啓蟄4-1 アガサスペシャル
まだ淡雪が降ることもあるけど積雪は薄明に消えて、森が目覚めようと深く息を吸い込んでいる。
地面のひびから顔を出すのは芽か虫か、気の早い小鳥が枝から覗く。
そろそろ先生も起きてくるかしら。アガサは夜明けと共に庭に出て大きくノビをして、森越しに遥か彼方の山脈を見てふいに思った。
先日までは鮮明だった山肌が今は春霞によってぼやけている。
「せんせい?」
「そう、みんなの先生」
思い立ったら即行動。娘のトナは夫に預けて、アガサはセナを連れて森の奥を目指した。他にサンド、ヒナ、ライの親子、ライと同い年のマヨ、ツナ、それぞれの片親も同行する。
東は恐竜も出現する危険地帯。向かうのは北、変温動物が嫌う寒い高地で比較的安全ではあるが、それでも人里離れた奥は奥。気楽に行ける場所ではないからセナは初めての大冒険になる。
本当はセナには早い。ライたちも今日が初めて。つまり常識的には二年早い。リコピンの常識が破天荒だが。
ただ、何歳からという決まりはないし、セナが少し変わっているのは周りも知ることなので文句はでなかった。
子供を中心に集め、親が円陣で囲ってガードするフォーメーションで獣道すらない森を進む。初春の森は藪こそ深くはないけど土が柔らかくて、砂浜のように足腰に負担がくる。でも六歳のセナすら音をあげない。むしろ初体験にテンション高い。子供特有の無限に思えるスタミナを発揮している。
そんな息子をチラリと背後に見やって、先頭を歩くアガサは話し続けた。
「基本が奥義。みんなが知ってること。みんなそう言って、全てにおいて基本をないがしろにしないように意識する。どうしてそこまで基本を信じられるのか。お手本となる先生がいるからよ」
「あいにいくの?」
「そう、この先で暮らしている、はず。こまめに確認はしないからハッキリとは分からないけど」
「森のおくでひとりぐらしのししょーキャラ。初めて聞いた。なんだよそのむねあつなセッテー。父ちゃんかくしてたのかよ」
「隠してたっちゃー隠してた。アレは聞いちゃうと先入観で誤解しそうだから。まずは見ろ。脳が拒否したくなる光景になるかもだが見なきゃ納得できねぇ」
話を拾ってライがはしゃぎ、サンドが謎めいた言い方でにごす。それを聞いてアガサも少し話題を変えた。先生ではなく基本について。
「例えば歯磨きの時に歯ブラシをブルブル震わす。これ魔力操作の基本ね。毎日やってることだから気付きにくいけど、同じ要領で服や靴にも魔力を通せるようになる。というかもう出来てるわね」
「マジ?」
「マジよライちゃん。魔力に関して子供は特に、未熟な身体の内側は上手く扱えない代わりに、柔軟な想像力が問われる外側のコントロールが上達する。むしろ子供のころにどこまで上手くなれるかで身体強化のレベルが決まるといってもいいくらい」
ライもマヨもツナも生唾を飲み込んだ。なんか難しいけど大事な攻略情報に聞こえる。でも分からないなりに矛盾があるような気がして、ライはたずねた。
「父ちゃん、かわのよろいに魔力をとおしてもムダっていってなかった?」
「魔力を外側に展開して攻撃を防御することが無駄っつったんだ。オーガにパンチされたら即死する。魔力でガードしても致命傷か死ぬ、どちらにせよ死ぬ。強敵の攻撃は回避一択。最悪くらうとしても吹き飛ぶ方向に自分で飛んでダメージを受け流す。それを可能にする基本が身体強化、そして常にではなく、要所要所で服や靴に魔力を通す技術も大事なんだよ」
「ムズいよ」
「理解できたら天才だっつーの。もとより魔力の話なんぞ理解する必要はない。もうお前ら全員基本はできてる。天才より立派な秀才だ胸を張れ」
子供には難しすぎる。そしてサンドの言う通り理解する必要はなく、全員自然に使いこなしている。
簡単にいうと、大人が魔力をまとわずスカイラブハリケーンで音速超えたら服も靴も消し飛んで全裸になる。戦いに勝って社会的に死ぬる。
子供は毎日遊び、駆け回る。そんな日々の中で、例えば新しい服を着てしぱらくは汚したくないとか、特に高性能でもない革靴や草履に対して、走りながらもっとグリップが欲しいとか、ちょっとした願望を魔力操作で解決する。そういう高度なことを無意識にしている。歯ブラシを筆頭に魔力の使い方が日常に溶け込んでいるから自然に出来て、身体が大人になって改めて高い魔力を感じ取るようになると、意識して戦闘に利用するなどもっと高度なことが出来るようになる。道理だ。
魔物は好戦的なタイプが多いが、獣は臆病なタイプが多い。群れてしゃべりながら移動するアガサたちを襲う敵もなく、体感三キロメートルも歩いたころ、手つかずの秘境感を全面に押し出した滝壺に到着した。壮大ではなく水を叩く騒音もない、静謐な森の奥に似合う、掛け軸の水墨画になりそうな滝。
「母ちゃん」
「やっぱり感知能力とんでもないわね流石私の息子さすセナ」
滝を目印にやや離れた岩壁にぽっかりと洞穴が空いていて、その穴をセナが珍しく緊張感を漂わせながら指差した。セナは困惑した。人の気配ではない。
