表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅蓮天照烈士之神楽  作者: 鋼田 和
第一幕 無双の爆槍
2/15

 第一章 序盤の出演者達

この世界で出会ったのは偶然か、それとも必然か―――。

 “神州高天原大八島国”―――それがこの島国の正式名称である。太古より昔から“神の住まう国”として海の遥か向こう、西欧からも一目置かれる存在であった。

 白兵戦最強。その五文字は伊達ではなく『陸上でサムライに出会ったら逃げろ』という勧告が神州を除く全世界の国々で出された程である。故に、何処の国も神州を恐れて侵略を迫るということはなかった。

 加えて海外諸国の技術を貪欲に吸収していき、まさに神州は無敵と呼ぶに相応しかったのである。

 しかし、亜米利加(アメリカ)との海戦にて神州が大敗を喫したことにより状況が一変した。たった一度の敗北、だが屈辱的な負け方をした神州は全世界の格好の餌食となった。すなわち失墜に他ならない。

 その数年後、追い打ちに掛けるかのように征夷大将軍の病没で神州は更に大きく揺らぐことなる。

 

 

  ●   ●

 

 

 真昼時、木造建築の家が建ち並ぶ信濃領松代町は活気に賑わっている。信濃大名“真田幸正(さなだ ゆきまさ)”による治世のお陰か、信濃領は諸領に比べて平穏を保っていた。

 否、現状維持と言うのが妥当だろうか。飢えている者は居ない。逆に、裕福な者も居ない。言うなれば皆平均的な身分であり差別も起こらない。裕福な者、すなわち上流の貴族が居るとすれば、余所の領から移ってきた物好きか大名家位であろう。

 故に平均化されたこの領で、服装が綺麗な者、一際目立つ格好な者は十中八九余所者だと認識されてしまう。

 これは真田公の政策における副産物である。元々、真田公が大名となる以前の信濃領は貧困領として悪い意味で世間に広まっていた。それに憂いを覚えた真田公が決起、私腹を肥やすことばかりに執着していた悪大名、すなわち自分の父を討ち信濃領を世間に恥じぬ立派な領にする為、大名の座に就いた。

 その立派というのは、領民が皆裕福であることを指していない。無論、困窮せよと言う訳でもない。裕福であれば、それだけ他領から狙われやすくなってしまう。真田公は争いを好まない性格、しかしだからといって父と同じ愚か者の道を辿りはしなかった。

 故の平均化。真田公の治世が続くこと十二年、領民は贅沢は自分次第であるものの、満足いく生活で暮らすことができた。そしてそれは今も揺るがずに続いている。

 

「ごちそーさまでしたーっ!」

 

 とある一軒の団子屋にて、溌剌とした声が響き渡る。

 外に備え付けられた縁台に座っている女性が、声の主だ。その隣には黒長髪の女性が呆れたように頭を抱えていた。容姿端麗という四文字で済ましていいものだろうか、と思わず疑問符を打ちたくなる程に美しく、行き交う人々は必ず振り返る等して再度確認するようにその女性に注目する。余りの美しさに、逆に誰一人として声を掛けようとしない。その女性が絞らせるようにして言葉を漏らした。

 

「元気が良いのは構わないけれど、もう少し音量を調節してもらえると嬉しいわ」

 

 湯呑みを手に取り、ほんのりと香りがする緑茶を啜る。一般的なものより甘めに作られているであろうこの団子の為に、やや苦めである。

 ほんの少しばかり顔を顰めたが、左程気にする程でもない。むしろこの団子を引き立てているという点において好感が持てた。

 

「私にだけならまだしも、他の人にも迷惑がかかるのは止めて頂戴」

 

 隣の女性の口回りに付着している団子のタレを白い正方形の布――海外ではハンカチと言うらしい――を取り出し拭う。

 

「んん、ありがと。だってさ、戴きます、ご馳走様は大声でって躾けられたもんだから……つい癖で」

 

 はぁ、と溜め息をつき、ハンカチを自身の懐に仕舞う。これ以上責めるつもりは無いようであった。

 

「癖にも良し悪しがあるとわかったし、幸い外もそれなりに騒がしいから不問としましょう。それよりこの後の行動なのだけれど……」

 

