第十一章 震え、足掻く恐怖者達
人を強くも弱くもする一つは、恐怖である――。
取り壊しといった処理が行われているにも関わらず、依然、松代町には空き家が多く点在している。これら全て、前大名である真田幸道の残した負の遺産であった。松代町に更なる発展を、と掲げた真田幸道は地を開拓させ、近隣の小さな村を合併という名目で潰し、松代町の範囲を広げた。その広がった地域を主として無駄と言える程に建築物、住居を建てるよう大工達に命じたのである。
これには大工達も困惑を隠せずにいたが、真田幸道は暴君、圧政を行う狂人ということもあり、従わざるを得なかった。本当に人口増大、という理由であったのかは定かではないが、この暴策は失敗に終わり、碌な給与を与えられなかった大工達を始め、民はますます疲弊し、増大どころか減少してしまっていた。
ということを、思斗は予備知識として知っていた。その上で、この状況を作り出せたのは真田幸道のお陰であると思うと、皮肉にも笑ってしまいそうであった。
いや、正確には微笑として表出はした。声高らかに、揚々と笑ってはいないだけである。
それは忍者であった男に、更なる恐怖を植え付けた。かつてこれほど、怖いと思ったことはあっただろうか。
その変化に気付いた思斗は男の目の前まで歩み寄る。
「いえ、別に貴方のことで笑った訳ではありませんよ。ええと、五葉さん……でしたっけ?」
その名前を無理矢理喋らせたのはお前だというのにとぼけた振りをするな、と“浦葉忍者”の一人、五葉は口に出したかった。しかし、それは叶わない。“次は”どこを壊されるかわからないのである。
「おっと、意外と賢明ですね。それともぎゃあぎゃあ叫ぶ体力は尽きました? まぁ、久々に僕も拷問を行ったとはいえ貴方は中々に頑丈で、そして強情だった。評価しますよ。五葉さんは頑張りました。ですから――」
今度ははっきりと微笑み掛けた。満面の笑みである。
「嗚呼情報を喋らされてしまった、とか責任を感じないでくださいね。後で僕がお仲間に伝えておいてあげましょう」
不意に、思斗は懐をまさぐり手帳を取り出した。ぱらぱらと捲ること数秒、お目当ての頁に辿り着いたようである。
「ええと……ふお、ふぉ、フォロー。フォローしておいてあげますよ。貴方は決して悪くないと」
何故わざわざ慣れない外来語を用いて言い直したのかは、いわゆる遊び心からであって決して深い意味は無い。
「そう、貴方が悪いのではない。薙刃なら間違いなく貴方が悪いと言うでしょう。別に人のことをとやかく言うつもりも、比べるつもりもありませんが……僕はそう考えてないんですよ、ということを知って欲しいだけなんです」
最早言葉すら生まれてこない、疲弊した五葉と対照的に思斗は声を弾ませて続ける。
「逆に僕が悪い、と考えます。だってそうでしょう? 僕が貴方を拷問したのだから、貴方はべらべらと話してしまった。ぶっちゃけ有り得ないですよね、忍者として。失格ですよ失格。そしてこの上ない屈辱だと思います。死んだ方がマシみたいな処罰とか扱い受ける可能性だってありますし。そんな貴方を追いやったのは、他でもないこの僕です。ですからお仲間には僕が悪いのであって、貴方はちぃっとも悪くないということを猛烈に、そして鮮烈に言っておきますので、安心してお仲間の所に戻ってください」
五葉にはもう、この美男子がただの万屋であるという認識は消えていた。思い出したくもない拷問内容の数々、そして今のような“頭がイカれている”としか思えない長台詞。この恐怖は体感してみなければわからないであろう。これから死ぬかもしれないという恐怖すら、頭の片隅に追いやらざるを得ない程の、恐怖である。
しかし意外にも、思斗は男の両手首を繋いでいた手錠を解いた。
「え? 何ですかその顔は。やめてください増して不細工ですよ? まぁ流石に自力で歩いて帰れる程、優しい拷問はしていないので動けないでしょう? それ、いつ死んでもおかしくないので、早めに救援を頼んでください。薙刃が殺さないといった以上、僕も殺す訳にはいきませんので、死なないでくださいね。別に救援呼ばせておいて一網打尽とか、つまらない、盛り上がらないことをするつもりはありませんので、安心して呼んでください」
にこやかに笑いかける。決して笑って言うような台詞ではない筈であるが、とにかくこうして五葉の安全は、一応は保障されたということになる。
そして、五葉には反撃を行う気力は残っていなかった。否、残っていたとしてもその選択は切り捨てただろう。拷問を受けて、理解した。五葉はこの雨宮思斗には勝てない。どのような奇襲をしても、どのような状況的有利であっても、それこそ天地がひっくり返ろうとも、勝てない。それは何故か。単純に明瞭。格の差である。次元が違う。
