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騒動の後始末


デング熱の緊急対応が始まって、十五日ほど過ぎた。

患者の数から推測する限りでは、ピークアウトした様に見受けられる。

重症者は六十三人。

症状が落ち着き、教会から自宅へ戻った人もいれば、悪化して運び込まれる人もいる。

重要なのは、治って出て行ったという実績の積み重ねだ。

その数字を敢えて公表することで、街の人たちは、安心して教会を訪れてくれるようになる。


新規感染者千五百八十二人。

新規重症者十八人。

昨日、メーガンちゃんがとりまとめて発表した数字はこれである。


私達が来てから、死亡者はゼロだ。

症状が軽いうちにポーションを飲ませ、重症者には定期的に回復魔法を注ぐ。

この世界の回復魔法の強さは、デング熱如きに負けることはないのだ。


※


それでも、一度だけ、危ない時があった。

あれは、まだ前半、五日目くらいの時だったと思う。

私がベッドの中で夢の世界を訪れようとしている時、侍女イザベラが自室に駆け込んできた。

「ララ様、危篤者が出ました。フローレンス様がお呼びです!」

黒髪黒目の眼鏡ちゃんが、こんなにも焦っているところを初めて見たよ。

私は秒で走り出した。

全速力で玄関ホールの扉を潜り、女神の講堂へ走る。


「ララ! まずいわ! 回復魔法を掛け続けてないと心臓が止まっちゃう!」


「わかった。どうしようか。自力で心臓を動かすには、どすればいいのだ」


「強心剤……、ないわよ、そんなもの」


「回復魔法を徐々に薄れさせながら、心臓マッサージしよう。自力でリズムを取れるようにしよう」


「うう、それしかないか。薄れさせるって、どうやってやるのよ……」


私は魔力を浸透させて、心臓を捉える。

フローレンスの回復魔法が全身に溢れているが、それが少しずつ弱くなっていくのを感じ取った。

患者の体内を満たす回復エネルギーが薄まるにつれて、確かに心臓の動きが弱くなっていく。

私はリズムを一定に保ったまま、魔力で心臓を揉む。

やばくなったら、フローレンスに回復魔法を強めてもらう。

それを何度も繰り返した。


「頑張れよ、まだ若いじゃんかよ……」


フローレンスが患者さんに呟いた。

私はこの時になって、初めて患者さんのことを見た。

確かにまだ若い。三十歳には届かないだろう若者だった。

死ぬには早い。

家庭を持って、子供を育てないといけない世代だよ。

頑張れ、頑張れと言いながら、私は、私達は同じプロセスを繰り返した。


大丈夫そうだ、と思えるようになった時には、深夜の三時を過ぎていた。

念のために、一時間だけ、その場に留まり、診断魔法で様子を見続けた。


「大丈夫かな」

「そうね。私、明日早起きして見に来るわ」

「うん。フロは根っからのお医者さんだね。治療が絡むと、朝もちゃんと起きる」

「私はちゃんと起きるわよ。起きないのはマリーよ」

「はは、間違いない」


何だか変な汗を沢山かいてしまった。

こりゃ、戻ったら、またお風呂に入らねば。

そう思って、教会の講堂をフローレンスと一緒に出る。

講堂前の廊下には、イザベラが正座していた。

ナナちゃんが腕を組んで、その前に仁王立ちしている。


「あれ、ナナちゃん、どしたの?」


「ララ様。来年成人を迎える淑女が、その様な恰好で人前に出ることは、決して許されることではございません」


私はナナちゃんに言われて、自分の格好を改めて見る。

確かに、これはまずい。

ネグリジェのまま、来ちゃっていたよ。

フローレンスも何も言わなかったじゃんかよ。

チラっと隣を見ると、全然違う方向に視線を彷徨わせていた。

フローレンスはいつもの装備服の上に、白衣を羽織っている。

私はブラも付けていないし、下着だって透けて見えるような薄いネグリジェだ。

急ぎ、フローレンスから白衣を剥ぎ取り、それを羽織った。

私が着ると白衣の裾が床についちゃうのだけど。


「すみません……、緊急事態だったもので」


「いえ。ララ様も気を付けて頂きたいですが、そんな主の特性を知り、サポートするのが、執事や侍女の役目です。責任の九割九分はこの愚かな侍女にあります」


「ちょっと、ナナ。イザベラも人の命を助けたかっただけなのよ。ちゃんと考慮してあげて」


「フローレンス様。フローレンス様にも二割ほど、責任はあるのです。普段から侍女を正しくガイドするのも主の役目です」


普段のナナちゃんは、二重のお目目がクリっとした美少年だ。

髪を伸ばせば、女の子にだって見えるだろう。

でも、こういう時のナナちゃんは、目が細く鋭くなって、サイコパスの様に見える。

凄く怖いのだ。

「二割って、九割九分と足したら、十割超えるじゃない……」

フローレンスは、全く関係無いことをブツブツと言っていた。


「ごめんね。ナナちゃん、次から気を付けるよ」


「ララ様に淑女的な感性を上げて頂くことは、そこまで期待していません。せめて、緊急時でも私を呼ぶ、それくらいのことは気が付いていただきたい」


淑女的な感性を上げ……、それって、大人の女性になることを期待していないってこと?

