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紅蓮天照烈士之神楽  作者: 鋼田 和
第一幕 無双の爆槍
13/15

 第十二章 大虚けな虚作家

人は創作する。良くも悪くも、妄想を膨らませて、一線を越えればそれを表出したいという欲求が生まれる――それはどうしようもない性か。

 それは羨ましいとか、妬ましいとか、そういう感情は一切湧き上がってこなかった。物心が付いた頃にはもう、どういうことか理解できていたから。世間の、城下の人々での関係と、私達の関係は、名称は同じであれ、意味はまるで違う。それを理解できていたから、筋違いな感情は生まれなかったのだと思う。

 時たま町に下りて、その関係にある人々を見て、何て幸せなのかと心から喜んだ。ああ、少なくともここにいる彼等は幸せなのだろう。自分の持つ運命に嘆き、否定している訳でもない。むしろ受け入れている。その覚悟も十分あるし、技量も身に付けてきた。だから、自分も幸せだと考えている。

 彼は、いわゆる一種の、触れてはいけない存在だった。実際そういう訳ではなく、彼自身、私の甘えが表出しないことを心配そうにしていたが、私が勝手にそう割り切り、甘えを求めるなどということはしなかった。時折自分は何をしているのだろう、と不安を感じることもあったが、それでも自分の、彼に対する対応は間違っていないと信じた。彼は、とても高い。私は彼を尊敬している。深く、深く。

 血、というものは恐ろしいものであり、彼は関係ないと訴えても、周りは納得しない。私も正直気乗りはしない。もう決まったことであり、かつ何より自分で望んだことであるから今更血など気にしている場合ではないが、もし私の血が彼ともう少し近ければ、この決断ももう少し早かったのではないか。出発の前夜、寝付けないまま考えた。

 私はこの国が好きだ。外国の地に足を踏み入れ、日々を過ごした訳ではないが、それでも世界で一番好きだ。“神州”が広い世界の中でとても小さな島国であり、海に囲まれ海外との交流も難しいということも考慮している。そして、今非常に、かつてない程に揺れているということも理解している。そう、“神州”は崩れかけようとしている。多くに分けられた領の中では、苦しむ領や領間で争い合う領すらある。私は一度も見たことは無いが、おそらくこれから目撃を避けられないであろう、妖魔の存在も“神州”の人々を不安に陥れている。この存在が何の為にこの世界に容認され、存在しているのか。上っ面の知識しか妖魔を理解していない私であるが、この旅を経て、少しでも前に進もうと思う。

 “神州”には、救いが必要である。そんなものは神の役目だ、と誰かが吐き捨てるかもしれない。だとするならば、私は神になってみせよう。私が“神州”を救う。勿論、私だけの力では到底無理な話であり、正確に言うのなら、私達が“神州”を救う。故に、だから、私はこんな序盤で(つまづ)いている訳にはいかない。“神州高天原大八島国”が、堪らなく好きな私だからこそ、自分の足で踏んで、目で見て、可能な限り助けていきたい。

 あぁ、理想論だの綺麗事だのと誹謗中傷はもう結構。自覚しているし、何より私は絶望的な現実に諦め、ただ悲観している大人でいるよりも、幸せな未来を夢見ている頭がお花畑な子どもでありたい。大切なのは行動すること。私はもう歩き出したのだから、野次を飛ばすだけに飽き足らず、邪魔するというのは嬉しくない。非常に迷惑だ。だから、そろそろご退場願い、次の演目へと移行しよう。神楽(ものがたり)は登場人物たちが鮮烈に舞い、かつ観客に飽きが来ないように工夫すべきである。苦労や悲嘆の幕は程々にして、痛快とも呼べる快進撃を観客に見せつけ魅了しなければ。だから、そう、私も目を覚まし、彼等と対峙しなければならないだろう。

 

 

  ●   ●

 

 

 そう、目を覚まそう。手首、足首に冷たい金属質のようなものが当たっているが、我慢することにする。まずは目を開けて、状況を確認しなければ。

 

「……ここは」

 

 暗いが、灯された蝋燭で周囲は見渡せる。目の前にある格子型の鉄でここがどこであるか、瞬時に把握することができた。ここは、牢屋である。

 

「女性の扱い、というものがなってないのね……汚れてはなさそうだけれど」

 