 この二人は今朝方に松代町に行き着きた余所者であることには違いない。決定付けるのは服装である。この町の風景にそぐわない、今流行りの和風と洋風を足した様な格好。

 洋風らしいのは靴、茶髪はやや短めの、そして黒髪は逆にやや長めのスカート、和風部分は女性物の着物である。

 流行りと言っても信濃領ではこのような服装を纏う傾向はまだ浸透していない。洋風の服飾品が揃い易い港町や商業的に発展している地域を中心に、大流行であるのだ。

 信濃領は内陸に位置しており、さらに商業と言うより農業が発展している。

 一応呉服屋等で仕入れて販売されてはいる為、着用する人が全くいない訳ではないが、その人は大抵農民ではない。

 そもそも、本業、副業問わずに調査をすれば農業に従事している領民が全体の九割を占める信濃、すなわち農業に適した服装を好む傾向がある信濃には、他領に比べて見た目重視の服装なぞ着る必要性が全く無い訳である。

 

「真田に会う? いや別に私は構わないけどさぁ……何かさぁ……」

 

 この時、黒髪の女性の眼光が鋭く光る。そして長々と引き延ばしている彼女の話を強制的に自身の言葉で打ち切った。

 

「けど、何? 何かさぁ、その続きは? まさかお腹いっぱいになったから今日ぐらいは宿に行ってゆっくり寝たいとでも言うのかしら?」

 

 ギク、と茶髪を後ろに束ねた女性が漏らす。図星の様で、先程から隣の視線から泳がすように目を背けていた。

 

「ギク、じゃないわよ。早苗(さなえ)、私達の目的は? まさか忘れた訳じゃないわよね?」

 

 やや強い口調で問い詰める。目つきも先程より鋭くなっていた。

 

「え~と、美味しい物食べ歩き旅行?」

 

 おどけた答を返せば笑ってくれることを期待したのだろうが、彼女には全て見透かされていたらしい。無言で立ち上がり、黒髪の女性は勘定を払いに行こうとする。が、慌てて早苗と呼ばれた女性が腕を掴み、阻止せんとした。

 

「嘘! 今の嘘! 絶対嘘! 冗談冗談! あの、ほら! あれ! “あめりかんじょーく”ってやつだから!! 信じて蓮理(れんり)ちゃん! マジで私が悪かったです!!」

 

 蓮理と呼ばれた女性が相当性格が厳しい人物であるなら、間違いなく早苗を突き放しているだろう。しかし、蓮理は深い溜め息を再度吐いて元の場所、早苗の隣に座った。

 

「……とにかく、城門前までは行ってみましょう。そもそも、相手は大名。会えるかどうかなんて、私達にはわからないことだし」

 

 蓮理はゆっくりと辺りを見渡した。成程、貧富の差が無いというのはやはり真田公による政策からか。情報は確かであったらしい。となればこれから先、この平和そうな雑踏も見えなくなってしまう可能性があるという訳だ。何せこれから全領へと赴かなければならないのだから、事態は思ったよりも深刻と思ってしまう。

 

「あの……すみません。少しよろしいでしょうか?」

 

 横に立つ人の気配を感じ取り、蓮理と早苗はほぼ同時に顔を上げた。

 

 声を発したのはいかにもな好青年であった。水色、と表現しても良さそうな青髪に、蓮理達と同じような服装(違いは男物というだけ)で屈託の無い微笑みを浮かべている。

 しかし、それよりも蓮理の目を引いたのが男の腰横に差された棒状の物。つまり、鞘に収められた刀剣である。帯刀は不可という法は無い。身分限らず、誰でも持って良い、護身用のあるいは殺害用の武器である。故に、蓮理はこの男を警戒せざるを得なかった。

 

「何の用だい色男。こちとら団子食ってんだけど」

 

 貴女はもう食べたでしょう、とツッコミを入れたかったが初対面の人の前ではやや気が引けた。

 確かに早苗の言う通り、この青年は色男、顔立ちが整っていた。スッとした鼻は高く、小顔である。成程、蓮理に声を掛けるだけあってまさに眉目秀麗な青年で、この団子屋に三人も平均以上の容姿を持つ者が集まり、そこだけ花が満開に咲いていそうな雰囲気になる。しかし、早苗はそのような気分ではないらしい。蓮理も同様であった。

 