ちょっと納得できない発言だけど、私はお利口さんなので、ちゃんと口を噤んだよ。


※


話を戻す。

新規感染者の推移を見る限り、ピークアウトしたと思う。

一昨日よりも昨日の方が、新規感染者は明らかに少ないし、明日はさらに減るだろう。


蚊帳の製作も安定して行えるようになった。

私達は製作した蚊帳を無料で配布している。

蚊帳の建て方は、憲兵さんや冒険者さんが各家で指導してくれているそうだ。

未だに蚊帳の普及率は、二割以下らしいから、何年もかけて頑張るしかないと思う。

無料なのは今だけですよ、と呼びかけはしている。


ニーム油をココナッツオイルなどで希釈して、肌に塗布すれば、二十四時間蚊除けになることが分かった。

それだけでなく、ニーム油を薄めて、水溜りや排水溝に加えれば、蚊の幼虫(ボウフラ)の駆除にも効果的みたいだ。

マリー隊長率いる、レイラ、イザベラ、アナの侍女トリオの研究開発の結果だ。

蚊の発生源を減らす活動も並行して行なっている。


足りなくなってきたのはニーム油で、今、ラージャスティ王国首都ナヴァラトナでは、ニーム油製作が急がされている。

私達がお金を投じて、冒険者や不就労者を集めているので、ちょっとした特需が起きているそうだ。

お金は使ってなんぼだ。


そんな中、私達は、そろそろ、この国の人に役割を受け継いでいこうと考えている。

チャールズ率いる倉庫は、安値でルンガンの商会に譲り渡すつもりだ。

ルンガンで三番目に大きな商会だが、ハリルお父さんの推薦があった商会だ。

政治的にクリーンで、信頼できる商会長だと言っていた。

その人には、ニーム油とココナッツオイルの蚊除けの薬の製造も受け渡そうと考えている。

今は、数人の商会員が、チャールズとマリーのところに行って、色々と学んでいるところだ。


私はもう一つ仕事がある。

今日の仕事はこれだ。


「では、説明した通り、一定間隔を空けて、種まきからお願いします」


「「「おう」」」


ナナちゃんが、集まってくれたルンガンの人たちに、種まきの方法を説明した。

一人一人に種を複数渡す。

ニームの木は、成長すると五十フィートくらいまで成長する木だ。

樹齢も二百年近くまで頑張ってくれる子なので、大事に育てないといけない。


メーガンちゃんがラージャスティ王国から、ニームの木の種を仕入れてくれた。

この地方の気候を鑑みると、デング熱は再び発生するだろう。

そうなると、ニーム油を自分たちで作り出せる事は非常に重要だ。

ルンガンの人たちには、これを自分たちの力で植えて、育ててもらいたいと思っている。

もちろん、最初だけは、私がチートで大きくしようと思っているけど。


そのため、リンさんにお願いして、近くの雑木林を譲ってもらった。

土地を貰ったわけでなく、教会に利用権を与えてもらっただけではある。

昨日、その雑木林を、空間魔法で整備した。

木々を取り除き、土をかき混ぜて、良質な土を作った。

今日は、街の人たちに種を植えてもらい、水を撒いてから、数年、時を進める予定だ。

本来であれば、二年くらいから剪定して育てる必要があるらしいのだが、まあ、今回は一気に大きくしちゃうつもりだ。


ニームは「ミラクルニーム」と呼ばれるくらい、色々な特性と効能がある木だ。

虫除けとして使うことも、スキンケアの素材としても利用価値はある。

この雑木林を皆で育てて、この地に奇跡を与えて欲しいと切に願う。


「ララ様、水撒きまで完了いたしました」


「うん。じゃあ、一回、全員林の外に出て」


ナナちゃんが大きな声で呼びかけて、スコップやバケツを持った人たちがワラワラと戻って来る。

いつの間にか、ハリルお父さんが私の背後に来ていた。

手にスコップとバケツを持っている。

この人もシレっと参加していたんだな、と少し可笑しくなった。

氷の娘さんは、流石に連れてきていないようだ。


「これは、ラージャスティの奇跡がここでも見られるのかな?」


「うえ。ハリルお父さん、詳し過ぎじゃない? まあ、その通りだけどさ。もともとはアヴェリーヌで最初に始めたことなんだけどね。ちょっとしたチートだよね」


「いや、この街での活動を興味深く見させてもらったけど、むしろ、ララやその仲間たちは、女神の加護を殆ど使わずに活動しているよね。つまり、一人の人間として働いている。それは凄く感銘を受けたよ。私達がやろうと思ったら出来るってことだからね」


「ハリルお父さん、言い過ぎだよ。前提でチートを使っちゃっているからね。さあ、いくよ」


アヴェリーヌ、ラージャスティ、そしてバリカン。

私は確実に成長している。

ニームの種を埋めた雑木林全体を魔力で包む。

わずか数十秒だ。

うん、速い。今日も成長を実感できるぜ。


一瞬だけ別の空間に収納する。

イメージは、ここと同じ気候を持つ世界。

そこで、五年間、自由に生きてくれ。

五年後の未来をイメージして、再び、この世界に戻した。


「「「おーーー!」」」


良しよし、大成功だよ。

成長したニームの木が、いきなり出現したことで、大歓声が上がった。

みんな、スコップとバケツを地面において、大きな拍手をしてくれているよ。


「皆さん、感心している場合はありません。これが本物の女神の奇跡。ララ王女殿下からすれば、当然の結果なのです。さあ、ニームの実を採りますよ。ここから先は、ラージャスティ王国から指導のために来てくださった人たちから教えを受けてください」


