第7話 王都の共鳴室
研究院の上層、重厚な扉の奥。
そこには、王立魔法騎士団の選ばれた者だけが入れる会議室があった。
黒曜石の長机を囲むようにして、複数の騎士団幹部と研究院の魔導官たちが集まっていた。
室内に立っているのは、王立魔法騎士団の総帥、グレン・バルノート。
金の装飾が施された深紅の外套を身にまとい、鋭い瞳で資料を見つめている。
「……共鳴反応、75パーセントか」
「はい。ピエス嬢とシュヴァルツの間に安定した感情干渉が確認されています。
シュヴァルツの暴走魔力が、彼女の存在によって抑制されているのは明らかです」
魔導官が淡々と報告する。
グレンは無言のまま指を組み、考え込んだ。
「だが、本当に彼女の意思による“抑制”なのか?
それとも――偶発的な共鳴にすぎないのか?」
「そこが重要な分岐点です。
意図して感情を操作できるのなら、“対魔力兵装”として運用可能です」
一瞬、場の空気が冷たくなる。
“人”を“兵装”と呼んだことに、誰かが眉をひそめた。
だが誰も、それを口にしなかった。
「……いずれにせよ、そろそろ“部屋”から出すべきだろう」
グレンは重く言った。
「長く閉じ込めておけば、共鳴も鈍る。ピエス嬢に“選択”させる機会を与えるべきだ。
あの少年にも、“外の空気”を味わわせてやる時期だ」
一方、地下の共鳴室では。
その決定を知ることなく、ふたりは相変わらず距離を取りながら過ごしていた。
以前より会話は減り、視線も交わらなくなった。
ただ、その沈黙はもう――敵意ではなく、互いに“言葉を失っているだけ”のようにも見えた。
午後の遅い時間、共鳴室の扉が久しぶりに音を立てて開いた。
現れたのは、魔導官ではなく――王立騎士団所属の副隊長、エリアス・クロード。
銀髪に濃紺の軍服、端正な顔立ちに冷静な眼差し。
オレリーも、彼の顔は王都の魔導士名鑑で見たことがあった。
「おふたりとも、準備をお願いします」
彼の第一声は、あまりに唐突だった。
「準備……?」
ユーリネスが眉をひそめる。
「明日、ふたりには王都郊外への“魔力乱流調査”に同行していただきます。
外部の魔力量が変化しており、共鳴組の影響範囲を調査するためです」
「共鳴組……?」
オレリーが思わず繰り返したその言葉に、エリアスは軽く頷いた。
「シュヴァルツ騎士とピエス嬢。あなた方の共鳴反応が安定しつつあるため、
外部環境での影響を確認する段階に入りました」
それはつまり――
“ふたりの関係性”が、王都によって分類されているということだった。
「研究室の外に……出られるんですか?」
オレリーの問いに、エリアスはごくあっさりと答えた。
「もちろん。ただし、護衛つきで。行動範囲は制限されます」
ユーリネスは無言のまま立ち上がった。
その表情からは、喜びも怒りも読み取れなかった。
けれど――
その背中からは、わずかな緊張がにじみ出ていた。
(……外に出られる)
オレリーの胸にも、さざ波のような感情が広がっていた。
嬉しさ、でも不安も。
一度冷えたふたりの距離を、外の世界がどう変えるのか――まだ見えない。
けれど、閉ざされた部屋の中で止まっていた時間が、ようやく動き出す。
「明朝、出発します。くれぐれも――油断のないように」
エリアスは、それだけ言い残し、部屋を去っていった。
その夜、共鳴室の灯りは早めに落とされた。
けれど、眠りにつけた者はひとりもいなかった。
オレリーは、壁に背を預けながら天井を見つめていた。
(外……か)
久しぶりに陽の光を浴びられること。風に当たれること。
その一つ一つが、とても遠い出来事のように感じられていた。
共鳴室に来てからの日々は、密度が濃すぎて、
時間の感覚がときどき曖昧になる。
そして何より――
(……ユーリネスと、並んで外に出る)
彼がどう思っているのか、もう分からなかった。
拒絶のあと、彼は何も言わない。
でも、それは怒っているのではなく……何かを飲み込んでいるように見えた。
一方、ユーリネスはベンチの上で眠ったふりをしていた。
けれど、意識は冴えていた。
(俺が外に出る……今さら、何の意味がある?)
あの場所には、何の記憶も残っていない。
あるのは、凍った景色と、誰かに拒絶されたという“確信”だけ。
それでも……何かが変わり始めていた。
「……明日、君は前を歩け」
静かに放たれたその声に、オレリーは驚いて顔を上げた。
ユーリネスは目を閉じたまま、壁にもたれている。
「何かあれば、俺が後ろから凍らせる。……守るって、そういうことだろ」
それは照れ隠しなのか、優しさなのか。
それとも、彼なりの“謝罪”なのか。
オレリーにはわからなかった。
でも、ほんの少しだけ胸が温かくなったのは確かだった。
「……わかりました。よろしくお願いします、“騎士さま”」
くすりと笑う声が、氷の部屋に優しく響いた。