侯爵夫人との攻防
「あなたマネージャーを辞めたそうね」
エスタは高級喫茶店で、メイテル侯爵夫人と対面していた。
「不本意ではありますが、そうなりますね」
二人のテーブルに、注文した紅茶とケーキが運ばれる。
「それで? 侯爵家にはいつ戻るのかしら?」
「う……」
やはりそう来るか。
互いに紅茶をすすって臨戦態勢を敷く。
「奥様」
「なーに?」
「次の就職先が見つかるまで待ってはもらえませんか!?」
「だーめ。『どうしても外で経験を積みたい』と言うから、仕方なく許可したのよ。仕事をやめたなら戻らないと。4年も働けばいい経験になったでしょう」
平民と同じ仕事をしているエスタだが、実は元男爵令嬢であった。
男爵であった亡き父の関係で、侯爵家とはいまだに懇意にしていた。
「そもそも私はあなたがマネージャーになるのだって反対していたのよ。はじめは商会の物流室に就くと言っていたのに、治安の悪いアイドル部門に移されて。その時に目をつぶってあげたのだから今回は大人しく戻りなさいな。今住んでいる家から荷物を運ぶようオットーに言っておきます」
「待っ、奥様ぁ!」
「なによぅ」
「私はもう二十一歳で成人しております!」
「成人してても未婚でしょう」
「う……」
「それともクリフと結婚する?」
「冗談が過ぎます」
クリフとは、侯爵家の嫡男であるクリフトファー様のことである。
「そう? とにかく、結婚するまでは代母である私が責任を持ってあなたの面倒を見るつもりよ。ランドルフ卿にも顔向け出来ないもの」
「……」
エスタ=ランドルフの父は、メイテル侯爵家の騎士をしていた。
母はエスタを産んですぐ亡くなったので、母の友人であった侯爵夫人はよくエスタの面倒を見てくれた。
エスタが五歳の時、侯爵家に長女ミラニア様が産まれ、三年後に長男クリフトファー様が産まれた。
侯爵夫人は我が子と分け隔てなくエスタを可愛がってくれた。年上のエスタは二人を大事に思いながら、すすんで子守りと遊び相手になった。
侯爵家の屋敷に部屋を与えられ、父と侯爵家の方々と過ごす生活は穏やかで平和な暮らしだった。
ところが、エスタが十五歳の時、父が任務中に命を落とした。
侯爵家の嫡男クリフトファー様が、敵対していた家紋から襲撃にあったのを庇っての死だった。
父は背後にクリフトファー様を守り、たった一人で複数の刺客を返り討ちにした。
その時に大怪我を負い、そのまま還らぬ人となった。
父は名誉騎士であり、男爵位は一代に限られたものだったので、エスタが爵位を継ぐことはなかった。
両親を失ったエスタは頼れる親戚もなく、一人で暮らすために侯爵家を出ていくつもりだった。
しかし侯爵夫妻は父に恩義を感じ、娘のエスタに手を差しのべてくれた。
「これまでも今も、侯爵家には十分よくしていただきました。多大なるご恩をお返しできるかわからないというのに、これ以上お世話になるわけにはいきません」
「恩なんて感じなくていいのよ。むしろ私達の方が感謝しているくらいだわ」
「そういうわけにはいきません」
「はぁ、なぜそんなにも侯爵家を出たいのかしら……。やっぱり私達を恨んでいる?」
恨んでいる? そんなまさかとはっきりと否定する。
「夫妻には感謝こそすれ、恨むなど決してあり得ません。嫁がれたミラニア様を今でも妹のように愛しく思っておりますし、クリフトファー様は弟のように大切な存在です。ご無事でよかったと心から思っております」
「……ありがとう。私達にとってもあなたは大事な家族よ」
血縁者を亡くし、一人になったエスタだが、侯爵家の方々のお陰で不便な思いはしてこなかった。
あたたかい言葉に胸が詰まる。
「わかったわ。一月待ちましょう。ただし、それまでに仕事が見つからなければ私の侍女になってもらうわ」
「じ、侍女ですか!?」
「そうよ~。恩人の娘さんにメイドの仕事はさせられないわ。クリフのお嫁さんに迎えたいくらいなのに」
「あのー、クリフトファー様はまだ十五歳ですよ」
「あと三年で成人ね」
「その時私は二十四歳ですね」
「全然若いじゃない」
「身分が違いすぎます」
「男爵家の出自ならなんとかなるわよ」
「あの、弟って言ったの聞いてました?」
「ええ。大切な存在だって聞いたわ」
だめだ。この人に口で勝てる気がしない。
夫人の冗談を聞き流して紅茶をすすった。
「失礼」
すると、突然後ろから声をかけられた。
「あなたはーー」
「エリオットです。エスタさんをお見かけしたのでご挨拶をと思いまして」
侯爵夫人の視線を感じて、エスタは立ち上がってエリオットを紹介した。
「コンサート会場で知り合った方です。エリオットさんは首都で商会を営んでいるそうです」
「侯爵夫人にご挨拶申し上げます。近々アイドルグループを立ち上げることになりまして、マネージャー経験のあるエスタさんに色々と教えていただきました」
「……」
侯爵夫人は扇を広げて、顔を会わせようともしなかった。
平民が不躾に会話に入ってきたのを不快に感じているようだ。
こういう姿を見ると、侯爵家の方々がエスタに対してはいかに寛大かと痛感する。
「先程エスタさんが新しい職場を探していると聞きました」
「エリオットさん、盗み聞きとは誉められたことではありません」
「すみません。私にも無関係な話ではなかったので、つい聞き耳を立ててしまいました。エスタさん」
「はい」
「仕事を探しておられるのでしたら、我が商会で働くのはどうでしょう」
「え?」
「新しく立ち上げるアイドルの、マネージャーになっていただけませんか?」
「!?」
前世ではアイドルとは無縁の人生を送ると決めた。
それなのに現世ではアイドルのマネージャーになっていた。
それもクビになったというのに日も経たずこんな提案を受けるとは……。
この魂はアイドルを引き寄せる、何か見えない力が働いているのかもしれない。
エスタは空に向けて警戒した。