 衣服の乱れもないようで、まずは安心をする。捕らわれの身という余計な状態になってしまったが、上手く潜り込むことができた。山登りで疲れる手間が省けたというものである。さて、問題はこれからどうするか、であるが……何よりも優先すべきは情報を得ること。自由の身になるのはその後で良い。幸いこの鉄の手錠には何の細工も施されていないようなので、その気になれば脱出も可能だ。私の読みが確かなら、どうせ彼等は私を殺せない。殺したとしても、その後に自滅することは避けられない。勿論、勝利宣言を高らかに叫ぶわけにはいかないが、それでも着実に王手に向かって行っている。

 

「随分と、落ち着いているんだな」

 

 不意に格子の外から声がした。人の姿は見受けられない。まるで、暗闇が話しかけてきているようであった。

 

「誰!?」

 

「誰でもいい。特に必要の無い。強いて言うなら……お前の死を最も望む者」

 

 暗闇は言葉を続ける。酷く冷たく、生気を感じ取れない声色を、抑揚も無く続ける。

 

「あの害虫には騙し通せるかもしれんがな。俺には通用しない。何故なら俺は、お前の顔を、とてもよく知っている」

 

 私の顏を……? それはすなわち、以前に私を見たことがあるということである。その言葉の意味することは何か。思案と並行しながら問うてみた。

 

「私はこの声に記憶が無いわ。けれどあなたは私を知っていると言う。覗きでもされていたのかしら」

 

 まるで、信濃に来る前から知っていると言いたげな(正確にはそう感じただけであるが)暗闇に対して、強気の姿勢を崩す訳にはいかなかった。

 

「ふん……この問答は無意味だ。同時に不必要でもあったな。話を進めるとしようか、進物取次番頭……九條蓮理殿?」

 

 まるで――これははっきりと感じられる――私の役職を強調してからかっているかのように、あるいは小馬鹿にしているかのように、暗闇は言った。だがこの声から感じられた感情が、本当にそうであるかは確証を持てない。嘲笑しているのだろうか。憤慨しているのだろうか。落胆しているのだろうか。姿を見せない暗闇の何一つ、わからない。逆にこの暗闇は、私をどこまで知っているというのか。

 

「目が覚めたのであれば、お前をあの害虫の所に連れて行く。そこで散々話すといいさ。得意なんだろう? 話すことが」

 

 そして、手錠の鎖が外れ、同時に格子の扉も開かれた。手首足首の不自由さは残るが、ある程度身動きを取ることが可能になった。

 この隙に逃げ出そう、とは蓮理は考えない。むしろこれは好機と考えるべきであろう。下手にこの牢屋から抜け出して騒ぎを起こすより、ある程度の不自由化での自由の身になる方が後々楽になると蓮理は考えた。暗闇の言う通りならば、相手は少なくとも話し合いをするだけの冷静さはあるらしい。相手の実態を知ることができると共に、有益な情報を掴むことができるかもしれない。あるいはもしかしたら、説得に応じ、降参するかもしれない。限りなく低い綺麗事の可能性は、きっと存在する。

 ここで抵抗の意思を見せれば、その最大の好機を逃してしまうだろう。故に暗闇の指示に従う。上に下に右に左に、どこにいるのかわからない暗闇の声と微かな光を追って、蓮理はぎこちない足取りで進んだ。

 

 

  ●   ●

 

 

 待ち受けていたのは、何とも豪華な一室。少なくとも、信濃においてここまで絢爛な部屋は存在しえないであろう。幕府の役人である蓮理でさえ見たことのない装飾もある。これだけの部屋に招き入れたということは、まるで歓迎しているようではないか。敵である蓮理を迎える準備ができている。そう主張している部屋の中央に、ソレは座っていた。

 

「ようこそいらっしゃいました、進物取次番頭 九條蓮理様。最初に……部下の失態と無礼をお許しください。こちらの手違いだったのです」

 

 真田幸隆その人であることはすぐさまにわかった。思斗の写真通りのやや小太りの風貌。いかにその脂肪に私欲を溜め込んできたのだろうか。

 

「真田幸隆殿とお見受けする。手違いとは、どういう意味だ?」

 