幼少期から忍者の訓練に明け暮れ、実戦経験も豊富に培い、死地を潜り抜け生き残ってきた男、それが五葉である。
しかし、足りない。五葉程の忍者でも足りない。基本性能が違うのである。人によっては才能だとも呼ぶだろう。汗水流して研鑽した日々、努力という点では思斗よりも長い時間を生きている五葉に軍配が上がるのは違いない。だが、その努力をもってしても越えられないと決定づけているのが、才能。
それ以前にそもそも、“生きている世界が違うのだから、勝てないで当然なのである”が、それを五葉が知ることはない。
五葉には諦めるしかなかった。だが、依頼達成を諦めたわけではない。決して勝てないのであれば、決して勝負しなければいいのだから、すなわち急いで仲間に知らせなければならない。
自分は敗北者であろうとも、仲間を、“浦葉忍者”を敗北させる程には落ちぶれていない。
確認すると、足の感覚が無い。恐らく、もうこれまでのように走れるまで回復はしないだろう。忍者にとって足は生命線。自分の忍者生命は、非道な拷問によって幕を引いたのである。その悔しさを、無念を、仲間の為に燃える決意の原動力へと変えなくてはならない。
幸い、というよりも計算されていたのだろうが片腕はかろうじて動くようである。これもまた間違いなく、思斗がわざと取り上げなかったであろう“貉”を懐から取り出したところで、思斗が口を開いた。
「あ、そうそう。僕はこれから蓮理さんを助ける算段を練る為に戻りますが、最後にこれだけは言っておきます。貴方は悪くない、と言いましたが、それは情報を僕に話してしまったことについてでして、ぶっちゃけますと拷問されるようなことをした貴方は悪いです。僕は悪くない。ついでにお仲間も悪い。連帯責任です」
いきなり何を言い出すのか、と五葉は耳を疑った。筋を通っているように言葉にはしているが、五葉からしてみれば、いや一般人からでもこの男の頭はおかしいと再確認できる。
“そんなことを何故、今、この状況で言う?”
「要するにまとめますと、“浦葉忍者”は調子を乗らなければ良かったんですよ。獣が歩いているというのに、その前に飛び出して踊り出す虫がどこにいます? 潰されて当然ですし、獣は虫を潰して気分が悪い。どうしてくれる、汚れてしまった、と」
何度でも、しつこい程に思おう。思斗はイカれている。奇を衒ったような台詞回しで気持ち悪くて仕方がない。まるで、奇を衒っていることが普通であるかのようだ。格好つけているのではない。物珍しげな存在になりたいという設定付けでもない。これが素面なのである。
「よく覚えておいてください。世の中、一度潰すと絶滅するまで潰し続ける獣が存在するということを。その獣が“冬眠”することにしたというのを、至極運が良いと考えておきましょうね」
これは脅しか、それとも本当に自分達は運良くその獣から免れたのか。
忍者は意味の無い戦闘は行わないし、依頼も引き受けない。もし、この万屋二人組の存在を理解していたのなら、“浦葉忍者”はこの依頼を拒否しただろう。もう二度と出会いたくない。戦いたくない。喋りたくない。聞きたくない。見たくない。その存在を認知したくない。
“浦葉忍者”の五葉は、想像を絶する、口を割ってしまう程の拷問を受けた。しかしそれを容易く、そして遥かに超える拷問を今、現在進行形で受けている。
言葉責めによる圧力――傍から見ればなんてことの無い、単純な言葉である。しかし思斗が口から発して言うことにより、拷問へと変化する。五葉はこのまま自分が肉片も血の一滴も残らないまま潰れてしまう錯覚に陥った。
その拷問の根源は、得体の知れ無いものとの遭遇による恐怖だった。例えば、人間の百倍近くの大きさをした人の形をした何かが突然目の前に現れたとする。その何かが、言葉を発する。人語であったが、それは自分達にとっては何を意味するのかさっぱりわからない。この時、人間は恐怖を抱かないだろうか。
そんな無茶苦茶な状況が、この思斗と五葉の状況に酷似しているのだ。
「まぁ……いつ目覚めて殺戮の限りを尽くすのか、僕にはわかりませんが」
五葉の手から“貉”が滑り落ちるのを見て、思斗は口を閉じた。そのまま表情を崩さずに、戸から外へと出ていく。
思斗の思惑通り、五葉から仲間への連絡を遅らせることに成功した。あわよくば五葉という男は助けが遅れて死ぬかもしれない。それもいい。それで死んだというのなら、所詮はその程度の虫ケラであったということだ。虫のようにくだらない死を迎えるのだろうか。
思斗は五葉に何をした訳でもなく、単に軽く脅しただけであるのだから、大して後悔も反省もない。加えて謝罪も自責の念もない。至極どうでもいいので、もう次のことを、蓮理を助ける作戦を考えることに移行していた。
