第九章 黒麗の収束者
そうして、繋がり、絡み合って、結び付いていくのか――。
一般的な昼飯時は過ぎ、子供達がおやつの時間だと狂喜乱舞する時刻に、蓮理と早苗は聞き込みを開始した。
「蓮理ちゃ~ん。団子食べたいよぉ。団子団子団子ぉ~」
しかし開始したにも関わらず、子供と同様におやつを求めてくる早苗である。蓮理が人に尋ねている時は邪魔してはいけないと黙って周りの声に聞耳を立てていたが、そろそろ限界であると訴えかけてくるような声色で蓮理の名と自らの欲望を口にする。
「……はぁ」
仕方ない、と蓮理は溜め息を吐く。この調子では頼んだ仕事にも支障を来しかねない。こんな所でへばってもらっても困る訳で、丁度この通りを真っ直ぐ行けば団子屋があったと記憶しているから、本当に仕方ない。今まで事件の真相に近付く有益な情報は得ていないのだから、少しくらい休憩して、心機一転頑張ってもらうことにしよう。
「わかったわ。次の……あの人に尋ねてみて、その後に団子屋にでも行きましょう。それまでは我慢できるわよね?」
了承を得るや否や、萎れていた声が溌剌と、瑞々しい声へと激変した。
「やったぁっ! 大丈夫! 私は頑張れる! 我慢できるぅ!」
この世の救いと言わんばかりの笑顔で、今まで以上の躍動感溢れる動きを見せた。無論、無駄だと判断できる動きである。
「……ほら、そろそろ行くわよ。あの、すみません」
今にも踊り出しそうな早苗の手を引っ張り、通行人の一人に声を掛けた。
「はい?」
振り向いたのは若い青年であった。仕事の合間だろうか、大工の出立ちをしている。
「少しお聞きしたいことがありまして……お時間は取らせません。よろしいでしょうか」
目が合った瞬間、正確には青年が蓮理の顔をきちんと捉えた瞬間に、青年は首を傾げる。
「あれ?」
聞きたいことがあって尋ねてみるといきなり首を傾げられる、という経験を蓮理はしたことがなかった。一体何だというのか。自分の顏に何か付いているのだろうか。
まさかお昼ご飯を食べた時の米粒が付いてるなんてことは……無いわよね?
もしそうだったとしたら、という仮定は考えないことにした。考えているとそれだけで赤面してしまいそうである。
「……えっと、どこかで会ったりしてないっけ? 何だか見たことあるんだけどなぁ」
ここで蓮理はかつて読んだ本に書いてあった一節を思い出す。この台詞、この軽い口調……軟派と呼ばれる男達の特徴に一致しているではないか。しかもこの手法、今や絶滅寸前でこの後に『ねぇねぇお茶しない?』といった台詞を言えば、ある意味で超希少種に分類されるという。
……随分と古典的な軟派!
これが本当の軟派というものなのか。軟派も体験したことの無い蓮理にとっては非常に新鮮なものであったが、余り気分の良いものではなかった。軽い男はお断りなのであるし、この非常事態も相まって、嫌悪感さえ出る。初めて思斗と出会った時も同じようなことを思ったが、あれは軟派目的ではなくちゃんとしたものであったので(口調はともかくとして)数に入れていない。
変なのに聞いてしまったわね……早苗の為にも、さっさと要件を済ませて早めに団子屋へ向かいたいのだけれど。
そう思い、適当に会話して打ち切ろうと思っていた矢先に、青年の声がした。
「思い出した! あれだ、蕎麦屋を助けてくれた人だろ? 君達!」
否である。助けてはいない。助けに向かったは良いが薙刃が殆ど片付けてしまい、結果としてその名誉を受け取ったに過ぎない。ということは、あの騒動の見物人か。
しかし、蓮理には疑問が生じた。読んだ本の内容を思い出してみると、軟派の『会ったことない?』という台詞のおよそ八割はハッタリである、と書いていた。そうやって親近感を持たせて女性に近付く為の台詞であるらしいが、本当に会ったことがあるらしい。
いいえ、ちょっと待ちなさい。見物人なのだから見ただけなのではないかしら。
そう、会ってはいないのである。だとすればまだ軟派であると前提して進めていかなければならない……ならないのだが、何かが蓮理の頭の中に引っ掛かっていた。自分も何やらこの青年には見覚えが、ある。
「あ、やっぱり覚えてないかな。俺、あの時に同心呼んだ奴。君に言われて、飛んで行ったんだぜ」
ようやく、記憶が合う。確かに同心を呼ぶように指示し、それをいち早く聞いて駆け出した青年の顏も、今自分の目の前にある顔と一致している。何の因果か、まさかこんな風に再会を果たすとは蓮理も思っていなかった。
