【短編】妊婦二人を連れてきて離縁だと言った元夫様、それは毒草ですよ?
「離縁してくれ」
離縁届を差し出す夫と、彼の右側に立つはち切れそうなお腹を抱えた女性、そして左側に立つこちらもお腹が大きくなり始めた女性の姿に、エリアナは絶句した。
夫、アーロンとは家同士が決めた政略結婚。
領地に全く興味がないアーロンに代わり、この三年間、白い結婚のまま領地立て直しをがんばってきたのに。
「なんかさ、生まれる前に結婚しないと婚外子になるらしくてさ」
それはそうでしょう。
何を当たり前のことを。
「そちらと再婚するとして、こちらの女性はどうなさるのですか?」
まぁ、私には関係ないけれど。
「んー、またあとで考えればいいかなって」
とりあえず、今すぐ離縁してくれと言われたエリアナは溜息をついた。
「そちら都合での離縁ですので、慰謝料は?」
「金なんてないし」
おまえが管理していたのだから知っているだろうとアーロンは肩をすくめる。
「では、慰謝料代わりにモンテスの領地をいただいでも?」
「あー、あのド田舎か。いいぞ、好きにしろ」
アーロンならそう言うと思ったわ。あの土地の本当の価値なんて知らないわよね。
エリアナは家令に持ってこさせた紙に、サラッと記載した。
「ドレスや装飾品は、嫁ぐ時に持参したものですので、そのまま持って行っても?」
「あー、いいぞ」
「古い方の馬車をいただいても?」
「仕方ないな」
面倒くさそうに答えるアーロンを横目に、エリアナは羊皮紙に条件を記載していく。
「御者はミランを」
「老いぼれだな」
「侍女はリタを」
「おまえが実家から連れて来たババアか」
ふんっとアーロンは鼻息を飛ばす。
「護衛もひとりほしいのでセリオを」
「誰でもいい」
まだ条件があるのかと溜息をつくアーロンに、エリアナは今記載した条件を見せた。
「この条件でよろしければ、こちらにサインを」
「はいはい。おまえも離縁届にさっさとサインしろよ」
アーロンは確認もせずにサインをし、ペンを放り投げる。
サインされた同意書を手に取ったエリアナは、離縁届に名前を書いた。
「あ、最後に」
「まだあるのか」
今度はなんだと怒りだすアーロンの前でエリアナは結婚指輪を外す。
「これだけはあなたにいただいたものなので、お返しします」
これは彼が「一番安いのでいいだろ」と適当に買ったくすんだ銀の指輪だ。
指輪をコトンと置いたエリアナは、「ごきげんよう」とリビングをあとにした。
◇
がたごとと揺れる馬車の中で、エリアナは窓の外に広がる緑豊かな景色を眺めていた。
「お嬢様、休憩されますか?」
「ううん。モンテスまで出来るだけ早く行きましょう」
護衛もセリオしかいないと、エリアナは侍女のリタに答える。
まぁ、ひとりだといっても、そう易々と負ける男ではないのだけれど。
コルティス子爵家の護衛の中で、一番強いのはセリオだということをアーロンは知らなかったようだ。
リタが侍女長としてあの屋敷を管理していたことも、ミランは御者もできるが財政管理を担っていたことも。
本当にまったく領地にも屋敷にも興味がなさすぎではないだろうか?