問題は、思斗が自分のことを“得体の知れ無いもの”と自覚して、それを利用したことである。それは間違いなく、薙刃とある意味での同種であるという事実への裏付けとなるのであるが、それはまだ語られることはない。
● ●
いかに早苗とて、反省はする。捕えた忍者の言う通り、護衛役であるならば蓮理の傍を離れるべきではなかった。
そんな思いを払拭する為に、そして主君を護る為に、早苗は全速力で道を駆けた。
人とぶつかる。しかし構わず足を動かす。何度目か、怒鳴り声も響いた。悪いとは思いつつも謝罪の為に気力を消費しないよう、その分を体力に回した。今は謝る為の酸素すら惜しい。
目当ての警護奉行所が見えてきて、早苗は更に拳を握り締めた。奉行所側が蓮理の異変に気付いていようがいまいが、関係なく突っ切るつもりである。
「だから、別に良いだろうが。猿見るのに理由だの許可だの、普通はいらねぇだろう」
ふと、つい最近聞いた声が耳に飛び込んできた。何故、この声が今この場所で聞こえるのか。
思わず足を止めて、その現状を確認する。
「だから、そう簡単には囚人と会える訳がないだろう! それに相応な理由があったとしても今は駄目だ! 先程から囚人達がやけに興奮していて、とても人と会わせられる状況ではない!」
奉行所の門番であろう男が我慢を切らしたのか、怒声を浴びせる。しかしその浴びている人物は悪びれる素振りも無く、一貫して変わらず口の荒さを披露し続ける。
「そりゃ単に欲求不満なだけだろ。性欲猿なんだから、女適当に放り込んどきゃ収まるっつの」
そういう問題ではない、という声が飛んでくる。早苗でもそれぐらいの未来予想はできたし、事実、門番の怒髪は天を衝く勢い。面倒なことにならない内に、何故ここにいるのかわからない彼を退かして事情を説明するしかないのだろうか。
強行突破は諦めたのか、と言われれば諦めた訳ではないと胸を張って叫ぶことができる。しかし、それは門番一人だけの状況である。いや、門番の数が問題なのではないがこれ以上彼が騒ぎ立てると事が大きくなることになり、もし大衆が集まり出すようなことがあれば強行突破の難易度が格段に跳ね上がる。何よりもその成功を蓮理は望まない、ということを早苗はわかっていたし、それを考えるだけの冷静さぐらいは失っていなかった。
早苗が出方を疑っていると、彼は自分の言った言葉で思い出したのか、先程の熱とは打って変わって冷ました表情で門番に再度詰め寄る。
「いや違ぇよ。女だ。女来ただろ。出せ」
口調の悪さは相も変わらずそのままであるが、これは聞き捨てならない。彼がどうして蓮理のいるであろう場所をこの奉行所であると断定したのか。そもそも何故、彼が蓮理を探しているのか。今日彼は留守番の筈である。
「……知らん!」
門番の顏が若干、本当に僅かに歪んだのを早苗は見逃さなかった。やはり何かあったのか。早苗の脳内に絶望が侵蝕する。蓮理の望みも、世間体も最早どうでもよく、主君の無事を確認したくて堪らない。そして助け出したくて堪らない。時間が惜しい。
「あぁん? 知らんじゃねぇだろオイコラ。あんなバカでけぇ乳ぶら下げた女はめちゃくちゃ目立つだろうが! それとも何か? 幼女趣味で貧乳大好きですってか? そんな趣味嗜好吹っ飛ばすくらいの破壊力持った乳を知らんとか、てめぇそれでも精巣付いてんのかよ!」
最早ただのチンピラである。通行人が見当たらないのを確認して、早苗は安堵した。このような凄い台詞、聞いてるこっちの耳もおかしくなりそうなのだから、他人に聞かれてはもっと性質が悪くなる。
仕方ない、ここらで潮時。今にも門番を殴り飛ばしそうな彼を諌めることが一番の近道と判断しよう。
「薙刃!」
なるべく速足で、すぐに制止できるよう少し大きめの声で早苗はその名を呼んだ。効果はあったのか、薙刃は早苗の方向へと向き直る。
「あぁ? ……何だお前かよ」
聞き慣れていない声で名前を呼ばれたのが余程嫌であったのか、いかにも不機嫌そうな顔をする。
しかし何か閃いたのか、それとも思い出したのか、そういった表情の変化を見せて早苗を歓迎し始めた。
「いや、丁度良い。ちょっとこいつうるさくてぶっ壊すから、山猿ん所いってこい」
ぶっ壊すとはまた物騒な、と思うが薙刃にとってはこの表現が普通なのであろうと、勝手に諦めることにする。
「いやいやいや。まぁ私もそれ考えたけどさ。って時間がないんだよ! あのさ、蓮理ちゃんが!」
「何だ、やっぱ山猿ん所にいたのか、お前の連れ」
連れ、というのは蓮理のことであろう。しかし、今問題なのは何故そのことを薙刃が知っているか、ということである。この情報は蓮理と早苗の通話でしか明らかにされていない筈なのに。
「え? あ、うん。でも何で……」