「それは失礼しました。貴女方の美しさに見惚れてつい。僕と同じ気持ちの男性が、今まで何人居たんでしょうね? と、事実なのに変わりませんが茶番はここまでにしておくとします。どうやら僕は警戒されてるみたいですし」

 

 蓮理は少し、考える。美しい? 確かに早苗はちゃんとしていれば美人にも見える。幼さが残ってはいるが、充分だろう。幼馴染みである私が言うのだから、間違いない。だが私は? 思い返せば、成程、私はよく容姿については老若男女問わず大勢の人から必要以上に褒められてきた。とすれば、私の容姿は人並み以上と自惚れても良いかもしれない。しかし、男に言い寄られたことは一度も無い。早苗の方はもしかしたらあるかもしれないが、どうにも私は男運と言うものが無いらしい。私の性格が悪いのか、何か別の要因か、はっきりさせたくてもできないのが少し、もどかしい。

 

「能書きはいいから、要件をパパッと言ってよ」

 

 ついでに名乗ってからね、と早苗は付け足す。初対面の人に対して余りにも馴れ馴れしい口調なので小声で注意してみるが、一向に取り合わない。早苗が男と話している所なんて見たことが殆ど無いので、早苗はいつもこうして男の人と話をしているのかもしれない。

 

「おっと、そうですね。申し遅れました。僕は雨宮思斗(あまみや しと)。貴女方を襲っちゃおうと企んでなんかいない、しがない流れ者、浪人です」

 

 思斗と名乗った青年はもう一度、笑顔で蓮理と早苗の両者を見る。浪人と呼ぶには無理がある笑顔であったが、服装の若干の汚れを見るに彼の言う通り、浪人なのかもしれない。若干というのも、綺麗好きであるらしく洗濯した跡が見えたからである。

 

「とある人を探していましてね。あぁ、安心して下さい。時間は取らせませんよ。ええと……あ、ありました。これです」

 

 そう言って思斗は懐から写真を取り出し、蓮理達に差し出した。受け取り、顔をよく見てみる。小太りして、髭を蓄えた中年の男であった。

 

「どうでしょう? どこかで見た……とか、ありませんかね?」

 

 蓮理は記憶を掘り起こすが、このような人物は見たことが無い。首を横に振る。早苗は元々記憶力というものが人並みよりも足りていない節があるので、長い間呻きながら写真を見つめていたが、結局は蓮理と同じ返答になってしまった。

 

「お役に立てなくて、ごめんなさい」

 

 頭を下げる蓮理と、釣られた早苗を見て、写真を元の懐に戻していた思斗が微笑む。

 

「いえ、もしかしたら……と思って訪ねただけですので。駄目で元々ですから、貴女方が頭を下げるのは筋違いです。本来なら僕が下げる立場なんですよ……おっと、すみません。そろそろ行かないと待ち合わせに遅れてしまうので、僕はこれにて」

 

 二人に背を向けた思斗はそのまま歩きだそうとしたが、そうだ、と呟いて振り向く。

 

「今度またお会いしましょう。会えた暁には連れと共にお礼でもしますよ。その時、お名前でも教えて下さい。見目麗しいお嬢さん方」

 

 遊び人しか言いそうにない台詞を残し、思斗は雑踏の中へと紛れ、姿を消してしまった。いきなりの再会の約束に、二人は呆気に取られ、しばらく固まったままとなってしまったのは言うまでもない。

 やがて、蓮理が沈黙を破る。

 

「男の人って、皆ああいう感じなの?」

 

 その質問にどう答えるべきか、早苗はやや考えてしまう。早苗自身は男ともよく話すし、男友達も多い部類に入るであろう。しかし、蓮理は違った。男というものを知識では得ているが本当に知識だけだ。話したことなど殆ど無く、男友達もほぼ皆無と言っていい。幸い男に対して恐れを抱いているといったことは無いが、それでも間違えた認識をさせる訳にはいかない。思斗と名乗った男はもちろん全ての男性の為にも、言い方に気を付けなければ。

と思い、先程から考えているのだが中々良い言葉が見つからない。何しろ自分だってあのような男性に出会ったことなど無いのだ。そんな自分が……ああ、そうか。

 

「や、あれはちょいと特別。っていうか、私も初めて見たし。うん」

 