「お、もしかして思い出してくれた? 今ちょっと間が空いている間に忘れられているかな? って思ってたんだけど……あぁ、よかった」
「いえ……言って頂けるまで忘れてました……すみません」
「あはは、だろうさ。でも助かったよ。あの蕎麦屋、行き付けでね。あそこの蕎麦を食べないと、仕事が捗らなくてさぁ」
どういう原理でそうなるのか、という疑問は敢えて触れないことにした。習慣か何かであろう。
それにしても、何やら嫌な感じがする。何故か、この青年から余り好ましいと言えない雰囲気が滲み出ていた。
風邪かしら……? 熱は無さそうだけれど……? まぁ、いいわ。きっと気のせいね。
「格好から見るに、大工さんをされていらっしゃるのですか?」
「うん、そうそう。って言っても、まだまだ未熟な見習いだけどね。毎日懲りずに親方に怒られてばっかりさ」
無垢な笑顔を見せる。辛く厳しいが、大工という仕事に遣り甲斐を感じているような表情であった。
「そうなんですか……ところで、少し質問させて貰ってもよろしいでしょうか?」
「あ、ああ、うん。ごめんごめん。でも俺に聞きたいことって?」
「最近、この町で変わったと思うことはありますか?」
その問いに、青年は即答した。それはもう、電光石火の如く。
「君達みたいな美人は見たことない!」
……これは完全に軟派と判断して良いわよね。
「いえ、そういうことではなくてですね……」
「本当のことなのに……あっ、それに今言った蕎麦屋の事件だね。山賊の奴らが山を下りてこの町に来るなんて多分無かったんじゃないかなぁ」
山賊。そういえばあの一件以来失念していた。彼等が放り込まれたという牢屋は一体どこにあるのだろうか。
「その山賊達がどこにいるか、知ってますか?」
「あいつ等? ええと、確か北の通りの方に奉行所があって、その地下に牢屋があって捕まっているって話だよ。詳しいことは向こうの瓦版で書いてあるから」
青年はそう言って半身を捻らせ、奥に見える木の板を指した。
奉行所、というのは恐らく警護奉行のことだろう。山賊達は罪を犯したから牢屋行きとなった悪だが、薙刃に粉砕された腕はどうなっているのだろうか。流石に治療はして貰えただろうが……後で立ち寄ってみることにしよう。
「ありがとうございます……他にはありますか?」
青年が言った情報のどちらも(うち一つは完全に)事件に繋がりそうにない。もっと引き出して、少しでも近付いていかなければ。
「う~ん、そうだなぁ……」
腕を組み、首どころか上半身すら傾げて一心に考える。
「あっ、そういえば……何かどこかの小路で血痕が見つかったとか何とかがあった気がするなぁ。あと、住宅方面で喧嘩やってたとか。喧嘩って松代町では余り見かけないんだけどね」
それは思斗が言っていた、“浦葉忍者”の最初の襲撃のことだろう。その次のは二回目の襲撃。最初はいなかったが、二つとも自分達が関わっていることばかりではないか。
「ほ、他には? ありませんか?」
また、感じる。この感情は一体何なのだろうか。決して恋慕の系統ではないだろう。そんな甘いものではない。味で例えるなら、そう、苦い。
「う~むむ。他って言われてもなぁ」
よくわからない感覚に囚われてはいけない、そう思い、それを払拭する為にも次の情報を求める。
「ぬ~ん……変わったこと変わったこと……かぁ」
少し強引過ぎたか、と感じるがなるべく全部思い出して貰い全部引き出していきたい。そうやって集めていけば、何かしら見つかる、蓮理はそう信じて疑わない。
「確か……親方がぼやいてたっけなぁ。山とか木とかどうだとか、最近変に切られている、とか……あっ、親方ってぼやいたり小声で言ったりするのが大嫌いな人でね。弟子入りして初めて聞いたから、まだ覚えているよ」
身内に関しての変わったこと、か。これ以上は聞き出せそうにないわね。
大した情報は得られなかったが、ここらで潮時だろう。念の為記録を取っていたが、他の人達と被ってもいるので、取る必要は無かったかもしれない。
「わかりました……ありがとうございました。すみません、時間を取らせてしまって」
「いいよ別に。今日はもう上がりだから。それにこっちとしては美人さんに話しかけられて嬉しかったし。それじゃ、何やってるのかは知らないけど、頑張ってね」
最後に反応に困る言葉を残し、青年は去って行った。それを見計らって、少し離れた場所で周囲の声を探って黙り込んでいた早苗が蓮理に近付く。
「ねぇねぇねぇ、蓮理ちゃん」
呼ばれて声の方へと振り返る。やや疲れているようであった。
「何?」