段々、ナナちゃんが止まることのない暴走機関車化している。

ハリルお父さんは、笑いを零しながら嬉々としてニームの実の採取に向かった。

私はもう恥ずかしいよ。

とっとと馬車に戻ろう。


※


本来であれば、行政が主導でこれらの活動をしなければいけない。

流行り病、飢餓、天災。

この世界に生きていれば、いつでも起こり得ることだ。

そういうものを乗り越えて、人は生きていくし、社会は発展していく。

むしろ、私達の様なボランティアが中心になってしまっていることが問題なのだ。

政治、行政が機能していない。

端的に言えば、そう言うことなのだ。


私は、今、内務機関の建物を初めて訪れている。

あの感染者が押し込められていた建物が旧官舎で、今日来ている建物が新官舎。

幽霊屋敷とは全く異なる意匠で建てられた建物は、一言で言うと豪華絢爛。

入口には良く分からない彫刻が飾られており、廊下には黄緑の絨毯が敷かれている。

最上階は壁に色々な絵画が、金ぴかの額縁に入れて飾られてあった。

最上階の応接室、私達は今日、そこを訪れた。


イフヤ共和国元首でもあり、大司教でもあるナスルのオジちゃん、カスティリオ王国軍責任者の中将のオジちゃん、アス姉もいる。


中将のオジちゃんは、カスティリオ王国軍を率いて、ルンガンにやってきてくれた。

この都市の軍を解体して、再生させる。

その担当をカスティリオ王国軍が引き受けているのだ。


このデング熱騒ぎと並行して、窃盗団が横行し治安は日々悪化している。

それを指咥えて見ているだけのバリカン共和国軍の兵士達。

それどころか、便乗しているのではないかと思える活動も小耳に、はさんでいる。

イフヤ共和国の憲兵さん達は、デング熱の支援活動に集中してもらうためにも、カスティリオ王国軍に早々治安維持を行ってもらいたい。

そうオジちゃんにお願いして来てもらった。

ララ近衛隊は百名しかいないから、街の中央部を守るだけで精一杯なんだよ。


応接室のソファには、私を真ん中にして、左右にアス姉とナスルのオジちゃんが座っている。

後ろには、中将のオジちゃんとエドゥアルド隊長だ。

リンさんも斜め後ろに沢山の書類を持って、控えてくれていた。

勿論、当然、当たり前の顔をして、執事服のナナちゃんは背後に立っている。


「お待たせしましたな」


そう言って、五名の男性が入室してきた。

なんと、大司教までいるではないか。

教会から実質的に追い出した後、内務卿を頼ったと聞いているが、まさか、こういう会議に参列するほど食い込んでいるとは思わなかった。

堂々と威厳を誇示するように、大司教のオジさんはソファに座った。

背後に立つ三名の護衛は、大司教付きの修道士さん達だ。


「ルンガンの街を担当している内務卿のアリ・ナビルです」


両手を胸の前で合わせて礼を取る人が、元貴族という噂のアリ・ナビル(Ali Nabil)さん。

もう結構なお歳なのだろう。

大司教のオジさんよりも年長に見えた。

大司教もそうだけど、この人も金ぴかさんだった。

ネックレス、ブレスレッド、指輪、カフスボタンまでも金だ。