 そうして蓮理は、普段の女性らしさを一切切り離し、幕府の役人である九條蓮理としての口調を表出させた。

 蓮理の持論の中に、女性は強いが弱い、というものがある。女性の方が頑丈であるし、精神的苦痛にも耐えられる。しかし、それでも女性がこの世界において肉体的に弱者であることに変わりはない。女性が犯した、という報せより女性が犯された、という報せの方が多い。女性が被害者側に存在していることの多さが裏付けとなっている。早苗のように、女性として例外的な強さを持つ女性がいるとしても、あの域に達する女性は絶対的に数少ない。故に蓮理は、公的な幕府内や敵と判断した相手には男性的な口調に切り替える。

 男性というのは良い。肉体的に強い。口調を真似するだけでも、随分と相手を扱いやすくなる。特に、敵と見做した人物を相手取る際には冷静を保つことすらできる。要は一種の自己暗示。本来、信濃大名 真田幸正との話し合いの際に使うつもりであったが、この真田幸隆はまぎれもなく敵である。降参して欲しいと願うが、それでも敵であることには変わりない。故に、圧倒せねばならないのだ。自分を偽ってでも、圧倒する話術に相応しい口調が必要となる。

 

「仮にも貴殿は信濃領の役人。私の立場を知っていて尚、言い訳をする程愚かではないと考えるが?」

 

「私としても、何の説明も無しにただいきなり謝罪をする訳にはいかないのです。言い訳と捉えられたとしても、それでも謝罪の説明を、事の顛末をお話ししなければならない……それが私の責任です」

 

 そして幸隆は自らの前に敷かれた、これまた高級そうな座布団に蓮理に座るよう促した。それを蓮理は受け、柔らかな感触のする座布団の上に腰を下ろす。

 

「まずは何から話せば良いのか……しかし、九條様がこの信濃を訪れているというのは計算外だったのです。その上、どのようなご理由かは存じませんが、現信濃大名 真田幸正に謁見を求めているという情報まで入ってきております」

 

「それは本当だ。幕府の密命の為、内容を明かすことはできないが、私は真田幸正に会いたい。信濃大名の真田に、だ」

 

「それを私としては許す訳にはいきません」

 

「だろうな。大方ここに監禁していると見たが、どうだ?」

 

 蓮理の追及とは裏腹に、幸隆の心中は穏やかなものではなかった。取り繕いの笑顔、口調は自身ですら吐き気を覚える。いつ綻びが出てしまうのかわからないからだ。

 進物取次番頭、と言えば幕府の役人の中では大した地位でもないが、だからといって決して低い訳ではない。その身分を明かし、証明すれば諸々の手続きを省略して大名への謁見を行えるだけの地位に、この小娘はいる。

 実力至上主義である幕府にこのような女がその地位にいるのはおかしい。その豊満な肉体を武器にして多くの役人に取り入り、利用して昇進していったに違いない。

 一領の、片田舎の村に左遷された役人である幸隆はそう決め付けなければ気を保てなかった。実に気に入らない。このような見た目だけの女が評価されて自分が評価されないことが、何よりも。その嫉妬を表情に出ないよう、幸隆は顔に神経を注ぎ、必死に取り繕いを続けている。

 

「監禁……というよりも、拘束という表現が正しいですね。少なくとも信濃にとって、今の真田幸正を大名として表に出す訳にはいかないのです」

 

「何……? その言い方だとまるで、真田公が信濃の大名に相応しくないと言いたげだが」

 

 まるで幸正を腫物の如く扱うかのような幸隆の言い方に、蓮理は不自然さを感じる。

 

「その通りで御座います。今の真田幸正は、信濃の大名として認めることができません。領民の目を誤魔化すことはできても、私の目から逃れることはできない。彼は父……私の兄と同じ道を歩みつつありました」

 

 前信濃大名 真田幸道の道――暴君の道である。領民から生き地獄の如く搾取し、私腹を肥やし暴虐の限り信濃を地獄に変えた男が歩んだ道を、その父を下剋上して信濃を救った名君 真田幸正が歩んでいるということだろうか?