 自分が体験したことないのだからそれを伝えればいいのだ。自分は考え過ぎていたのか、と心の中で独り()つ。

 

「そう……じゃあ、行きましょうか。満腹の後にくる睡眠欲はもう無いでしょう? なるべく早めに謁見して、三日以内には信濃を出たいから」

 

 嗚呼、何故そんなに急かすのか、と早苗は憂いてしまうが不満は無かった。こんなことで不満を漏らすようではこの人の護衛兼従者は務まらない。

 早苗は立ち上がり、言った。

 

「はいよ。正直全然寝たいんだけど、蓮理ちゃんの為だ。さっさと終わらせちゃおうか」

 

 軽く言ってくれる女性だと、蓮理は呆れつつも内心、安堵した。自分達の目的、それは決して楽なものではない。それでも彼女とならなんとかなりそうだ、そんな安心感を早苗は漂わせている。

 勘定を済ましてさっそく城門前に向かおう。自分の知っている真田公なら必ず会ってくれる筈だ。

 

 

  ●   ●

 

 

 団子屋で出会った一風変わった男が去った後に、二人は予定通り城門前まで来ていた。理由は勿論、大名の真田幸正に会う為である。大名に謁見を希望するなら厳密な身体検査の上、監視も付いてようやく謁見できる。逆を言えば、それさえこなせば民間人であろうと大名と話すことができるのである。しかし

 

「真田様は現在信濃を離れており、不在です」

 

 と、門番から門前払いを喰らってしまい、手続きすら行えなかった。治めるべき大名が不在……。自らの領内から離れるなどというのは、基本無いに等しい。あるとすれば、敵対している領への攻撃か、幕府からの収集命令。そのような命令が出されたことを“私達”が知らない筈はない上、信濃は言ってみれば永久中立領である。故に敵対している領なぞ存在しないし、中立なのであるから攻撃を仕掛けるのはおかしい。この町に来てから行き交う人々や団子屋で真田について聞いてみたが、真田の評判は良好でありしかも不在等という言葉は一言も言っていなかった。大名が領を離れる時は必ず民にその旨を伝えなければならない。人々が総出で嘘を付いているのか、大名が会いたくない、もしくは会えない状況であり、門番が嘘を付いているのか。蓮理は様々な可能性を思考してみたが、情報が足らな過ぎて決定打に欠けるどころかその域まで達することもできない。もっとも、自分達が何者かをその門番に明かしてしまえば鶴の一声、と言わんばかりに真相を話すだろうが。蓮理はその手段を極力使役したくなかった。それには私的な理由と公的な理由が入り混じっており、複雑である。

 

「どうすんのさ蓮理ちゃん。こうなっちゃったら信濃を後回しにして、先に甲斐行っちゃう? 私は全然良いよ?」

 

 蓮理は一考し、

 

「いえ。そうなるとまたここに戻って来なくてはいけなくなる。正直、往復するのは好ましくないわ。旅費も嵩んでしまうし、それに、“二回目”を空ぶるなんてこと、したくないもの」

 

 早苗の提案に首を横に振る。それに対し、まぁね~、と早苗は笑顔で返す。

 そう、まだ“二回目”なのである。このような序盤で時間をかけるなんてことをすれば、後々に響くことになる。時間が惜しいという訳ではないが、無限ではない。時間を無駄遣いするのは愚かしいことだ。

 

「真田公への謁見は、円滑に甲斐へ向かうのに必要なのよ。これは公にはされていないけれど、真田公と甲斐大名は昔から友好関係があるということを、前に教えたでしょう。まぁ、信濃は中立としての立場があるから、形としては成っていないけれど……そうね、真田公が帰ってくるまでは信濃に滞在しましょう。でも一週間が限度。それ以上は待てないわ。最悪、先に甲斐へ向かうことになるわね……本当に、最悪の選択肢だわ」

 

「あ~、うん。そういやそんなことを聞いたことがあった気がする。ってあれ? 滞在っていうことは信濃の食べ物食べ放題ってことだね!? じゃあじゃあじゃあ! 信濃っちゃあ、やっぱ蕎麦だね! よぉ~し、次は蕎麦屋へ行こう蓮理ちゃん!」

 

