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【心渡し】其ノ5

「さて、さっきの話の続き、私と他者の境界線はどこにあるのか、だけれども」

 そう言いながら彼女は地面にどかっと腰を下ろし、彼女の周りの至る所から生えてくる腕や脚を摘み取り、咀嚼し続ける。ファストフード店で女子高生がフライドポテトを摘みながらおしゃべりに興じる光景が脳内で再生は、されない。モノがモノすぎる。

「知らないよ。考えたくない。」

「まぁまぁ、そんな冷たいこと言わずに私としっとりじっくりお話ししましょ」

 ため息しか出ない。形状学的議論を投げかけてくる非常にめんどくさいかまちょには今すぐに帰宅願いたいところデスネ。でも生憎、この家から彼女1人で出られてしまうと僕は往生の道へまっしぐらである。いや、ここに取り残された場合、僕は無事に往生できるのか。

「さっきもそして今までもずっと君に言っているけど、こういう科学が今はまだ介入できない領域に足を踏み入れてしまった場合、私たちが考えなければいけないことは哲学的、形状学的思考領域になってしまうんだよ。どうして私たちは生きているのか、なぜ君と私は違うのか、私は一体誰なのか。当たり前だけど当たり前じゃないことをこう言った空間で考えなければ彼らの原理には至れないし、何より彼らと対峙した時に自分を見失うよ」

 彼女はあくまで笑顔で淡々と、まるでこの光景が日常かのように振る舞う。いや、確かに彼女にとってここは、こここそが日常だ。僕も彼女とある程度の期間一緒にいて、こういう異常が日常になりつつある。だからこそ、そういうことを考える機会を減らしたいのだ。僕はまだ日常にいたいから。彼女をまだ僕の日常に位置付けておきたいから。まぁ、そんなことちゃんとできてたら今ここにいないんだけど。

「僕なりの考え方だけど」

 僕は自分の呼吸を意識する。そして、箪笥の奥に仕舞われている整理されていない季節外れの洋服の中から手探りで目的のものを探すみたいに言葉を引っ張り出す。肩の痛みは気付けば遠くなっていた。

「あくまでもここにいる僕と目の前にいる君が違うというのはお互いの了解の問題でしかないと思ってる」

「というと?」

 彼女は咀嚼途中の腕を放り投げ、僕の話に耳を傾ける。

「僕と君は違う人で違う考え方を持っていて違う人生を歩んでいるという確からしい事項が、今いる当人同士の間で暗黙の了解としてお互いに共有されている。僕はあなたの人生を知らないし、あなたの気持ちを知ることはできない。だからこそ僕とあなたは他人である。この事実が僕と君は違うヒトである、が成り立っている根拠の立脚点だと僕は思うんだよね。僕は君のことを完璧に知ることができない、それは君もまた同様に。だからこそ、お互いが他人であると僕たちは無意識下で相互に了解し得ているんだと思うよ」

 こういう当たり前のことを話す時はなんだか頭の中がぐるぐるしてどうしても落ち着かない気持ちになる。落ち着かないのはこの環境と出血のせいでもあるか。

「なるほど、当たり前の現実に即した立脚点だね。自分は自分のことを知ることができる。故に自分は確かなもので、逆に相手の相手自身を知ることはできないから自分≠他者となる。確実に存在を認識できている自分が持っていない記憶を持っている他者は、自分とは違う存在である」

 部屋全体の様子が変わる。繁茂していた青白い腕や足は消え失せ(彼女が食べ過ぎた可能性も否定できない)、無数の畳が地面に敷き詰められていく。幾重もの襖は開かれ、上座への道を作る。この怪異の中心地へ僕たちを招待するように。

「しかしそれは、そもそも考えている自分自身が確かに存在していると事実づけてくれるモノが他人にも存在していて、それの中身を理解できないからこそ、自分≠他人になっているという前提でその論は進んでいると考えることもできそうだね」

 道の左右には障子が張り巡らされ、まるで大河ドラマに出てくる将軍様の通る道を何倍にも長くしたみたいな様相を呈している。もちろん左右の障子全てにクリクリとしたお目目がついていることもチャームポイントの1つだ。