 それは何て現実味の無い御伽噺(おとぎばなし)か。少なくとも彼が大名に即位した当時に出会った彼は、そんな人道外れた悪ではなかった。おぼろげな記憶でもこれだけははっきりと確信できる。

 しかし、ここでその話を否定するのは好ましくない。事態を収拾する為には、まず把握することである。幸隆の言い分を聞き、それを持って判断することが今の最善の選択だと蓮理は考えた。

 幸正を疑う訳にはいかない、とは言えない。疑うことは好きではないが、必要悪である。彼を助け出し、もう一度会って話をする為には、大名といえども失礼を働くしかない。

 

「信濃が永久中立領であることは九條様も知っていることでしょう。壊れていた信濃をあれ以上悪化させない為に、幸正が真っ先に取り組んだ政策です。“他領への侵攻を今後排除する限り、他領からの侵攻を受けない”というものです。この政策は、見事幕府によって承認され、以降信濃は一度たりとも争いを行っておりません」

 

「そうだな。そうして信濃は平均的で平準である程度の平和を手に入れた。ここまでの平均化が全て正しいとは言えないが、少なくとも領間で争いごとをすべきではない、ということには全面的に、そして全力で支持しよう。本来ならば全ての領が永久中立領になって欲しいのだが」

 

 領間の交通は自由、領間での流通も大した規制はない。ただ争いは無くならない。同じ国であるというのに、同胞(はらから)で共食いしてどうなるのだ。蓮理はこの国の現状に苛立ちと情けなさを感じずにはいられなかった。しかしこの情動を顔に表すことは相手に不信感を与えるかもしれない。あくまでも冷静に、表情の変化を目立たせないように努めなければならない。心中渦巻く激情を、今はただひたすら飲み込んだ。

 

「私も賛成です。中途半端に、しかしだからこそ悪質に荒んだこの時代の中で、中立という立場を選んだ幸正を褒めてやりたい……ですが、今の幸正は変わってしまった。いえ、もしかすると最初から幸正は外れていたのかもしれません」

 

 一息。酷く残念そうに(演技をし)唇を噛み締め、拳を握り締め、身体を打ち震わせている(と見えるように)道隆は言葉を再開した。

 

「単刀直入に申し上げましょう。幸正は甲斐の武田と結託し信濃を拠点として幕府崩壊を狙っているのです」

 

 それは何とも盛大な下剋上――歴史に永遠に刻まれ続けることになるだろう。謀反者として、あるいは英雄として。

 

「甲斐だけではありません。甲斐の武田は顔が広く、遠い領とも友好関係を結んでいると聞きます。私が独自に調べただけでも、東北の二大勢力、陸奥の“独眼龍”伊達正龍(だて せいりゅう)に出羽の“九尾”最上(もがみ)玉藻御前(たまもごぜん)義光(よしみつ)を筆頭に、甲斐の好敵手として真っ先に挙げられる越後の“毘沙門天”上杉信輝(うえすぎ のぶてる)すら参戦の意思を見せており、加えて薩摩の“鬼島津”島津久志郎(しまづ きゅうしろう)も……そして甲斐の“風林火山”武田壮玄(たけだ そうげん)にここ信濃の“爆槍”真田幸正。これらの有名な大名を中心に集まっているとの情報が……すなわち、大名連合の結成です」

 

 長々と有名な大名の名前と通り名を並べ、事の重大さを何とか伝えようとする幸隆。

 もしその大名連合が結成されており、かつ幕府に謀反を犯そうと企てているというのならば、それは確かに一大事。この神州を大きく揺るがす事件となろう。今並べられた大名は皆全て、武闘派にして相当の実力と権力と勢力を持っている者ばかりである。彼等が一斉に幕府に攻めてきては、流石の幕府も崩れかねない。

 

「その結成の主犯が、幸正と甲斐の武田壮玄なのです! いえ……正確には武田が幸正を操っていると言っても良いかもしれません」

 

「操っている?」

 

「そうです。幸正は幼少期から父、幸道の後継ぎとして武芸に学問、そして幸道自身の思想を叩き込まれてきました。しかしそれでも幸正は染まらず、反発を繰り返していました。そこで幸道はかつての後ろ盾でもあった甲斐の武田に幸正を有効の印として、兼厄介払いとして送ったのです。煮るなり焼くなり好きにしてくれ、と。そこが幸道の失敗でもありました。幸正は瞬く間に武田に取り入れられ、下剋上という名の信濃の乗っ取りを行ったのです!」