「それにしても、あの馬鹿旦那……っと失礼。アーロン様は本当に愚かでしたね」
「モンテスは高値で取引される万能薬草の自生地なのにね」
エリアナは手元の羊皮紙、モンテス領地とその周辺の詳細な地図を指でなぞる。
リタと顔を合わせながら「ふふっ」と笑い合った瞬間、急停止した馬車にエリアナは驚いた。
「お嬢様、道端に男が倒れていますが、いかがいたしますか?」
護衛のセリオが馬を寄せ、小窓から声をかけてくる。
「怪我をしているようです」
「セリオ、周囲を確認して。リタは包帯の代わりにできるものを。ミラン、馬車で日陰にして」
手短に指示を出すと、エリアナはドレスの裾を軽く持ち上げて馬車を降りた。
風が吹き抜け、街道脇の伸び切った草むらを大きく揺らす。
草の匂いに混じってツンと鼻を突いたのは、鉄の匂いだった。
生い茂る草むらに倒れていたのは、プラチナブロンドの髪を持った青年。
上質な生地の上着は無残に引き裂かれ、そこから溢れ出た血が胸元をどす黒く染め上げている。
刺し傷というよりは、鋭い刃物で切り裂かれたような傷。
ひゅうひゅうと苦しげな呼吸を繰り返す青年をこのままここに置いて行ったら、命が消えてしまいそうな気がした。
「とりあえず止血だけして、モンテスまで運びましょう」
「お嬢様、どう見ても訳ありですよ! こんな人を連れて行くなんて」
エリアナはリタに手渡された布を傷口に当てながら上からしっかりと圧迫する。
「私だって離縁された訳ありだわ」
一緒よとエリアナは笑った。
苦しげに眉をひそめる青年のまぶたの隙間から覗いたのはアイスブルーの瞳。
彫刻のように整った顔立ちをした青年は、焦点を結ぼうとまばたきを繰り返し、ゆっくりとエリアナを見上げた。
「……君、は?」
「通りすがりの者です。お怪我をされていたので手当をさせていただきました」
「助けて……くれたのか。申し訳ない……」
かすれた声で感謝を口にしながら、青年は激痛に顔をしかめる。
「私たちはモンテスへ向かっていますが、あなたはどうしますか?」
「モンテス? あの『何もない』と言われる……?」
「元夫にもらったのです」
「……元?」
「えぇ、本日離縁しましたの」
落ち込んだ様子も泣いた様子もないエリアナに驚きながら、青年は胸に手を当て、横たわったまま最大限の礼を尽くすように深く頷いた。
「失礼しました。カイルと申します。命の恩人の名前を伺っても?」
「エリアナですわ」
コルティス子爵と離縁し、実家のディアスを名乗るべきなのか迷ったエリアナは、名前だけ告げた。
彼にとってはコルティス子爵だろうが、ディアス子爵だろうが、どうでもいい気がしたからだ。
「一緒にモンテスへ行ってもよろしいでしょうか? この御礼は、必ずしますので」
「質素な食事になると思いますが、それでもよければ」
セリオの手を借りて馬車に乗るとすぐに、気絶するようにカイルは目を閉じてしまった。
着ている服は上質。
剣には詳しくないが、柄の装飾はそれなりの職人の手によるものだろう。
ただの旅人にも、しがない騎士にも見えない。
「とんでもない『訳あり』を拾ってしまったかしら」
夕闇がゆっくりと街道を包み込み、馬車はガタゴトと音を立てながら、目的地のモンテスへと進んでいく。
すーすーと規則正しい寝息を立て始めたカイルを見ながら、エリアナは顎に手を当てた。
小屋に着いたエリアナは、リタと一緒にモンテスにしか自生していない貴重な薬草を摘み取った。
根や茎は毒性が強いので、慎重に葉っぱのみを摘み、あり合わせの道具を使って柑橘系と一緒に蒸す。
エリアナは葉のままカイルの傷に張り付け、丁寧に包帯を巻いた。
「……うっ」
「無理しないで」
熱が出てしまったカイルを看病しながら、小屋の掃除や薬草の加工方法をリタと試す。
当面の生活費とライフラインを確保するために、自分のドレスや装飾品をいくつか手放したが惜しくはなかった。
ミランはすぐにモンテス商会を設立し、販売許可を申請、リタはモンテスの主婦たちを雇い入れ、薬草の加工チームを結成。
