第1話 琥珀色の魔力
王立魔法アカデミーの朝は、鐘の音とともに静かに始まる。
魔力の流れを感じながら、制服に身を包んだ生徒たちが中庭を歩いていた。
「……よし、直ったよ」
石畳の片隅で、栗色の髪の少女が、そっと小さな木箱を撫でるように手で包み込む。
パチ、と金具がかすかに音を立てて締まり、ふたがきちんと閉じた。
「ありがと、ピエスさん!また壊しちゃって……」
「気にしないで。直すのは、得意だから」
琥珀色の瞳が、ふわりと笑う。
彼女の名は、オレリー・ピエス。
壊れた物を癒やす、小さな魔法の使い手。
その魔力は淡く目立たないが、彼女の手に触れれば、どんなひびも穏やかに閉じてゆく。
「おーい、オレリー!」
駆けてきたのは、黒髪を刈り上げた青年――カイ・オーガ。
草魔法を使う、同じ18歳の幼なじみだ。
「今朝もまた“直して”たのか?遅刻ギリギリだってば」
「ご、ごめん……すぐ行く!」
「ったく……優しすぎなんだよ、君は」
笑って、でもどこか焦れったそうにカイは言う。
彼の眼差しには、どこか“守りたい”気持ちが滲んでいた。
教室へ向かう廊下の途中、オレリーはふと立ち止まる。
大理石の床に映った自分の影が、ひどく小さく見えた。
(私の魔法って……ただ、誰かのあとを直してるだけ。
守られてばかりで、何もできないのに……)
琥珀の瞳が曇りかけた、そのとき――
回廊の向こうから、空気が変わった。
彼が現れた瞬間、通りかかっていた生徒たちの足が止まった。
まるで本能が告げているかのように、誰も彼の側を通ろうとはしない。
長いプラチナブロンドの髪をなびかせ、
氷のような冷気をまとった青年――ユーリネス・シュヴァルツ。
誰もが一目置くその存在は、同時に、恐れの対象でもあった。
ひとり、またひとりと、彼を避けて進路を変える。
談笑していた声は途切れ、空気が張り詰める。
まるで、この場所だけが切り取られたように、静寂が降りた。
けれど。
(……なんだろう、この人)
その中でただひとり、オレリーは動けなかった。
怖いはずなのに、足がすくんだわけではない。
ただ――彼の目が、気になった。
誰のことも見ていないはずのその紫の瞳。
感情を殺したような無表情の奥に、ほんの一瞬――
(……さみしそう)
そんな、言葉にならない感覚が、胸に広がった。
「……なにか用か?」
低く抑えた声が、空気を震わせる。
思考よりも先に、オレリーの口が動いていた。
「……悲しそうな目を、していたから」
紫の瞳が、はっきりと揺れた。
「……は?」
困惑と、動揺と――そして恐れが、そこにはあった。
誰も見ようとしなかったものを、彼女は見てしまった。
誰にも知られたくなかった場所に、まっすぐ手を差し伸べた。
「お前、今……俺の心を見たのか?」
その声は震えていた。怒りではなく――怯え。
その瞬間、空気がひび割れたように、魔力が溢れ出す。
冷気が弾け、氷の結晶が舞う。
視界が白く染まり、辺りが凍てつく結界に包まれる。
「……っ!」
オレリーは、息を吸う暇もなく氷に包まれていく。
まるで、彼の感情そのものが、彼女の身体を閉じ込めていくかのように。
だが、最後までオレリーの目は変わらなかった。
――哀しみと孤独を知る目を、優しく見つめるまま。
ユーリネスは、ただ立ち尽くしていた。
「……まただ」
ぽつりと落ちたその言葉は、誰にも届かない。
彼の魔力は、またしても――
自分に手を差し伸べた者を、凍てつかせたのだった。
「また……俺は……」
かすれる声が、凍てついた空間に吸い込まれていく。
目の前には、透明な氷に包まれたオレリーの姿。
氷の結晶は花のように広がり、彼女の体を静かに閉じ込めていた。
その顔には、驚きも怒りもない。
むしろ、最後まで微かに笑んでいた――まるで、誰かを赦すように。
ユーリネスは、喉奥から何かがこみ上げるのを感じた。
息が詰まる。言葉にならない感情が、胸の内で渦巻いている。
(俺の魔力は……また、誰かを傷つけた)
その日の夕刻。
王都にある王立魔法研究院では、報告を受けた魔導官たちが、すぐさま対応に動いていた。
「例の“氷結事故”、ついに起きたか……」
「ピエス嬢を凍らせた? 死ななかったのが奇跡だな」
部屋の隅、銀装飾のローブを纏った男が静かに言う。
「しかし興味深い。彼女の魔力は本来、ごく微細なもののはず。
なぜ、暴走中の彼とあれほど接近しても、精神汚染を受けずに済んだ?」
「共鳴……ですか?」
「いや、それ以上の何かかもしれん。これは“実地での確認”が必要だ」
その夜、オレリーは氷が溶けた後、意識を取り戻した。
柔らかな布団の上でまどろむ中、どこか遠くで誰かが言うのが聞こえた。
「……彼女と共にいさせる。それが、彼の魔力を抑える最善手だ」
「この共鳴反応は、偶然ではない。少女を“引き金”として使うべきだ」
そうして翌朝。
オレリーとユーリネスは、誰にも理由を知らされないまま、
魔力測定実験の名目で、研究院地下の“共鳴室”へと連れて行かれた。
ふたりの距離はまだ遠く、
本当の嵐は、まだ始まっていない。