「思斗が言ってたんだよ。あの様子だと、拷問して得た情報だろうけど」
拷問というのは先程引き渡した男に行ったであろうことについてだろう。では何故その男、忍者がその情報を知っているのか、という新たな疑問が浮上してくるがそれはおいおい説明されるだろうと期待しておいて。それよりも気に掛かることがある。
「え、ちょ」
「お前が頼んだんだろ? 思斗に拷問。見る目はあるな。あいつは見事情報を手に入れたようで、お前と合流しろとも言われたから手間が省けたぜ」
「そりゃ確かに頼んだけどさ。速過ぎくない? 私全速力で走って来たんだけど」
そう、拷問と呼ばれる行為は普通、時間をかけて対象者の精神力を磨り減らすことを主軸に置くであろう。いくら何でも速過ぎる。本当にそれは拷問したと言えるのだろうか。
「だから見る目あるなって言ったろ。加えて女からの頼みだ。思斗はそういう奴だよ」
だが、薙刃の発言からすると思斗はどうやらきちんと、期待以上の成果を上げたようである。薙刃自身も嘘をいう利点がない。真実であると考えた方が良いであろう。
それでも早苗がその事実に呆気を取られているのも確かであり、それを意にもせず薙刃どんどん話を続けていく。
「それよかお前、忍者の一人捕まえたんだって? そりゃすげぇ。何がすげぇって殆ど五体満足で捕まえたのがすげぇ。まぁ思斗が結局壊したみたいだけどよ」
またもや壊す、という表現が出たが、拷問したことを表すのであれば適切であろう。それでも、薙刃が言うには少しばかり違和感を覚えた。
しかしそんな違和感もすぐに消え去り、ようやく早苗は呆けていた状態から回復する。
「え、あぁ、うん、ありがとう……じゃないよ! 蓮理ちゃんが危ないんだって! “貉”で通信してたのに、急に途絶えちゃって! もしかしたら……」
「あー、それな。どうも攫われたようだわ」
ここで、早苗は凍結する。この男の言っていること、その意味すらもわからない。
「……は?」
思わず聞き返す。いや予想していなかった訳ではない。むしろ殺されただのといった最悪な事態になっていないのは不幸中の幸いと言うべきであろう。わざわざ攫うということは、その時点で殺すつもりはないということ。
それでも、衝撃的過ぎる。自分が傍にいれば、不即不離でいれば護れたのに。助けれたのに。自分には、“それしかないってのに”
自分の無力に、絶望して死ぬのではないかとも思った。絶望死。今、自分はこの地に立っているのか?
「あの忍者共、お前とでか乳女を引き離して連れ去るのが目的だったんだとよ。その状況を見てるのが、山賊。どうやらでか乳女が山賊ん所に行くのは筒抜けだったようでな。お前等の通話を盗聴していたとか何とか云々。詳しくは忘れた」
早苗に構わず、薙刃は言葉を続ける。
「そういう訳で、事実確認の為に思斗が話だけでも聞いて来い、と怪我人の役に徹している俺を向かわせた、って訳だ。この頑固野郎の話から察するに山猿連中はまだ生きてるらしいし、まずはこいつをどかせてからだな」
ここでようやく早苗の顔を見て、彼女の心境を何となく理解したのだろう、早苗に返答をする間を作った。
「……蓮理ちゃん……攫われたの?」
ようやく振り絞った言葉がそれか、と少しばかり呆れたような表情を見せると薙刃は声の調子を変えることなく続行した。
「そう言ってんだろ。だから、それを確かめる為に山猿と会わなきゃならねぇ。もし思斗が得た情報通りなら、盗聴しながら蓮理の後を追い、隙を突いて攫った、て感じらしい。その拷問した奴もお前に捕まってからは仲間と連絡取れなかったみてぇだし、全部作戦、段取りでの推理だそうだが――」
早苗は薙刃と目が合った。口を開く。飛んでくる声はおおよそ予想できる。信じたくない未来の一つが、今現実となっているのだ。
「お前の発言から、攫うのは成功した、と見ていいのかもな」
隙を突かれて頭に鉄の塊でも落ちてきたのではないか、という程までに、早苗は折れそうになった。
こんな時、蓮理ちゃんならどうする?
このことしか考えられない。早苗にとって蓮理は導きであり、正解そのものである。
九条蓮理という女性ならこの状況をどうするか、どう動くか、どう判断するか。わからないのではない。それ程付き合いは短い訳でもないし、正直絆とやらで結ばれているという自惚れもある。だから、今、自分がすべきことはわかっている。
それでも体が言うことを聞かない。考えることを、行動することを放棄したくて堪らない。それでもでもでもでも。
マァイイヤ。トリアエズ、アトマワシニシテシマオウ。
「そんな……蓮理ちゃんが……あぁーくっそ!! 私も一緒にここに入れば良かった! そうすれば、畜生!!」
解決なんか至っていない。だからこそ、とにかく傍に蓮理ちゃんがいる状態でなければ、反省も何もできやしない!
