マネージャーやりませんか?
エリオットからマネージャーの打診を受けたエスタ。
裏接待があるアイドル業界をよく思っていないメイテル侯爵夫人の前もあり、エリオットの提案はその場で丁重にお断りした。
そして今は、自宅のダイニングテーブルで今後の身の振り方を考えていた。
「マネージャーは侯爵夫人が嫌がるので無理。だけどこのまま職を見つけなければ侯爵家に戻される。侍女へのカウントダウンはすでに始まっているのよ!」
現状を口に出して確認する。そうは言ってもすでに侯爵家のご厚意で用意された庭付き一軒家で、悠々と暮らしているエスタ。
さらに住み込みで老齢の下男オットーと通いでハウスキーパーが朝晩に侯爵家から遣わされていた。
侯爵家の後援で叶った贅沢な暮らしだが、これでも最初は生活への支援を断ったのだ。
しかし過保護な侯爵夫妻から屋敷を出るならこれが最低条件だと提示され、厚意を受けることとなった。
「うーん。給金の高い仕事だと限られるなー」
この国ではほとんどの女性が結婚して夫に養われている。女性が就ける仕事は意外と少なかった。
その中でも一人で暮らせるほどの高収入で、エスタにも出来そうな仕事を考える。
元男爵令嬢だったエスタは、一般教養もあり家庭教師や秘書の仕事が適している。
「だけどそれを言ったら侯爵様の秘書にさせられるし公爵家に嫁いだミラニア様のお子様の家庭教師にさせられる」
それでは侯爵家のお世話になっていることに変わりない。
だからといってメイドの仕事は絶対に許してはもらえないだろうし、その他の仕事は給金が低くて厳しい。
「そんなに侯爵家の世話になるのが嫌なのですか?」
立派な下ヒゲを生やした下男のオットーが、悩むエスタの前に紅茶を置いた。
エスタは書き終えた手紙を封にしまい、いつものようにオットーへ渡す。手紙は侯爵家への近況報告みたいなものだ。
「誰だって恩人のお荷物にはなりたくないでしょう」
「奥様の侍女も旦那様の秘書も公爵家の家庭教師も、大変名誉ある素晴らしい仕事ではないですか。むしろ恩返しだと考えを改めてはどうです?」
「それは私が優秀だったらの話でしょう? 侯爵家には私よりも優秀な人材がたくさんいるの。私を採用しても損にしかならないわ」
「エスタさんは優秀ですよ」
「ありがとう。ねぇ、私に合う仕事ってマネージャー以外で何かある?」
「そうですねー、残っているのは若様のお嫁さんだけですね」
オットーの笑えない冗談に紅茶を吹き出すところだった。
「いっそお店でも開こうかな?」
幸い侯爵家が衣食住を保証してくれたお陰で、マネージャー時代の給金はほぼ貯金に回せていた。
「エスタさんに商才はないと思います」
「……どうやらここをクビにされたいようね、オットー」
エスタの脅しに、オットーは口を閉じたが諦めろとでも言うようにニコッと笑い、手紙を持って去っていった。
「ハァ……」
本当にどうしようか。
机に突っ伏す。目の前には洗濯済みの白いハンカチが置かれていた。
「ハンカチ、リアン君に返さなきゃな……」
考えに行き詰まったので、気分転換も予て外出することにした。
このハンカチは、エスタを階段から受け止めてくれた少年、リアンのものだ。
落ちた時に持っていたコーヒーをぶちまけて、コーヒーまみれの顔を彼がハンカチで拭ってくれたらしい。
後から聞いたら、リアンは商会に所属していないらしく、かつての同僚に住所を聞いて、直接お礼を兼ねて返すことにした。
「ここか……」
リアンが暮らす家は、エスタの家から近く、中流階級の家が立ち並ぶ場所にあった。
平民の家にしては立派な、二階建ての庭付き一軒家だ。
チャイムをならす。
すぐに人が出てきたのだが、てっきり本人か母親、家の大きさを考えると雇っている使用人が出て来てもおかしくないと思っていたら、対応に出たのは背の低い可愛らしい顔立ちの少年だった。
「こんにちは。エスタ=ランドルフと申します。リアンさんはご在宅でしょうか」
「どういったご用件ですかー?」
ふわふわで雲のような銀の癖毛を揺らしながら、エスタをまじまじと観察している。薄黄緑のビー玉のような丸い瞳と、色白の肌に甘えるような幼い声が保護欲を引き立てる。
リアンの弟かな?
可愛らしくて思わず笑みが溢れた。
「以前リアンさんに助けてもらいまして。その時に借りたハンカチを返しに来ました」
「それ、リアンのじゃない。エリオットのだよ」
「え?」
「待ってて」
銀ふわ髪の少年は、パタパタと足音を立てて家の中に戻って行った。
玄関扉がゆっくりと閉まる。
「エリオッ……ト?」
最近聞いたことのある名前。
そしてこの展開は、また例の目に見えない力が発動する前兆のような、そんな危険な感じがした。
エスタはゴクリと喉をならし、周囲を警戒しながらゆっくりと後退りした。