「うーん。あのさ、実は蓮理ちゃん、若干ああいう人苦手だよね?」
「いえ、ああいう、と言うより……そうね、あの人個人とは合わないって感じはしたわ。ええと、爽やか系、とでも言うのかしら。それは別に良いのだけれど……ううん、どうしてかはわからないのだけれど、あの人とはもう、何て言うか、話したくないって感じかしら?」
首を傾げる。別に爽やかな男性が苦手な訳ではない。何故だろう。少し格好つけて言うならば、魂が拒否反応を示している、だろうか。
一度意識してしまうと、どっと疲れが押し寄せてきた。そこまで人を選ぶような自分だっただろうか、と自らに問い掛ける。
「蓮理ちゃん、それ本人の前で言わなくて正解。特に蓮理ちゃんみたいな人に言われたら“とらうま”になるよ、うん」
「トラウマ、よ。どうして最後のマを強く言ってしまうのかしら……私、教えるのが下手なのね」
今の会話に加え、教えた発音は定着していないことが発覚し、蓮理としては頭が混乱しそうな展開である。また連続的に聞き込みを行い、かつ同時進行で事件の推理を行っていれば精神的に疲労が溜まるのは自然であろう。
普段の蓮理ならこれぐらいのことは何てことはないのだが、今話した青年から感じ取った得体の知れない嫌悪感に苛まれた、という要因が付属している以上、その差は段違いであり、そしてその要因が原因となり、蓮理の体力を削ぎ落としたのである。表面上は隠していても、やはり事実は変わらない。
「あ、あっはっは……れ、蓮理ちゃんが下手なんじゃないよ。私が覚えようとしてないだけ! ……あっ」
途端に、早苗に冷ややかな視線が突き刺さる。
「早苗? ごめんなさい、もう一度言って貰えないかしら。私、ちょっと精神的に参っているのよ」
目を逸らすなと言わんばかりの雰囲気で早苗を追い詰める。
「何も言ってないよ!? 疲れたんだねそりゃそうだよ! ぶっ続けで聞き込みやってたんだから、いくら蓮理ちゃんでも疲れて当然。疲れた時には甘いものが一番だから、ほ、ほら! 団子屋行こうよ蓮理ちゃん!」
苦し紛れの言葉も、一理あった。蓮理も少し落ち着く為に息を整える。いきなり嫌悪感を滲み出していた青年と話し、確かに動揺したが所詮は終わったこと。恐らく自分はあの人とは相容れないのだろうと諦め、且つもう一度再会を果たすことは確率的に考えて、無いと判断する。
するとどうだろうか。今まで感じていた疲れの大半が嘘のように消えていった。まだ少し残ってはいるが、これはいずれ回復するだろう。早苗と約束していた休憩を行えば、その速度は増すに違いない。
「……そうね、ごめんなさい早苗。私少し不安定だったわ。今日は私も多めに食べようかしら」
謝罪を述べた後、溜め息を吐いて歩き出す。
「そうそう! 私もたっくさん食べるよ!」
早苗もそれに合わせて足を動き出す。蓮理が元通りになったことと、上手い具合にたくさん食べられそうなこと、そして外来語を覚える意欲が無いことを滑らせてしまったことに関する説教が流れたことが嬉しくて嬉しくて、飛び跳ねながら後を追った。
しかし、蓮理は横に追い付いた早苗に無慈悲な言葉を食らわせる。
「でも夜はみっちり外来語の復習するから、その覚悟でいて頂戴」
早苗の笑顔が固まり、直後に青ざめたのは言うまでもない。
「うぇぇ……聞こえてるじゃんかぁ……」
蓮理はやや意地悪そうに微笑む。
「当然でしょう。でも、疲れたのは事実よ。さぁ、休憩がてらに行きましょうか」
「何か、嬉しいような悲しいような……でも団子だ団子! わーい!」
空元気を出しながら横で飛び跳ねている早苗を見て、あの青年から貰った情報は忘れないが、青年のことは忘れようと思った。あの青年には申し訳ないが、この事件が解決し、真田公と謁見が叶えば会うことは無いだろう。自分達はすぐ旅立ち甲斐へ向かわなければならないのだから。解決を優先したいので終わった後のことは余り考えないようにしているが、今後の旅にあの青年のような、魂が拒否するような存在には出会いたくないものだ。
それはそれとして、団子である。串団子である。
御手洗にするか、餡にするか、三色、ずんだ、胡麻、きな粉……迷ってしまうわね。早苗は全種類食べるでしょうけれど。
不愉快なことはいつまでも心に留めておいても仕方がない、とそう思い、早苗を見習って団子のことばかり考えるようにしてみた。成程、これはお腹が空く。
● ●
幸せの絶頂期である。横から見ればそう思えてしまうぐらい、至福の表情を浮かべながら頻りに顎を動かした。
串団子を両手の指を最大限に駆使して掴むその姿は圧巻である。