全員が挨拶した後、今日の本題のパンデミック対策に関する体制の引継ぎの話が始まった。

アス姉が来ているということは、全ての段取りが完了したということだ。

私が口を挟む必要はない。

シックなドレスを身に纏い、大人しく座っていれば良い。

お母様が言う『ひな壇の飾り』だ。

担がれた神輿という役割だろう。


アス姉の説明を聞いている限り、内務卿への要求は二つ。

一つは、教会の医療体制の維持だ。

ただ維持するだけじゃない。

ポーションを購入する必要もあるし、ベッドやリネン類、サポートするシスターや人員の給料も必要だ。

その負担は教会でなく、内務卿が出すべきだとアス姉は言った。

二つ目は、常駐するカスティリオ王国軍の受け入れ。

現国軍の解体に伴う軍の拠点、兵舎の接収と利用。

新たな施設の構築場所の提供等だ。


私は話を聞きながら、ずいぶんと優しい要求だなと感じた。

蚊帳やニームオイルの製造は商会が中心になるとはいえ、初期投資分は請求しても良いくらいだと思う。

私達の活動報酬でさえ、本来であれば、一級冒険者単価で受け取りたいくらいだ。

この金ぴかの装飾を見ていると、そんなことすら考えてしまうよ。


「つまり、慈善活動に見せかけた、押し売りですかな?」


「失礼? 聞き取れませんでした。もう一度お願いします」


アス姉は綺麗な笑顔を浮かべて、そう聞き返した。

やばいよ。何とか内務卿、ピンチだよ。

これ以上、変なことを言うと、もう防御一辺倒になるまで攻め込んでくるよ。

最初の案が、一番優しい案なんだよ。

これで手を打っておいた方がいい。

私は優しい表情をキープしたまま、心の中で呟いた。


「貴方方は、私の許可もなく、勝手に教会を占拠して、大した意味もない活動を始めた。本来であれば、教会の利用料を頂くような話です。まあ、私は寛大ですからな。この街のためになるのかと思えば、何も言わずに見守っていたところです。しかし、結局は今後、真女神のポーションなる怪しげな水を定期的に売りつけるための営業行為だったと。そういうことですかな」


アス姉は、リンさんから紙の束を受け取り、それを丁寧にソファ前のテーブルに置いた。


「こちらが、今回提供したポーションの検証論文です。各国からの治験レポートもご用意しました。もし記載内容が専門的すぎて難しいようなら、子供でも分かるように優しい言葉で解説しますが、いかがいたしますか?」


アス姉は、一つ間を置いた。

内務卿は紙を手に取り、ざっと見てから、テーブルに投げ捨てる。

何かを言おうとしたが、その前にアス姉が言葉を続けた。


「さらに、こちらが私達がこの街で活動を始める前の被害状況をまとめた物です。旧官舎という名の牢獄には、デング熱で亡くなった患者が、六百三十五名いらっしゃいました。そこから救出した二十五名を含め、それ以降、デング熱での死亡者はゼロです。なお、そちらの用紙には、私達が何もせずにいた場合の、想定死亡者数がシュミレーションされております。その被害は、四十万ですよ。こちらも論理的かつ学術的な検証に基づいた『真実』ですが、対抗できる論旨はお持ちですか?」