 嗚呼、どうしてそのような結論に至るのか、短絡的過ぎやしないだろうか、というツッコミすら間に合わなかった。

 嬉しそうに走り出す早苗を離されない程度で追いながら、蓮理は再度思考を開始する。早苗と自分の食費、宿代、その他諸々……どれだけ節約すれば良いか頭の中で計算を繰り返していた。宿は最低級でも構わないので、そこまで気にしなくて良いだろう。食費も、正直予想はしていたのでまだ大丈夫、と言える域である。それよりもまず行うべきは早苗への叱責であろう。本来の目的を完全に忘れている愚か者には体罰の処置も考慮に入れなければ。お転婆な幼馴染も持つとなると苦労する。

 まぁ、体罰云々は冗談の域に過ぎないのだけれど……。

 

 

  ●   ●

 

 

「あいたっ!」

 

 蓮理が追いかけていると、前方の早苗が急に尻餅を付いた。どうやら橋の上で誰かにぶつかったらしい。本日何度目になるかわからない溜め息を吐き、蓮理は早苗の元へと辿り着いた。まずは謝罪。早苗はやけに頑丈だから、ぶつかってしまった相手を怪我でもさせてなければ良いのだが。そういう訳で……早苗の方は心配いらないだろう。

 

「何をやっているの。申し訳ありません。連れがご迷惑をお掛けしました。ほら……貴女も早く立って」

 

 早苗の腕を掴み、引き起こす。女性にしては長身である早苗も、こうなってしまえば子供を見ている感覚に陥る。そして自分はさしずめ母親か。保護者というのも大変である。

 

「ご、ごめんなさい……目の前が蕎麦しか見えてなかったよ~」

 

 幻覚を作り出す程に蕎麦が食べたいのであろうか。何という凄まじい食い意地。どちらにせよ、同情はできない。

 蓮理は被害者の容姿を確認する。正直、特に意味も無い確認であるが蓮理の癖、というのが妥当か。

 ぶつかった人物は小柄の青年。青年、と表現したが若々しい印象は見受けられなかった。蓮理と同じくらい……少なくとも早苗よりは背丈が小さい。いかにも気弱そうな雰囲気の持ち主であった。

 大丈夫です、と言いながら左右上下、しきりに辺りを見渡している。

 

「あの……もしかしてぶつかった際に落し物でも?」

 

 青年の行動を見て、蓮理は青年が何かを探しているのかと思い、尋ねた。もし橋の下の川に落ちていれば、間違いなく弁償だろう。正直な話、余分な出費は避けたいところであったが、そんな私的で勝手な要求がまかり通る筈がない。早苗の責任は蓮理の責任でもある。額によっては二人揃って仲良く飯抜きも有り得るのだ。しかも数日分かもしれない。

 が、蓮理は一つ、勘違いをしていた。男が何かを落としたのであれば下辺りだけ見るのが通常であろう。左右上まで見る必要は無い。すなわち、この男が何かを落とした、と思い込むのは早計であったのである。無論、蓮理がそのことに気付くことは無かった。蓮理を知る者なら口を揃えてこう言うだろう。

 彼女がこのような間違いを起こすのはおかしい、と。

 この失敗を犯してしまった理由は、蓮理は勿論、誰にもわからない。まさしく不明である。


 

「い、いえ。何でもないんです。あの……こっちもぼうっとしてたんで、えっと、すみませんでした……そ、それでは!」

 

「え、あ、ちょっと」

 

 早苗が呼び止めるも、青年は雑踏の中を走り抜け、あっと言う間に何処に居るのかわからなくなってしまった。反射的に追いかけようとしたものの、その理由が見当たらないと理性的判断を下してしまい、そのまま見送る形に。

 

「……何だったのかしら」

 

「んー……? 何だろうね?」

 

 顔を見合わせ、二人揃って首を傾げる。が、いくら傾げても、考えても答えは出なかった。

 

 

  ●   ●

 

 

 橋の真ん中に突っ立っているのもどうかと思い、一先ず二人は宿屋へと向かうことにした。早苗が蕎麦屋へ行きたい蕎麦屋食べたいとごねていたが、蓮理は一刀両断し解決に至った。

 蕎麦屋を食べてどうするのよ。考えてから話すようにしなさい。

 

「ちょいと、そこの嬢さん二人組」

 