「うひゃー! 美味しい美味しい! 団子ヤバいねぇ蓮理ちゃん!」
団子屋に入ってからしばらく無言を貫いて黙々と貪っていた早苗がようやく口を食べる、という以外の使い方、言葉を発した。
「その表現の仕方はどうかとは思うけれど、そうね……でも、もうちょっと品よく食べて貰えないかしら。ほら、口の周りが……もう、動かないで。拭いてあげる」
早苗の対面に座っている蓮理は懐から白い手拭を取り出し、主に御手洗で構成された汚れを拭き取った。綺麗な白は当然色付いてしまったが、さして困ることではない。洗濯し直せばまた元の綺麗さを取り戻す。
「むぐ……駄目だよ蓮理ちゃん。蓮理ちゃんの手拭が汚れちゃうよ」
「だったらもっと落ち着いて、綺麗に食べて頂戴。お団子なら逃げないし、もう一皿ぐらい頼んでも良いから」
手拭を懐へ仕舞いながら蓮理はそう伝えた。不甲斐ない姿を見せた詫びとして、余り許さない追加注文を勧める。
「おお? 何やら今日の蓮理ちゃんは太っ腹だねぇ。でも良いの? もう十皿なんて」
特殊な変換機能が早苗の耳には備え付けられているのか、許した数字より縦棒が一本足されている。
「それは、貴女の後ろに積み重なっている皿の数を数えた上での台詞かしら? 聞き間違いにしては甚だしいわね」
途端に早苗が凍りつき、慌てて背後の皿を数え始めた。途中数え直しが二回程あった気もするが、そこは敢えて気にしないことにした。否、気にしたくない。
「ええと、まだ十二皿だよ!? 大丈夫!」
十四皿である。
「私達の財布が大丈夫じゃないって言わせて貰えるのはいつかしら? もうそろそろ言っても許される頃合いだと思うのだけれど。天下の往来でなければ大声で叫びたいくらいに」
どうやら今日の夜は外来語だけではなく、数の数え方という基本的なことも教えなければならないらしい。復習課題が山積みである。
「えー、でも全部さぁ、幕府の経費で落とせるんでしょ? そんなに気にすることないんじゃないの?」
楽観的に言ってくれる、と蓮理は思わず深い溜め息を吐いてしまう。このままだと頭痛で苦しみそうだ。
「馬鹿言わないでよ。そんな私腹肥やす為に幕府のお金使ったら民に申し訳ないでしょう。経費は最低限に抑えないといけないし、そもそも極秘ってことを忘れないで頂戴」
生活費以外の出費は自腹である。その生活費もギリギリまで少なくし、経費を抑えている。幕府でも知っている者が一握りのこの極秘任務。こういう所にまで気を配らなければならない。
「ぐぬ……超正論だねそれ。うん、じゃあ、じゃあ我慢する。今残ってるのと、追加の一皿で腹八分ぐらいにはなる筈だから」
「十分よそれ」
反省しているのかしていないのか、はっきりして欲しいものである。
「ところでさぁ、蓮理ちゃん。私は少しってか結構痒いんだよ」
裸になった串を皿に放り投げまた新しい、餡が乗った団子を刺している串を口に含み、何やら語り始めた。
「は? 痒い?」
早苗の唐突な話の振り方には慣れているが、これはいくら何でも急過ぎやしないだろうか。つまり、痒いからどうだ言うのか。
「そう、むず痒い。こう、ぞわわっと」
と、言葉でこうは言っているものの、全くそれらしい素振りは見せない。痒いと言うならばせめて身悶えぐらいはするべきなのではないだろうか。
結局、何を言いたいのか。そう思い言葉の真意を尋ねようと目線を空になった自分の皿から早苗へと移した。
「本当に、痒い」
その直後、早苗の手が動いた。
その手の位置は、蓮理の顏の真横で止まる。掴んでいた串は無く、代わりに鋭く鈍色に光る、針であった。針と言っても一般的な小ささと細さを兼ね備えてはおらず、殺傷力の高い、木製の串なんかより一回りも太い暗器であった。
それを見事、蓮理の脳天に突き刺さる直前に早苗は阻止したのである。
どれだけ食欲に翻弄されようと、早苗が自分に課した絶対使命は揺るがない。『主君を守れ』をいかなる場合でも実行するのが役目。
「なっ……」
「私達の休憩を見てるだけかと思ったら、まさかまさか、こんな物を投げてくるなんて吃驚したよ」
蓮理への言葉ではなく、未だ姿の見えない敵に対して語り掛けている。
「これは許さないよ。下手すれば蓮理ちゃんが死んじゃってたかもしれないんだ。そんな“かも”の話は有り得ないけど……蓮理ちゃんに殺意を向けてこれを放ったっていうのが気に入らない……!」
早苗が点火する。それに運良く感付いたのか、雑踏から明らかに、逃走とも取れる怪しい動きを見せた人物がいた。それを蓮理は見逃さない。