「くだらぬ。詐欺師は常にそれらしいことを言うものだ。バカバカしい。帰り給え」


「残念です。私どもの提案は、拒絶する。それでよろしいでしょうか? 念のためにハッキリと言葉に出してお答えください」


最後通牒は、とても低い声だ。

私やフローレンスでは出せない威厳のある低音だ。

これはもう終わったな。

私は彼の未来に少しでも赦しがあるように、女神様に祈った。


「いい加減にしろ! 冒険者風情が! 出て行きたまえ! 拒絶するに決まっているだろ!」


「それでは、こちらが最後の書面です。スハルト・プトラ首相のサインが入った物です。私どもの提案を内務卿が拒絶した場合、私どもに認められる権利、活動となります」


内務卿はその紙を手に取り、真剣に読み始めた。

これまで以上に、いや、初めて真剣に読んでいた。

プルプルと震え、怒りに顔が染まっていく。

隣の大司教は横からお行儀悪く盗み読みをして、驚愕した顔を浮かべていた。


「貴様ら、こいつらを捕らえよ! 生きて逃がすな!」


内務卿が後ろにいた修道士に声をかける。

でも、もう遅いよ。

既にアス姉の指示の通り、彼らは一人一人透明な結界で囲っている。

バンバンと壁を叩いているけど、もう無駄だよ。


「オスカー・フェルナンデス中将、この者を街から追放してください。彼の私財は全て差し押さえする権利を私達は有しています。身ぐるみ剥いで、叩きだしてください」


「了解した」


中将のオジちゃんが、応接室外に待機していた兵隊さん達を呼ぶ。

アス姉の指示をそのまま伝え、身ぐるみ剥いで、統一街道沿いの隣村当たりで投げ捨てよと伝えた。


「さて、アフマド・ラフマニ元大司教。今度は貴方の番です」


内務卿がギャーギャー言いながら、外に連れ出される中、ナスルのオジちゃんが魅惑的な低音ボイスで、蒼ざめた大司教に話しかけた。


「元……?」


「ええ、元です。昨日、大司教の職を解任されました。ララ王女殿下への暴言。あれは教会としては見過ごせないものだったそうです。この街の司祭からも、報告書が上がりました。大司教の職を解任するだけでなく、教会からも破門。そう決まりました」


「そんなバカな! ありえぬ! 議員たちは、議員たちは何て言っておるのだ!」


「教会派の議員たちも、もう勝ち目はないと思ったのでしょう。完全に立場を変えましたよ。気持ち良いくらいの掌返しでした」


リンさんが、再び、一枚の書類を渡した。

大司教は唇を強く噛みしめながら、その書類を受け取った。


「内務卿と同様、おそらく多くの罪で訴追されることになるでしょう。このまま拘束した上で、牢獄に入ってもらいます。内務卿と違うのは、この街から離れれば、事実上、全ての力を失う内務卿と、全国各地にネットワークを構築してしまった貴方の違いですな。残念です。同じ女神を信じた者同士、仲間であったと思いますがね」


「貴様! 貴様が裏切ったのだろう! 女神教を裏切ったのは貴様だ!」


「はい。旧女神教と私が袂を分けたのは事実。ただ、大陸の西と南部は新生女神教を広めるために手を取り合ったのです。貴方にも最初に問うたではないですか。あの時、嘘偽りを述べる事なく、自身が信じるところを言っていただければ、カウニアに出奔することを認めたはずです。現在の地位に拘泥したのは、貴方ではないか」


「わかった。カ、カ、カウニアに行く。教皇様の元に行くことにしよう」


「いや、犯罪者を国外に出すことは出来ませぬ。それは共和国の判断です。ただ、カウニアも長くはないでしょう。真の女神の使徒を追い出した国。もはや加護を得られますまい」


「貴様! 冒涜だぞ! 神職だろ! 口を噤め!」


ナスルのオジちゃんは、中将のオジちゃんに目配せした。

ドア越しで待機していた兵隊さんたちが、大司教を捕えていく。


「私は!」


会議室を出て行こうとする大司教に向けて、リンさんが大きな声を出した。

初めて見たよ。リンさんの怒った表情は。

唇をプルプルさせて怒りを表している。


「私は、真の女神の使徒がどうあるべきか、それを目の前で見ました!」


おいおい、やめてくれ。

そういうのじゃないんだよ。

使徒とか、女神とか、誰も考えていないんだよ、私達は。


「あの、辛くて食べられないってベソをかいていた小さな女の子が! この国に蔓延する病の話を聞いた瞬間に立ち上がったのです! そこから数時間ですよ! たった数時間でこの国の人たちを救う手筈を整えて……、四十万です! 四十万の命の価値が分かりますか? 本当は貴方が! 内務卿が! そして、私達が……、やらなければいけないことだったのです……」