 そんなツッコミを心中呟きながら橋を渡り切ると、横から声が飛んできた。立ち止まり、左方にいるであろう声の主を視認する。

 

「あ……」

 

 思わず声を洩らしてしまった。それほどまでに綺麗で、背も高かった。早苗より、やや勝っているぐらいだろうか。尋ねて来たのは女性。赤い長髪。それは鮮血のように陽に照り輝いているようにも見えた。ここでどうして鮮血と表現したのか、蓮理は特に気にしなかった。というより、本能的に出てきた言葉にいちいち注意を向ける程、蓮理には余裕が無かったというのが妥当であろう。これが目を奪われる、ということなのだろうか。

 髪型は後頭部の低めの位置に髪を一つにまとめて束ね、垂らしている。長さも蓮理より短いがそれでも腰辺りまである上に、毛先はやや跳ねていて、蓮理のように艶やかな直線に匹敵する美しい髪であった。同じ女性である蓮理が羨ましい感情を持ってしまった程に。

 と、いうのも蓮理は自身の髪に自信が無い。容姿と同じくらいに髪型も褒められてきたが、どうもそれはお世辞にしか聞こえない。蓮理の髪型は黒髪長髪。少しも髪は傷んでおらず、質に関して見れば蓮理に軍配が上がる。

 しかし、蓮理は自信の容姿に関しては自己評価が低い。周囲の褒め言葉が、どうしても自分にそぐわないと思ってしまう。自分は本当に皆に評価され、褒められる優等種であるのだろうか、と。

 

「何、少し聞きたくてね。嬢さん方……あー、そちらの茶髪さんかな? ぶつかった男、知り合い? もし知り合いであれば、聞きたいことがちょっとばかしあるのだけれど」

 

 声までも透き通る位綺麗であり、口調はやや男らしいが早苗という前例がいる為全然気にはならない。身体の線も細く、格好は女物の着物で少し地味な緑色一色であるが、見事に着こなしている。

 

「え? いや別に? ってか、私達今日ここに来たばっかでさ。だから知り合いなんて一人もいやしないよ……ああ、彼女は勿論別だよ?」

 

 早苗も少し呆気に取られていたが、我に返り受け答えする。突然の出来事に遭遇しても、直ぐ様切り替えられる。それが前向きと評される早苗の強みであった。蓮理としては弱みとも言え、少しは後ろを振り返って復習してほしいものであるが、ここは褒めておくことにする。

 

「ふぅん……ま、見失ったしもういいか。これ以上は無駄骨だろうし、嘘は吐いてなさそうだし、何よりも面倒臭くて仕方ねぇや」

 

 何やら呟いていたが、蓮理と早苗には聞き取ることができなかった。雑踏がうるさかったのか、単に彼女の声が小さかったからなのかはわからない。二人の視線に気づいたのか、少し慌てるような仕草を見せ、袖を口元に当てて小さく咳払いを行った。

 

「ええっと。ありがとう。ここに来たばっかりだって? うん、ゆっくり観光することを勧めるよ。食べ物も美味しい、良い所だよ。空気も澄んでる。気候もどうやら、しばらくは穏やかで雨の心配もなさそうだ。それに……や、ええと、まぁ自分も先日来たばかりだからこれ以上は詳しくは言えないけれど……それじゃ」

 

 ゆっくりと後ろを向き、赤髪の人物は人気の無い、細い路地へと入っていった。二人は終始呑まれたまま見送るしかできなかった。

 

 

  ●   ●

 

 

 昼間は賑わっていた大通りも真夜中となれば静まり返り、主役は人ではなく猫を筆頭とする夜行性生物となる。が、それを無視するかのように人影が二つ……月明かりから逃れるように物影に隠れた。その動きは素早く、見る者が見れば一目瞭然、無駄が無い、と評する動きである。そして一人が口を開いた。

 

「さて、と。どうでした? そちらにそれなりの期待を抱いているんですが」

 

「いや、収穫無し。強いて言うなら、身の程知らずの馬鹿野郎共が言い寄って来た位かね」

 

「へぇ……僕は時たま女性が寄って来る程度でしたが。ぶっちゃけますと、邪魔になって仕方がありませんでした。そっちの方がちょっと羨ましいですね。今度からは代わって下さいよ」

 