 

「なるほど。思い通りにならない息子を上手く信濃から追い出したかと思えば、逆に殺されてしまった、という訳か。そして今も、武田公と真田公は繋がっている、と?」

 

「そう考えて間違いないでしょう。部下の報告によるとつい先日も大名同士、内密で接触を行っておりました。……そして信濃の基盤が整い、名君として祭り上げられた今! 信濃領民を兵隊へと変え、戦場という地獄に送り込むつもりです」

 

 上手く考えられているものだ、と蓮理は感心する。戦闘経験が殆ど無い領民に武装させ幕府を攻め込む。幕府側からしてみればやりにくくて仕方がないだろう。武装しているとはいえ、一般人が戦場にいては邪魔にしかならない。そうした混乱を狙ってのことか。

 

「そうであるなら、平均化という政策もより領民を一般人らしく際立たせる為のものとして考えることもできるな」

 

「その通りで御座います! 幸正は平和の策を、戦場の心理において有利に働く道具として施行したのです!」

 

 幸隆の言葉に熱を帯びていくのを感じながらも、相対する蓮理は冷えていく。

 

「では貴殿は、それを未然に防ぐ為に真田公を拘束した、と。そういう訳だな?」

 

 問い掛け、力強く頷く幸隆。更に言葉は続く。

 

「九條様。これが事の発端で御座います。その後私達は貴女方を、幸正を取り返そうとする武田の刺客と勘違いしてしまい、こちらも手荒な真似をしてしまったのです。ですからどうか……お許しを願うと共に、この大名連合について幕府上層部にお伝えして頂くとともに、その解体を要請して頂きたい! 神州の命運が懸かっているのです!」

 

 ああ、これは、何て――。

 真っ直ぐと向けられた視線に、とうとう私はその後も何かと続いている薄っぺらい御託を余所にして

 

「はっ」

 

 何とも意地悪く、嘲笑してしまった。それを受けた幸隆は言葉を止め、何とも醜くぽかんと口を開けたままだ。恐らく、今の笑いの意味が分からないのだろう。

 しかしこれが笑わずにいられるだろうか。この男、中々どうして才能に溢れている。悲しき哉、生かす方向を全く間違えているが。

 

「幸隆殿」

 

 男性的な口調であるにもかかわらず、声色は艶かしい女性そのもの。耳の保養になりそうな綺麗な声は、とても似合そうにないのに、それでも(つんざ)いた。

 

「痴れ者が。どこまで人を世間知らずの小娘として扱うつもりだ」

 

 呆気に取られている男を、今こそ攻め立てる時だと彼女は反撃を開始した。最早結末は圧倒的論破しか求めない。こちらも御託をだらだらと並べてやろうではないか。

 

「どこまで貴様は誇り高き大名達を馬鹿にすれば気が済むのだ。愚か過ぎるのも大概にしろ。貴様それでも役人か?」

 

 氷? 否、そんな温いものではない。気を抜けば魂すら停止させるのではないかと錯覚する痛い声。彼女から発せられる威圧感が言葉と共に乗り、幸隆の心に恐怖という形で突き刺さり、抉り切る。

 

「だがしかし、今の話は中々面白くはあった。まさか大名を悪者に仕立て上げるとは予想の斜め上を行っている。創作作家としてなら誇っていい才能だ。だから、貴様は役人などにはならずに、物書きになれば良かったのだと、私は心底残念で悲しい」

 

 蓮理は立ち上がる。今まで敷いていた座布団が、今は酷く薄汚れて見えた。汚い力で手に入れた物は、いずれ必ず汚く気持ち悪くなる。

 

「ではお望み通り、“お許し”とやらを施そう。徹底的に、微塵も無く、その笑い話をぶっ壊してやる」

 

 幸隆の顏は青ざめている。肉体的に自らより小さい蓮理が、この時ばかりは巨大に見えて仕方ないのだろう。絶句を続けて何の反論も期待できそうにない。となれば、ただひたすらに言葉を濁流の如く叩きつけるしか方法はない。一方通行の会話、という奴である。

 

「まず、甲斐の武田についてだ。甲斐大名 武田壮玄殿は一月程前に病で亡くなられている。現大名は壮玄の一人娘、“甲斐虎姫”が暫定的に務めている」

 

