昨日の橋まで来てくれよ。連れが会いたがってる。別に来なかったら来なかったで、日を改めてこっちから捜し出しちまうが」

 

 同心達には聞こえぬよう、本当に小さな声で呟き、次に同心達が立っている玄関口へと歩を進める。

 

「これ、代金。後で主人に渡しといて。あぁ、連中叩きのめしたのは俺だが、実のところを言うと最初に手ぇ出したのはあの嬢さん二人だ。ってことで後始末はよろしく」

 

 岡っ引の一人の手に小銭を受け止めさせ、そのまま同心達の間を通り過ぎる。人混みの中に紛れながらも、陽に映えた赤髪が目立っていた。

 

 

  ●   ●

 

 

「ねぇ、蓮理ちゃん」

 

「何?」

 

「これさ、間違いなく私達、面倒事押し付けられてない?」

 

 蓮理は頷く。

 

「そうね。確かに面倒だけれど、私達も当事者である以上は説明をしなければいけないわ」

 

「私、何もしてないよ?」

 

 蓮理は再度頷く。

 

「私はしたわ。だから付き合いなさい。蕎麦はまた今度よ」

 

「蓮理ちゃん? 実は怒ってない?」

 

「何故? 怒る要因が無いでしょう? でも、そうね。少し悔しい気分はしているわ。本来彼が頂くべき手柄を上手い具合に彼が私達に押し付けたこと、そして“アレ”で男であるということに対しては、悔しいわね。後はやり過ぎってことと、よくも逃げてくれやがったわね、とか男なら女性の着物を着てるんじゃないわよ、とか不満ぶつけたい気分でもあるわ。何より気付けなかった私が一番腹立たしいわね……あれ? これは怒っているのかしら?」

 

「うん蓮理ちゃん。それ怒ってる。ものすっごく怒ってるよ!」

 

 山賊達の縄縛りを手伝い、店を片付け、同心に事情聴取をされ、傷の手当を受けた店の主人とその娘に感謝されるという後始末から二人が解放されたのは夕暮れ時であった。

 

 

  ●   ●

 

 

 「簡潔に言えば、萎えたんだよ。余りにも張り合いが無いんで右腕だけにしてやった、それだけだ。最後辺りとか、俺落ち着いてたろ? 本当なら一生女とヤれねぇように潰して不感症にしてやる所なんだぜ」

 

「潰すと不感症は違いますけどね。全国の不感症持ちの方々に謝る準備をしておいた方が良いかと」

 

「ね。大変失礼だと私は思います!」

 

「ちなみに彼、不感症です」

 

「ええっ!! マジで!?」

 

「あられもねぇ嘘を平然とつくんじゃねぇよ!!」

 

 夜にも関わらず賑わう定食屋にて、蓮理はこの三人の不毛な会話を聞かされ頭を悩ませていた。四人前の鍋を食べ終わってからずっと続いているのだからなおさらである。

 

「おかしいわね……どうしてこうなったのかしら」

 

 夕刻、橋に向かったことを蓮理は回想した。

 

 

  ●   ●

 

 

 蓮理と早苗の姿が確認できたのか、橋の中央付近で立っていた二人組が近付いてきた。

 

「いやぁ、またお会いできて光栄です。覚えて下さってますかね? 雨宮です。雨に宮、思うに容量の単位の斗、です」

 

 団子屋で尋ねて来た、雨宮思斗。そして

 

「紹介します。連れの……」

 

薙刃(なぎは)。薙払うの薙に刃」

 

 ここへ呼び寄せた赤髪の女性……否、男性。着替えたのか、今度はちゃんと男物の服装をしている。中には袂が大きい赤色の色無地、そして同じ形の白の色無地を外に重ね着し、黒の袴の中の足には洋風の黒ブーツを着用している。蓮理達と同様、和風と洋風を足した服装である。が、髪型は変わっていない。おそらく髪だけは素だったのだろう。

 

「どうやら彼がご迷惑をお掛けしたみたいで」

 

「いや結果的に見れば協力してやったんだよ」

 

「お礼でもさせて下さい。そうですね……今日美味しそうな鍋がある定食屋を見つけたので、そこに行きましょうか。多分夜でも営業している筈ですから」

 

「おい聞けよ」

 

「嫌ですよ。こんな可憐な女性二名に凄く面倒な後始末を任せる人間なんて吹き飛んで下さい今すぐに」

 

「どうやってだよ」

 

「知りませんよそんなこと。自分で考えることができる人間にならないと駄目ですよ? 脳を使わないと。あ、でもそうですね。納得しました。考えないから薙刃は脳が小さい、すなわち顔が小さい。だからより女性らしいんですよ……いや、冗談ですって。冗談だからその振り上げた拳を下ろして下さい。薙刃のは洒落になりません。良いんですか? 僕、こんな公衆の前で頭蓋骨割れちゃいますよ? 脳がポーッンって出てきますよ? 僕が死んじゃうんですよ? 寂しいでしょう?」