「早苗っ! あの人よ、追いなさい!!」
「あと一秒待って!」
それは確かに短く、且つ素早く残りの団子を掴み取り、駆け出した。
「“貉”の通信と表示を開いておいて! 私は後から追い掛けるわ!」
代金を支払わなければならない以上、足の速い早苗を先に追い掛けさせるのは正解であった。
既に団子を頬張りながら走っているのか、言葉になっていない返事を聞くと同時に、蓮理は“貉”を展開した。
早苗が通信に応答するまでの間に支払いを済ませ、自分も走らなければならない。
● ●
下は長めのスカートではなく、袴である。仕事柄のせいもあって元々こちらの方が多用しており、蓮理にとっては足元が落ち着いて走りやすかった。
『蓮理ちゃん! あいつ意外と速いよ! 団子食べてたら大分距離離されちゃった!』
蓮理の走っている横で、早苗の顏が映し出されている光の板が追尾し、そこから顔と一致する声が発されていた。無論、早苗の方にも同様に映し出されている。
“貉”の通信機能を効果的に活用した方法である。
「なら、その分は取り返して頂戴。本当は私も追い付きたいのだけれどっ……如何せん私じゃ無理そうだから、さっさと捕まえて!」
悲しいかな、事実である。早苗の速度は自分には決して出せないものである。身体能力は早苗の方が上回っているのだ。そう考えるならば、早苗に捕縛を一任して自分は後で合流する算段が最も現実味を帯びているだろう。
「それと、通信はまだ繋げておきなさい! 何があるのかわからない以上、常に互いの状態を確認できるようにしておいた方が都合が良いわ!」
『わかった! あっ、くそ……曲がっちゃった! 蓮理ちゃん、私の姿見えてる?』
「ええ……かろうじてねっ! 私の心配は良いから、全速力!」
早苗の本気の走りは速い。勿論、あの薙刃と比べてはいけないが、恐らく人間として最高峰の脚力と体力を持っているというのが蓮理の見立てであった。
『よっしゃあっ!!』
画面越しでも伝わるくらいに、早苗は点火し終え、燃え盛り始める。その纏う雰囲気は、早苗が本気で走り出したことを意味していた。
『そうそう! 私マジになったから、蓮理ちゃんはゆっくりで良いよ!』
突然の異なことに、蓮理は自然と眉を顰めた。
「何を言っているのよ、そういう訳にはいかないわ!」
しかし早苗は苦笑しながら蓮理を説得しようと試みる。
『いや、蓮理ちゃんの言うことにはごもっともなんだけどさ、ちょっと私の予想、ってか想像だと、かなり激しいんじゃないかなぁ~』
「激しい? 確かに走るという行為は激しい運動だけれど、それがどうしたって言うのよ」
『や、違う違う。別になぎなぎを真似て言ってる訳じゃあなくて、親身に忠告してるんだよ?』
曲がりなりにも走っていて、きちんとした言葉が多少でないのは仕方ない。仕方ないとしてもこれはどちらかと言えば勿体ぶっているように感じた。
「……そんな遠回しに言わずに、はっきりと!」
しばらく唸り、諦めの決心ついたのか、口を開いた。
『……胸、揺れるから、ね?』
その言葉の意味を理解するのに数秒かかり、そしてその後に、確かにブラジャーという胸当てをしていたのにも拘わらず暴れていた自らの胸を両手で押さえ込んだ。
「さ、早苗! 貴女、普通ならまだしも、こんな非常事態に何てこと言うの!? 薙刃みたいな変態に毒されたの!? しっかりしなさい!!」
怒髪天を衝く、と言わんばかりの怒りを込めた言葉を投げ付ける。
『でっ、でもそうじゃん! 私は蓮理ちゃんを心配して言ってるんだよ!? ちょっと意識してみてよ、視線凄いと思うよ!』
だが、早苗も譲らなかった。しかも早苗の言うことは正論である。先程より速度を緩めて、手で押さえてはいる為今は平気であるが、思い返せば確かに視線を浴びていた気がするのだ。
同様に唸り、苦渋の決断を蓮理は下した。
「う、うぅ~……わ、わ、わかったから! と言うかそれよりも私の心配せずに行きなさいと何度言えばっ……!」
更に、ゆっくりとだが速度を落としていく。事実上、自分は脱落。残る仕事は早苗が捕まえた後である。
『わわっ! ちゃんと追えてるから大丈夫だよ! 何かあったら声掛けてね、私集中するから!』
最初からそうしておけば良かったものの、早苗が余計なことを伝えたせいで周りの目が気になるようになってしまった。
だから邪魔なのよ……! 重いし、肩は凝るし、異性からの肉欲の視線は痛いし、同性からの羨望と嫉妬の視線も痛いし、薙刃にはネタにされて猥言を浴びせられる……早苗ぐらいが丁度良かったのに!