「そりゃこっちの台詞だよ。死んじまえ色男。春本の主人公みてぇな面しやがって」

 

「それはとんでもない言い掛かりですね。否定はしませんが。まぁ、面白可笑しい談話はここまでにして、脱線した話を元に戻しましょう。真面目な、お仕事の話です」

 

「脱線させた本人が何言ってんだか」

 

「いちいち文句を言わないで下さいよ。モテませんよそんなんじゃ。男性に」

 

「殺して裂いて千切って潰して喰ってやろうか」

 

「人肉がお好きとは僕、知りませんでしたよ。……ああ、ちょっと、痛いです冗談です。冗談ですから頭掴むのを止めてくださいよ。こんな暗闇でよく的確に迷わず掴めますね。いやはや、大したものです。で、真田公のことです」

 

「……とりあえず、尾行しながら適当に訊いてみたんだがよ。真田公は領民に不在って伝えてねぇな。んでもって領民自体、真田公が不在って知らないみたいだ」

 

「あぁ、離してくれて助かりました。結構痛かったんですよ。頭蓋骨凹んで……ません。あぁ、大丈夫ですね。手加減、重ねますが助かりました。さて、僕が門番に同じことを言われてかれこれ三日……今日も夕刻に行ってみましたが未だ不在でしたよ。領民は大名に謁見したりしないんでしょうか?」

 

「謁見が自由になったのは、そもそも悪政や生活苦難を訴えたい領民の為に直々に張本人に言える様にと願った、結構昔の幕府の将軍が作った規則だからな。名前忘れたが」

 

「感動的な話ですね。それで、僕の疑問には答えてくれますか?」

 

「答えただろ。今の所、信濃は貧富の差が無い。加えて奇跡的にも欲深な奴はいない。つまり、ここの領民は現状に満足してんだよ。そうなりゃ謁見なんざ糞並みに必要ねぇ。何だ?『こんにちは大名様。今日は良い天気ですね』って挨拶する為に馬鹿みてぇに厳しい身体検査受けて、糞真面目な監視付けられんのか? 阿呆か。そこまで大名も暇じゃねぇよ」

 

「成程。ご高説ありがとうございます」

 

「何がご高説だよ。わかってて訊いてんじゃねぇ」

 

「僕は性格が悪いですから。それより、口調。戻ってますよ」

 

「……いや、今は良いだろ。真面目に」

 

「駄目です。やっぱり女であるならお淑やかが一番ですよ。そうそう、今日凄く美しい女性にやや男勝りな、これまた美人な女性につい声を掛けてしまいましてね。あの黒髪美人、自尊心がめちゃくちゃ高そうでしたが気品漂いまくってましたよ。性格は頑固っぽかったですが、あれこそお淑やかの極みでしょう。もう一人の方はやや天然が入ってそうで、長身で素晴らしかったですよ。茶髪も良いものです」

 

「あぁ、そう。お淑やかお淑やかうるせーし、お前の女考察はもう割とどうでもいいわ」

 

「あれ? 妬きました? それとも興味無いですか? 黒髪の方、好みの釣り目でしたよ? 百合展開突入しませんか?」

 

「妬くか! そもそも誰がお前に俺の好みなんざ言った!? んでもって何が百合だコラァァァ!!」

 

「時間考えて発言しましょう。夜ですよー寝てますよー? しかも一人称。いくらなんでも俺、は無いでしょう。明日からはお淑やかを目指して下さい。そうだ、明日その二人探してお会いなさりますか? 少しは学べるかもしれません」

 

「っざけんなよ誰が会うか。テメェが会いたいだけだろうが」

 

「あ、バレました? まぁ、目当てはそれですが、忠告しておこうかと」

 

「忠告?」

 

「そもそも話し掛けたのはそれが原因なんですけどね。彼女達が真田公に会うだのと仰ってたのを偶然聞いてしまいまして」

 

「……あぁ成程、邪魔だなそりゃ」

 

「どこかの誰かさんみたいに真田公について領民に訊き回られれば、僕達が訊く時に不信感を与えかねませんので、その場合は邪魔になるでしょうが、問題はそこじゃありませんよ」

 

「言い返したいんだけどよ。論破されるかちゃぶ台返しされるかの二択になるから、言わないでおく。で? 問題って何だよ」

 