セリオの護衛のおかげで、不届き者は返り討ちに。
自分たちの妻が働く場所を夫たちが自主的に守り始め、カイルの傷が癒えた頃には、モンテス商会は地域の人たちに認められるほど存在感のある組織へと成長した——。
◇
エリアナを追い出し、とりあえず結婚した男爵令嬢ミーナとの間に女の子が生まれたコルティス子爵のアーロンは、次々と起こる問題に頭を抱えていた。
まずなによりも困ったのは、赤ん坊の泣き声がうるさくて眠れないことだ。
「おい、誰か泣き止ませろ! ほらあの年を取った侍女とか」
「リタはエリアナ様と出て行きました」
「あぁ、くそっ」
どうにかならないのかとアーロンは頭を抱える。
「あんたみたいな平民が妻になれるわけないでしょ!」
「私の子を婚外子にするつもり!?」
大きなお腹を抱えた平民のリンと、現在の妻ミーナは毎日言い争いばかり。
二人の金切り声と赤ん坊の甲高い泣き声が響き渡る執務室で、アーロンは激しい頭痛に耐えながら机に突っ伏した。
以前なら、どれだけ仕事で疲れて帰ってきても、静かで整頓された部屋と、完璧に計算された帳簿が用意されていた。
だが今、机の上に積まれているのは、どうすればいいのかわからない請求書と、領民からの悲痛な訴状の山だ。
「おい、この請求書は何だ。支払いはどうなっている?」
「アーロン様、金庫はすでに底を突いております。これまでエリアナ様は不要な支出を削っておられたのですが……」
家令はチラッと女性二人に視線を送る。
「金がないなら税を上げろ! 領民からもっと取れ!」
「ですが」
「いいから言うとおりにしろ!」
請求書をバンッと叩きつけたアーロンに、家令は渋々お辞儀をする。
「くっそぉ。いったいどうなっているんだ」
そんなに急に金がなくなるなんておかしいと、アーロンは請求書の山を見ながら呟いた。
◇
噂の始まりは、通りすがりの商人や旅人たちだった。
「モンテスの小屋で売っている軟膏は傷がすぐ治る」
「頭痛に効く茶があるんだ」
噂は徐々に広まっていき、王都からわざわざ『何もないド田舎』まで買いに来る人も現れ始めた。
薬草はこのモンテスだけに自生している物。
利益を優先し、採りすぎてしまえば自生しなくなってしまう。
だからこそエリアナは採取量を厳格に管理し、たとえ貴族が来ても売り切れの時ははっきりと売り切れだと宣言した。
「ないものは売ることができません」
「なんだと! こっちはわざわざ王都から……!」
エリアナに掴みかかろうとする貴族をカイルが締め上げる。
「どうぞ、お引き取りを」
「……くっ!」
悔しそうに立ち去る貴族の後ろ姿を見送りながら、エリアナは溜息をついた。
「カイルが強くて助かるわ」
離縁する前、コルティス子爵家の護衛の中で一番強いのはセリオだった。
驚くべきことに、カイルはそのセリオよりも強かったのだ。
傷が治ったばかりのカイルが、木刀を使った模擬戦でセリオを倒してしまった時には驚いた。
運がよかっただけだと言っていたが。
「どうかしましたか?」
見つめられていることに気がついたカイルは、不思議そうにアイスブルーの瞳をエリアナに向ける。
「何でもない」
若くて美しくて強くてズルいなんて、本人に言えるはずない。
傷は治ったけれど、カイルはいつまでここにいてくれるのだろうか。
護衛だけでなく、細かい気配りやさりげない手助けをしてくれるカイルが頼もしくて、できればこのままずっと……。
ありえない願望を口にしてしまいそうだったエリアナは、自分の気持ちを誤魔化すかのように首を横に振った。
「さぁ、お店を閉めましょう」
エリアナは高い棚から、空の木籠を下ろそうと手を伸ばす。
「危ない!」
背後から滑り込んできたカイルの腕が、力強くエリアナの腰を抱き寄せた。
宙を舞った重い木籠は、カイルのもう片方の手でギリギリ受け止められる。
背中越しに伝わってくるカイルのしっかりとした体温と、力強い心臓の鼓動。
元夫のアーロンでさえ、こんなに近づいたことなんてないわ。
耳元で聞こえる吐息と清涼感のある香りが、エリアナの頭を真っ白に染め上げていく。