自己嫌悪に陥った蓮理はとうとう走ることを止め、とぼとぼと歩き始める。追い付けない蓮理が走ったところで結果は何も変わらない。別の新しい手拭で汗を拭き取り始めた。
歩いても揺れるのだから、走ればどうなるかぐらいは容易に想定できたでしょう……私って本当に馬鹿なのね!
自己嫌悪を続けるうちに頬が赤く染まるのを感じた。横に映し出されている早苗の横顔を見た。全速力中であるにも関わらず、“貉”の追尾機能はきちんと役目を果たしているのか、ブレの一つも無い。
「胸ばかりじゃなく、早苗みたいに背が伸びて欲しかったわ……」
そこまで悲観する程に身長は小さくなく、平均より少々高いくらいであるのだが、常に一緒にいる早苗は非常に高い。思斗よりもやや高く、薙刃とは僅かな差である。本当に、羨ましい。
「よーう、最近どうよ?」
自分の体に不平を言いながら歩いていると、とある会話が耳に入った。
「どうもこうも、普通に木を切ってるよ。あー……でも、何やら山が騒がしい気がすんだよなぁ」
「騒がしい? 何だよそりゃ」
「知らねぇよ。勘だよ勘。いや、直感って言った方が正しいのかぁ?」
「おーおー、たかが勘かい。まったくよぉ、一瞬山崩れでも起きるんじゃねぇかと冷や冷やしちまったじゃねぇか」
「たかがって何だよ、たかがって。お前、木こりの直感舐めてんじゃねぇぞ? 騒がしいっていうか、何だろな……山が泣いてるっつーの? そんな感じだな、うん」
「どんな感じだよそりゃあ……でもそう言われるとちょっと心配になってきたな。どの山よ?」
「俺等松代の木こりで山って言ったら、ほら、あそこの霧由良山しかあるめぇよ」
「あぁ、やっぱりか……ウチの上さんの弟が近くに住んでんだけど、一応忠告ぐらいはしといてやるかなぁ」
また、山の話ね。
立ち止まって聞いていたが、さして大した情報は得れそうにない。
何やら山、木に関することが多いわね……ええと、大工に出会ったし、その人から山賊の話も聞いたし、今の会話、と。
かといって、信濃は内陸領であるから海の話題が出てもおかしいのではあるが。
「あれ? そういえばあの人……何て言っていたかしら?」
なるべく思い出したくはない青年との会話だが、何やら喉に引っ掛かって、もうすぐ取れそうな感覚がする。我慢して、記憶を探り、目当ての言葉を引き当てた。
『確か……親方がぼやいてたっけなぁ。山とか木とかどうだとか、最近変に切られている、とか』
そう、また山の話である。山賊、青年、その親方とやら、そして今の会話の二人……皆山について証言しているではないか。怪しむべきは、山か。
ここで蓮理は先日の真田道則の授業を思い出した。
● ●
「それじゃ、次は佳代ちゃん。何か最近変わったこと、気付いたことはありましたか?」
教室内で、道則が一人の女子を当てた。指名ではなく、単純に順番が回って来ただけである。
佳代と呼ばれた少女は待ってましたと言わんばかりに立ち上がり、持っていた紙を開いて朗読を始めた。
「はーい。えっと、変わったことは、わたしのお父さんがびょういんからかえって来たことです。お父さんは木を切るおしごとをしていたのですが、いつのまにか足をけがして山の外でたおれていたそうです。ふしぎなのは、お父さんが何も覚えていないということです。みんなはころげ落ちたと言っていますが、わたしはちがうと思っています。いつも山にごめんなさいをしてから切っていたのに、けがをして外に追い出されたように外にたおれていたのは、きっと山のかみさまをおこらせてしまったからだと思います。でも、今はたくさんはたらいてくれているので、お父さんが大好きです」