「なっ!?」

  

「知らなくて当然だ。甲斐領が弱みに付け込まれないように、甲斐領からなるべくその情報が漏れないように幕府が手を回していたからな。部下の報告は勘違いか?」

 

 これが真実。歴戦の益荒男は自らを蝕む病と最後まで戦い続けながらその生涯を閉じた。

 甲斐を次に訪れる場所としていた最大の理由はこの為。“甲斐虎姫”とは、ある約束がある。だが、今この場には必要の無い情報だ。

 

「そして次に陸奥の伊達と出羽の最上だが……あの二人が共闘するというのは有り得ない」

 

「あ、有り得ない……? ど、どうしてそう言い切れるのですか?」

 

 大した中身の無い質問であることから、この幸隆という男、井の中の蛙に違いない。東北二大勢力の実態すら知らないとは、世間知らずにも程がある。

 まぁ、領自体が閉鎖的傾向にあるこのご時世が元凶とも言えるし、ある意味この男も被害者か。

 

「あの二人は顔を合わせれば、周りに何とも傍迷惑な殺し合いをしている。伊達側の言い分は出羽領を制圧し、始祖である伊達正宗の悲願である東北支配を成し遂げる為、であるそうだ。対する最上はそんな伊達を軽くあしらっている。最上としては代々続く遊びの一種、としか考えていないのだろう。彼女はそういう女性だ。それに何より……両大名とも幕府に対して友好的だ。幕府としても、良くも悪くも東北を二領にまで制圧してくれたのは管理のし易さの面などで助かったことだろう。彼等は反目し合っているが、幕府に対して謀反を起こすような人達ではない」

 

 一息つき、やや声を落として付け加える。

 

「それどころか、彼等は遥か北の海の向こう、正体不明の“蝦夷奈落”から守ってくれているのだから」

 

 “蝦夷奈落”――誰かがその極寒の大地をこう喘いだ。『あそこは奈落だ。人が住むべき土地ではない』

 不自然な海流と異常気象による大嵐によって神州の本島から隔絶されている巨大な大地。

 誰が“蝦夷奈落”の島の形を定めたのかはわからない。空を駆け、大嵐を潜り抜け――あるいは雲の上を通り――上空からその大地を見た者であるかもしれないし、単に空想上で描いたに過ぎないのかもしれない。そもそも島であるかどうかも不確定であるし、これも誰が言ったのかわからない。皆自然と、その恐怖の存在を固めていき、一般論と化していった。

 確実なことは、その存在だけは確定しているということ。そして密かに、しかし執念深くこの神州を狙い続けているということ。東北では古くから――少なくとも“蝦夷奈落”の存在が周知となった頃から――正体不明の攻撃を受けている。どのような攻撃かは蓮理自身も見たことも聞いたことも無いが、当初は甚大な被害を出してしまったらしい。

 東北が落ちれば、“蝦夷奈落”は神州本島への侵攻を果たすことになる。故に龍と狐は神州を守り続けていると言っても過言ではないのだ。

 

「彼等が、守り続けてきた神州を瓦解するような真似を許す訳が無い」

 

「だ、だがっ……しかし!」

 

 蓮理としてはもう降参して欲しかった。そうすれば、まだ穏便に済む。だが、まだこの話を信じて貰おうと言葉を考えているのが余計に哀れさを生む。まだ、折れてくれないのか。

 

「“鬼島津”殿も同様と言っていい。彼もまた、独立国として“琉球王国”という名を掲げている南列島の反抗を食い止めてくれている。琉球の戦士がどれだけ屈強で恐ろしいか、貴殿は噂程度しか知らないだろう」

 

 勿論それは蓮理にも言えることである。いずれは出向かなければならない“琉球王国”……その時までに穏便に解決していればいいのだが、それもまた綺麗事なのだろう。

 神州と“琉球王国”との間に生まれた溝は、最初は小さな切り傷程度のものだったという。それがある出来事を境に深く、深く抉られていった。今、その確執を、(わだかま)りを解かなければ、その先にあるのは全面戦争……多くの死者を出し、きっと不本意な結果になってしまう。それでは、神州の敗北に他ならない。

 