 

 思斗は以前蓮理達と出会った時の白の色無地に青の袴、黒ブーツである。薙刃との相違点は色と重ね着をしているかしていないか。

 

「どうする? 悪くないと思うよ。悪人って雰囲気は醸し出していないし」

 

 薙刃の拳が勢いつけて振り下され、それを間一髪で身を翻して避けた思斗を横目に、早苗が蓮理に言った。悪人らしくない、という点については蓮理も同意であった。それにそもそも、話をする為に出向いたのである。

 

「そうね、ではお言葉に甘えましょうか。でもその前に、こちらも名乗るべきね。雨宮さんと出会った以上」

 

「あ、そういやそんなこと言ってたね。じゃ、私から。原田早苗(はらだ さなえ)だよ。早苗でよろしく!」

 

 早苗は人指し指を自身に向け、溌剌(はつらつ)と答えた。

 

「私は九條蓮理(くじょう れんり)。名前で呼んでくれたら嬉しい」

 

 二人が名乗ると、思斗は懐から手帳と筆を取り出し、何やらさらさらと綴り始めた。

 

「成程、早苗さんに……すみません。“れんり”さんはどういう漢字ですかね? 早苗さんのはわかるんですが。っと姓名両方お願いします」

 

「確かにあまり見られた名前でないものね。数字の九に枝の意味がある“じょう”……そう、その字。名は水草の睡蓮の蓮、理解の理よ」

 

「九に、條……九條?」

 

 薙刃が首を傾げながら呟く。

 

「ん? どしたい? えーっと……“なぎなぎ”?」

 

「おいちょっと待て。原田っつったか。何だそのいかにも愛称みたいな単語は」

 

「え? 別にいいじゃん。って言うか、原田は止めて欲しいなー。原っぱに田んぼだよ? なんか地味だし」

 

「いえ、早苗さん。考えようによっては面白いですよ。起原の田楽とか、もう田楽の極み! 田楽の全てが始まった感じになります」

 

 蓮理の名前を書き取り終えた思斗が会話に入り込む。

 

「おおお!! 何それ地味どころかすっごい美味しそう! やばい原田って名字に自信しか溢れ出そうにない!」

 

 そのままどんどんと話が発展していく思斗と早苗から離れ、蓮理は薙刃に近付いて声を掛ける。

 

「あの……彼は、その、目の付け所が違うのね」

 

「素直に変わってるって言ってやった方が喜ぶぞ」

 

 薙刃も、この二人の会話には着いていけない様子であったが、既に日は沈み、月が出ていたので早く定食屋へ向かうよう促す為に二人の間を割って入って行った。

 

「早苗の場合、原因の炭田や油田の方がしっくり来ると思うのだけれど……」

 

 誰にも聞こえないよう、蓮理は小さく呟いた。

 

 

  ●   ●

 

 

「そういえば私は少し、貴方に言いたいことがあるの」

 

 定食屋に入り、注文を取り終えた矢先に蓮理は切り出した。

 

「あ? 俺?」

 

 蓮理の目線から反応した薙刃が少々眉を吊り上げて蓮理の頷きを確認する。

 

「薙刃。さっさと心を込めて謝った方がよろしいですよ。蓮理さん、僕が見たところだと怒ると怖いと思います」

 

 大した観察眼だと、やや皮肉って心の中で呟いた。怒る訳ではないのであるが、薙刃の態度によってはそんな未来もあるかもしれない。

 

「何で俺が悪いことしたって決めつけてんだよ。……おいその面、かなりムカつくから止めろ」

 

「や、実際蓮理ちゃんはね、確かに怒ると相当怖いよ。でもね、それ以上にものすっごく優しいから! ちゃんと謝れば許してもらえるって! なぎなぎ!」

 

 私を擁護してくれているんでしょうけれど、恥ずかしいから止めてほしいと切に願うわ。というか止めなさい。

 

「だから、なぎなぎって呼ぶんじゃねぇよっ! どうせアレだろ。山賊相手にやり過ぎって言いたいんだろ」

 

「その通りよ。少なくとも彼等はあの場において悪だったわ。山賊をやっている時点で、場に限らず悪なのだけれど……。ともかく、彼等には罰が必要だった。でも、再起不能になるまで痛めつけてしまえば、彼等はどうやってやり直せばいいの? 私が見た感じでは、もうあの右腕は……」

 

 彼等も人だ。人であるなら罪を悔い改めて再起できる筈。蓮理はあの場においての悪、山賊としての彼等を侮蔑したが、彼等の存在、未来まで蔑んだ覚えはない。

 