あまりの密着ぶりに、エリアナの胸は激しく高鳴った。
「怪我はありませんか、エリアナ様」
上から降ってきたのは、いつもより低く、少し甘く響く声。
見上げると、間近にあるアイスブルーの瞳が心配そうにエリアナを凝視していた。
あまりの顔の近さに、エリアナの頬が一気に熱くなる。
「え、ええ。ありがとうカイル」
「良かった」
カイルはエリアナをそっと解放すると、木籠を近くのテーブルへ。
「全部下ろせばいいですね?」
「そ、そうね。お願いするわ」
なかなか落ち着かない心臓を押さえながら、エリアナは真っ赤であろう頬を両手で包み込んだ。
「エリアナ様、大変です!」
慌てて小屋に飛び込んできたセリオの声に、エリアナの肩がビクッと揺れる。
「どうしたの?」
「保管庫の薬草が盗まれました!」
「どうして? 鍵は?」
保管庫には鍵がかけてあり、リタが1本、もう1本はリタが任命した在庫管理担当の女性が管理していたはずだ。
「盗んだのはアーロン様です!」
「なんですって!?」
村人の中から選ばれた在庫管理担当の女性は、領主のアーロンに在庫を見せるように言われて鍵を開けてしまったそうだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
エリアナが保管庫に到着すると、女性は泣きながら何度も謝罪した。
「妻の仕事を管理するのも夫の務めだと、領主様がおっしゃったんです」
「……妻ですって?」
「領地経営をしてみたいとおっしゃったエリアナ様に、このモンテスを与えたと」
在庫の確認が終わったら呼ぶと言われたがいつまでたっても呼ばれず、不審に思って保管庫に戻ったら、薬草が盗まれていたそうだ。
「あなたたちには伝えていなかったわね。離縁して、この土地を私がもらったのよ」
そんなことをわざわざ伝える必要はないと、みんなに伝えなかった私のミスだ。
「離縁したのに夫を名乗り、みんなを騙すなんて許せないわ」
国の管理上は今でもモンテスはコルティス領の一部だが、アーロンにはもうこの土地に関与する権利はないのに。
「リタ、盗まれた薬草の量は?」
「来月出荷予定分、すべてです」
アーロンに薬草の知識はない。
きっと貴重な薬草だと言い、そのまま転売しようとするはず。
でも、そのままでは売れない。
あの薬草は処理をしないと、毒があるただの雑草だから。
「ミラン、アーロンが持ち込みそうな王都の店を洗い出せるかしら?」
「商業ギルド経由で通達を出してもらった方がよいですが……問題はモンテス商会に貴族の後ろ盾がないところです」
偽情報が出回って混乱することがないように、貴族の承認が必要なのだとミランはエリアナに説明してくれた。
「じゃあ、実家に頼んでくるわ」
子爵でもいいのよねとエリアナが確認すると、ミランは大丈夫だと頷く。
離縁されたこともまだ両親には話せていないけれど、仕方がない。
一族の恥だと言われるかもしれないが、今回だけは助けてもらうしかないだろう。
「……俺が後ろ盾になりましょう」
「カイル……?」
「黙っていて申し訳ありません、エリアナ様」
カイルは上着の内ポケットから、公爵家の家紋が入ったスカーフを取り出し、エリアナに手渡す。
「ヴァルハイト公爵家嫡男、カイル・ヴァルハイトです」
「公爵……!?」
そういえば、一度だけアーロンについて行った社交界で美しいプラチナブロンドにアイスブルーの瞳を持つヴァルハイト公爵の姿を拝見したことがある。
どうして気がつかなかったのだろうか。
この国でその容姿はとても珍しいのに。
息子がいたっておかしくないのに。
「偉い方に、私は今まで質素な食事や雑用を……」
エリアナは申し訳なさそうにスカーフをカイルに返す。
カイルはアイスブルーの瞳を優しく緩めながら、エリアナの手をそっと包み込んだ。
「命を救ってもらったあの日、エリアナ様を天使だと思いました」
「て、て、天使!?」
カイルはエリアナの手を掴んだまま、スッと跪く。
「身分も正体も分からない俺を、何の見返りも求めず迷わず助けてくれた。あの瞬間、あなたに心を奪われたのです」
