立夏1 カニも松茸も、初めて食べた冒険者を誰も知らない
東の地平辺りに連なる稜線から昇る朝日に照らされて、セピア色から新緑に色付くリコピン村。
村人の朝は早い。井戸に釣瓶を落として汲み上げ瓶に運ぶ、身体強化で往復する残像っ。村人の朝は物理的にも早い。
大人たちから少し遅れてセナもムニャムニャ鳴きながら起床。庭に置かれたセナ用の小さな瓶に向かい、拙い手つきで水をバチャバチャ地にこぼしながら顔を洗い、口をゆすぎ、いざ朝食。
バナナのヘタをポキンと折って皮を向いて、二度漬け禁止の魅惑の壺にドプンと差して抜くと、ジャムバナナの出来上がり。
この光沢。セナはうっとりしながら頬張った。照焼きチキンといい、美味しいものは艶が違うのだよ艶が。三歳にしてすでに一家言手に入れた。
ごちそうさまをしてから庭に行き、両親と三人並んで歯磨き。
歯磨き液からボディソープ、洗濯用と食器洗い用の洗剤に至るまで万能の活躍をする伝説級ロックな植物がアロエスミス。
春に花を咲かせる多年草にしてサボテン系の多肉植物。トゲはなく、涙形の大きく肉厚な葉が地面から何重にも生えて見えて、日当たりがイマイチな森のどこにでも群生している。
掌大の葉をちぎり、皮を丁寧に剥いで中身をすり鉢で潰すと半透明な粘液になる。これがご当地自慢の一品、ウォッシュである。ウォーッシュディスウェイっ。
トネリコから箸サイズの棒を切り出し、魔力濃度の高い高山湿地に群生するアツゲショウの茎に差す。
植物の葉や茎に生える産毛のようなものをトライコームというが、このアツゲショウの茎には剛毛が生えており、乾燥させると丸ごとゴムに似た特性を持つ。
そう、フィット感が神ってる歯ブラシの完成。コイツを握ってウォッシュをつけて歯に当てながら魔力操作を頑張ると、ヴィィィーン、超高速振動によってお口スッキリ。
ウォッシュの泡立ちは魔物のカニもビックリ。どこの庭にも口から滝のように泡を流す「これが常識ですけど? 電動歯ブラシに歯磨き粉はNG? ちょっと何言ってるか分かんない」て無感動な顔した人が。早朝リコピン村の風物詩である。
「セナ、今日はハペコさん家で遊んでね」
「あいっ」
起床後のアレコレが片付き、母の言葉にセナは元気よく手を上げて応えた。
この地域の教育方針について触れておこう。
リコピン村というかムラ社会では必然のハナシだが、みんなで助け合うのが当たり前の環境の中、『子供』は夫婦の子供ではなく共同体の子供という認識になる。
子供の世話も教育も両親の責任、個人の自由、が許されるヌルい環境ではない。無能な味方は有能な敵に勝る。運命共同体とはよくいったもので、一蓮托生だから子供の世話も教育も共同体が関与する。
特別珍しくもないが、リコピン村の取り組みのひとつが積極的な託児。
道具作りのサンド、酒造りのリキュウルなど、専門職はないといいつつも何かを得意とする者はいて、子供は全ての村人と交流して学ぶように促す。少しは反面教師も混じっているかもしれないけど、それすら教師には違いない。
アガサたち『母』から見ても快適な仕組みになる。もとより家事は女がするもの、といった下らない偏見はない。男尊女卑の思想は戦争から生まれる。命が軽くて暴力が尊重される時代に、戦闘力の高い男の方が偉い、という風潮になり、男優位を後押しする宗教や政治の枠組みが作られる。つまり戦争と無縁だったり戦闘力に性別が関係なければ女圧勝の世になる。これがホントのカカァ天下。ヒエっ。
とはいえ家事や子育ては女が受け持つ家庭は多い。女がすべき、ではなく、男が使えないから。エロと筋肉と妄想しか詰まってねぇもん。
そんなわけで、母ひとりに任せず共同体が受け持つことで子育ての負担は軽くなる。使えない男も当番制にして面倒を見るくらいなら猫の手代わりにはなる。
アガサもセナを連れて森の浅い層に行くが、たまにはひとりで本気の狩りをしないと腕が鈍る。それはムラにとっても損失だ。誰も見てない深層に行ってストレス発散してきな。ひとりは遠慮なく般若になれるから、を略した若者言葉をヒトカラというらしい。ヒエっ。
今日セナがお邪魔するのはリコピン村のクレイジーヒーラー、ハペコの家。クレイジーがデフォルトのリコピン村でクレイジーを冠する人物の正体とは。