「こちらとしても、それがありがたいです。それで問題というのは、他でもありません。先程言いましたよね……ええと、身の程知らずの馬鹿野郎が言い寄って来た、と」

 

「ああ、確か『嗅ぎ回る鼠めが』とか言ってたから、何かしら真田公不在に関係してるんだろうな。面倒臭かったんで、捕まえずに捨て置いたけど」

 

「やはり。ええ間違いなく関わっているでしょう。しかし、妙ですね。門番に何故僕は狙われなかったのでしょう」

 

「……つまり」

 

「つまり、真田公についてのみ訊いている人物が狙われる。……まぁ、これは妄想に近い、憶測ですがね。偶々今日は僕の所へ来なかっただけかもしれませんし、外見で判断したのかも……いや、だってそうじゃないですか。そう怒らないで下さいよ。それにもし外見であるなら、尚更忠告をしておいて損は無いでしょう。このご時世、何があったって不思議じゃない。それに……」

 

「それに?」

 

「彼女達の服装、どうもきな臭い。慣れてないというか、普段着を着ている感じじゃない。どう見ても僕達と同じ流れ者ですが、僕が絶賛する程に綺麗です。綺麗過ぎるんですよ。髪も、服も、肌も、ついでに顔も。貴族の御令嬢だとしても、何故わざわざあのような格好なのか……とても気になります」

 

「そりゃ俺も、お前がそこまで褒めてるのが気になるんだけどよぉ……お得意の考察の続きは宿だ。さっさと潰すぞ」

 

「あぁ……見られてますね。忍の類か、一人。何にせよ僕達どちらが囮役になるかはあちらの方に任命してもらうとしますか」

 

「俺とお前、どっちに追って来ても恨みっこ無しだからな」

 

「あちらの方が鋭ければ、十中八九僕の所へ来るでしょう。早めに仕留めて下さいよ」

 

「そりゃあ……お前がどれだけ頑張るか、だろ」

 

「頑張りたくないから、お願いしているんですよ。こんなことで頑張る程、僕には余裕がありません。そもそも、僕が頑張ろうと頑張らまいと、結果は同じでしょう」

 

「ハッ! にしても一人で俺等の相手たぁ、舐めるにも程があるんじゃねぇの?」

 

「そうですねぇ。彼も、まさか美青年と化物を相手にするとは思ってないでしょうねぇ」

 

「おいコイツ今自分で美青年って言ったぞ」

 

「その発言からだと、サラッと自分を化物扱いしている薙刃は大物ですね」

 

二人は別の方向へと飛び、散開した。

 

 

 翌朝、小路である裏路地の行き止まりから、多量の血痕が発見された。


 夜中に怒声の後、しばらくして小さくだが金属音が鳴り止まなかったという情報が寄せられている。


閲覧ありがとうございます。

誤字、脱字があれば報告お願いします。

また、よろしければ感想なども頂きたいです。

尚、今後御礼の言葉は省略させて頂き、この後書きは本文に出てきた用語の解説とさせていただきます。何分史実と異なっている意味もありますので、どうかご容赦下さい。


*領

現実で言う、都道府県に相当するもの。

七十三ヶ領に分かれている。

 

*大名

史実の江戸時代では大名は藩ごとに設置されていたが本作品では領の治世者として設置されており、七十三名存在する。(史実では約三百藩あったとされている)

一大名につき一城、設けられている。


*信濃

北陸甲信に位置し、現実の長野県に相当する。


*松代町

信濃領の大名所在町(大名が居る町のこと)


*貴族

幕府に規定数の年貢を納めた者に与えられる称号。規定数より二倍の年貢を納められる程の保有量を有していると、強制的に貴族にさせられる。


*武蔵

現実で言う、東京と埼玉に相当する。幕府が置かれており、国で一番豊かとされている領。この領のみ、幕府の城と大名の城が存在する。幕府は全領の総括、大名が武蔵を治める形を取っている。


*蓮理や早苗、思斗の服装

国独自の文化である和風着物を基調とした、流行りの格好。人様々であるが、着物、というイメージから崩れないようにすれば大体はそれっぽくなる。


*写真

外来の技術により、人を写し取ることが可能となった。


*甲斐

現実で言う、山梨県。


*春本

十八歳未満は見ちゃ駄目!な本のこと。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