年相応の拙さながらも、よく書けた文章であると蓮理も教室内全員に合わせるようにして拍手を行った。それを見て早苗も慌てて手を叩く。
佳代は皆の反応に嬉しそうな表情で応え、座り込んだ。
● ●
そんな微笑ましい一場面、今この状況となっては怪しいにも程がある。またしても山の話。これは間違いなく何かがあると見ても良いだろう。
「早苗、聞こえる?」
今も走っていると見れる早苗を、邪魔してはいけないと思いつつも呼びかけた。
『はい? どうかしたの蓮理ちゃん』
全速力での会話は辛いだろうに、早苗はそのような表情を見せずに平常通り応えてくれた。
「貴女はそのままでお願い。頑張っている貴女には申し訳ないけれど、私は行く所ができたわ。安心して、通信は開いておくから」
その言葉に流石の早苗も仰天の表情は隠すことができなかった。
『うえっ!? ちょ、ちょっと待ってよ蓮理ちゃん! 一緒に行こうよ!』
「私も本当はそうしたいのだけれど――あぁ、別に早苗、貴女を信頼していない訳じゃないのよ。そこは間違えないで」
決して早苗が信用できない訳ではない。自分の理解者であり親友であり幼馴染みである早苗を疑う訳ではないのだ。
「急いで確かめなければならないことがあるの。その為には捕まえるのを待つ時間は勿体ないわ」
しかし、時間が無いのである。今ようやく、あるいはこんなにも早く、真相に辿り着けそうなのだから。
『うぅ、い、行くって言ったって、どこにさ!?』
蓮理は少し微笑む。格好つけて言うつもりではなかったが、結果としては随分と格好つけてしまった。それ程までに、気持ちは高揚していた。
「恐らくこの松代町で最も山に精通していると判断できる専門者達の所へ、よ」
『山ぁ……? え、そ、それってまさか! 駄目だよ蓮理ちゃん! 牢屋に入ってるからって蓮理ちゃんを一人で行かせる訳にはいかない!』
最初は早苗も訝しんでいたが、少し考えた素振りを見せると途端にこれまで以上に静止を求めてきた。
しかしここで折れる程、蓮理は意志が柔らかい女ではない。
「貴女の言い分はわかるけれど、大丈夫。通信は開きっぱなしだから、何かあれば飛んできてくれるわよね?」
早苗を信頼しての言葉。早苗にとっては重圧として降りかかる言葉であったが、同時に最大限の信頼を得ているという裏返しでもあった。
仕える早苗にとっては最高の誉れであり、嬉しいという感情が湧き出る。
『蓮理ちゃん……!』
だがそれでも、主を危険へと飛び込ませる訳にはいかない。
『う、ぐぐ……そ、そりゃあその場所は私も一応聞いてたからわかるけどぉ!』
もう一押し、蓮理はそう感じた。
「とにかく、何度も言うようだけれど早苗はそっちを専念して頂戴……そんなに心配しないで。私が強いってことぐらい、早苗は誰よりもずっと知っている筈でしょう?」
私には早苗程の身体能力は無いけれど、同じように武芸と学問に励んできた身なのよ。例え丸腰でも大抵の男ぐらいには、指一本触れさせないで叩きのめす自信とそれ相応の実力がある!