口では後悔の、そして自責の言葉を乱列させる。しかしもうどうでもいい。これらは全て後回し。蓮理は生きているに違いないと勝手に確信して、前に進むしかない。
我ながら、無茶苦茶だなと思う。こんな失態初めてだから私はとうとう真剣に阿呆になってしまったのかもしれない。
「“貉”で通信してる時には、ここに、正確には牢屋ん所にいたんだな?」
薙刃が尋ねる。
「うん、それらしき風景が写ってたし、山賊達も画面から見切れてたけど、ちゃんといた。そもそも蓮理ちゃんが行くって言ってたから、間違いないと思う」
自分の記憶を掘り起こす。驚く程鮮明に思い出すことができたということは、それは今自分が静かに怒れて、冷めて熱くなっているからに他ならない。
「なるほど。そうなると何やら怪しいなぁオイ。山猿がぶち込まれている牢屋ん所にいた筈のでか乳女のことを、こいつ等奉行所の連中が知らねぇ訳がねぇ」
門番が一歩、後ろに下がる。額には汗が見えていた。これは動揺している。それを見逃す程、薙刃は“他者に鈍感ではなかった”ので、ここから攻め立てると判断したのだろう。次々と口を開いていく。
「ついでに言うと、山猿共が騒がしいだの興奮しているだのと言ってたけどよ、それは一度、牢屋ん所まで行って確認しているとも取れる。確か会わせられない状態だっけか? それなら先客であるでか乳女の面会を中断する筈だわな」
薙刃が門番に詰め寄る。見ようによっては女が男を誑かそうと言い寄っているに見えるだろう。
「くだらねぇ真似して手間取らせんじゃねぇよ。いいか、今度は正直に喋れ。でねぇと――」
しかし、門番はその綺麗な顔が、鬼のように見えた。端整な顔立ちである程、顔から与える恐怖というものは大きい。
「その面ァ、無茶苦茶にぶっ壊して削ぐぞ」
話さないのであるなら、その顔は、より正確にはその口は不要ということである。そういう思考を経て、誤ればその行為を平気で行うだろうということは早苗でもわかった。
無論、門番でも理解しきっていた。こいつは本気だ、と諦めたのだろう。やや震えながらであるが、声を振り絞った。
「……わ、わかった。しかし、その前に確認したいことがある」
薙刃が数歩下がった後、早苗の方へと向き直る門番。その動作の途中で服装の乱れがないか、確認していた。
「貴女が、原田早苗殿か?」
それは、上官の名とその人物が合致しているかどうか、という言葉遣いだった。つまり、早苗の素性を知っているということになる。
「え? あ、うん」
面識の無い人間からいきなり名前を呼ばれ、少々面食らった早苗に対し、門番が念入りに確認するように眺める。
「……長身に茶髪、事前に伝え聞いていた容姿と性格だ。貴女を待っていたのです」
「私を?」
事前に、ということはそれはもしかすると。
妙な期待が生まれる。自分の素性を、役職を、地位を知っている人間は、この信濃にいる人間の中で唯一人しかいない。
「はい。九条殿から、貴女が来た際には牢屋まで通すように言われておりました。しかし、貴女達の今の会話のように、問題が生じまして。叱責も処罰も、後で何なりとお受けいたしますので、とにかくどうかお入りください」
流石蓮理ちゃんだ、と早苗は自分の主君の用意の良さに再度脱帽した。自分が追いついてやってくると信じて、あらかじめ円滑に牢屋まで来れるよう、手配をしていたのである。
そして問題、というのは恐らく、蓮理が連れ去られたことであろう。薙刃に知らないと答えたのも、公にしてはいけないと判断したからであるに違いない。蓮理は牢屋に辿り着く為にやむなく、自らの地位を奉行所に教えたのだ。その上官がいなくなったとあれば、全員切腹も免れない。否、この世界においてそれは“甘すぎる処罰”だろうが。
とにかくも、そうなると確かに薙刃のような得体の知れない者より、伝えられていた人間を待つ方が良い。
そうであるならば話が早い、と言わんばかりに早苗は門番に礼を言ってさっさと中に入っていった。
「……おい、俺と対応が違い過ぎるだろコラ! あ、待て! 俺も良いよな? おい! 勝手に着いてくぞ!」
あまりにあっけない展開に一人残された薙刃もまた怒りの言葉を口にしながら、ずかずかと、足音を荒くして先の二人の後を追うことにした。
● ●
「……なるほどね。薙刃の言った通り、蓮理ちゃんは攫われたって訳か……」
山賊との面会にて、その一部始終を聞いた。全員、早苗と薙刃の顔を見るや否や鉄格子を引き千切らんとする程に必死な様子で一斉に話し始めた為、整理に時間が掛かってしまったのは、仕方ないとしよう。
「すまねぇ……。あの後どうにかこの事態を上の奉行所の奴等に気付かせようと騒ぎまくったはいいものの、まともに取り合わせんのに時間が掛かっちまって」
門番の「興奮している」という発言はこのせいか、と納得し、頭を下げる山賊頭領を始めとする山賊一味に非はないことを教える。
「いや、あんた達は牢屋の中にいたんだ。蓮理ちゃんもそりゃあ人並み以上に強いと私は思ってるけど、今回は状況が悪過ぎた」