「最後に上杉公。あの人は争いを好まない。幕府に対してどんな感情を抱いているかは測りかねるが、少なくともそのような非生産性なことに参加するとは思えない。武田の好敵手、というのは実際そうであったのだから否定はしないが、さしてそれは問題にはならない」

 

 これで止め。私の考え、私が知る限りのことは言葉にしてノシ返した。

 幸隆はただ有名な大名をひたすら並べ連ねただけに過ぎないが、それでも創作は結構。目的がどうあれ、私も綺麗事を夢見て追い求める者だ。だからこそ、創作に関しては人一倍敏感な自信がある。必死の偽りだったのだろう。怒りすら覚えたし、そういう意味では、やはり物書きとして大成できたのではないだろうか。

 ともあれ、彼が抱えている本当の愚かな物語を打ち切りにしなければ。その物語は既に綺麗事の域を外れ、外道、あるいは危険思想とすら罵れるだろう。遅くなった。だがこれで終わりにしたい。終わりにしなければ、きっとこの男は不幸になる。償えなくなる。やり直せなくなる。生きていけなくなる。そんな馬鹿げた犠牲は、許せない。

 

「相手を騙す為の虚けな話を創作するのなら、もっと現実味を持たせた方が良い。急ごしらえにしてはよく頑張ったが、それでも綻びが目立った。大名の事情をよく知る幕府の役人には通用しない……真田幸隆、もう終わりにして、真田公を解放しろ」

 

 その止めの中に、逆鱗に触れる言葉があったことを、蓮理は知らない。

 酷く醜い、言葉にすらなっていない叫びが豪華一色で染められた部屋を破壊せんと轟いた。

 その直後、喉が強烈な窮屈感で満たされる。同時に視界がぐるりと変わった。

 ようやく自分の置かれた状況を把握した。自分は幸隆に押し倒されたばかりか、首を思い切り絞められている。

 

「黙れぇぇえっ!! お前のような小娘に! それだけは言われてなるものかぁぁあ!!!」

 

「か……あっ……」

 

 小太りながらも質量のある男の力に、いかに武道を修めている蓮理といえども振り解くのは手こずる。しかも首を絞められているということは、制限時間があるということ。喉を潰され呼吸できなくなるまでにこの状況を打開しなくてはならない。

 危険な賭けだ。しかし、やらなくては自分が殺される。苦しくて仕方がない。“アレ”が手元に無いと制御に不安……というか制御など不可能に近いが、それでもやはり死ぬ訳にはいかない。死ぬのならば、死ぬまで足掻いて足掻いて足掻きまくる。それでも死んだのなら、納得だ。故に納得する為に――否、生きる為に、幸隆には少々今後の人生に不自由を強いてもらうことにする。

 どこがおかしくなるかはわからないけれど……謝らないから!

 

「っ……て……ん……」

 

 苦しみを掻い潜り、ソレを言葉にしようとした時、ふと、急に嫌な窮屈感が失われた。

 

「これだから虫は嫌いだ。鬱陶しい」

 

 そうして幸隆は強引に引き剥がされ、天井スレスレの位置まで高く舞い、落ちた。もう一人、この部屋に出現したということを除いては、蓮理にも何が起こったのかを瞬時に理解することはできなかった。

 

「そうやって目を背けて、耳を塞いで、気に食わなければ衝動的に殺すのか。虫どころの低俗さではないな。存在するに値しない。先の言葉は訂正する。これだからお前は嫌いだ。殺したくなる」

 

 

  ●   ●

 

 

 その声は、牢屋で聞いたものと同じだった。今回は姿形がはっきりと見て取れる為、ようやくその声の実感を掴むことができた。

 青年……だろう。薙刃や思斗に比べるとやや小柄で細身だが、男性独特の体格が雰囲気で感じられた。

 驚くべきは、その顔。顔というより面である。まるで鳥を思わせる(くちばし)型の仮面はより不気味さを際立たせている。黒い着物で整えられた服装からは烏を思わせる。

 姿を見て、理解する。

 強い。何とも言えない、不定形の強さをこの男は持っている。成程、この男が山賊の言っていた薙刃並の化物か。

 ああ、何て恐ろしい。確かにこれと薙刃が激突すれば勝敗は蓮理でもわからない。いや、薙刃のことを、この仮面の男のことを深く知らない自分が勝手に脳内で戦わせて勝敗を決めるなど、余りにも無謀なことであるということは勿論理解しているが、それでも想像せずにはいられなかった。無差別級の化物同士、周りの被害も甚大であろう。とても純粋で非道な、圧倒的力。何をどう間違えれば――極めれば――そこまでの規格外になるのか。