『ぬ~……わかったよ! でも絶対! 絶対にこの通信は切らないでねっ! 約束っ!!』
「ええ! 約束!!」
画面越しで契りを交わし、互いに無言となった。目指すは警護奉行所。その地下の牢屋。彼等に会って、話し合わなければならない。
● ●
その頃、路地裏で“貉”が展開される音が響いた。次いで画面が表示され、女性の顏が映し出された。始まろうとしている会話の口火を切ったのは女性からであった。
『ご依頼通り、わざわざ伊豆まで行って、わざわざ死体安置所なんて陰気臭い所に、わざわざ潜入して、わざわざ気持ち悪い死体の顔面写真を撮って来てあげたわよ』
「いやぁ、ご苦労様です。潜入してたんですか。道理で遅い訳です」
『ちょっと、文句言う前にやることあるんじゃないの?』
「いえ、文句言う前にちゃんと労いと感謝の意味を込めてのご苦労様、と言いましたが」
『私を崇めなさい。敬いなさい。奉りなさい。こんな嫌な依頼も悪態吐かずに引き受ける、優しい万屋なんて他にはいやしないわよ?』
「そうですね。貴女は当初、悪態吐いてばかりでしたから、そんな優しい万屋なんていないんでしょうねぇ」
『おいコラ、どこ見てんのよ! 私を見なさいよ!』
「止めて下さいそんな痴女の吐く台詞。貴女には似合いませんよ」
『それ、さり気なく私を痴女扱いしてるわよね? そうよねぇ!?』
「滅相も無い。僕は貴女のことを尊敬しているんですから、痴女なんて扱いはしません。そう、例えるなら……金の亡者!」
『そのキメ顏で言うの止めてくれない? 腹が立って殺したくなる』
「すみません。何分、顔が無駄に良いもので」
『ぐっ……事実で何一つ言い返せないのが悔しいっ!』
「そう悔しがらずに、早く写真の画像を送ってきて下さいよ」
『わかってるわよ! ったく、ほら! ありがたく受け取りなさいな』
「はい、ありがとうございます」
『本当、何でそんな好き好んで死体の顏なんて見たがる訳? 私、鼻ひん曲がりそうだったし、もう見たくもないわ』
「いえ、別にそんな趣味はありませんよ……ああ、来ました。画像は三枚、展開しますね」
『どうぞ。吐かないように気をつけなさいな』
「……へぇ」
『え、ちょ、ちょっと。へぇ、って何よ』
「いやはや、これは面白いことになりましたよ」
『はぁ? 何? もしかして思斗、あんたって本物の死体愛好者だったの?』
「だからそんな訳ないでしょう。馬鹿ですか」
『な、何ですってぇ!? も、も、もう一度言ってみなさいよこの、ええと、馬鹿!!』
「いざとなった時に悪口が出てこないのは、いつも通りですか。すみませんお腹抱えて笑って良いですか?」
『良くない! やってみなさいよブッ殺してやるわ!』
「やだなぁ冗談ですよ。可愛いですね」
『うわ、あんたに言われてもちっとも嬉しくないわ。死んじゃえ!』
「さっきからサラリと酷いこと言ってくれてますね。僕は悲しいです」
『うっさい! 下らない三文芝居はいらないから、何が目的だったのよ!?』
「はて、目的ですか?」
『そうよ。私にあんな不快な思いをさせてまで写真を撮らせたんだから、知る権利はあると思わない?』
「ええ、それは確かに一理ありますね」
『だったらさっさと教えなさいよ!』
「嫌です」
『……はぁ?』
「知りたかったら貴女も信濃に来たらどうです?」
『何で私が行かなきゃならないのよ! ふざけてんじゃないわよ!』
「ふざけてなんかいませんよ。僕はいつだって真面目です」
『そうね! 真面目に平気で嘘吐くものね!』
「そんなに褒めないで下さいよ。それじゃ、お金は先程振り込んでおきましたので」
『ちょっと待ちなさい! あんた達二人はいっつもそう! 勝手に自分達で完結して、勝手に満足して、勝手にどっか行って! だから他の万屋から煙たがれてんのよ! 自覚ある!? 嫌われて』
ブツリッ、という画面を閉じる機械音が会話を終了したことを告げるかのように響いた。
「勿論、自覚してますよ……?」
にこやかに微笑み、横に映し出された画像へと視線を移した。
「それについては、まぁ……目の前の課題を片付けてからゆっくり話し合いましょうよ」
“貉”が震える。恐らく彼女が通話を試みているのだろうが、答えてやらない。
「さて、と……」
三人の死体の顔を眺める。見知った顔だ。始末屋二人、彼等は一体何だったのだろうか……死んでしまった以上、その答は絶望的だろう。
「誰ですか、貴方」
始末屋二人の横に表示された顔は、見たことがない。
そう、あの真田公の使いと名乗っていたあの男と全くの別人なのである。変装していたのか? とも考えたが、それでは自分が見抜けない筈がない。
「この始末屋と一緒に安置されていたんでしょうし、彼女が間違えた、ということないでしょう。あの人は文句を垂れても、依頼はきっちり分けてする人です。かといって、僕の記憶違いという訳でもない……面白いですねぇ、本当、誰ですかこの人は」
不敵な笑みが零れた。しかしその声は、酷く無機質であった。
「そして気に食わない。まるで僕達がこの場所へ呼び寄せられたみたいじゃありませんか。そんなの認めませんよ。僕達は人形じゃない」
“貉”の表示を全て閉じ、早歩きで裏路地から抜け出る。そうして雑踏の中に紛れ込んだ。
「こんな操られたかのような行動……何の為に“外”に出たか、その理由が無くなってしまう。本当に、舐めた真似をしてくれます」
冷静沈着、飄々とした態度は微塵にも感じられない声色で、小さく呟いた。
*警護奉行
同心達をまとめ上げている。唯一、奉行所を城内に置かれておらず、町内に置かれている。地下には牢屋が設置されている。