彼等も辛いのが、よくわかった。聞いた状況を再現してみると、山賊達が身動き取れない状態であったことから、準人質のような形となってしまっていた、ということ。
蓮理ちゃんは優しいから、きっとこの人達に手を出すなとか言ったんだろうなぁ。蓮理ちゃん一人なら奇襲受けたって逃げられるし、そもそも“アレ”を手に持っていれば忍者如き、それこそ一捻りだろう。
今度からはなるべく携帯させよう。そう心に誓う。
「とっとと済まして、蓮理ちゃんと合流しなかった私の責任。だから、助けに行かなくちゃ」
立ち上がり、背を伸ばす早苗の言葉に山賊達は動揺の色を見せる。
「お、おい。正気か? さっきも言ったが、そこの赤髪と同じくらいに強い奴がいるってんだぞ?」
おお、それは怖い。でも本当にこの薙刃と同等なのだろうか。実際に見ていないからか、凶暴で破壊的で、強度的な意味合いで破綻している薙刃に並ぶ者など、早苗には想像もできない。単に自分の世界が狭いだけかもしれないが、それでも至極どうでもいいことである。
「そんなの関係ないよ。私は、蓮理ちゃんも護る為にいるんだから」
そうでなければ、自分の存在意義とは何なのか。
「よしっ。それじゃあ薙刃。一度思斗の所に戻ろう。霧由良山の山賊砦……いや、元山賊砦の場所もわかったことだし、集まって作戦会議!」
呆気に取られている山賊達を尻目に、後ろで会話のやり取りを眺めていた薙刃の元へと向かう。
「ん……いや、それはまぁ、いいんだがよ。お前さっきはもう死人みたいな顔してやがったのに、もう立ち直ったのか?」
ああ、確かにあの時は死んでいたと思う。そして、今でも。
「まさか。現在進行形で今も凹み続けてるよ」
自嘲気味に苦笑する。要は痩せ我慢だ。そのツケを後回しにしているに過ぎない。死んだら死人で、そのまま動くべきではないのに死人のまま動いているようなもの。まだ生きたい、生き返りたいと叫び散らし、足掻きまくる亡者。それが今の自分だ。
「でもさ、そんな早苗は蓮理ちゃんを助け出すには要らないし、この先の蓮理ちゃんにも要らない。そう考えると、立ち止まっていたら私生きてられなくなっちゃうからね。死んだままか、生き返ろうと足掻くか、どっちを選ぶかは簡単だったし。それに――」
そう、蓮理ちゃんを奪還して生き返って、そして。
「蓮理ちゃんにもう一度、必要だって言われたいからね。この失態を払拭できるようなことしなきゃ」
薙刃からしてみれば、これはさっぱりわからなかった。いや、言っていることはわかる。これが“絆”と呼ばれるものであり、それを早苗は必死に繋ぎ止めようとしていることもわかる。
薙刃は、何故そうまでして“他者と繋がっていたいのか”がわからなかった。
「……そうかい、なら急ぐとするか」
軽い生返事をして、薙刃は階段へと歩き始める。が、上る一歩手前で立ち止まった。
「と言いたいところなんだがな。俺は少しこの山猿達と話したいことがある。だからお前等二人でその作戦とやらを済ませて先に行っとけ」
突然の提案に、薙刃以外の全員が驚いた。
「え?」
「はぁ?」
各々、理解できないという言葉を口にしたところで、薙刃が説明にならない説明を始める。
「思斗に言えばわかるし、あいつなら理解もする。それに俺は作戦ってのは苦手でな。これでも弁えてんだ。後で追いつくから、先に敵陣突っ込んどけよ」
それは単に協調性が無いのでは、と早苗の頭に過ったが、薙刃の状態を見てから、考えを改めた。
「……あのさ、もしかして」
怪我がまだ治ってないんじゃ、と言いそうになって、口を閉じる。あれほどの大怪我、本当ならばまだ寝ていなければならない程なのだから、怪我については当たり前のことであり、そして触れるのもどうかと考えたからである。
「いや、わかったよ。信じていいんだね?」
詮索は不要。この男は自分達に決して自分達に悪いようには働かない。今はそう思えた。薙刃自身と、自分の直感を信じよう。
「俺は俺のことを客観的に見て、信じられるような奴じゃねぇと思ってるが、期待はそこそこしとけ」
● ●
早苗が去ったのを確認して、鉄格子の向こう側にいる山賊達の方へと向き直る。
「さて? 右腕の調子はどうよテメェ等」
それは皮肉たっぷりの言葉であった。勿論、そういう意図を持って発したのである。
「まぁ、動かねぇわな。そりゃそうだ。そういう風に壊した」
小馬鹿にした口調は、遂には山賊達を激昂させる起爆剤となる。
「てめぇ……わざわざそんなことを言う為に残りやがったのか!? とっととあの女を助けに行きやがれ!」
一度火が付いた花火が激しく燃えると同じように、彼等の怒りは共有され、薙刃に怒声を浴びせる。しかし、それでも薙刃は構わず続ける。
「言われなくてもテメェ等の元住処ブチ壊してやっからよ。少し黙って聞けよ」
その言葉に反応した頭領が、ようやく静止させたところで続けて答えることになった。
「……話ってのは、何だ」