カイルは跪いたまま、エリアナの手を掴んだ手にぎゅっと力を込めた。
「エリアナ様、どうか『妻』になっていただけないでしょうか?」
真摯な眼差しで告げられた突然の求婚に、エリアナの思考は停止する。
「で、でも私は傷物で」
「あなたの元夫は、社交界から抹消いたします」
不法侵入、材料の強奪、そして詐欺罪。
言い逃れはできないとカイルは真剣な顔でエリアナを見つめた。
「返事は急ぎません」
カイルは立ち上がると、エリアナの耳元で「どうか俺を意識してください」と囁いた。
◇
「こんな雑草が高く売れるなんて」
盗み出した薬草を屋敷へ持ち帰ったアーロンは、リビングに山積みにされた麻袋を見ながら笑いが止まらなかった。
今、話題のモンテスの薬。
「こんな草を刻んで詰めるだけで大金になるんだから、薬商ってのはボロい商売だな」
商売なんて簡単だとアーロンは麻袋を持ち上げ、興味なさげに下に落とす。
「私、新しいドレスが欲しいわ!」
「お腹の子のために良いお肉が食べたいの」
「平民はやっぱり食べ物に意地汚いわね」
「なによ! 産後太りでドレスが入らないって知っているわよ」
「なんですって!?」
ミーナとリンの言い争いがいつものようにすぐ始まる。
「おい、これ、どこに売ればいいんだ?」
「軟膏は薬種商で買えますが、薬草を持ち込めるのかはわかりません」
アーロンに尋ねられた家令は、聞いたことがないと首を横に振った。
「使えない奴だな!」
「申し訳ありません」
ペコペコと頭を下げる家令を蹴り飛ばすように退けると、アーロンは薬草が入った麻袋を掴む。
「一袋だけ見せて、あとは取りに来させればいいか」
アーロンは一袋だけ馬車に積むと、高値を吹っかけてやると意気揚々と店へ向かった。
「おい店主! 薬草を持ってきてやったぞ! 今話題のモンテス産だ」
店内に押し入ったアーロンは、特別に買い取らせてやるとカウンターへ麻袋を叩きつけた。
「……モンテス産、ですか」
店主はヴァルハイト公爵家から出された「盗難薬草に関する緊急通達」をちらりと確認し、息を呑む。
これはつい先ほど商業ギルドから送られてきたばかりの通達だ。
「これほど貴重なものとなると、即座に適正な鑑定と査定額を弾き出せません。……明日までお時間をいただけないでしょうか?」
「ハッ、老舗の薬種商も大したことないな」
貴重なもの、査定額という言葉にアーロンは口の端を上げながら、店主を馬鹿にするように見下ろす。
「おい店主、屋敷にはこの数十倍あるんだ」
「す、数十倍ですか!?」
「明日、現金を用意して屋敷まで取りに来い!」
アーロンはコルティス子爵家の紋章を店主に見せながら、全部現金払いだと告げた。
「は、はい。コルティス子爵様でございますね」
店主はサラリとメモをし、麻袋の紐にメモを括りつける。
「明日の夕方、お屋敷に伺います」
「あ? 夕方?」
「大金を準備しないといけませんので……」
どうかお願いしますとお辞儀する店主を横目に、アーロンは笑いながら屋敷へと戻った。
◇
商業ギルドから連絡をもらったカイルと共に、エリアナは急いで薬種商へ向かった。
「……間違いないわ。盗まれた物よ」
エリアナは見慣れた麻袋の内側に書かれた管理用の通し番号を見ながら呟いた。
この薬草はモンテスでしか取れない貴重な物。
さらに見た目は普通の雑草と変わらず、葉っぱだけで薬草だと見分けるのは難しい。
エリアナがこの薬草に気づいたのは偶然。
以前視察で訪れた時に、たまたま畑にするために引っこ抜かれた雑草を見て、特殊な根の形が気になり、本で調べたからだ。
「店主、良く知らせてくれた」
「当然の義務でございます」
店主は次期ヴァルハイト公爵のカイルに深々と頭を下げる。
「本日夕方、コルティス子爵邸へ行くことになっております」
「同行させてください」
「もちろんでございます」
エリアナは薬種商の『薬草鑑定士』として同行させてもらうことにした。
「……バレないかしら?」
「もう少し深くかぶった方がいい」
髪はお団子にし、見えないように。