年齢は二十……、男はいいか、三十代。中肉中背やや猫背、垂れ下がった糸目でいつも微笑む気性の穏やかな紳士である。
希少な回復魔法の使い手で、村の医師役を担っている。見た目も人当たりもいたってまともだ。対人的にはどこも問題ない。あれば子供を預けるわけがないが。
母に手を引かれてハペコの家に行くと、セナより少し年上の子供が二人いた。
「にーちゃ、おぁよ」
「おうセナ、おはよー」
ライ五歳、赤髪吊り目の勝ち気なやんちゃ坊主。セナを従えたいガキ大将タイプではなく、面倒見の良い兄貴風を吹かせたいタイプ。あくまで願望であって、付き合い方が上手くいってるかどうかはビミョーだが、とりあえずセナに距離を置かれていないからセーフ。
「ねーちゃ、おぁよ」
「おはよう」
ヒメ八歳、ライの実姉。赤茶髪のおっとり長女。趣味読書が似合いそうだが、残念ながらリコピン村に本はない。紙もない。てか文字すらない。絵記号といえる図形がいくつか程度。落ち着きのない弟とは反りが合わなくて特別仲良くはないが、大抵の姉弟はそんなものか。代わりにおっとりした天然系のセナを猫可愛がりしている。
「んじゃハペコさんヨロシクですー」
「はいはいいってらっしゃい」
アガサは一声かけて立ち去り、三人の子供を預かるハペコは応えて部屋の一角、作業スペースでもぞもぞ何かを始めた。
別に大人は子供の相手をずっとするわけではない。例えば大怪我しないよう、例えば拾い食いしないよう、命にかかわる危険がないよう見守っていればそれでいい。
怪我も軽いものならいくらでもすればいい。十代半ばからは魔物との戦闘すら日常になる世界において、安全第一なんて結局本人を早死にさせる世迷言だ。セナが猪に襲われてなおアガサが森に連れて行く理由も同じこと。目の前の軽いリスクを避けていたら数歩先で詰む。
子供は好きに遊べばいい。大人のすることを見学するのも自由だ。助け合わなければ生きていけない環境でコミュ障は即死だから、コミュニケーションは積極的にとるよう育てる。様々な大人に関わらせる村の意図である。結果相乗効果が発生してリコピン村は変人だらけになっているのだが、誰も気付いていない。
「ふごぉ、おふっ」
セナとライがラグナロクごっこ(※厨二じゃんけん)したり、セナがヒメにぬいぐるみ扱いされて充電切れたようにされるがままになったり、子供たちが思い思いに過ごしていると、なにやら不審な声が。
子供三人がそろりそろりと音源に近付くと、ハペコが紫色の顔をしてうずくまっていた。
「君たち、それ以上近づいちゃいかん」
意外と冷静に注意されて三人は従った。三人のうち、年長のヒメだけは事情を察したから、床に横たわって吐瀉する不審者を冷めた目で見ている。
これがクレイジーの由来。ハペコは、好意的にかっこよく言ってあげると、食の探求者だった。どう見ても毒キノコだったとしても味見せずにはいられない業を背負っていた。
ハペコはヒメの視線に気付くとニヒルに微笑った。顔色は紫から青へ進行。
「愚かだと思うかい? 考えてみたまえ。我々は、あまりにもモノを知らない。ひょっとしたら毒キノコが美味しくなる方法があるとして、知らないから食べない。我々は無知だから美味しいモノを食べるチャンスを捨てているんだよ。悔しくないかい?」
回復魔法のおかげもあり、土気色のあたりでV字回復してみせた。ちなみに解毒魔法なんて都合の良いモノはない。毒の種類は無限にあるのに全対応出来てたまるか。
ハペコの魔法は自己治癒力の増強になる。今まで毒を取り込みすぎて人外の抵抗力を獲得するほど鍛えられているから無事なのであって、普通は死ぬ。
セナはハペコの言い分をイマイチ理解出来なかったが、食を喜ぶ者としてなんか響いた。だから純粋に閃いたことをしてみた。
床に転がる、かじられた跡すら毒々しいテントウムシ模様のキノコに魔力の糸を伸ばし、水分と一緒に毒素らしきものも排出させた。三和土のように踏み固められた床に広がる青い液体を見て、目を見開くハペコ。
おそるおそるひとくち。
カッとさらに目を見開いたハペコ。ギリ美味と言えそうな。そして。
ゴロゴロ。どこからか雷のような音が響き、ハペコは身体強化と回復魔法をかけて雄叫びを上げながら、村共有のトイレへダッシュした。
とりあえず、キノコの生は無謀じゃね?
三歳でも知ってる。