私は思わず両手で顔を隠してしまったよ。

アス姉が、私の肩をポンポンと叩く。

何よりも恥ずかしいのが、『辛くて食べられないってベソをかいていた小さな女の子』という表現だよ。

もう来年成人なんだよ、私。


「ありがとう。リン外務次官。そう言っていただける人がいる限り、私達は前に進めます」


アス姉がそう言うと、リンさんは俯いた。

連れて行け、と中将のオジちゃんが言う。

大司教のオジちゃんが向かう先は、牢獄だ。

何度も考え直す機会があったはず、何度も自分を変える機会はあったはず。

でも、過去の自分に拘泥すると、ああいうドツボに嵌ってしまうのだ。


「さて、最後は修道士の三名じゃの」


「あ、ナスルのオジちゃん、その真ん中の人は使徒だよ。頭の中に自動機械がある」


「ほう。名を名乗れ」


「アンワル・ハッサン。俺こそが真の女神の使徒だ。貴様らに迎合するつもりはない。殺せ」


「そうか。わかった。他の二人はどうだ?」


左右の二人の修道士も結界に唾を吐きかけた。

うん、しょうがないよ。

自分の事は自分で決めるしかない。

私は真ん中の修道士さんから自動機械を除去して、収納しておいた。

結界を解除すると、三人とも兵隊さんに連れられて行く。


「アス姉、これでおしまい?」


「そうね。ララの出番は終わりかな。これから先が大変なんだけどね。内務、行政の掌握、内務卿の資産の整理、軍務の再編……」


「アス姉、ごめんね。後始末をいつもお願いしちゃっている」


アス姉は、私の方を向き、笑顔で私を優しくハグした。

後頭部をよしよしと撫でる。

小さい時から、何度も受けて来た姉の愛情。

それを久しぶりに私は味わったよ。


「まあ、そうだな。ララが動くと国レベルで変わっていってしまうからな」

「間違いない。オスカーの言う通りだ。いつも大変な騒ぎになる。オスカーはまだ良いだろう。大変なのは、アストリッド達文官たちだ」


オジさん二人が楽しそうにしているけど、笑いごとじゃないんだよ。

本当ならば、オジさん連中がもっと頑張らないといけないんだよ。


「アス姉、でも、この国の誰かが派遣されてくるんだよね?」


「そうよ。最初さえ頑張れば、後は引き継ぐわ。最初を失敗すると、またダメな行政機構が出来上がっちゃうからね。リンさんと一緒に頑張るわよ」


「え? 私もですか? 私、外務が専門で……」


「同じよ。仕事なんて、どれも同じ。ララが聖域に行って戻って来るまでに、一か月時間があるわ。その間に片付けましょう」


「おい、ララ、聖域で大事件を起こしてくるなよ。もう、お腹いっぱいだ」


「オスカー・フェルナンデス中将、ララ様に失礼ですよ。ララ様は事件を起こすのではないのです、この世に安寧をもたらすために混沌を平定しているのですよ」


「お、噂の忠犬ナナ公に怒られてしまったよ」


忠犬ナナ公って、数字が一つ減ってるよ。

誰だよ、忠犬ハチ公なんて、ローカルネタを絡めたヤツは。

あれ、忠犬ハチ公って、なんだっけ?


「さあ、ララ様、私達は行きましょう。冒険者組合に行って、聖域の情報を確認したら、明日出発です。エドゥアルド隊長、護衛を。あと二十名の隊員たちの準備をお願いします」


この内務の建物は当面、アス姉たちが使うことになるのだろう。

私は、中将のオジちゃんに、アス姉の護衛だけ、ちゃんとやってくれと頼んでおいた。


廊下に出ると、壁に掛けられていた絵画が、床に散乱していた。

連行される時に、誰かが暴れたのだろうか。


私はその内の一つを手に取った。

その絵画は人物画だ。

スールヤヴァルマン二世(Suryavarman II)

そう書いてあった。あの賢帝さんの肖像画だろう。

賢帝さんを足蹴にするわけにはいかない。

私は壁にちゃんと掛け直してあげた。

真っ直ぐ掛かっているか、少し距離を空けて眺める。


良く見ると、賢帝さんは思っていたよりも、優し気な青年だった。

その黒い瞳は、この国の未来を心配するかのように憂いを帯びていたよ。



世界地図

挿絵(By みてみん)

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