その声からも、怒りが滲み出ているのがわかる。両者を分かつ鉄格子がなければ、頭領は間違いなく、薙刃を襲い掛かったことだろう。それが、決して勝てないと理解していても。
「話っつーか、取引だ。テメェ等にもちゃんと見返りはある」
恐らく門番用に置いておいた椅子であろう、それを鉄格子の前まで引き摺って来て、俺様の如くに座る。
「その腕、全員ひっくりまるめて動かせるようにしてやるよ」
「な……!?」
薙刃はこれ以上の見返りは無いだろう、とやや満足げな表情であったが、それも相まって火に油を注いでしまったようなものである。無論、山賊達の怒りは再燃した。
「無理に決まってんだろ! デタラメ言ってんじゃねぇ! この腕はもう!」
「治せないんだ! ってか? いやいや、治せるんだっつの。正確にはその治せる奴をここまで手配してやる。事が済めばまた山賊稼業、いや山猿稼業を再開できるって訳だ」
壊し方があるとするならば、通常は治し方も存在する。薙刃が彼等の右腕に行った破壊もそう。治癒は可能なのである。薙刃はそう主張する。
「……もし、だ。もし治せるとしたら、お前は俺達に何を望むってんだ」
確かに山賊達にとってはこれ以上ない見返りに違いない。山賊稼業を再開できる見込みがあるということは、それはすなわち、また松代町を守ることができるということである。賊と蔑まれても結構。自分達は日陰者、悪口には慣れている。だからこそ、自分達を必要としてくれた大名、真田幸正に恩を報いたい。
「おう、それが本題だよ。これは取引だからな。俺も見返りがねぇと」
軽快な口調で口角を吊り上げながら、足を組み直す
その女性顏は、とても悪鬼羅刹を思わせる薙刃とは結び繋げ難かった。
「いいか、まずは――」
● ●
椅子を元の位置に戻すかと思いきや、蹴り飛ばしてそのまま放置。頭領からしてみれば、薙刃がいかに人間性ができていないかがよくわかる行動であった。
「そんじゃまぁ、事が終わったら思斗にでも連絡させて、テメェ等の腕治すように頼んどいてやらぁ」
話は終わった。薙刃は満足げな表情を浮かべている。望む情報を得ることができたのであろう。
「……さっきの茶髪の女と重ねるが、信じてもいいんだな?」
頭領は手下の生命線を全てその背に負っている立場であり、故にこの不信感からによる質問は当然のことであった。
しかし薙刃はしつこい、と言わんばかりに軽く一蹴する。
「重ねるが、そのやり取りはもうやった。好きなように勝手に信じとけよ。俺はやりたいようにやるだけで、その結果でテメェ等にも恩恵があるってだけだ」
遠回しにしているつもりは無いのだろうが、とにかく黙って信用しろ、ということだろう。頭領には、山賊達にはそうとしか聞こえなかった。
何故だろうか。自分達の右腕を奪って行った化物が、初めて人間に見えたのである。それもその体格に見合わない、丁度反抗期真っ最中な子供に。
「そうか」
自分達は生まれながらにして無法者。教育すら受けていないのが殆どである。読み書きも十分とは言えない。
もしかすると、この赤髪も似たような境遇なのかもしれない。“化物である為に不要なものは一切合財排除されてきた”のかもしれない。
だとすると、最後の疑問の答もあるいは……。
「なぁ、聞いてもいいか」
怒りはない。至って静かに、尋ねてみた。
「ほぉ、猿山の大将がえらくかしこまって質問するじゃねぇか。何だよ?」
機嫌が良いのだろうか、やや感心したように、しかし口悪くその質問を迎える。
「どうして、俺達の腕を治そうとしてくれるのか、だ」
ピタリ、と薙刃の顏が硬直した。ただそれはほんの一瞬で、すぐに呆れ声で返す。
「どうしてってそりゃ、俺の為だ。テメェ等の腕を治させれば、俺がやりたいことができるようになる訳で」
当然だろう、と言いたげであったが、それでは頭領は納得していない。今の硬直の間は一体何だ。
「いや……じゃあ質問変えるぞ。どうしてわざわざ取引なんて形で自分の為になるようにしているんだ?」
「……あぁ?」
声色がガラリと変わる。目付きも凶獣のソレである。かつて一度だけ見た、妖魔の鋭い眼光を想起させた。だが、それを物怖じないくらいの気概、精神力を頭領は持ち合わせている。
「一度やられたからわかる。お前は暴力の塊みたいな野郎だ。そんな奴が、こんな平和的な手段で欲を満たす筈がねぇことぐらい、俺等のような野蛮で頭の悪い猿とやらでも、理解はできる」
頭領は言葉を止めない。薙刃の纏う空気が淀んでいるのがわかる。わかるが、止まらない、止められない。
コイツは、本心を探られたら機嫌を悪くする傾向にある。いや、自分自身、本心というものに気付いていない可能性だってある。
「お前がその気になりゃあ、この鉄格子を壊して俺達を半殺しにして、今言ったことを吐き出させることだってできたはずだ」
それこそ、後のことなど考えずに、今の欲を満たす為だけの化物であった筈だろう。何がお前を変えた? 誰が短時間で、微量な変化を与えた?