一方アガサは洞穴にぞんざいに近寄ると、一緒に登校する小学生のような声をかけた。
「武ーさーん」
「「「ぶーさん?」」」
子供たちが驚いてハモった。それはお伽噺の名。伝説の初代村長がテイムした盟友、熊の武ーさん。実在したのか、てか存命なのか、てかご近所だったのか。子供たちの心拍数がドラムロールに変わった。
そして穴からソレは出てきた。
明るい灰色の毛並みが闇に浮かぶと、達人の足運びで悠然と進み、五指の開き具合も隙はなく、やや猫背だが自然体で、心の奥底まで見透かすような鋭い眼光はアガサの手に持つモノをロックオンして、尻尾は巨大ネコジャラシのようにフワモコで、全身コロコロ丸みを帯びた━━。
ソレは巨漢くらいの背丈をした二足歩行するタヌキだった。熊でもないんかい。ライは叫びたい衝動を堪えた。
「じゃ、紹介するわよ。コチラ、熊の武ーさん。通称、先生。多分アライグマ系の魔物ね」
タヌキでもなかった。ライ、心の中で得体のしれない感情とどつきあった。ちなみにタヌキは耳の縁が黒く、アライグマは尻尾がしましま。目の周りで見分けられる人はガチ勢です。
アガサが土産を武ーさんに渡す。蜂蜜が入った壺。受け取った武ーさんは一旦穴の入口に行って置いて戻ってきた。あまり興味はないフリをするけど数秒に一回背後をチラ見する。
父ちゃんの言った通りだ。ライは納得した。これは見ないと飲み込めないし見ても非現実感がパない。どう見てもいい年した武術の達人がコスプレにハマって隠れて着ぐるみ着ているところを見られて『普段着ですが何か?』って強引に押し通そうとしているようにしか見えない。異常に人間臭い。
「先生が何者かってどうでもいいわね。大事なことは、先生は武術を極めていて、蜂蜜と引き換えに指導してくれるってこと」
確かに、詮索はしないほうが良さげ。数百年は昔のはずの初代から今まで武術の研鑽を積み、密やかにリコピンを支えてきた、初代の盟友にしてテイムされたネームドモンスター。非凡すぎてフレーバーテキストが外伝になりそう。
「じゃ、先生も早く蜂蜜舐めたいだろうしちゃっちゃと始めますか。みんなはもう少し離れて見てて。特に子供たち、これは見取り稽古といって凄く重要だから瞬き厳禁でしっかり見なさい」
これといって仕切りの合図はなく、当然審判もいない。微かな滝の水音と鳥のさえずりをBGMに幽玄な草地に対峙して、二人の組手は唐突に始まった。
武ーさんは軽く両手を掲げてすり足。ちょっとプロレスラー気味。
アガサは半身に構えて左手を前に、右手は腰に引いて待つ。
ただそれだけの二人に観戦する大人たちは唸り、子供たちも不思議な感動を覚えた。
どちらも隙がない。パーソナルスペースが無性に怖い。
そして両者の領域が触れた時、空間が震えた。
一方的に攻撃を仕掛けるのはアガサ。ジャブで武ーさんの掌を打ち、防御に回るよう牽制する。
サンドが言ったように、人はオーガのパンチで即死する。武ーさんはそのオーガをパンチで殺せる。アガサを相手に手加減はしているけど、単純な攻撃力の高さは人間の比ではない。受けに回れば保たないから攻めの姿勢を崩さない。
武ーさんも受けるだけではない。時折空いているほうの腕を水平に振るい、踏み込むアガサにカウンターを狙うが、アガサも軽く屈みながら後方に下がる。
まるでスパーリング。隙を見せずに隙をつけ。口に出さずに語られて、アガサは口角を上げた。
アガサは育児にかまけて身体がなまっている。
武ーさんは冬眠明けてとりあえず腹を満たしただけで本調子ではない。
それでも観戦者にはキレッキレの高速バトルに見える。特にアガサ。武ーさんは野性?の魔物だからどんなコンディションでも強くて納得できるが、アガサはブランクがあるようには見えない。そのあたりをライが興奮しながら褒めるとサンドが解説した。
「実戦から離れていても身体強化は使うし歯ブラシに限らず魔力操作も使うから、強くはなってんだよ」
それが基礎、基本のチカラ。アガサも武ーさんも、ほんの少しずつでも進む先を子供たちに教えるように。
武ーさんは水平チョップをキャンセル。ダッキングに沈むアガサを叩き潰すように空いた片手で唐竹割り。
アガサはスウェーをせず、逆に前に踏み込んだ。
一点を殴る。シンプルな攻撃を極めた先に届く技、崩拳。
下腹に食らってくの字になる武ーさんの横を、上から見てくの字を描くように二段階縮地で通り過ぎ、急ブレーキのベクトルを背中から浴びせた。
面で面を叩く。シンプルな攻撃を極めた先に届く技、鉄山靠。
背中で背中を、斜め下から斜め上に衝撃を食らって武ーさんの巨体は宙に浮いた。そこを振り向く遠心力まで利用してとどめ。
突き飛ばす。シンプルな攻撃を極めた先に届く技、双掌打。
武ーさんはのけぞり宙を飛びながら振り返って片手を突き出し親指を立てた。流石魔物。人の拳ではそうそうダメージを負わない。
「ふたりともカッケー」
子供たち、大はしゃぎ。きっとしばらくは組手ごっこが流行るに違いない。
アライグマのサムズアップはスルーされた。もう人扱いされとる。