深くフードを被らせてくれるカイルの顔の近さに、エリアナはドキッとした。
綺麗すぎるアイスブルーの瞳に、なにもかも見透かされている気がする。
カイルの長い指先が、フードの縁を掴んだままピタリと止まった。
カイルの視線が、エリアナの目元から、滑るように唇へと落ちる。
待って、これって……。
お互いの吐息が触れ合う距離で、カイルの瞳がわずかに細められた。
「いやはや、お待たせしてすみません」
奥から出て来た店主の呑気な声が、静まり返っていた空気を一瞬で破壊する。
「……行こうか」
何事もなかったかのようにスッと身体を引いたカイルの横で、真っ赤になった顔を誤魔化すように、エリアナはフードをさらに深く被り直した。
◇
コルティス子爵邸のエントランスには、運び込まれたばかりの商品が所狭しと並んでいた。
ドレスや装飾品はもちろん、子どものおもちゃ、珍しい果物や菓子、ワインに葉巻まで。
逆に、先祖代々受け継がれている貴重な絵だと言われていた大きな水彩画は、もうエントランスの壁には掛かっていなかった。
先代夫人が大切にしていた花瓶も、階段脇にあった調度品も見当たらない。
お金がなくなったアーロンがきっと売ってしまったのだろうなと、エリアナは察した。
「赤子の泣き声がずっとしているが」
カイルの指摘に、家令は身を縮める。
「乳母もおらず、子どもの世話ができるものがいないので、手探り状態で」
まるで自分が世話をしているかのような家令の言葉に、エリアナは唖然とした。
「ではリビングへご案内いたします」
「応接室ではなく?」
「は、はい。リビングにお通しするようにと」
応接室には薬草が入りきらないからだろうか?
それとも水彩画のように、応接室のソファーや貴重な置時計がもう手放されてしまったからだろうか?
慣れた階段をあがったエリアナは、掃除もろくにされていない屋敷の状態に目を伏せる。
「大丈夫か?」
そっと背中に手を添えながら気遣ってくれるカイルに、エリアナは小さく頷いた。
「アーロン様、薬種商の方々がお見えです」
返事を待たずに家令が重厚な扉を開くと、そこにはソファーで女性二人を抱きかかえて鼻の下を伸ばすアーロンの姿があった。
「子爵様、鑑定士に薬草の状態を確認させても良いでしょうか?」
「あぁ、いいぞ」
好きにしろとアーロンは足を組む。
エリアナはフードを深くかぶったまま、山積みの麻袋に近づいた。
見慣れた麻袋、見慣れた大きさ、見慣れた縛り方。
ためしに袋を開けると、根や茎は一切なく、ぎっしりと葉だけ詰め込まれていた。
「これから毎月……」
「……毎月? 毎月盗むつもり?」
目深に被っていたフードを外したエリアナの姿にアーロンは凍り付く。
「なっ……エリ、アナ……?」
突如あらわれた元妻の姿に、アーロンは目を見開いた。
「なぜおまえがここにいる!」
女性二人をソファーに残したまま、アーロンは慌てて立ち上がる。
ズカズカと大股でエリアナに近づいたアーロンは、エリアナの腕に掴みかかろうと手を伸ばした。
「なんの真似だ」
アーロンの手首を捻り上げるカイルの姿に、エリアナはホッとする。
「ぐあああっ……! お、おまえ、誰に向かって手を上げて——」
激痛に顔を歪ませたアーロンが怒号を上げようとした瞬間、カイルは冷徹な眼差しで彼を見下ろし、拘束する手にさらに力を込めた。
「この方は、ヴァルハイト公爵子息様よ」
「は? 公……爵……?」
嘘だろと、アーロンの顔からスッと血の気が引く。
「アーロン、あなたが盗み出したその薬草。加工しないとただの毒草なのよ」
「なっ、毒だと?」
廊下から十人以上の近衛兵が姿を現すと、アーロンはカイルの手を振り払おうと必死で藻掻いた。
「コルティス子爵アーロン。領地財産の強奪、有害物質の流布未遂で同行してもらおう」
近衛兵のひとりが罪状を取り出すと、アーロンはその場に崩れ落ちた。
「エ、エリアナ。俺たちやりなおそう。妻の事業を夫が手伝うのは当然だろ? 罪にはならないよな」
「アーロン様! こんな田舎臭い女、抱く気にもならないって言ってたじゃない!」