「赤髪ぃ……何を企んでやがる」
誰の、影響を受けた? 誰に、汚染された?
「……別に」
返って来た言葉は、実に素っ気ないものであった。薙刃自身、つまらないと感じているに違いない声。先程のドスの利いたような声ではなかったが、ある意味一番怖い声色である。無関心である声程、恐怖を感じないものはない。
「企むとか、そんなかっこいいことなんざできやしねぇよ。したくもねぇ」
しかしその恐怖は杞憂に終わった。ただただ、平淡な話しぶりであったからだ。
「俺は俺の為に取引を持ち掛けた。そう、俺の為だ」
そうして薙刃は鉄格子を蹴ると、その部分だけぐにゃりと折れ曲がった。完全に破壊しなかったのは、ということは考えない。重要なのは、鉄格子を蹴ることで、その際に生じた音で山賊全員を注目させたかっただけだということ。
「いいか。俺はな、もうあの女の説教を聞きたかねぇんだよ。うるさくて仕方ねぇ、うんざりだ」
あの女。思い当たるのは一人しかいない。自分達を理解し認めた、女。蓮理である。
「テメェ等の腕が気になってるみてぇだったから、もうあれ以上言われて説教食らう前に先手を打つ。そんだけだ」
彼は気付いているのだろうか。自分の変化に。ほんの僅かしか関わっていない頭領でも、ある程度気付くことはできた。
その行為は、あぁ確かに自分の為であるだろう。だがそれと同時に、彼女の為にもなることを、彼は気付いているのだろうか。もしくは、気付いていながら、それを必死に隠して偽っているのだろうか。
「だが無償で治してやる気はない。だから俺が得できるように、取引だ。テメェ等は単純におこぼれを貰ってるだけなんだよ。この取引は俺が中心で俺の為のものだ」
今の言葉で、ようやく理解した。薙刃という人間を。そう彼は人間だ。否、今の段階では恐らく化物だろう。それを人間にするのは、他でもない彼女であることに違いない。
頭領は、初めて安堵した。この世界はまだ、捨てたものではない。
「あぁ、わかった。だが、もう一つ……頼む」
厚かましいとは思う。本当は自分達が成し遂げたいし、そうしなくてはならない。しかしお前がそうすることができないようにしたのだから、責任は取れ。取ってくれ。
「俺達の代わりによぉ……殺された仲間の敵討ち、頼む……!」
手下の前に、頭領は頭を下げる、自分達を蹂躙した男に頭を下げるということがどれ程の屈辱か、流石に薙刃でも理解はしていた。
対し、頭領に屈辱の念は無かった。皆無である。仲間の敵討ちを頼むのに屈辱を感じるということは、それはすなわちその仲間を恥であると認識していたことになる。少なくとも頭領は、否山賊達にはそう考えるようになっていた。
汚染を受けていたのは、彼等もである。
「……さっきも言ったが、俺はただテメェ等の元住処をブッ壊しに行くだけだ。ついでにあのでか乳女を連れて帰る。それに俺はもう殺さねぇ、って誓っちまったんでな」
綺麗で妖艶な血色の髪を弄りながら、薙刃は山賊達に背を向ける。
「殺されたら、殺す。それが敵討ちってもんだろう。だからその頼みは断る」
断られてなどいない。頭領は確信している。
「俺は別に優しくねぇから、正直テメェ等に同情なんて湧かん。テメェ等の為に戦うなんざ、真っ平御免だね」
そのまま顔を見せずに、階段のある方へと歩を進めていく。両手は頻りに動いていた。
「極めて言おう。俺は俺の為に戦う。壊す。潰す。切り裂く。捩じ切る。引き千切る。そして絶滅させる」
俺の為に。そう聞いた後、頭を下げたままの頭領の口元が微かに曲がる。
「じゃあな、ただの酒大好き性欲猿だったはずの、実はちゃんと人間だった山賊諸君。まぁ舌先三寸だが、今回の結果がテメェ等にとって良いことになることを、蚤程度に期待しといてやらぁ」
そのまま彼は地上へと上っていった。確かに優しくもないし、同情も湧いてないだろう。必ず、自分の為に戦うに違いない。それでも、任せろ、と……そういう意味合いで取れたのは、決して自分達が勘違いしている訳ではない。彼は、薙刃はようやく人間の赤子として生を受けたのだ。