「いや、そりゃ他人にも自らを確か付ける為に考える主体となる“心”みたいなものがあるって想定するのが当たり前じゃない?」

「さぁ、どうだろうね。私は羽須美みたいに他の人に“心”みたいなものが確実にあるとは思えないタチなんだよ。だってそうだろう。自分の“心”の存在証明は自分の心が確かだと思っている。これだけだ。そんな存在すら証明できたと言い難い曖昧なものが、よしんば自分にはあるとしても、どうして他人にそれと同じものがあると仮定できるのか」

「もし詩織みたいに考えた場合、じゃあそこにいる他者は心を持っていない可能性もあると。でもそれって、一体自分でもなく他人でもないってことになると、一体それは何になるの?」

「さぁ、何になるんだろうね。私の無意識の拡張か、私と外部世界の境界線か、はたまた哲学的ゾンビか」

 畳から無数の掌が連綿と生え、僕たちを暗闇の奥にあるはずの上座へと誘っている。

「なんだそれ。結局そんなこと考えたら自分と他人の境界線どころか、自分と世界の存在すらも危うくなっちゃうじゃん」

「そうかもね。実は私と羽須美は1つかもしれない可能性も出てくる」

「キモい、痴漢、変態」

「バカ言っちゃいけないよ、羽須美。私は無限の想像力の探究者だよ。羽須美と共に歩むあらゆる未来を想定しているのさ」

 頭が痛い。おめでたい。

「当たり前を疑うことは全ての可能性にアクセスすることであり、無限の扉を開く鍵になる。こういうのはたまらなく楽しいだろ」

 いえ、全く。頭痛いですし、こんな状況ですので余計に。

「そんな目で訴えるなよぉ。悲しくなるじゃないか」

「とりあえず、お相手さんがお呼びになっているので早く向かってあげては?」

 畳に咲いた掌が今か今かと僕たちを待っている。お待たせするのは怪異でも申し訳なくなる。

「まぁ、後少しだけ彼女/彼には待ってもらって。というのもこれから羽須美にこの怪異の根幹を教えなくちゃいけないのでね」

 そうだ、そうだった。この先3日間くらい頭痛に悩まされそうな議論をふっかけられたのは、この怪異の謎解き(?)をする為だった。詩織にペースを掴まれるといつも目的地を見失う。

「さっきも言ったように私と貴方の境界線なんて考えたらドツボにハマってキリがない。でも、君たち人間はその当たり前の問いを無視して君と私は違うと平然と言い退ける」

「それが日々を生きるための社会的精神として必要だからね」

「うん、そう。だから、人間の埒外にいる存在もその原理に従って動こうとする。彼/彼女らは現世の理を超えているにもかかわらず。そしてみんな外れても不安になってしまうんだよ。苦しみから解放される為に彼岸へ行ったのに、此岸と同じ苦しみをこっちの世界でも持たされる。そんな理不尽あるかい?」

 なるほど、確かに。僕たちは勝手に死ねば極楽。リセット。無になる。なんて自由に考えてるけど、それは死んだ人間にしか預かり知得ないことだ。現世を超えたって、悩みが解決しない可能性だってもちろんある。

「だからここにいる皆は、そんな理不尽を埒外の力で解決しようとしているんだよ。」

 詩織は立ち上がり、掌が指し示す導線に沿って歩みを進める。左右1列に連なる白く彩られたそれが、何故か涅槃に咲く蓮の花のように見えた。

「自分と貴方は違う。故に苦しむ。故に比較する。故に劣等感を抱く。故に憎む。故に不寛容になる。故に憎悪する。故に卑屈になる。では、これらの苦痛を取り除くには?」

 詩織はとめどなく言葉を紡ぐ。怪異の気持ちを代弁するかのように。口周りに残った赤黒の痕跡が彼らの痕跡となって怪しく彼女を彩る。

「そうだ、君と私の区別など無くそう。“心”という形而上で想定されたものを1つにしてしまおう。そうすれば全ての果てに悩みは無色透明になるはずだ。な、簡単なロジックだろう?彼らにはそれができる力があるんだ。その為に意思の有無は関係なく旅立ったはずなのだから。それがこの家に巣食う怪異の根本。この家に来たもの全ての記憶を心を時間を共有し1へと合流する、【心渡し】とでも言おうか」

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