 

「この女を殺すのはお前じゃない。少し頭を冷やせ」

 

 どうやら、この男と幸隆の関係は上下関係であると見た。加えて、劣悪な関係だ。幸隆は項垂れたまま、そして悔しそうに肩を震わせている。この場において、年功序列は意味を成していない。

 

「……ふん。まぁいい。九條蓮理、ここで話し合いとやらは切る。お前は囚われの身として牢に戻す。わかっているだろうが抵抗は無意味だ。いくらお前の“アレ”が強力でも、俺には遠く届かない」

 

 そうして蓮理の腕を荒々しく掴み取り、やや強引に立ち上がらせる。

 抵抗はしない。それは当たり前だ。そして安全で最善だ。すぐに殺されるのではないならば、様子見するぐらいの余裕と冷静は保っている。それに何より、埋め難い力量差を感じ取れる程、蓮理は愚かではない。

 

「そう、大人しくいればいい。最近の女はぎゃあぎゃあと猿みたいに騒がしいのが多いからな……行くぞ」

 

 そのまま引き摺るように蓮理を元の牢屋へと連れ戻そうと足を動かすこと数歩、突然仮面の男の動きが止まった。

 

「……何だ?」

 

 発言的に考えると、何かを感じ取ったらしい。怪訝そうな小声は尚も続く。

 

「侵入者……いや、それにしては雑過ぎる。おい」

 

 振り返り、ようやく立ち上がろうとしていた幸隆を呼ぶ。身体をびくりと一度、震わせて仮面の男と視線を合わせる。

 

「な、何でしょうか……?」

 

「後で構わん。城とこの砦を行き来している部下を全員、この場所に集めろ」

 

 その指示が何を意味しているのか、幸隆には理解できなかった。確かに幸正を主とする信濃松代町の城には何人か自分の部下を潜り込ませているが、今は全員城に留まっている。

 

「全員は流石に怪しまれます! 今の城は厳戒体勢……一気に数人が役職を放棄して姿を消せば、ここの場所も突き止められますぞ!」

 

「なら、城を落とせ」

 

 これには蓮理も口を挟まずにはいられなかった。何を言っているのか、この仮面は。

 

「城を落とすなんて……何を考えているの!?」

 

「別に本気で落城しようとまでは考えていないさ。あの城はいずれ使うんだからな。わざわざ壊すようなことはしない。何、軽い小火(ぼや)で済ませるさ。浦葉忍者でも使ってな」

 

 極めて冷徹に、簡単に言ってのける。

 

「聞いていたな葉柱。二人……いや一人でも十分だろう。向かわせろ。その他は元々の任務に準じろ」

 

 天井を仰ぎ、姿を見せない影に指示を出す。返事は無い。既に命じられた務めを通しに行ったのだろう。

 

「小火に紛れてここに向かうように連絡を飛ばせ。炙り出しだ」

 

 言うだけ言い終えた後、これまた返事の無い幸隆を余所に、仮面の男は再度蓮理の腕を掴みながら部屋を出ていく。両手足に枷がある蓮理のことなど思いやりもいない速度であり、いくら何でも女性の扱いが雑だと小一時間説教したくなる。

 この男、思斗に弟子入りでもしてすれば少しは外面良くなって仮面なんか取るんじゃないかしら、とこの時ばかりは思斗が理想的な男性に思えた。

 すぐにそんな妄想は掻き消えたが。流石にあの性悪は、無い。


*陸奥

 現実でいう、秋田県と山形県に相当する。

 

*出羽

 現実でいう、岩手県と宮城県に相当する。大名が変わったという報告が無い。

 

*薩摩

 現実でいう、鹿児島県の約半分程に相当する。

 

*越後

 現実でいう、新潟県に相当する。やはりお米が美味しい。

 

*蝦夷奈落

 ■■■■■■■■■■■■■

 

*琉球王国

 完全なる独立を! 解放の完成を!

 屈辱と裏切りの歴史から終止符という名の自由を!!

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