「使えない。そりゃ、そうしたんだからな。そう判断してもおかしくねぇよ」

 

 薙刃は顔色変えずに言い切った。それがどうした、自分には関係ないという意味合いが含まれているのだろう。

 

「俺をやり過ぎってんなら、アイツ等だってそうだろう。山賊名乗っておきながら山を下りて蕎麦屋占領して、終いにゃあの場で女衆犯すくらいまで、事態は発展してたぞ。最悪、お持ち帰りもあったろうな。誘拐罪も追加。やり過ぎもいいところじゃねぇか」

 

 薙刃の言い分は、決して間違ってはいないだろう。早苗はそう感じた。悪を為せば、それ相応の罰が待っている。早苗自身も、そんな“やり過ぎ”を見て見ぬフリをするわけにはいかず、“やり過ぎ”と言える程度に暴れ回るに違いないと思った。

 蓮理もそれには同意したのか、小さく頷いた。

 

「確かに、あの場がもし、貴方が言ったような事態に陥っていれば、それは“やり過ぎ”だと私も思う。でも、あの時はまだそうではなかったし、何より何故貴方が出張ったのか、ということ。あのまま私達に任せておいてくれれば丸く収まって、良かったのだけれど」

 

「いや、五月蝿かったから……それに俺だってあのままアイツ等が黙ってりゃあ、殴る程度で済ませたさ。殴って時々蹴り倒して、気絶させる程度で。けどアイツ等よ、俺を女扱いしたんだぞ。万死に値するわ。割とマジで」

 

「それは薙刃が女装しているのが悪いんでしょう」

「ついでに言うとなぎなぎの顔が決め手だと私は思うよ」

「結論的にまとめるなら……仕方ないわね。言うの少し悔しいのだけれど」

 

 ぷち、という音を皮切りに薙刃の手が思斗の頭を高速で掴む。怒りの矛先は思斗に向いたようである。以下、半分茶番。

 

「お前が、女装しろって言ったんだろ……!! あんだけお淑やかお淑やかと口五月蝿くぎゃあぎゃあ喚いてただろうがっ……!!」

 

「あれ、そうでしたっけ? あ、あいたたたたたたたたたた。いやー凄いですね握力。鰐の顎よりも力が強いんじゃないでしょうか。あ、でもそれだともうとっくに僕の頭部がとんでもないことになってる筈ですよね。あたた。痛いです痛いです。ということは、薙刃は手加減してくれてるんですね! 嗚呼、なんて優し……ええ、うん優しくなんてないですね。相当痛いです。何ですかコレ。手加減の手も感じられませんよ。確実に僕の頭潰そうとしてますよ酷いですねこの外道! あ、本音漏れてました? 大丈夫ですよ。嘘です嘘です。おおっと、ここで妙に力が入りましたね。これはまさしく、ってヤバいですヤバい。呑気に実況かましている場合じゃないですね。そろそろ視界がゆらゆら、ゆらゆらと……」

 

「んなこと言ってる暇があったら少しは痛がる素振りでも見せやがれテメェッ!!」

 

 もうまともな話は食べ終わるまでできないだろう。蓮理は机に額を乗せ、深く溜め息を吐いた。

 

「ね、蓮理ちゃん。もう料理来てるんだけど、食べていいかな? 正直涎を止めるの、すっごく苦労してる」

 

「……そうね。先に頂きましょう」

 

 もうどうとでもなれ。蓮理は再度、溜め息を吐いて割り箸を手に取った。


*巳

古時刻において午前九時~午前十一時を表す。巳二つは午前十時~午前十時三十分頃を指す。(古時刻は四つに分割されて言われていた。巳二つだと、巳の時間帯である午前九時~午前十一時を四つに分け、三十分を一つと数えた時の二番目)


*同心

町村に必ず一部隊は置かれる、幕府公認の取り締まり役人。現実で言う、警察の役割を果たす。


*食卓

テーブルのこと。


*花魁/女郎

吉原での上位の遊女のこと。かなり綺麗、かなりエロい、かなり身体良しの男の夢。/一般的な遊女のこと。こっちも色々と凄い。


*妖魔

現実で言えば妖怪のような存在。

森や山等の陸地、川、海、空と至る所に存在する。

人はもちろん、生物であれば認知した瞬間襲い掛かる凶暴性を持つ。

しかし町や村等の人里には妖魔は侵入しない。

これは人間を危惧している訳ではなく、報復を恐れているからとの説もある。

獣のような姿や人の姿をした妖魔までいるらしく、特に言語を理解している人型妖魔は危険視されている。


*岡っ引

同心の私的な部下のようなもの。公的な部下ではないので、幕府に名を連ねていない。給料は微妙である為、副業にしているのがほとんどである。




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