「そうよ! 口づけさえする気にならないって言っていたのに!」
「う、うるさい! おまえたちは黙って……」
みっともなく床に膝をつくアーロンを、妻二人が責め立てる。
「今さら後悔しても遅いですわ。——ごきげんよう、元夫様」
毅然とした態度で告げるエリアナの背後から、カイルが一歩踏み出した。
「モンテスはすでにコルティス領から独立している。もちろん権利はエリアナ様のものだ」
カイルは国に正式に受理された書類をアーロンの前に突き付けたあと、エリアナに手渡す。
「……え? いつの間に……?」
国に許可を得るなんて、そんなに簡単にできることではないはずなのに。
「御礼は必ずしますと、約束したでしょう」
カイルはアイスブルーの瞳でエリアナに向かって極上の笑みを浮かべた。
近衛兵たちが一斉に踏み込み、惨めに這いつくばるアーロンを容赦なく取り押さえる。
逃げ出そうとしていたミーナとリンも、強盗の共犯および危険物所持の罪で拘束。
「毒だって知らなかったんだ! エリアナ、頼む、助けてくれ!」
「他人ですので」
エリアナはアーロンを冷たく見下ろした。
「私は関係ないわ! 私は妻じゃないし、お腹の子はアーロンの子じゃないもの!」
「は? 嘘だろリン!」
平民リンを見ながらアーロンは目を見開く。
「私も関係ないわよ! あの子もアーロンの子じゃないし」
「は? おまえまで!」
「お金持ちだと思っていたのに、貧乏だなんて詐欺よ!」
放置された赤子の泣き声と贅沢品の山の中、アーロンたちは連行されていく。
エリアナは引きずられていく彼らを見ながら、大きく息を吐いた。
「終わりましたね、エリアナ様」
静寂が戻った子爵邸で、カイルはエリアナの肩に手を添える。
エリアナはゆっくりと振り向き、カイルのアイスブルーの瞳を見つめ返した。
「ありがとう。カイル。ううん、小公爵様とお呼びした方がいいのかしら?」
「どうかカイルとお呼びください。貴女の護衛として、そして一人の男として傍にいることだけが、俺の望みですから」
カイルは愛おしそうに目を細めると、エリアナの手をそっと取り、その甲に誓いの接吻を落とした。
「公爵家の公務はいいの?」
「エリアナ様を口説き落とすまでは、ヴァルハイトに帰って来るなと父からも言われておりますので」
だから早く妻になると言ってくださいと、カイルはエリアナの耳元で囁く。
自分にはもう幸せな未来など訪れないと思っていたのに。
エリアナは真っ直ぐに自分を愛してくれるカイルの手を取り、笑顔でうなずいた。
「はい、カイル。私をずっと傍で支えてくださいね」
「勿論です。生涯ずっと……」
カイルはエリアナの華奢な腰を引き寄せると、そっと唇を寄せながら「愛しています」と呟いた。
◇
アーロンには爵位剥奪と全財産没収、極寒の鉱山での終身強制労働という厳罰が下された。
ミーナとリンは直接手を下していなかったため、すぐに釈放されたが二人とも逃亡。
取り残された赤子は養護施設で保護され、健やかに育つ道を整えられた。
無事に回収された大量の薬草は適切に処置され、病に苦しむ多くの人々を救う『モンテスの薬』として王国全土に広まっていく。
かつてない繁栄を迎えるモンテス領。
青空の下、風に揺れる薬草を見ながら、エリアナとカイルはしっかりと手を繋ぎ合った。
「これからもよろしくお願いしますね、私の素敵な旦那様」
「ええ、どこまでも貴女と共に」
温かな陽光に照らされながら、二人は優しく微笑み合い、静かに唇を重ねた。
END
多くの作品の中から見つけてくださってありがとうございます。
ブクマ・リアクション・評価・感想ありがとうございます。執筆の励みになっています。
いただいた感想をもとに、ざまぁをupさせていただきました!アイデアありがとうございます♪
カイルを怪我させたのが誰なのか未回収ですね(;'∀')シマッタ
もし長編にすることがあれば、カイルの職業が明らかに!?怪我させられる仕事って何!?(墓穴)
最後までご愛読ありがとうございました!




